魚伏記 ー迷路城の姫君

とりみ ししょう

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補遺 やつらの足音がきこえる (十四)

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 内館の御所の建物の、比較的狭い三間の間のひとつに通されたとき、平山は希望に溢れていたと言ってよい。
 西舘は、「伊勢の者」が揃って麾下に馳せ参じたいという打診を、いちもにもなく受け入れたという。
(本来の忍び仕事が、これでできる。)
 大きな戦において、本隊と共同する別動隊として働く。夜戦や敵中への侵入、甚だしくは放火や破壊活動をおこなうのが、「忍び」仕事の本道だと、若い頃には関八州での経験も長かった平山修理は思っていた。奥州でもそうした仕事がしたい、鍛え上げた配下にさせてやりたい、という年来の希望が、新しい主人のもとではかなうのである。
 燭台の暗い火に照らされ、左衛門尉がただ一人で現れた。
「平山修理。おぬしが『伊勢の者』の統領だったとは、驚いたな。」
「畏れ多いことにございました。我らは御所さまにお仕えする身にございますれば、『兵の正』さまにはご無礼あったやもしれませぬ。お許しください。」
「わしのことも、探ったか?」
「畏れ多く存じます。ただ、御所さまみまかられ、いまや御所のあるじ様は御幼君のご後見たる西舘、左衛門尉さま。我らのお仕えすべきは、ただおひとりと存じますれば、斯様に罷りこしました。」
 左衛門尉は、黙っていた。
 平山は、自分に付き従う「伊勢の者」の名を記した紙を恭しく差し出す。血判らしきものが押してある。
 左衛門尉はそれを拾い、目を通した。頷く。
「こればかりか?」
 左様にございまする、と平山はここではそう言っておく。まだ、旧主である「若」との約束は守っておきたい。
「これらの者、左衛門尉さま―ご名代さまのご下知を頂戴いたすを、お許しくださいましょうか?」
 左衛門尉はまた、黙って頷いた。
 平山は低頭すると、では失礼をいたします、と言った。
 左衛門尉の手の中にある紙が、ぼっと火を吹いた。めらめらと燃え出す。左衛門尉も一瞬は驚いたが、さして熱くもないのか、紙がほぼ燃え尽きるまで手の中に置いていた。
「これでよいか。」
「は。」
「では、申しつけよう。」
 早速のご下知か、と平山には手に唾する思いすら起きたが、一方で、何か重要なことが欠けていたように思える。
「川原の謀叛を、防げなかったな。亡き御所さまにも、家中、一門の造反を未然につきとめるようにとの御沙汰は常にあったはず。そのかどは、軽からず。」
(あっ。)
「何の顔(かんばせ)あって、ぬけぬけと来おったか!」
 このとき、平山修理はすでに自分の錯誤を知っていた。
 左衛門尉は、一人ではない。平山の退路はすでに断たれていた。
(しかも、この気配は、稼業の者。抜けられぬ。)
 西舘が使っていた、検校館のあやしげな連中にも、手練れはいたのかと思った。
 平山は一瞬、すべてを洗いざらいぶちまけようかと思ったが、それをしたところで、仕方がない。
 目まぐるしく考えをめぐらすが、結局は、いのち未練の糸を断ち切るしかなかった。
「平山修理。ここで腹を切れ。ならば、『伊勢の者』としてではなく、備えの組頭のひとりとして、お前の家は、息子に継がせてやる。」
「……ご慈悲を賜り、かたじけのう存じます。」
 そういうことならばよい、と平山は腹をくつろげた。左衛門尉が、小刀を投げた。
 平山は、自分を取り囲んでいる気配を感じている。その持ち主も、わかった。
(なんじゃ、あいつらか……。)
 小刀を恭しく拾いあげながら、笑い出したくなった。
(若、たいしたものじゃ。見損なっておりましたぞ!)
「伊勢の者」の宿老の顔に戻っている自分に気づいた。
(先ほどまでの、なにやら望みを抱いておったが、分限とはかかわらぬ生身の自分であったが、……生身とは愚かなものじゃ。)
 ただ、聞いておきたい。安岡は何を知って、この左衛門尉のひとを見切っているのだろう。自分もそれを知っていれば、過ちを犯さずに済んだかもしれぬ何が、この男にあるというのだろう?
「こたびの、左衛門尉さまのお手際、見事にございました。我ら、まんまとたばかられました。」
 左衛門尉は、余計なことは言うな、という顔をした。
「最後にお伺いしたい。何故に、ご決断あられた? 御所さまとのご意見の違いなど、些細なるもの。兄弟お仲もむつまじく、まさかのことにございますれば、我ら『伊勢の者』とても感づけなんだ。あなたさまとて、得はなさらぬかもしれぬ。……いや、これは負け惜しみにござるが、最期に当たって、お教えくださいましたら幸甚にて。」
「教えぬ。知らぬなら、知らぬ方がよい。」
「もしや、妹君……。」
 平山の首が落ちていた。
 いつの間にか、眇めの銀蔵が後ろに立って、刀を振っていた。
「浪岡御城下の商人伊勢屋銀蔵、この者に代わり、一党ともにお仕えをお許し下さりたく存じます。」

 この日から、浪岡北畠氏に仕えるべき「伊勢の者」は表裏の組織に分かれた。表むき、左衛門尉に仕えるのは、銀蔵が差配する「伊勢の者」たちである。だが、御文庫で書庫の生理に勤しみ、家史の準備を手伝う痩せ侍、安岡右衛門こそが真の統領であり続けている。「伊勢の者」の半数近くは、言わば地下に潜っていた。左衛門尉には、把握を許さない。
 安岡の言ったとおり、御所さまの成長を十年近く待とうと言うのか、それとも別の事態を何か予想して備えているのか、それは当の「伊勢の者」たちにもわからなかった。

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