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断章 馬と猫(五)

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「まこと感心な。……これじゃったな?」
 さ栄は、預かっていた大金を持ってこさせて、渡してやった。銭の束に、自分では触らない。ふくからそれを受け取った天才丸は、低頭した。
「まことにお恥ずかしい次第にて。お預けしたと申しますか、姫さまにこれよりいろいろ教わる、ご束脩代わりになるとも思っておりましたが……。」
「卑しいことを言うものではないよ。金子などでは、お歌やお茶は教えぬ。」
「ご無礼いたしました。」
「ものを教える、教わるというは、左様なものではなかろう。」
 さ栄は確信をもって微笑んだ。
(姫さまは、さすがに上品(みやび)であられる。)
 何の皮肉もなしに、天才丸は思った。感心している。浪岡北畠の姫君は頭が古い、などとは考えられない。かえって、
(おれたちはいかんな。つい、銭金ですべてをはかってしまうところがある。)
と、内心で反省した。蝦夷ものは、どうも性根が武家らしくないと思わざるを得ない。

 そうであろう。田畑がほぼ皆無と言っていい当時の蝦夷島では、もとは対岸から渡ってきた、和人を名乗る連中が口にする米や麦などの主食ですら、他所から買わねばならない。そのための銭金は、蝦夷島内外との交易で手に入れるしかなかった。そして、土着の蝦夷(アイノ)以外には、どの者も元は他所からやってきたし、今も利を求めてやってくる。いきおい、人の才や力にすら値段がつく。
 天才丸がつい束脩などと言ったのも、知識すら商品だという感覚が自然にできてしまっていたからだ。教えを仰げば、その対価を支払うべきだと思っていた。一面でそれは否定できるものではなく、形はどうあれ、知識の伝授、情報の交換に金銭が媒介するのは今も昔も変わらぬのだが、他所の古い土地のようにはそれになにか紗をかぶせる暇もないのが、新開地の蝦夷島南端であった。
 天下の北のはずれの一角に、異様に商業に傾斜した社会がこしらえられていたのである。
 天才丸も、その一員であった。「渡党」と呼ばれる、蝦夷島の南端海岸に「十二舘」などと呼ばれた城館を構えた武士たちも、交易に従事してあきらかに半商半士であった。
 いま松前大舘の主になり、蝦夷代官を務めている天才丸の実家、蠣崎家もそうである。

 それどころか、もともと敦賀あたりの商人であったのが、蝦夷地に渡っていつの間にか武家の顔をし始めたのではないか、と安東家中で陰口を叩かれているのを、天才丸は知っていた。

 松前湊に来ていた安東家の武士が、つい軽口を叩いたのを、耳にしてしまったことがある。
「左様なはずはない。わが蠣崎は若狭武田家を祖とあおぐ清和源氏の家じゃ。」
 つい尋ねてしまったとき、心やさしい次兄が言下に噂を否定してくれたので、幼い天才丸は嬉しかった。もちろんそれは聞かされて育ってきたが、もう元服して大人になっている兄が断言してくれると、心強い。
「若狭を離れ、足利の地を経て津軽に渡られた武田信広公が、安東さまと心を合わせてこの蝦夷島に来られ、蝦夷を征伐して大功をあげられた。そこで蠣崎家にご養子に迎えられたのでございますね。」
「えらいぞ、天才丸。よく知っておるではないか。」
 天才丸は調子に乗ってしまった。ふと気づいたことを、この際だからと尋ねてしまう。
「信広公がお継ぎになる前の蠣崎家は、源平藤橘のいずれでございましたか? われらには若狭源氏の血が流れておりますが、そちらの血もまた承けておりますわけですね?……やはり源氏?」
 次兄は、虚をつかれたようになって、うむ、まあ、それはそうじゃな……と言いよどんだ。
 そのあたり、じつに曖昧なのだ。いまの蠣崎家は、中興の祖である武田信広より前の蠣崎家について、ほとんど無視しているかのようである。
 一応の説明はある。蠣崎家の祖に蠣崎修理大夫季繁なる者がいたが、これももとは若狭武田家の係累にあたる源氏の流れであるが、なにかゆえあって商船で蝦夷島に渡り、当地で安日(安東)政季の婿になって蠣崎を名乗っていたという。
(ゆえに、それを忘れていたか、蠣崎家は混じりけなしの若狭源氏よ、とでも答えてやってもいいのじゃが……。)
 蠣崎修理大夫という人が何故若狭を離れて、わざわざにここまでやってきたのかを、少年は不審に思うだろう。また、このときまだ少年は知らないが、津軽に蠣崎という地名と、そこに蟠踞して一時は威勢をふるった豪族の家がある。この家との関係は、どうなる。
 そうなると、次兄の万五郎も、答えられない。
 じつは、前に気になって推測してみたことがあるが、それを、この弟にしゃべっていいものか迷ってしまった。父や兄―おやかたさまと若君にでも幼い弟がふと話してしまえば、いい顔はされないだろう。また、本人もがっかりするに違いない。
(たいした家ではなかったのじゃ。ひょっとすると、武家ではない。それどころか、気の利いた蝦夷が和人に馴染んで、安東さまにお仕えする身になれていただけかもしれぬ。そもそも信広公とて、武田家の出とは言い条、蝦夷島お渡りの前にどこで何をしておられたか、知れたものではないではないか。)
 たとえば重臣の南条だの河野だのと言った、もともと「十二舘」を支配していた家であれば、まだ出自をたどることができる。ところが、主である蠣崎家は、そうした家を姻戚にしているのだが、それは、安東家の秋田への退出や蝦夷反乱のどさくさにまぎれて成り上がったと思われている節があったからだ。当代の正室である河野氏の母をもつ万五郎は、むしろそれを気にかけたことがあったのだが、
(なに、今は今じゃ。現に蠣崎家は蝦夷代官、十二舘の旧主たちは、安東さまご末裔の家ですら我らが家臣ではないか。それに、安東さまご家中で、近年の我が家ほどの富強の家はない。)
 と、腹を括ることにしたのだ。
 幼い弟にも、それは言ってやっていいように思えた。
「天才丸。いまの我が家の勢い盛んなるを見よ。あだやおろそかな家が、短い間にかほどの富を積めようか。この富は兵を養い、お預けいただいたこの地を守るために授けられたのであろう。天意が我が家にあらばこそではないか。」
 天才丸は、なるほどと思ったのである。

(しかし思いだしてみれば、あまり答えになっていなかったようじゃ。おれは小さかったから感心して聞いてしもうたが、富を積んだからひとかどの血筋という理屈は、武家にはたたぬ。やはりそれだけでは、商家の理屈よ。ものを皆、代物(商品)に数える癖を、この浪岡で落とさねばならぬな、おれも。)
「天才丸?」
 この子は時々、自分の考えに入りこんでしまうな、とさ栄は思った。自分にもそんなところがあるので、わかる。
(わたくしのように、ぼんやりしておるのではない。頭が回りすぎるがゆえじゃな。)
「……い、いえ、ご無礼いたしました。天才丸、まだ武家の心構えができておらぬのがよくわかりました。お許し下さい。」
「許すも許さぬもないが、……まあよい、励みなされ。」
「はい。浪岡北畠さまのおひざ元で学び、若狭源氏の血にふさわしい者になりたいと存じます。」
「……左様、じゃったな。」
 さ栄は、どうも弱ったなと思った。蠣崎家の家系伝説などは勝手にすればよいと思っているが、「武田信広公」などあまりにも胡乱で、さ栄なりの常識が逆撫でされる気がする。しかし、それを少年に言ってやるのも酷すぎるだろう。
「もしも天才丸が檜山屋形さまご上洛のお供でもできることになれば、必ず若狭の武田さまのところにて、蠣崎中興の祖、源信広公のご事績を確かめたいと存じております。」
「……家祖を大切にするは、殊勝なことであるな。」
 さ栄は仕方なく頷いてやったが、ふと気づいて、おかしくなった。
「天才丸? いま、どなたのご上洛と申したかな? 檜山屋形さま?」
「あっ。」天才丸は慌てた。「言い間違えました。御所さま、浪岡御所さまご上洛の折り、でございます。」
「それでよい。」さ栄は口元を抑えて、くっくっと笑った。そばで控えていたふくは、それを見て、何やらうれし気だ。
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