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断章 馬と猫(七)
しおりを挟むそういう者を番役として身の回りにつけてやると御所からの使者から聞いたとき、無名舘の大屋敷の離れ屋に入ったばかりのさ栄は驚いた。蝦夷の子など、近くに来られるのは気味が悪いと思った。津軽にも蝦夷(アイノ)と呼ばれる者たちはいて、時たま目にすることはあったが、浪岡城の姫君にとっては得体の知れない下賤の存在と言うしかない。
何も言わないのに表情でわかったのだろうか、ふくがなだめるように言った。
「蝦夷ではなく、蝦夷侍の子とのことでございますよ。」
この時代だから、そのような言い方になる。ふくやさ栄に特別に偏見が強いというわけでは、残念ながら、到底なかった。
「秋田の檜山屋形さまの蝦夷代官の子だとかで、身元は懸念に及ばぬそうで。」
「……。」
「毛むくじゃらの熊の子というわけでもありますまい。」
「……身の……。」
「はい、なんでございましょう?」
「……身の回りは、おふくだけでよい。」
小さな声で姫さまがうつむきながら言った。ふくは声を励まして、わざと高々とした物言いになる。
「ふくとて、何もかもご面倒を見て差し上げるわけには参りませぬよ。……なるほど、御所さまは下働きと飯炊きを付けてくださいました。かたじけないことじゃ。じゃが、何もかもあの松蔵(下男)とりく(下女)にさせるのでございますか。このさびしいお離れ、さびしいのはよいとして、こう風が吹き込むようでは、いけませぬな。これもふくが直すのでございますか? 雨漏りもするじゃろう? あの腰の曲がりかけた松蔵に屋根にのぼらせますか?」
本当はそんなことよりもふくは、「番役」という者が欲しかった。
(ご城内には、西舘さまがおられるではないか。)
浪岡に戻る、と喪が明けるのも待たず姫さまが言いだしたとき、滅相もない、とふくは反対したのだ。
まさか男とよりを戻したいわけではないだろうと思ったが、ならばなおさらのこと、危険である。
西舘さまは、決して邪恋をあきらめていないだろう。二人の小さいうちから知っているふくは、左衛門尉になった少年の目覚ましいほどの聡さに相反する無闇な頑固さも、思い込みの凝るところにも気づいていた。ひとの性質(たち)というのは、なかなか直らないものだと、ふくは思っている。
「西舘さま」の名を出すと姫さまが発作を起こすのが心配なので、ふくは言いように苦労した。
姫さまもしかし、わかってはいるのだろう。それが当たり前になってしまった無表情で聞き流すと、ご隠居さま、お義母上にご挨拶は済ませた、と呟いて、ふくを落胆させた。
(もう決まった話にしてしまわれた。なじょう(なぜ)、左様のところばかり思い切りがよくあられるか?)
「なにをなさりにお帰りですか。……あぶのうござりませぬか?」
ふくはつい言ったが、さ栄は黙っている。
(あぶないのが、よいのじゃ。……もし兄上に襲われれば、今度こそ死んでやる。できようものなら、刺し違えて差し上げる。)
「お方様、……いや、もう姫さまとお呼びしますが……。」
おいたわしい、姫さまはどうやら捨て鉢な気持ちになられている、とふくは思った。
そして、いまわしい凌辱者であった西舘はもちろん、知らぬとはいえ明らかに心に傷のある新妻を包み込めず、放り出すように死んだ大光寺南部の連枝の侍にも、憤懣を覚えた。男どもは、この可愛らしい方をいかにひどく扱いよったことか。ふくの育てた三国一の姫君を、斯様に情けない方にしてしまったことか。声が震える。
「浪岡のお城に戻られましても、どうか御身をお大切になさってくださいませ。ふくは、子も夫も失い、思うのは、乳を差し上げた姫さまばかりにござります。どうか、御身を……。」
さ栄の無表情に、驚きの影がこのときはじめて差した。
(西舘さまを食い止められる番役と言えば、……。)
できれば元服前の子供などでないほうがよかったのだが、それは、
(……この、姫さまのご様子では、考えものじゃ。)
と思わざるを得ない。
(御所さまはさすがによくお考えじゃ。むくつけき大男が来ても、優な若侍が来ても、姫さまは怯えられよう。)
ふくはさ栄の顔を知らず凝視していたらしい。姫さまがいぶかしげな素振りを見せた。
「いえ、おそれながら、御所さまのお心遣いにございますぞ。その松前とやらから来る者、屹度、お側にてお使いありますように。」
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