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補遺 やつらの足音がきこえる (十三)

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「御所さまは亡くなられた。」
 りくの預かり知らぬところで、「伊勢の者」の幹部たちが集まっていた。
 狭い蔵のなかに、数人の男たちがいる。安岡右衛門と平山だけでなく、全員が押し黙りがちであった。
「声」の最初の一言から、長い時間、沈黙が続いている。効率を重んじがちなこの稼業の者たちとしては、異常な有様であった。
 彼らの鋭い感覚には、遠い城外で、焼け落ちた建物がいまだに燻ってあげるその音も、匂いすらも感じ取れる。
「……止められなんだか?」
 誰かが、ついに問うた。安岡は低く呻いて「声」に目配せを送りかけたが、平山が一歩進み出る。
「すまぬ。西舘さまは我らが縄張りのうちにあった。」
「おぬしは、甘い。いや、邪念があったのじゃ、西舘さまに!」
 「眇めの銀蔵」と呼ばれる、商人姿の幹部が遂に耐えかねたように、責める。
 邪念とは、慎重な政治家であった御所さまに直結するのではなく、活発な軍司令官である西舘の配下に属する形で、もっと派手な忍び仕事がしたいものだという、平山が代表していた考えのことだろう。
「腹違いの兄弟の仲が、さほどに堅いと思うたか? むしろ最も警戒すべきが、西舘さまであったじゃろうに、なにを勘違いしたか?」
(あのお二人は、ただの兄弟ではなかった。いや、兄上の御所さまだけが、常ならぬお方であった。あまりにお情け深すぎた。……それが裏目に出るのを、おれも、つい見落としてしもうた。御所さまの仁に、この身まで浸ってしもうたか?)
「おかしら様すら、お気づきにならなんだとは!」
 銀蔵の思わず出た言葉に、安岡はまた呻いた。滅多に出さぬ、低い唸りが出る。銀蔵も言い過ぎたのはわかり、眼を伏せる。
「……咎めは受ける。」
 平山は唇を噛んだが、安岡はそれでもこの宿老が、禍を転じて福となせるとはまだ考えているだろうと想像した。

「左様なことよりも、ここで決めておくべきは、我らの新たな主人である。」
 安岡の「声」が告げると、また沈黙が座を支配した。
「左衛門尉さまだけは、ありえぬな。」
 銀蔵が口火を切り、同意の声が上がった。
「謀叛人に仕える気にならぬ。あの御所さまを弑した者を、主に仰ぐは腹の虫がおさまらぬわ。」
「それこそ甘い。それこそ、余計なことを考えておる。わしらは何故、はるばる奥州まで下ってきた。」
 平山が膝を進めた。
「浪岡北畠にお仕えするためであろう? いまや、浪岡北畠の主は、左衛門尉さまじゃ。それを嫌がるとは、道理が立たぬ。」
「謀叛人であろう?」
「我らを謀り、悪逆非道をなした若造よ。」
「笑止。……おのれらはいつより、道学者となったか。稼業を忘れたか。わしらは、何者か?……下剋上は世の常。悔しいが、『伊勢の者』を謀るとは、左衛門尉さまはやはりタダ者にあらず。畏れながら、我らが主に仰ぐに相応しいとすべきじゃろう。」
(平山、嬉しそうじゃな?)
と、これは「声」に言わせず、安岡は黙って、幹部たちの言い争いを聞く。

「儂やお前と違い、表の稼業だけでは食えぬ者も多い。」
 平山が、ここにいる幹部たち全員の痛いところをついた。みな、食わせねばならぬ部下がいる。
「仕事」が頻繁にないと、甚だしくは飢える者も出る。戦や動乱の匂いに近い方が仕事は増えるから、よいのだ。亡き御所さまの代にはそれがやや乏しかった。
 しかし、お城のお役も大抵はいただいておるから、と銀蔵は呟いたが、平山は笑った。
「城のお役? それとて、あてがわれたら必ずうれしいものか? ……それ、お前のところの、『左の松蔵』、あれもいつまで下男の恰好をさせておくつもりじゃ。もう三年にもなろうぞ。」
「あれは、お前……。」
「無名舘の姫さまのお守りは、亡き御所さまから直々のお命じであった。じゃから、松蔵ほどの者をつけた。銀蔵ではなく、わしの考え。」
 安岡の言葉に、平山はさすがに、それは知らず、と恐縮してみせた。銀蔵が、息を吐いた。

「……元締めたる、おかしらのお考えをうかがいたい。」
 平山が遂に言った。
「よいじゃろう。もとより儂は……儂らはみな、おかしらに従う。」
 銀蔵は、平山への反感を隠せない。今次の体たらくの責任者であろうくせに妙に確信ありげな顔つきや言いぶりが、許せない気がするのだ。
 銀蔵自身は、いわば宿老中の二位と言ったところであろう。これまで若い安岡に必ずしも心服できない態度もあったが、最後は頭目の判断に委ねたくなっていた。

「ならば言う。儂は、西舘さまを主には仰がぬ。」
 平山が息を呑んだ。動揺が座に広がる。銀蔵ですら、喜んでよいのかわからぬと言った表情である。
「我らは四位さま、ご先代さまとあくまで浪岡御所の主さまにお仕えする者。新しい御所さまは、おられる。そのお方にお仕えするべきであろう。」
「まだ、……ご幼君でござる。たしか、八歳になられましたか?」
「左様。早々にご元服あそばすじゃろう。」
「お育ちになるまでの、まことの御所のお主は、左衛門尉さまではありませぬか。」
「そのようになろう。」
「では、まずは西舘さまにお仕えすることになりまする。」
「それは違うな。……あくまで御所さまの命を仰ぐ、」
「伊勢の者」の統領として、一党の顔触れや人数や拠点の場所を伝え、配下として服従する相手は、左衛門尉ではないと言うのだ。家臣として、その全容を晒して身を委ねてはやらぬ、というわけだ。
「……あと、十年は待つと言われるか?」
「待つ。……立派にご成人あそばした暁には、あらためて安岡がご挨拶申し上げる。」
「それでは、……それまでは、我々は如何する? 身を潜め、卑賤の職に甘んじよと。それもできぬ者は霞を食っておれ、と配下に申し付けるのでございますか?」
 安岡は黙っている。思った通り、これまで平山に反発していた幹部から、声が次々に出た。いざとなると、生活の不安が先に立つ。

「……今、儂の考えを申した。それに従えぬとあれば、もう安岡の家の命に服す必要はない。西舘さまにお仕えせよ。」
 結果は、三分の一ほどが平山に従い、「伊勢の者」の一党として、西舘さまを主に仰ぐことになった。
 安岡右衛門に従う残りの者は、まずは深く身を潜めるよりない。
「若、お父上から受け継がれた『伊勢の者』の一党は、これで割れてしまう。よろしいのか?」
 平山は確かめるようなことを言う。安岡は薄い笑みを浮かべて、頷いた。
「……無念じゃ。」
 平山修理が、親の代からの宿老の顔をしていたのは、そこまでであった。割れたとはいえ、一党を率いる身になった昂揚がある。
「さらばでござる。ご案じめさるな。若のことは口に出さぬ。安堵して、お城の役を務めていかれるがよい。」
「世話になった。十年の後に会おう。」
(会えるものならな。)
と、これは「声」に喋らせない。
 すでに、安岡は平山に「咎め」を与えているのである。
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