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断章 馬と猫(十四)

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「天才丸さま、お父上からお家の来し方を教わったと聞きました。」
 九つの天才丸がどうも沈みがちだと聞き、義兄の南条越中広継が家に招いてくれた。
 天才丸は南条家に嫁いだ長姉になついているから、気晴らしになるだろうと思ったのだ。その姉は干し柿を出してくれて、夫に目くばせだけして、侍女ともども珍しく下がった。好物を前にして、子供の顔はいつになく暗い。
「はい。」
「よいお話であったでしょう。」
「よくはございませぬ!」
 天才丸は思わず言ってしまった。
 父から、自分が生まれる前に死んだ祖父、蠣崎義広の話を聞いたとき、ただ輝かしいばかりで誇りに思っていた代官家の影の部分を知らされてしまったのだ。
 南条は幼い義弟を叱るでもなく、静かに笑っている。その顔をみて、天才丸も落ち着いてきた。
「……途中までは、よいお話ばかりでございました。武田信広公が強い蝦夷の大将をおんみずから一太刀で討ち取られたお話など、心躍りました。」
「左様ですな。」
 先住民との抗争であり。つきつめれば侵略の歴史に他ならない。しかし、蝦夷島の南岸に舘を並べていた一族の子孫であるこの二人は、そうは受け取りようがなかった。
「じゃども、……お祖父さまの代になられてからの蝦夷征伐は……。」
天才丸は、子供ながら躊躇がある。父の前では、とてもそれは口にできなかった。
父、蠣崎季広は三男の顔色が変わったのに気づいたが、黙っていた。
「なんでございますかな。」
言わせてみよう、と南条は思っている。この小さな子の潔癖な正義感は尊重してやりたい。
「……卑怯。卑怯にはございませぬか?」
 言ってしまった。偉大な祖父の事績をそしるなど、あっていいことではない。
 だが、蝦夷の軍勢に敗れたのは屈辱的でも仕方のないことだが、戦後に和議を偽って相手を謀殺するとは、なんであろうか……天才丸は、父が淡々と語る事実に、打ちのめされた。
 享禄二年(一五二九年)の戦で西蝦夷タナサカシの本拠地を攻撃したが逆襲され、大館に隣接する勝山館を包囲されてしまった。アイノの習慣に従えば、償いの品を差し出すことで和平がなる。蠣崎義広は和議に乗るとみせかけ、賠償品を受け取りに来たタナサカシを弓で射殺してしまったのだ。
 それからも義広は嗣子の季広たち息子とともに、強勢の蝦夷を相手に悪戦苦闘を繰り広げたが、天文五年(一五三六年)には、報復をはかったタナサカシの遺族たちの蜂起によって、またしても追い詰められた。ここで義広は、またしても謀殺によって事態を打開してみせる。和議をもちかけてタナサカシの娘とその夫タリコナを酒宴の席に誘い出し、みずからの手で夫妻を斬殺したのである。
 震え出した天才丸を前に、父はこう言い足したのであった。
「これだけにあらず。我が家の男子は、聞かねばならぬ。……夷狄(いてき)を討ち果たしたときには、毒を用いた。奴らは強悍であり、そして和議と聞いて油断してのこのことやってきたわけではなかった。それほど愚かな筈がない。……じゃから、毒を飲ませたのじゃ。タリコナたち夫婦の酒には、我らが蝦夷より習い覚えた痺れ薬を入れた。じゃから、やすやすと討ち取れた。それほどの備えがなければ、敵は謀れぬ。……覚えておれ。」
(聞きとうなかった。我が代官家は代々英傑ばかりと教えられてきたのに、なじょう父上は、わたしにお家の恥を……そうじゃ、武家としての恥辱を話されたか? 毒を盛っての闇討ちなど、武士のすることではない!)
「左様、卑怯にござったな。はかりごとは戦の常。されど、毒を盛って闇討ちにするなど、武士、それも御所すじの代官たる武士にあるまじき行い。相手が夷狄であろうとたれであろうと、許されるものではござらぬ。」
「さにございましょう?」
「じゃが、それをしなければ、亡きご先代様、……義広公は如何なっていたでしょうな? 勝山舘やこの大舘が陥ちれば、天才丸さまはお生まれでなかったかもしれぬ。わたしも、奥もここに、斯様にしてはいなかったでしょうな。」
「しかし、和議を結んだのでございましょう?」
「蠣崎が蝦夷に負け続けていればよろしかった、と?」
「……卑怯千万な真似で、子孫にこうして悪名を伝えられるくらいなら……。」
「なるほど、天才丸さまがお代官として蝦夷と戦う時は、左様にされますか。」
「お代官になられるのは、若君です。」
 天才丸の声が小さい。
「若君が、潔く敗れよう。セナタイアイノに大館を明け渡してやろう、と言われたら、一も二もないわけでございますな?」
 天才丸は涙が出てきそうであった。義兄の言いたいことはわかる。
やむをえなかったのだ。まともな戦闘では勝てぬ。夷狄は数も多く、強い。かつて渡党と呼ばれる祖先が舘を築いた土地を危うく喪うところまで追いつめられた以上、なりふり構わなかったのだ。
 天才丸は黙って、いいえ、と首を振った。
「そこまで追い込まれれば、若君に、わたしが申し上げます。偽りの和議を持ちかけ、毒を盛りましょう、と。」
 そこで天才丸は、はっと気づいた。みるみる涙がせりあがってくる。父が何故、いままで次兄もこの南条も教えてくれなかった家の恥―しかも毒の使用などと言う秘事までを、取るに足りない三男坊の自分に伝えたのか、わかった気がしたからだ。
「父上はおれに、いざとなったらその役を、……毒を盛る役をやらせるおつもりで、わざわざ?」
「天才丸さま、それは違いますな。」
 南条は言ってやる。
「殿が、天才丸さまに伝えんとなさったのは、そのようなことではない。……お父上のなさったことを、思い出してみなされ。長年の血腥い争いをやめられたのですぞ。蝦夷や、赤蝦夷やら山丹人、唐人の往来を勝手(自由)にしてやり、情け深い和議を結ばれた。天才丸さまはまだお小さかったから、よくは覚えていらっしゃらないかもしれぬが。」
 天文十九年(一五五〇年)の、いわゆる「夷狄商船往来法度」のことであろう。法度などと呼び、主家安東氏のもとで蠣崎代官が蝦夷の有力部族に命じた形をとっているが、実態は安東氏の仲立ちで蝦夷島の商権を分け合い、和人の直轄領地のかなりを手放す大幅な譲歩を飲んで、和睦したのだ。
「おかげで蝦夷島の商いは落ち着き、隆盛の一途。いまや我ら、正月には絹の服が着られる。蝦夷どもも、酒が飲め、米の餅が食えるようになり申した。譲るべきは惜しみなく譲られた、お父上のご決断ゆえですな。」
「はい、……でございますが?」
「お代官は、卑怯な真似を蠣崎のお家の方がたが二度とせんでよい蝦夷島にされた。今後も、苦し紛れに卑怯な手を打たずともよいように努めよ、とお教えになられたのではありませぬか?」
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