121 / 177
補遺 やつらの足音がきこえる (十五)
しおりを挟むりくにしたところで、そうである。
上で大きな変化があったことは知っていたが、それが自分の身に何をもたらすものか、考えたり、松蔵に訊いてみたりもしたが、わからない。一党が裏表に分かれたと言っても、別に自分の仕事が変わるわけでもなさそうである。もともと、御所さまに直接お目通りがあるわけでもなかったのだから、左衛門尉に仕えていようがいまいが、りくやこぶえたちには関係がないのである。
(それでよい。ここにいたい。)
りくは、無名館の「お離れ」の下女の暮らしが気に入っていた。
あの「川原御所の乱」のあと、さすがに姫さまは沈みがちであった。一度に父と兄を喪ったのだから、無理はない。ひなが一日、経をあげている姿ばかりであった。
「御出家あそばすおつもりではないか?」
滅多に来られない新三郎が、何かのご挨拶に立ち寄った時、その様子をうかがって、しんぱいしてふくに尋ねるのを、りくはいつものように物陰で聞いた。
「いえ、如何でしょう? 姫さまはああ見えて、尼になられるのはお好きではないようで。」
「好きな人はいまい。……縁薄かったと伺う、南光寺のお方のときとは、違いまするぞ。」
「ご懸念でございますな、新三郎さまは?」
ふくは、こんな時なのに、何か嬉しそうな声を出した。
(もう、斯様な世になった。忌まわしいことの起きたこのお城から、このおひとが姫さまを連れ出してくれてもよいのじゃ!)
そう思っているのが、りくにはわかった。
りくは複雑な気持ちになったが、おふくさんと似た思いも、不思議にある。
(お城にいたって、ろくなことはない。いっそ、抜け出してしまわれればよい。)
そして自分も、二人についていきたいと思った。
(松前、という町はどんなところなのじゃろう? あたしは、もっともっと賑やかな町に住んでみたいのじゃが……。)
やがて、自分の空想に苦笑いする。
(埒もない。……そもそも、若旦那はお里の命があるから、このお城にご出仕で、つっとおらなければならないはずじゃ。姫さまのほうがまだ、勝手かもしれんくらいよ。)
新三郎はと言えば、ふくの言葉に、また揶揄されたように思ったのだろうか、ちょっと厭な顔になったが、
「まあ、ご乳母どのがさほど気に掛けておられないご様子。」
私などが心配するには及ばぬようだ、と離れの縁先をあとにした。
その後、台所に回ってくるかとりくは期待したが、新三郎はそのまま馬に乗る。空の屋敷のそばをつっきって、帰っていく。
(たしかに、姫さまのご心配は要らぬようじゃ。)
りくは新三郎に伝えてやりたいような気がした。無論、何も教えはしないが、りく自身も内心で安堵する気持ちがあった。
さ栄姫は、左衛門尉を断固としてはねのけたのだ。
川原御所の残党を追い払い、内紛の後始末に一段落ついた―後から考えれば、思い違いもよいところで、むしろ内紛はここから延々と続くのであったが―左衛門尉が、また離れにしのんできた夜である。新三郎はもはや番役ではなく、配下の蝦夷足軽やその他の郎党も、戦にこき使われてこちらに回す手が足りない。
ただ、松蔵とりくはいる。
「こんどこそ、殺しておきましょう。」
御所さまを弑した謀叛人である。そして性懲りもなく、妹を襲おうとしている。生かしておいてはならないのではないか。
「左様なわけにもいかぬ。お命はとれぬ。」
松蔵は苦い顔になる。りくには、いまだもこの稼業になり切れていないところがあるように思う。いや、そうしたところが、この離れに勤めだして以来、でてきた。
(それを矯めてやるべきかどうかは、わからぬが……。)
もともと銀蔵の組に配されていた松蔵は、いまは「表」に属している。かといって左衛門尉に正確に把握されているわけではないが、かれが予想している「さ栄の周りに張り付けられた者」だと同定されるとしたら、松蔵のほうだ。
「その意味でも、おれは動かない。動けねえ。」
「……とは、表向きでしょう? やってしまえばそれまでじゃ。」
松蔵は、お前な、という顔になった。
「瀬太郎の仇を討ちたいか?……お前の仕事は、なんだ? おれよりも、お前こそ目立ってはならぬ。万が一しくじれば、姫さまの身に累が及ぶな。」
「しくじりゃしねえ。」
「おれは手助けしない。お前ひとりでは、無理じゃ。左衛門尉さまは腕が立つ。」
「……。」
「姫さまが穢されそうになったら、なんとかする。それまでは、見ておるしかない。」
それが、さ栄姫は無理矢理抱き寄せられても屈しなかった。左衛門尉の理屈を逆手にとり、無礼者の下郎は下がれ、と言い放った。そして、もしそうでないと言うのなら、どうかまた罪を犯さないでくれ、と涙ながらに説いたのだ。恐怖と興奮の果てに、さ栄姫はあの鱗にも思える腫れの疼痛に身を揉んで苦しみだしたが、そのことで、ついに左衛門尉を引き下がらせた。
りくはそこで、左衛門尉の秘密のすべてを知ってしまっている。さ栄姫さまと西舘さまの、いや、浪岡宗家の秘事中の秘事と呼んでいい、忌まわしい過去の事実だった。
(かほどの地獄を見られていたのか、姫さまは……。)
松蔵は気づいていたらしい。何故教えてくれなかったのが、わかる気がした。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
大日本帝国領ハワイから始まる太平洋戦争〜真珠湾攻撃?そんなの知りません!〜
雨宮 徹
歴史・時代
1898年アメリカはスペインと戦争に敗れる。本来、アメリカが支配下に置くはずだったハワイを、大日本帝国は手中に収めることに成功する。
そして、時は1941年。太平洋戦争が始まると、大日本帝国はハワイを起点に太平洋全域への攻撃を開始する。
これは、史実とは異なる太平洋戦争の物語。
主要登場人物……山本五十六、南雲忠一、井上成美
※歴史考証は皆無です。中には現実性のない作戦もあります。ぶっ飛んだ物語をお楽しみください。
※根本から史実と異なるため、艦隊の動き、編成などは史実と大きく異なります。
※歴史初心者にも分かりやすいように、言葉などを現代風にしています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/chara_novel.png?id=8b2153dfd89d29eccb9a)
冥官小野君のお手伝い ~ 現代から鎌倉時代まで、皆が天国へ行けるようサポートします ~
夢見楽土
キャラ文芸
大学生の小野君は、道路に飛び出した子どもを助けようとして命を落とし、あの世で閻魔様のお手伝いをすることに。
そのお手伝いとは、様々な時代を生きた人々が無事に天国へ行けるよう、生前の幸福度を高めるというもの。
果たして小野君は、無事に皆の生前幸福度を高めることが出来るのでしょうか。
拙いお話ではありますが、どうか、小野君の頑張りを優しい目で見守ってやってください。
「小説家になろう」様、「カクヨム」様にも掲載しています。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
【架空戦記】蒲生の忠
糸冬
歴史・時代
天正十年六月二日、本能寺にて織田信長、死す――。
明智光秀は、腹心の明智秀満の進言を受けて決起当初の腹案を変更し、ごく少勢による奇襲により信長の命を狙う策を敢行する。
その結果、本能寺の信長、そして妙覚寺の織田信忠は、抵抗の暇もなく首級を挙げられる。
両名の首級を四条河原にさらした光秀は、織田政権の崩壊を満天下に明らかとし、畿内にて急速に地歩を固めていく。
一方、近江国日野の所領にいた蒲生賦秀(のちの氏郷)は、信長の悲報を知るや、亡き信長の家族を伊勢国松ヶ島城の織田信雄の元に送り届けるべく安土城に迎えに走る。
だが、瀬田の唐橋を無傷で確保した明智秀満の軍勢が安土城に急速に迫ったため、女子供を連れての逃避行は不可能となる。
かくなる上は、戦うより他に道はなし。
信長の遺した安土城を舞台に、若き闘将・蒲生賦秀の活躍が始まる。
陣代『諏訪勝頼』――御旗盾無、御照覧あれ!――
黒鯛の刺身♪
歴史・時代
戦国の巨獣と恐れられた『武田信玄』の実質的後継者である『諏訪勝頼』。
一般には武田勝頼と記されることが多い。
……が、しかし、彼は正統な後継者ではなかった。
信玄の遺言に寄れば、正式な後継者は信玄の孫とあった。
つまり勝頼の子である信勝が後継者であり、勝頼は陣代。
一介の後見人の立場でしかない。
織田信長や徳川家康ら稀代の英雄たちと戦うのに、正式な当主と成れず、一介の後見人として戦わねばならなかった諏訪勝頼。
……これは、そんな悲運の名将のお話である。
【画像引用】……諏訪勝頼・高野山持明院蔵
【注意】……武田贔屓のお話です。
所説あります。
あくまでも一つのお話としてお楽しみください。
江戸時代改装計画
華研えねこ
歴史・時代
皇紀2603年7月4日、大和甲板にて。皮肉にもアメリカが独立したとされる日にアメリカ史上最も屈辱的である条約は結ばれることになった。
「では大統領、この降伏文書にサインして貰いたい。まさかペリーを派遣した君等が嫌とは言うまいね?」
頭髪を全て刈り取った男が日本代表として流暢なキングズ・イングリッシュで話していた。後に「白人から世界を解放した男」として讃えられる有名人、石原莞爾だ。
ここはトラック、言うまでも無く日本の内南洋であり、停泊しているのは軍艦大和。その後部甲板でルーズベルトは憤死せんがばかりに震えていた。
(何故だ、どうしてこうなった……!!)
自問自答するも答えは出ず、一年以内には火刑に処される彼はその人生最期の一年を巧妙に憤死しないように体調を管理されながら過ごすことになる。
トラック講和条約と称される講和条約の内容は以下の通り。
・アメリカ合衆国は満州国を承認
・アメリカ合衆国は、ウェーキ島、グアム島、アリューシャン島、ハワイ諸島、ライン諸島を大日本帝国へ割譲
・アメリカ合衆国はフィリピンの国際連盟委任独立準備政府設立の承認
・アメリカ合衆国は大日本帝国に戦費賠償金300億ドルの支払い
・アメリカ合衆国の軍備縮小
・アメリカ合衆国の関税自主権の撤廃
・アメリカ合衆国の移民法の撤廃
・アメリカ合衆国首脳部及び戦争煽動者は国際裁判の判決に従うこと
確かに、多少は苛酷な内容であったが、「最も屈辱」とは少々大げさであろう。何せ、彼らの我々の世界に於ける悪行三昧に比べたら、この程度で済んだことに感謝するべきなのだから……。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる