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断章 馬と猫(十一)
しおりを挟む「若旦那、また鼠が出ます。」
天才丸は、簡単な具足姿で、粥の器を抱えている。日が暮れるのを待てず、また忍び込んだ台所でりくに頼み込んで余った飯を煮て貰ったのだ。
「出るだろう。おれが天井裏で退治したのは、備(部隊)に入る前じゃ。何カ月前になる?しかも一匹。」
「若旦那はなかなかご立派になられました。よって、今度は根こそぎ退治てくれましょうな。」
「馬鹿を言うない。立派になれば、そうそう天井裏に登れるかよ。」
「若旦那の食べている、その飯も。」
「代は払えるぞ、もう。」
天才丸は笑った。そして、いけない、また何もかも銭の話にしてしもうた、と反省した。りくは親切にしてくれているのだから、代金の話にしてはいけない。
天才丸は、初陣を済ませている。しかも、手柄を立てた。
「鼠の巣がわかった。」
組頭は、呼び出した天才丸に言ったのだ。
ふだんは温厚で、笑い顔の多い人だが、この日は表情がやや緊張している。
「吉報じゃ。」
「それは左様にございましょう。」
街道筋の掃除だと言って、何度も巡察を繰り返してきたが、やはり浮浪の者どもの本拠地を探し当てなければ、埒があかなかった。それがようやく探り当てられたのである。だが、そういうことではない。
「とくに、おぬしにとってじゃ。手柄を立てるきっかけができたのよ。」
天才丸の顔に血の気が差したが、それを見て、組頭はやや暗い気持ちになる。
(上の連中は、ほんとうにこの子にやらせるつもりなのか?)
おそらく背後に大浦氏の使嗾があるに違いない、野盗がひそかに根拠地にしているのは、街道のかなり大きな村だった。
戦国期の農村である。固く防備を施し、外敵に備えている。その村を丸ごと野盗たちが抑えてしまっているとすれば、ちょっとした砦攻めであって、楽な話ではない。
「あの村は、知っていよう。じゃが、わしらも外側を通っただけでは、鼠の巣と気づきもせなんだな。」
「はい。……鼠の数が知りとうございますね。」
(あ、もうわかったのか、自分がやらされようとすることが?)
そして天才丸は、身寄りのない浮浪児の兄弟を演じ、村の中に潜りこんだのだ。
千尋丸まで伴うのが、「上」からの命であった。組頭にそれを告げられると、天才丸はさすがに驚愕したが、
(千尋に何かあれば、腹を切る。)
と思って、あきらめた。そして、じゃが、なるほど、と気づいてはいる。
(これがついていてくれれば、芝居がばれにくいのよ。まことに子どもじゃからな。)
「チー、黙っていろよ。兄上ではなく、ニイニイとでも呼べ。たいてい黙っていてよい。」
「ニイニイ、承知しま……わかった。」
「なに、正体なんぞばれっこねえ。わしら、まことになにものでもねえからな。」
名主の家の者は、汚らしい浮浪児の兄弟に、慈悲深かった。泥棒や悪さをしないと思ってくれたのだろう。台所の隅で、残り物を分けてくれた。
「きたねえ子供だな。」
あっ、と浮浪児の兄である天才丸は、飛びのくようにして地面に平伏した。あきらかに農民ではない、野武士を相手に怯えて見せる。野武士に焼かれて親兄弟や家を喪った恐怖心がそうさせるのだ、と肚の中で呟いた。
千尋丸は逆に、幼い笑みを浮かべて、飾りのついた武具が珍しいかのように野武士に近づいていく。
(うまいぞ、千尋。)
「やめるんだ、チー。そのひとたちは、おそろしいわ。……ご、ご無礼しました!」
「そこの餓鬼。おれたちは、おそろしいかね。」
「滅相もねえ。おそろしうございます。」
野武士は笑った。どうやら、頭目というほどでもないが、下っ端でもない。
「チー、離れろ。ご機嫌そこねちゃならねえ。その人の下には百人もいて、寄ってたかって、また村を焼かれてしまう。」
「百人もいるものか。」
野武士は笑った。千尋が近寄って、長い刀の鞘に触るのをそのままにしている。
「ニイニイの言う通りだ。こんなでかい村を攻めたんだろ?」
千尋は、野武士に懐いたかのようにすり寄っていた。
「やめなさい。」
台所働きの女が、駆け寄って千尋を抱きかかえ、ぺこりと頭を野武士に下げ、「助けて」くれた。
(余計な真似を……!)
野武士は、獲って食いやしないのに、と笑うと、立ち去っていく。自分のねぐらに戻るのだろう。
(それがわかれば、人数も知れる。)
「ありがとうございます。」
「食べたら、日の暮れないうちに、村を出た方がいい。この村では泊めてやれないし、あいつら、あのひとみたいなのばかりでもないよ。ほんとうに食われちまう。」
「そんなにおるんですか、あのひとたち?」
「十人もいやしない。」
(それで、この村を抑えられるのか?)
「もう何も出ないよ。さっさとお帰り……と言っても、家はねえんだね。」
「仕方がない。……野武士にしてもらおうかな。」
かれらのねぐらに近づく機会になるかもしれないと思い、呟いてみる。
「いいかもしれないね。飢え死にするよりはね。」
「小さい者に、馬鹿なことを言うもんじゃない。」
下女は、慌てて低頭すると、走り去った。浮浪児などを入れて、この家の主らしい男に叱られると思ったのだろう。立派な風采の中年男で、地侍の風である。
(名主の家だと言ったな。つまり、このひとか。)
天才丸は、読めたと思った。幼い子に免じてこの場は許してやろう、早く立ち去れ、と言われて土の上に平伏しながら、この半農半士の地侍が大浦方の野武士たちを引きこんだのだなと気づいた。
(村ぐるみ、大浦に奔ろうというわけだ。……だが、十人もいない?)
(せっかく内々で領主さまに背いたのに、乗り換えようとした先の大浦が本腰を入れてくれない。野盗紛いのやつらが居ついてしまっただけなんだ。)
(こやつ、困っているのではないか?)
天才丸は、野武士の数を確かめるのはもうできたも同然だが、それ以上の手柄がたてられるのではないかと気づいたのである。
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