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補遺 やつらの足音がきこえる (十)
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(にんげんというのは、変わるものじゃな。)
が、左衛門尉の若き日の過ちを、御所さまと等しい程度に知っている城内の数少ないひとりである、安岡右衛門のまず抱いた感想であった。
(物堅い人であったと聞く。ご自分ではいまだ気づいておられぬが、忌まわしい、はらからどうしの恋に耽られたときにも、決して好色でもなかった。妹君をただ一人と思い詰め、心中も辞さないほどであった。……すべてが間違いとは言え、その心若さ(純情)に疑いもなかったぞ。……それがいまは、多情を通り越して居る。漁色家と言われても仕方あるまい。)
(しかも、なにやら陰気な……陰気な漁色家じゃ。)
そう感じると、安岡は思い当たった。
(あの異常な恋が、知らず左衛門尉さまの心を歪めたままなのではないか。)
それはそれとして、安岡は、まだ自分が答えを見出せないのが腹立たしくてならない。
(何か、簡単なことを見落としておる。)
西舘の川原御所への挑発がない、あるいはたいして功を奏していないのはわかった。
それ以上のことが、わからない。
ただ、もどかしいのは、左衛門尉のことを考えれば、なにかに気づくはずなのである。真相が解けそうだとわかるのだ。
「まさかとは思うが、その若奥方を手に入れたいために、川原御所を攻めるなどと申されたわけではあるまいな?」
内心の焦燥から、我ながら愚かなことを「言って」しまった。「声」が一瞬、(よすか?)と確かめたが、自分への腹立ちから、言わせてしまう。
案の定、川原御所を調べた男は、「若」は異なことを、と言わんばかりに笑い顔を見せた。この男も、先代以来の老練な者だ。
「そこまでのご執心ではありますまい。」
やや好色の色が浮かぶ。
(覗きおったな、こやつ。……まあ、それもこの仕事のうちなのじゃが。)
「いくら離れたご寝所と言うても、声をたてられてはならぬ。左衛門尉さまは、若奥方の唇を手で塞ぐやら、おのが指をお口にふくませるやら、たいそうご苦労されていましたが、本懐遂げられた後は、寝物語もそこそこにすやすやと……。」
「もうよい。」
安岡(たち)は辟易して、部下の話を打ち切り、下がらせた。
かれらは想像だにしなかったが、左衛門尉の神経は、これら異能の者たちよりも図太かったし、ある意味では奇怪に捻じれていた。
女をくたくたにし、寝かしつけたあと、左衛門尉は臥せていた寝床で目を開けた。自分を見張っていた者の気配が去ったのを確かめている。他人の同衾を一から十まで、朝まで見届けようという慎重さや執念は、まだ自分には及んでいないだろうと踏んでいたからだ。
身づくろいすると、左衛門尉は、消耗しきって深い眠りに落ちた女を捨て置いて、真っ暗な川原御所の三間の間に入り、黙って待った。川原御所さまとその息子、つまり盗んだ女の義父と夫にあたる者たちが、決められた刻限にやってくるからである。
ごく短時間の密談の後、左衛門尉は川原御所をこっそりと抜け出す体で、その足で若奥方の寝所に戻る。寝息をたてている不貞の女を、冷ややかに見下した。
が、左衛門尉の若き日の過ちを、御所さまと等しい程度に知っている城内の数少ないひとりである、安岡右衛門のまず抱いた感想であった。
(物堅い人であったと聞く。ご自分ではいまだ気づいておられぬが、忌まわしい、はらからどうしの恋に耽られたときにも、決して好色でもなかった。妹君をただ一人と思い詰め、心中も辞さないほどであった。……すべてが間違いとは言え、その心若さ(純情)に疑いもなかったぞ。……それがいまは、多情を通り越して居る。漁色家と言われても仕方あるまい。)
(しかも、なにやら陰気な……陰気な漁色家じゃ。)
そう感じると、安岡は思い当たった。
(あの異常な恋が、知らず左衛門尉さまの心を歪めたままなのではないか。)
それはそれとして、安岡は、まだ自分が答えを見出せないのが腹立たしくてならない。
(何か、簡単なことを見落としておる。)
西舘の川原御所への挑発がない、あるいはたいして功を奏していないのはわかった。
それ以上のことが、わからない。
ただ、もどかしいのは、左衛門尉のことを考えれば、なにかに気づくはずなのである。真相が解けそうだとわかるのだ。
「まさかとは思うが、その若奥方を手に入れたいために、川原御所を攻めるなどと申されたわけではあるまいな?」
内心の焦燥から、我ながら愚かなことを「言って」しまった。「声」が一瞬、(よすか?)と確かめたが、自分への腹立ちから、言わせてしまう。
案の定、川原御所を調べた男は、「若」は異なことを、と言わんばかりに笑い顔を見せた。この男も、先代以来の老練な者だ。
「そこまでのご執心ではありますまい。」
やや好色の色が浮かぶ。
(覗きおったな、こやつ。……まあ、それもこの仕事のうちなのじゃが。)
「いくら離れたご寝所と言うても、声をたてられてはならぬ。左衛門尉さまは、若奥方の唇を手で塞ぐやら、おのが指をお口にふくませるやら、たいそうご苦労されていましたが、本懐遂げられた後は、寝物語もそこそこにすやすやと……。」
「もうよい。」
安岡(たち)は辟易して、部下の話を打ち切り、下がらせた。
かれらは想像だにしなかったが、左衛門尉の神経は、これら異能の者たちよりも図太かったし、ある意味では奇怪に捻じれていた。
女をくたくたにし、寝かしつけたあと、左衛門尉は臥せていた寝床で目を開けた。自分を見張っていた者の気配が去ったのを確かめている。他人の同衾を一から十まで、朝まで見届けようという慎重さや執念は、まだ自分には及んでいないだろうと踏んでいたからだ。
身づくろいすると、左衛門尉は、消耗しきって深い眠りに落ちた女を捨て置いて、真っ暗な川原御所の三間の間に入り、黙って待った。川原御所さまとその息子、つまり盗んだ女の義父と夫にあたる者たちが、決められた刻限にやってくるからである。
ごく短時間の密談の後、左衛門尉は川原御所をこっそりと抜け出す体で、その足で若奥方の寝所に戻る。寝息をたてている不貞の女を、冷ややかに見下した。
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