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補遺 やつらの足音がきこえる (十一)

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「川原御所は、やはり狂を発したようですな。」
 平山藤五郎は、なにか嬉し気に言った。
 安岡は返事をしない。
(この期に及んでもわからぬ。何故、こんな真似ができる? ありえぬ。)
 川原御所の二人が御所に招かれるのが決まっていた今日は、まさかのときに備え、表の仕事である御文庫には出勤しない。「伊勢の者」の統領として、北館の片隅にある自宅にいた。御文庫勤めの若侍である安岡が住む長屋の裏側に、なにか御所がらみのお蔵のように作ってある。たれにも見られずに、出入りができる。
こういう時だから、平山が馳せ参じていた。「若」は自分を頼らざるを得ないのだ、との自足が滲み出ている。
 川原御所に張り付けた者からの報が入っていた。台所では、いつもより大がかりな炊き出しにかかっていると言う。できる限りの兵を領地からかき集めつつあるのだ。
その人数は、とうにあらかた掴めていた。とても謀反が成功するはずもない。そもそも、川原御所の親子二人は「敵」になるはずの御所に入ってしまっているのである。
二人は兵とともに内館に突っ込もうというのか、と思ったが、違った。しかし、目の前にある川を渡ろうとするにせよ、街道を走って北館からの侵入を図るにせよ、無謀とすべきであったろう。もしそんなことを図っていれば、今頃は謀叛人として討ち取られたとの報が伝わっていたに違いない。
もちろん、すでに御所さまには、川原御所に兵が集まっているのは伝えている筈であった。朝のうちに、使者を送っている。
その使者が、ようやく戻った。
「なんと言われた。」
「一言、『川原の兵どもは無駄足に終わるな。』と。」
未遂に終わらざるを得ないだろう、と平然とされていた、と言うのである。
「『よい機会ゆえ、叔父上の存念を聞かせて貰おう』とも仰いました。」
「さすがの豪胆。」
 平山が感に堪えたように呟いた。
(……?)
 安岡は引っかかった。
「待て。おぬし、どなたにお伝えした?……えらく時をかけたが?」
 使者は、少し狼狽した。
「御所さまは朝のご勤行にて持仏堂に入られ、なかなかお会いできず……。」
「お待ちしたのか?」
「……いえ、待っておりましたところに、別の組の者から伝言あり、そちらに向かいました。」
「そちらとはどこか?」
 安岡は、この時ほど自分の咽喉が塞がっているのが腹立たしかったことはない。怒鳴りつける勢いで、無言で立ち上がった。「声」も、自分自身の怒りを籠めている。
(しまった! おれは……やっと、今になって!)
「御所さまにお伝えせよ! もうお前ではない! たれかあるか! 急げ!……たれがなんと言おうと、直接御所さまにだけお伝えせよ! どこに居られようと遠慮するな! おう、御所さま、大御所さまは、早くお逃がしせよ! 川原御所に会わせてはならぬ!」
「若、いや、大元締さま。慌てられることはない。……西舘さまにはお伝えしてあるのじゃから、万事うまくいく。むしろ、これで」
(平山あ!)
 安岡右衛門は、老臣の胸ぐらを掴んで、放り出した。
「平山、きさまの差し金か。統領の差配に背き、勝手いたしたな!」
「何をそれほどに怒られるか?……左衛門尉さまは浪岡の『兵の正』。その方にまずお知らせしたまでじゃ。御所さまにお耳打ちあり、ご相談があったろう。」
「愚か者が! おぬしの常の考えは、それとして常に聞いてやる。今は非常のときぞ! それを、あさはかな……。」
「あさはかとは、なんじゃ?」
 平山は、安岡ではなく、その背後の闇に向かって吠えた。
「あさはかよ。この安岡右衛門が、平山、お前に言うておる。」
 安岡は座りこんだ。
「西舘さま、……左衛門尉に、わしらはやられた。」
「なんと……?」
「平山、お前も、おれも、あやつに、してやられた。いや、おれが、なじょう、気づけなかったものか……!」
「西舘さまが……?」
 安岡は、やがて来るだろう絶望的な知らせを待つしかできなかった。
もはや遅い。

 史上に謎の事件として残る「川原御所の乱」の裏にいたのは、浪岡左衛門尉であった。
弟の自分にだけ漏らされた御所の内意なる偽りを耳に吹き込まれたことで、にわかに危機感をあおられた川原御所は、左衛門尉に簡単に使嗾された。大御所と御所の二人を自衛の名分で勢いづけて突然襲わせたときには、あたかも謀反に成算があるかのように誤解させていた。突然の襲撃にも生き残りにそうになった御所をこの手にかけ、返す刀で「謀叛人」の川原御所を斬った。呼応するとの密約があったはずの川原御所の兵を、浪岡宗家の軍勢は蹴散らし、その日のうちに川原御所を陥したのである。見事な「謀叛人討伐」であった。
(「たったひとりの北畠になるがよい」か……。)
 何年も前に、自分に最初に謀叛によるお家乗っ取りを示唆した者の言葉を、左衛門尉は事なった馬上で、焼け落ちる川原御所を眺めながら、内心に反芻していた。
 実は血の繋がりなど一切ない、「父」と「兄」をこの手にかけただけだ。贋の「叔父」や「従弟」など、騙される馬鹿を殺したところでなんということもない。これで、浪岡北畠氏は、父親も知らぬ卑しい身である自分のものになった。下剋上は世の習いだ。……そんなことも内心で嘯いていた。
だが、涙が止まらない。
「兄上、……父上……。」
 馬上で手をあわせ、慟哭した。
 勇将ですら、血族相食んだこの戦いに家族を一度に喪えば、泣くのだ。そう思うと、周囲の武者たちも貰い泣きを禁じ得なかった。主君を突然無くした無念と不安に、むせび泣いたのである。

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