103 / 177
断章 馬と猫(二十七)
しおりを挟む
「千尋丸どの、でかしました。」
ふくは喜んだ。
「千尋の夜着の上で、ミケが寝ておっただけでございますが。」
天才丸は苦笑した。
「よく捕まえて、連れてきてくれました。」
「逃げもいたしませんでしたようで。」
横で蠣崎千尋丸が、無言で頷いた。「兄上」がよくしかられていた(いる)という、おふくおばさんの前で緊張している。
「やはり猫など、考えもない。……たいそう懸念いたしましたが、結局はこんなものでございましたか。」
「まずはご安堵くださり、よろしうございました。ではわたしどもはこれにて。姫さまに何卒よろしうお伝えくだされ。」
「……おや。お目にかかっていかれませぬか?」
「子供をつれておりますゆえ。ご無礼があってはなりませぬ。」
「兄上、千尋は。」
「そう、よくできた子じゃ。それに天才丸どのも、まだ子供のうちなのでございますよ。」
天才丸はまた苦笑した。ただ、今日ばかりは姫さまにお愛しないほうが、ありがたい。要らぬ嘘をつかなくてもいいからだ。
だからその日は、そのまま辞去した。金木館からだという使者が来るときも、何も自分が立ち会うことはないだろう。いつもそうしているように、蠣崎から蝦夷足軽を一人借りて、番役につけておくだけでよい。
次の日に、また千尋丸を伴って来るように、お命じがあった。
天才丸は、ちょっと厭な気がしたが、もし自分の独断か何かが知られていれば、それはそれで仕方がないと思った。せいぜいきつくお叱りを蒙り、そのうえで、りくの為にせいぜい弁じてやろうと思った。
(一言も嘘はついておらぬ。ご説明が足りなかっただけじゃ。)
「台所ではなく、蠣崎さまのお屋敷にまず連れていってやってください。」
りくは昨夜、そんなことを頼んだのだ。
「……それは構わぬし、お前が疑われる心配も減じるだろうからよいのだろうが、……それでおれは貸しを返して貰えるのかな?」
「千尋さまのお夜着の上で、寝かしてやってくださいませ。……この知恵は、りくが出しましてございますから、それで借りをいくらかはお返しできましょう。」
りくは涙の跡が残る顔で、にっこりと笑って見せた。
「千尋丸がそちか。猫を無事捕まえ、まことに大功であったぞ。」
姫さまが、微笑んだ。
「これは、褒美じゃ。」
包みを、ふくから貰う。何かの菓子でもあるようだ。小さな手に受け取った千尋丸は、感激しているようだ。
(なるほど、これはおれにもうれしい。)
(りく、たしかにこれはおぬしの知恵のおかげじゃな。少し、貸しを返して貰うたぞ。)
お礼のあいさつを子供から受け、あらためて天才丸からも受けた姫さまも笑みが絶えないが、うん、と頷くと、ふくに、あれを……と命じた。
ふくが立って、持ってきたものは何か、天才丸はすぐにわかった。
(金ではないか。三貫文か。)
それには大して驚かなかったが、天才丸が息を呑んだのは、姫さまがその銅銭の束の乗った三方を、お手元に引き付けたからだ。
「天才丸。欲しいだけ持ってお行きなさい。ここに三貫文ある。」
「えっ?」
「これで蠣崎の借銭、どの程度返せる? 馬を取られる心配のない額くらいは、返しておくがよかろう。」
ふくは喜んだ。
「千尋の夜着の上で、ミケが寝ておっただけでございますが。」
天才丸は苦笑した。
「よく捕まえて、連れてきてくれました。」
「逃げもいたしませんでしたようで。」
横で蠣崎千尋丸が、無言で頷いた。「兄上」がよくしかられていた(いる)という、おふくおばさんの前で緊張している。
「やはり猫など、考えもない。……たいそう懸念いたしましたが、結局はこんなものでございましたか。」
「まずはご安堵くださり、よろしうございました。ではわたしどもはこれにて。姫さまに何卒よろしうお伝えくだされ。」
「……おや。お目にかかっていかれませぬか?」
「子供をつれておりますゆえ。ご無礼があってはなりませぬ。」
「兄上、千尋は。」
「そう、よくできた子じゃ。それに天才丸どのも、まだ子供のうちなのでございますよ。」
天才丸はまた苦笑した。ただ、今日ばかりは姫さまにお愛しないほうが、ありがたい。要らぬ嘘をつかなくてもいいからだ。
だからその日は、そのまま辞去した。金木館からだという使者が来るときも、何も自分が立ち会うことはないだろう。いつもそうしているように、蠣崎から蝦夷足軽を一人借りて、番役につけておくだけでよい。
次の日に、また千尋丸を伴って来るように、お命じがあった。
天才丸は、ちょっと厭な気がしたが、もし自分の独断か何かが知られていれば、それはそれで仕方がないと思った。せいぜいきつくお叱りを蒙り、そのうえで、りくの為にせいぜい弁じてやろうと思った。
(一言も嘘はついておらぬ。ご説明が足りなかっただけじゃ。)
「台所ではなく、蠣崎さまのお屋敷にまず連れていってやってください。」
りくは昨夜、そんなことを頼んだのだ。
「……それは構わぬし、お前が疑われる心配も減じるだろうからよいのだろうが、……それでおれは貸しを返して貰えるのかな?」
「千尋さまのお夜着の上で、寝かしてやってくださいませ。……この知恵は、りくが出しましてございますから、それで借りをいくらかはお返しできましょう。」
りくは涙の跡が残る顔で、にっこりと笑って見せた。
「千尋丸がそちか。猫を無事捕まえ、まことに大功であったぞ。」
姫さまが、微笑んだ。
「これは、褒美じゃ。」
包みを、ふくから貰う。何かの菓子でもあるようだ。小さな手に受け取った千尋丸は、感激しているようだ。
(なるほど、これはおれにもうれしい。)
(りく、たしかにこれはおぬしの知恵のおかげじゃな。少し、貸しを返して貰うたぞ。)
お礼のあいさつを子供から受け、あらためて天才丸からも受けた姫さまも笑みが絶えないが、うん、と頷くと、ふくに、あれを……と命じた。
ふくが立って、持ってきたものは何か、天才丸はすぐにわかった。
(金ではないか。三貫文か。)
それには大して驚かなかったが、天才丸が息を呑んだのは、姫さまがその銅銭の束の乗った三方を、お手元に引き付けたからだ。
「天才丸。欲しいだけ持ってお行きなさい。ここに三貫文ある。」
「えっ?」
「これで蠣崎の借銭、どの程度返せる? 馬を取られる心配のない額くらいは、返しておくがよかろう。」
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
陸のくじら侍 -元禄の竜-
陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた……
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
江戸の夕映え
大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。
「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三)
そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。
同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。
しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる