魚伏記 ー迷路城の姫君

とりみ ししょう

文字の大きさ
上 下
114 / 177

補遺 やつらの足音がきこえる(八)

しおりを挟む

 大元締めである安岡にも、弱みがあった。「伊勢の者」の中で、青年は独裁的には振舞えていない。
 その血筋にあり、能力に不十分はなかったから、先年の父の死に伴い、跡目をとった。だが、宿老中の一位の者が、首領の地位こそ奪おうとはしないものの、実権の一部を握っている。彼らの世代が身を引くまで、という暗黙の了解で、一種の合議制が敷かれてしまっていた。幹部会とも言うべき集まりは、父の代には首領の決定を伝達する儀式でしかなかったが、いまはそれが名目的なものにとどまらないことがある。
 御所さまとの余人を交えぬ会談での献言ですら、先夜の合議で決まっている。というより、このたびは明らかに安岡が押し切られた。
 押し切ったのは、「伊勢の者」のうちの宿老のひとりで、表面上は小さな備(部隊)の頭を勤めて一党では最も高位にある、平山藤五郎修理という中年男であった。「若」であった頃から安岡右衛門を知っているから、その知見をつい正すつもりになってしまいがちであった。
 また近年の、武張った家中の雰囲気に乗りたい気持ちが強い。伊勢から浪岡に流れ、退屈していたのが、近年、ようやく軍事行動に諜報が役立ち始めた。自然、戦を求める、この稼業の者たちのある本性が出た。
 武断派であり、御所さまを除いてただ一人の最高司令官である西舘「兵の正」たる北畠左衛門尉に、心を寄せているのがわかった。
「いっそ左衛門尉さまに我らのご指揮を委ねては如何か。御所さまは弟君に軍配を委ねられておる。道理として間違いではないはず。」
 それだけは、なんとか押しとどめた。
(あのような方に、我らの命運を預けてはならぬ。)
 左衛門尉の秘密を知っているのは、「伊勢の者」の中でもごく数人だ。しかも、平山らは教えられていない。
 右衛門は若い頃に、左衛門尉をめぐる奇怪な不祥事の後始末をとくにこの御所さま―当時の若君―に命じられたから、最もよくそれを知っている。
 しかし、若君がくれぐれも余人にこれを漏らすな、と厳命したのを、守り続けている。

 最も信用のおける手練れの一人である松蔵が、いまさ栄姫さまの離れに潜り込んでいるのも、西舘の過去とかれの法外な愚昧さとも言うべき面を、兄である御所さまが危惧するのを知っているからであった。
 一見閑職でしかない場所に回されるのを、松蔵ですら抵抗したのを、説き伏せた。詳細は言えぬが、あの出戻りの病身の姫こそが、浪岡御所の命運を知らず左右する存在かもしれぬ、と伝えた。
 松蔵は自分である程度調べたのであろう、短慮の自儘を申しました、とすぐに謝罪にやってきた。そして、若いが見どころのある女と言えば、と、旧知のりくを連れて行く許可を求めたのである。
 松蔵からの報告は上がっている。左衛門尉の心の闇は、歳月を経ても晴れていない。

 御所さまは、安岡の胸中を知った。
(こやつですらも、か。親の跡を継ぐと云うは、楽ではないの。)
 世襲の君主である浪岡具運は、この忍びの統領に同情せざるを得ない。
「今一度、おぬしらで相談せよ。御所は首を縦に振らなかった、と言え。」
「承知いたしました。」
「謀叛の芽を未然に摘むと言えばなにやらそれらしいが、いかにも悪手であろう。際限がなくなる。家中に流血が絶えなくなる。この浪岡城が、潰れる。……右衛門、お前はわかっている筈じゃ。絶対にならぬぞ。」
 安岡は、はっ、と低頭すると、その姿勢のまま、天井に視線をあげた。
(上?そんなところにいおったか。声は、右衛門の背中の闇から聞こえたと言うのに……!)
 具運は背に冷たいものを感じた。その間に、安岡の意思は無言のうちに「声」に伝わったようだ。その仕組みも、何度実見しても、御所さまにはわからない。
「川原を未然に討つべし、は左衛門尉さまのお考えでもありましょう。」
「……よく知っておるな。あれも、儂にしか言うたことがない筈じゃが。」
「安岡は、その左衛門尉さまにもご注意あられたし、と献言申し上げたく存じます。」
 御所さまは一瞬考えて妙な顔になったが、うむ、と頷いた。
「……あやつに、川原のことで軽挙妄動さすなとの意味じゃな?」
(さにあらず! さのみにはあらず!)
 安岡は反射的に叫びそうになった。その気配を「声」は読み取ったが、やめよ、と合図を送る。
(西舘に怪しい動きがあるわけではない。何も伝わってこぬ。……だが、一切伝わってこないと言うが、逆に怪しい。……何かの過誤が、儂らに生じている。それがわからんうちに、何ごとをお伝えするわけにもいかぬ。)
「……くれぐれも、ご用心ください。一朝ことあってからでは遅い。万が一をお考えあられ、御所のお守りをお固め下さい。我らも守りを増やしまするが、何分、表のお役目をいただいている者も多く、手が足りぬがお恥ずかしい限りにて。」
 それだけを「声」に言わせる。安岡は、この不安のもとは何なのか、調べておかねばならぬと決意した。
 御所さまは頷き、
「似たようなことを、あの、松前から来た蠣崎新三郎が言うておったな。蝦夷足軽の腕の立つのを、潜ませておいてはどうか、と。蝦夷を使うとは、蝦夷島出らしいが、面白い。今の右衛門の言葉もある。用心を始めておこう。」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

日日晴朗 ―異性装娘お助け日記―

優木悠
歴史・時代
―男装の助け人、江戸を駈ける!― 栗栖小源太が女であることを隠し、兄の消息を追って江戸に出てきたのは慶安二年の暮れのこと。 それから三カ月、助っ人稼業で糊口をしのぎながら兄をさがす小源太であったが、やがて由井正雪一党の陰謀に巻き込まれてゆく。 月の後半のみ、毎日10時頃更新しています。

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

奇妙丸

0002
歴史・時代
信忠が本能寺の変から甲州征伐の前に戻り歴史を変えていく。登場人物の名前は通称、時には新しい名前、また年月日は現代のものに。if満載、本能寺の変は黒幕説、作者のご都合主義のお話。

日は沈まず

ミリタリー好きの人
歴史・時代
1929年世界恐慌により大日本帝國も含め世界は大恐慌に陥る。これに対し大日本帝國は満州事変で満州を勢力圏に置き、積極的に工場や造船所などを建造し、経済再建と大幅な軍備拡張に成功する。そして1937年大日本帝國は志那事変をきっかけに戦争の道に走っていくことになる。当初、帝國軍は順調に進撃していたが、英米の援蔣ルートによる援助と和平の断念により戦争は泥沼化していくことになった。さらに1941年には英米とも戦争は避けられなくなっていた・・・あくまでも趣味の範囲での制作です。なので文章がおかしい場合もあります。 また参考資料も乏しいので設定がおかしい場合がありますがご了承ください。また、おかしな部分を次々に直していくので最初見た時から内容がかなり変わっている場合がありますので何か前の話と一致していないところがあった場合前の話を見直して見てください。おかしなところがあったら感想でお伝えしてもらえると幸いです。表紙は自作です。

江戸時代改装計画 

華研えねこ
歴史・時代
皇紀2603年7月4日、大和甲板にて。皮肉にもアメリカが独立したとされる日にアメリカ史上最も屈辱的である条約は結ばれることになった。 「では大統領、この降伏文書にサインして貰いたい。まさかペリーを派遣した君等が嫌とは言うまいね?」  頭髪を全て刈り取った男が日本代表として流暢なキングズ・イングリッシュで話していた。後に「白人から世界を解放した男」として讃えられる有名人、石原莞爾だ。  ここはトラック、言うまでも無く日本の内南洋であり、停泊しているのは軍艦大和。その後部甲板でルーズベルトは憤死せんがばかりに震えていた。  (何故だ、どうしてこうなった……!!)  自問自答するも答えは出ず、一年以内には火刑に処される彼はその人生最期の一年を巧妙に憤死しないように体調を管理されながら過ごすことになる。  トラック講和条約と称される講和条約の内容は以下の通り。  ・アメリカ合衆国は満州国を承認  ・アメリカ合衆国は、ウェーキ島、グアム島、アリューシャン島、ハワイ諸島、ライン諸島を大日本帝国へ割譲  ・アメリカ合衆国はフィリピンの国際連盟委任独立準備政府設立の承認  ・アメリカ合衆国は大日本帝国に戦費賠償金300億ドルの支払い  ・アメリカ合衆国の軍備縮小  ・アメリカ合衆国の関税自主権の撤廃  ・アメリカ合衆国の移民法の撤廃  ・アメリカ合衆国首脳部及び戦争煽動者は国際裁判の判決に従うこと  確かに、多少は苛酷な内容であったが、「最も屈辱」とは少々大げさであろう。何せ、彼らの我々の世界に於ける悪行三昧に比べたら、この程度で済んだことに感謝するべきなのだから……。

連合艦隊司令長官、井上成美

ypaaaaaaa
歴史・時代
2・26事件に端を発する国内の動乱や、日中両国の緊張状態の最中にある1937年1月16日、内々に海軍大臣就任が決定していた米内光政中将が高血圧で倒れた。命には別状がなかったものの、少しの間の病養が必要となった。これを受け、米内は信頼のおける部下として山本五十六を自分の代替として海軍大臣に推薦。そして空席になった連合艦隊司令長官には…。 毎度毎度こんなことがあったらいいな読んで、楽しんで頂いたら幸いです!

剣客居酒屋 草間の陰

松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

信忠 ~“奇妙”と呼ばれた男~

佐倉伸哉
歴史・時代
 その男は、幼名を“奇妙丸”という。人の名前につけるような単語ではないが、名付けた父親が父親だけに仕方がないと思われた。  父親の名前は、織田信長。その男の名は――織田信忠。  稀代の英邁を父に持ち、その父から『天下の儀も御与奪なさるべき旨』と認められた。しかし、彼は父と同じ日に命を落としてしまう。  明智勢が本能寺に殺到し、信忠は京から脱出する事も可能だった。それなのに、どうして彼はそれを選ばなかったのか? その決断の裏には、彼の辿って来た道が関係していた――。  ◇この作品は『小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n9394ie/)』『カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16818093085367901420)』でも同時掲載しています◇

処理中です...