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終章 松前大舘の姫君 その五

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(許婚者だと。)
 父との対面のあと、久しぶりに会った母からそれを告げられた新三郎は一瞬、眩暈がする思いだった。
(おれには、姫さましかいない。)
 鬱屈していた感情が表に出そうになったが、家族の女たちの前でそれを出したとて何の意味もない。
(蠣崎家の次の当主の相手として、村上の娘は相応しいのじゃ。)
 と思って、気持ちを静めた。父は公にはなかなかしないだろうが、先ほどの会見で後継には確信を得ている。さ栄さまではない女、親ー家の選んだ適当な相手との婚姻も、自分に課せられた義務なのだろう。
 それに、相手の年齢を聞いて、十八歳の青年は苦笑いした。自嘲の思いが起きる。
(九つだと。子供ではないか。……このおれに、ますます相応の相手かもしれぬ!)
 同じくらいの年回りの御所さまの妻を父に斡旋させるために帰郷したのだが、ああした高位の家と我が家とは違うだろうに、とまだ思っている。
 そんな幼い相手ならば、まだ真面目な話とも思えなかった。決まった話のように言われたが、また浪岡に戻って勤めているうちに、時間がたてば何がどうなるやもわからない。
 一度顔だけでも見ておけ、と母は言うのだが、
「子守りのつもりで、会ってやりましょう。」

 侍女に従われてやってきたのは、思った通りの幼女にちかい娘だった。新三郎は何か少し安心した気分で、しかし、許嫁のつもりで―そうには違いないのだろうが―やってくる小さな相手の感情を傷つけないでやろうと思う。
(口がきけないとの噂は、嘘のようじゃな。)
 緊張は隠せない様子だが、受け答えはきちんとできる。こちらからするのは子供相手の他愛もない問いばかりとは言え、賢い子なのがわかった。
「若殿さま。」
 と、新三郎を呼んだ。気が早いように思うが、たしかに、もう「御曹司さま」ではないはずだから、受け入れた。
「お願いがございます。……お外に連れて行って下さりませぬか。」
「ここは退屈か?」
「さにはござりませぬが、……真汐は海を見ながらお話を伺いたく存じました。」
「……真汐どののほうに、なにか話したいことがあるようじゃな。こう堅苦しくてはいかぬか。聞こう。」

 新三郎は浜に着くと、真汐付き添いの侍女を少し離れさせた。かがみこんで視線を落としてやろうかと思ったが、それはかえってよくないだろうと思って、海に向かい、並んで立つ。
(こうした聡い子は、子供扱いを厭うものじゃ。……姫さまや御所さまの前で、天才丸がさようであったよ。)
「海がお好きなのか?」
 新三郎の腰の高さくらいまでしか育っていない少女は、はい、と答えた。
「この目で海を見るは、これがはじめて。今まで、ほんとうの海と言うものを知りませぬでした。」
「……?」
「潮風とは、まことに心地よいものでございますね。」
(……なにを言うておるのじゃ、この子は?)
「真汐どのは松前のお生まれ育ちと聞くが?」
「……。」
 黙っている少女の顔を見ようとした瞬間、新三郎の躰はぐらりと揺れた。
(姫さま? さ栄さま?)
 そんな筈はない。横にいるのは村上家の幼い娘に違いない。小さな体。まだ童女の髪型。丸っこく柔らかい子供の体つき。それなのに、そこにろうたけた、あのさ栄姫が立っているのを、新三郎はたしかに目にしていた。

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