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断章 馬と猫(四)
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「利銀(利子)?」
さ栄はきょとんとしたが、やがて話が呑み込めると、笑い出しそうになった。
(天才丸、ご苦労なことじゃのう!)
可哀そうだとは思うのだが、そのときの天才丸がさぞ目を白黒させただろうとつい想像すると、なにやらおかしく思えてならないのだ。
茶の席のていで、すぐ目の前に控えている天才丸の深刻そうな顔に、なんとか笑いを抑え込み、
「それは、難儀なことじゃな?」
天才丸は、まことに左様で、と答えると、心底困惑した表情になった。気の毒だが、さ栄は、その様子も何やらおかしくてならない。
「わたしは、なんだか借金の肩代わりをしてやりに、あの蠣崎の家に招かれたようで。」
(やめてくれぬか、天才丸! 可哀想なのに、笑いをこらえられない!)
聞けば、アオというこの馬は、借金のカタに近々持って行かれることになっていたのだそうだ。
馬の稽古はよいが、もしも脚でも折られては、いまの津軽蠣崎家ではとても払いきれない金額を工面する羽目になる。無傷で、取立ての者に持っていかせなければならないのだ。
「持っていかれるのは、ご勘弁ください。」
天才丸は慌てた。
いくらなんでも馬持ちだと聞いたから、同じ苗字というだけで実家の係累かどうかもわからない小身の家に、「客将」として入る気になったのだ。惣領として遺された幼児の元服まで、この家の軍役を支えれば、そしてなにか手柄でもあれば、そのうちに元服の沙汰もいただけるだろうと考えたからだ。
(馬もなく、徒士の兵からはじめるというのでは、分際も下がろう。とても手柄を立てるどころではない。)
「いや、すぐにではない。」
「いつ、持っていかれるのでございます?」
「……。」
(あ、そんなに遠い話ではないな。)
「しかし、いくらなのです? その、ご借銭とやらは?」
(馬一頭がカタとなると、生半可な額ではないぞ?)
上等の軍馬なら三、四十貫文もするという。アオにそんな値がつくとも思えないが、五、六貫文は下るまい。(それぞれ、現代の高級外車と国産大衆車の価格を想像するとよいかもしれない。)
「子どもが、銭金のことをとやかく考えんでもよい。」
と、軽く片付けるような言葉を吐いたが、その子どもに頼らねば戦の勤めも果たせない身だと気づくと、じいじ殿―蠣崎の老当主はいたたまれない気がした。
蝦夷島から来た、遠い身内でもあるらしい(?)少年は、それを聞いて別に腹を立てるでもない様子で、しかし、顔を伏せて何か思案しはじめたらしい。
(すまぬのう。おぬしが考えたところで……。)
やがて、特徴的な明るい瞳をあげて、
「利銀は、いくらになりましょう? 当座それだけでも払えば、まだ馬―アオを持っていかれずにすみませぬか?」
じいじ殿は、少年が気の毒でならない。言いたいことはわかる。どうしても馬を手放させたくないから、自分が出すとでもいうのであろう。
(だが、額を聞けば心痛めよう。)
「天才丸。まことにすまぬ。そういうことにはできるじゃろうが、それはとうに、この年寄りとて考えた。その額がひねり出せぬから、客分としてせっかく来てくれたおぬしに、まことに恥ずかしい次第になっておるのじゃ。」
「おいくらでございましょう。」
「……一貫文。」
老人は、この数か月頭を離れなかった金額を反射的に口に出してしまう。案の定、天才丸は考え込んだ。
「これを、月の末までで……?」
「うむ。いつの間にやら膨れてしまってな。いただくお扶持も、我が家はもともと少なく、息子がみまかって以来、それも減り気味で……。いや、このわしの不徳のいたすところ。……じゃが、若いおぬしが来てくれた。わしらふたり、いずれは千尋も合わせ三人で、いさぎよく徒士働きからはじめて、お家を再び盛り返そうぞ。」
「お家を盛り返すは無論のことですが、……」そんなに気の長い話では困るのじゃ、と天才丸は内心でひとりごつと、「やはり、そのためにも、馬は要りますな。」
「はい! アオを他所にやらないでくださいませ!」
二人の話を馬上で聴いていた千尋丸が、涙声になって馬の背にしがみついた。ふた親を亡くしきょうだいすらいないこの幼童にとって、このアオは家族のようなものである。
「また聞き分けのないことを言うでない。」
千尋丸は、叱られて、逆に嗚咽しはじめた。
天才丸はその丸い背中を、ぽんぽんと叩いた。
悩んだが、もう心を決めている。
「案ずるな、千尋。アオはどこにもやらぬ。」
(おれが、丸裸になればよい。)
「利銀は、用意できまする。いや、どうか天才丸に用立てさせてくださいませ。」
老人は驚いたが、少年のみなりは気づけばそう粗末でもない。さきほど、高額を耳にしたときに動転するでもなかった様子も、思い出せる。未開の蝦夷島などから来たわけだし、昨日まで無名館の出戻りの姫さまのところで中間勤めをしていたと聞くから、つい勘違いしていたが、この少年はなかなかの有徳人(金持ち)の家の出らしいのだ。
「天才丸、貸してくれるのか? 左様な金子を持っておるのか?」
思わず息せき切って尋ねてしまい、老人は顔が赤くなるのをおぼえる。
「はい、実家が持たせてくれたものがあります。」
天才丸は正直に答えた。
「ちょうど一貫文。」
じいじ殿は息を詰めたが、しかし、老いた武士の良識が勝った。
「ならぬ。……それはならぬよ。おぬしが、文無しになってしまうではないか。……お里も、そうは気前よく銭金を送ってはくれぬのじゃろう? いや、お気前はともかく、……なにかのときにとお持たせ下さった銭ではないか。それをあっさりと全部使ってしまって、返るあてもない。」
「ございませぬか。」
「い、いやそれは返す。必ずおぬしに返すぞ。」思わず言ってしまって、しかし、「……じゃが、いつになるかわからぬではないか。そもそもおぬしに頼るなど」
「ようございます。わたしは、当分はここでお世話になる。津軽蠣崎家の者になったと心得ております。……いつか、お返しくだされ。そうさな、利銀は、そのときにお数えしましょうぞ。」
笑って見せたが、じいじ殿は、しかしそれで松前のお里に申し訳が、とまだためらっている様子なので、真面目な顔になった。
「……なにかのとき、とは今じゃ。左様にございませぬか?」
「天才丸、まことによいのか?」
「はい。飯と夜着をよろしくお願い申し上げます。まこと、懐中に一文もござらぬゆえ。」
たしかに、金が無くなったから送ってほしい、と松前に簡単に言えるわけでもない。
心細さをねじ伏せて、アオの温かい鼻面を叩いた。
じいじ殿に、かたじけない、と頭を下げられたので、慌てた。
「おやめください、わたしが、如何しても馬を使いたいゆえです。……それに、利銀だけじゃ。これから、よほど励まねば、いずれまた同じことになる。」
「兄上、かたじけのうございます。」
千尋丸までが馬上で低頭したので、さらに慌てたが、つづけた言葉には顔がほころんだ。
「ほら、アオも喜んでおります。」
「そのようじゃ。いずれ、耳を揃えて銭を返し、アオをカタから放してやろうなあ。もっと喜ぶじゃろう。」
さ栄はきょとんとしたが、やがて話が呑み込めると、笑い出しそうになった。
(天才丸、ご苦労なことじゃのう!)
可哀そうだとは思うのだが、そのときの天才丸がさぞ目を白黒させただろうとつい想像すると、なにやらおかしく思えてならないのだ。
茶の席のていで、すぐ目の前に控えている天才丸の深刻そうな顔に、なんとか笑いを抑え込み、
「それは、難儀なことじゃな?」
天才丸は、まことに左様で、と答えると、心底困惑した表情になった。気の毒だが、さ栄は、その様子も何やらおかしくてならない。
「わたしは、なんだか借金の肩代わりをしてやりに、あの蠣崎の家に招かれたようで。」
(やめてくれぬか、天才丸! 可哀想なのに、笑いをこらえられない!)
聞けば、アオというこの馬は、借金のカタに近々持って行かれることになっていたのだそうだ。
馬の稽古はよいが、もしも脚でも折られては、いまの津軽蠣崎家ではとても払いきれない金額を工面する羽目になる。無傷で、取立ての者に持っていかせなければならないのだ。
「持っていかれるのは、ご勘弁ください。」
天才丸は慌てた。
いくらなんでも馬持ちだと聞いたから、同じ苗字というだけで実家の係累かどうかもわからない小身の家に、「客将」として入る気になったのだ。惣領として遺された幼児の元服まで、この家の軍役を支えれば、そしてなにか手柄でもあれば、そのうちに元服の沙汰もいただけるだろうと考えたからだ。
(馬もなく、徒士の兵からはじめるというのでは、分際も下がろう。とても手柄を立てるどころではない。)
「いや、すぐにではない。」
「いつ、持っていかれるのでございます?」
「……。」
(あ、そんなに遠い話ではないな。)
「しかし、いくらなのです? その、ご借銭とやらは?」
(馬一頭がカタとなると、生半可な額ではないぞ?)
上等の軍馬なら三、四十貫文もするという。アオにそんな値がつくとも思えないが、五、六貫文は下るまい。(それぞれ、現代の高級外車と国産大衆車の価格を想像するとよいかもしれない。)
「子どもが、銭金のことをとやかく考えんでもよい。」
と、軽く片付けるような言葉を吐いたが、その子どもに頼らねば戦の勤めも果たせない身だと気づくと、じいじ殿―蠣崎の老当主はいたたまれない気がした。
蝦夷島から来た、遠い身内でもあるらしい(?)少年は、それを聞いて別に腹を立てるでもない様子で、しかし、顔を伏せて何か思案しはじめたらしい。
(すまぬのう。おぬしが考えたところで……。)
やがて、特徴的な明るい瞳をあげて、
「利銀は、いくらになりましょう? 当座それだけでも払えば、まだ馬―アオを持っていかれずにすみませぬか?」
じいじ殿は、少年が気の毒でならない。言いたいことはわかる。どうしても馬を手放させたくないから、自分が出すとでもいうのであろう。
(だが、額を聞けば心痛めよう。)
「天才丸。まことにすまぬ。そういうことにはできるじゃろうが、それはとうに、この年寄りとて考えた。その額がひねり出せぬから、客分としてせっかく来てくれたおぬしに、まことに恥ずかしい次第になっておるのじゃ。」
「おいくらでございましょう。」
「……一貫文。」
老人は、この数か月頭を離れなかった金額を反射的に口に出してしまう。案の定、天才丸は考え込んだ。
「これを、月の末までで……?」
「うむ。いつの間にやら膨れてしまってな。いただくお扶持も、我が家はもともと少なく、息子がみまかって以来、それも減り気味で……。いや、このわしの不徳のいたすところ。……じゃが、若いおぬしが来てくれた。わしらふたり、いずれは千尋も合わせ三人で、いさぎよく徒士働きからはじめて、お家を再び盛り返そうぞ。」
「お家を盛り返すは無論のことですが、……」そんなに気の長い話では困るのじゃ、と天才丸は内心でひとりごつと、「やはり、そのためにも、馬は要りますな。」
「はい! アオを他所にやらないでくださいませ!」
二人の話を馬上で聴いていた千尋丸が、涙声になって馬の背にしがみついた。ふた親を亡くしきょうだいすらいないこの幼童にとって、このアオは家族のようなものである。
「また聞き分けのないことを言うでない。」
千尋丸は、叱られて、逆に嗚咽しはじめた。
天才丸はその丸い背中を、ぽんぽんと叩いた。
悩んだが、もう心を決めている。
「案ずるな、千尋。アオはどこにもやらぬ。」
(おれが、丸裸になればよい。)
「利銀は、用意できまする。いや、どうか天才丸に用立てさせてくださいませ。」
老人は驚いたが、少年のみなりは気づけばそう粗末でもない。さきほど、高額を耳にしたときに動転するでもなかった様子も、思い出せる。未開の蝦夷島などから来たわけだし、昨日まで無名館の出戻りの姫さまのところで中間勤めをしていたと聞くから、つい勘違いしていたが、この少年はなかなかの有徳人(金持ち)の家の出らしいのだ。
「天才丸、貸してくれるのか? 左様な金子を持っておるのか?」
思わず息せき切って尋ねてしまい、老人は顔が赤くなるのをおぼえる。
「はい、実家が持たせてくれたものがあります。」
天才丸は正直に答えた。
「ちょうど一貫文。」
じいじ殿は息を詰めたが、しかし、老いた武士の良識が勝った。
「ならぬ。……それはならぬよ。おぬしが、文無しになってしまうではないか。……お里も、そうは気前よく銭金を送ってはくれぬのじゃろう? いや、お気前はともかく、……なにかのときにとお持たせ下さった銭ではないか。それをあっさりと全部使ってしまって、返るあてもない。」
「ございませぬか。」
「い、いやそれは返す。必ずおぬしに返すぞ。」思わず言ってしまって、しかし、「……じゃが、いつになるかわからぬではないか。そもそもおぬしに頼るなど」
「ようございます。わたしは、当分はここでお世話になる。津軽蠣崎家の者になったと心得ております。……いつか、お返しくだされ。そうさな、利銀は、そのときにお数えしましょうぞ。」
笑って見せたが、じいじ殿は、しかしそれで松前のお里に申し訳が、とまだためらっている様子なので、真面目な顔になった。
「……なにかのとき、とは今じゃ。左様にございませぬか?」
「天才丸、まことによいのか?」
「はい。飯と夜着をよろしくお願い申し上げます。まこと、懐中に一文もござらぬゆえ。」
たしかに、金が無くなったから送ってほしい、と松前に簡単に言えるわけでもない。
心細さをねじ伏せて、アオの温かい鼻面を叩いた。
じいじ殿に、かたじけない、と頭を下げられたので、慌てた。
「おやめください、わたしが、如何しても馬を使いたいゆえです。……それに、利銀だけじゃ。これから、よほど励まねば、いずれまた同じことになる。」
「兄上、かたじけのうございます。」
千尋丸までが馬上で低頭したので、さらに慌てたが、つづけた言葉には顔がほころんだ。
「ほら、アオも喜んでおります。」
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