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補遺 やつらの足音がきこえる (十五)
しおりを挟むりくにしたところで、そうである。
上で大きな変化があったことは知っていたが、それが自分の身に何をもたらすものか、考えたり、松蔵に訊いてみたりもしたが、わからない。一党が裏表に分かれたと言っても、別に自分の仕事が変わるわけでもなさそうである。もともと、御所さまに直接お目通りがあるわけでもなかったのだから、左衛門尉に仕えていようがいまいが、りくやこぶえたちには関係がないのである。
(それでよい。ここにいたい。)
りくは、無名館の「お離れ」の下女の暮らしが気に入っていた。
あの「川原御所の乱」のあと、さすがに姫さまは沈みがちであった。一度に父と兄を喪ったのだから、無理はない。ひなが一日、経をあげている姿ばかりであった。
「御出家あそばすおつもりではないか?」
滅多に来られない新三郎が、何かのご挨拶に立ち寄った時、その様子をうかがって、しんぱいしてふくに尋ねるのを、りくはいつものように物陰で聞いた。
「いえ、如何でしょう? 姫さまはああ見えて、尼になられるのはお好きではないようで。」
「好きな人はいまい。……縁薄かったと伺う、南光寺のお方のときとは、違いまするぞ。」
「ご懸念でございますな、新三郎さまは?」
ふくは、こんな時なのに、何か嬉しそうな声を出した。
(もう、斯様な世になった。忌まわしいことの起きたこのお城から、このおひとが姫さまを連れ出してくれてもよいのじゃ!)
そう思っているのが、りくにはわかった。
りくは複雑な気持ちになったが、おふくさんと似た思いも、不思議にある。
(お城にいたって、ろくなことはない。いっそ、抜け出してしまわれればよい。)
そして自分も、二人についていきたいと思った。
(松前、という町はどんなところなのじゃろう? あたしは、もっともっと賑やかな町に住んでみたいのじゃが……。)
やがて、自分の空想に苦笑いする。
(埒もない。……そもそも、若旦那はお里の命があるから、このお城にご出仕で、つっとおらなければならないはずじゃ。姫さまのほうがまだ、勝手かもしれんくらいよ。)
新三郎はと言えば、ふくの言葉に、また揶揄されたように思ったのだろうか、ちょっと厭な顔になったが、
「まあ、ご乳母どのがさほど気に掛けておられないご様子。」
私などが心配するには及ばぬようだ、と離れの縁先をあとにした。
その後、台所に回ってくるかとりくは期待したが、新三郎はそのまま馬に乗る。空の屋敷のそばをつっきって、帰っていく。
(たしかに、姫さまのご心配は要らぬようじゃ。)
りくは新三郎に伝えてやりたいような気がした。無論、何も教えはしないが、りく自身も内心で安堵する気持ちがあった。
さ栄姫は、左衛門尉を断固としてはねのけたのだ。
川原御所の残党を追い払い、内紛の後始末に一段落ついた―後から考えれば、思い違いもよいところで、むしろ内紛はここから延々と続くのであったが―左衛門尉が、また離れにしのんできた夜である。新三郎はもはや番役ではなく、配下の蝦夷足軽やその他の郎党も、戦にこき使われてこちらに回す手が足りない。
ただ、松蔵とりくはいる。
「こんどこそ、殺しておきましょう。」
御所さまを弑した謀叛人である。そして性懲りもなく、妹を襲おうとしている。生かしておいてはならないのではないか。
「左様なわけにもいかぬ。お命はとれぬ。」
松蔵は苦い顔になる。りくには、いまだもこの稼業になり切れていないところがあるように思う。いや、そうしたところが、この離れに勤めだして以来、でてきた。
(それを矯めてやるべきかどうかは、わからぬが……。)
もともと銀蔵の組に配されていた松蔵は、いまは「表」に属している。かといって左衛門尉に正確に把握されているわけではないが、かれが予想している「さ栄の周りに張り付けられた者」だと同定されるとしたら、松蔵のほうだ。
「その意味でも、おれは動かない。動けねえ。」
「……とは、表向きでしょう? やってしまえばそれまでじゃ。」
松蔵は、お前な、という顔になった。
「瀬太郎の仇を討ちたいか?……お前の仕事は、なんだ? おれよりも、お前こそ目立ってはならぬ。万が一しくじれば、姫さまの身に累が及ぶな。」
「しくじりゃしねえ。」
「おれは手助けしない。お前ひとりでは、無理じゃ。左衛門尉さまは腕が立つ。」
「……。」
「姫さまが穢されそうになったら、なんとかする。それまでは、見ておるしかない。」
それが、さ栄姫は無理矢理抱き寄せられても屈しなかった。左衛門尉の理屈を逆手にとり、無礼者の下郎は下がれ、と言い放った。そして、もしそうでないと言うのなら、どうかまた罪を犯さないでくれ、と涙ながらに説いたのだ。恐怖と興奮の果てに、さ栄姫はあの鱗にも思える腫れの疼痛に身を揉んで苦しみだしたが、そのことで、ついに左衛門尉を引き下がらせた。
りくはそこで、左衛門尉の秘密のすべてを知ってしまっている。さ栄姫さまと西舘さまの、いや、浪岡宗家の秘事中の秘事と呼んでいい、忌まわしい過去の事実だった。
(かほどの地獄を見られていたのか、姫さまは……。)
松蔵は気づいていたらしい。何故教えてくれなかったのが、わかる気がした。
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