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第十二章 浪岡に還る その四

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 無名館の蠣崎の屋敷の周りは、ものものしかった。離れを取り囲むことこそ遠慮しているが、姫さまを監視しているには違いない。
(ここにおられたのか。……だが、戻ってきたところで、おれはお目にかかれない?)
 案の定、離れへの出入りは許されていないようだった。
 新三郎は御前に出るさいの装束のままで、甲冑姿すらある警固の列をかき分けるようにして、離れに近づこうとする。こやつら、もし邪魔するなら殺してでも通る、という気持ちを抑えられない。
「蠣崎新三郎。よく生きて戻った。」
 蠣崎家が属していた組の頭が、短い年月にずいぶん老け込んだ顔を懐かし気に見せた。
「久しくご無沙汰をいたしております。ここに蠣崎が移りまして以来でございましょうか。」
「お目にかかりたい者も、一切通すなと命じられておる。」
(やはりか。)
「姫さまは御輿入れをお控えになった大切な御身ゆえ、万が一のことがあってはならぬ。」
「わたしはその、万が一を起こす者じゃと?」
 この懐かしい組頭さまに皮肉を言っても仕方がないのだが、そんなことでもしないと新三郎は、すぐに抑えが効かなくなりそうであった。
 組頭は、うむ、と頷いた。
「じゃろう?」
「わ、わたしは……!」
 新三郎が振り切って警固の列を突っ切ろうと身を翻しかけたとき、組頭が慌てたように言った。
「新三郎、おぬし、御恩賞があったと聞いたぞ。」
「あったが、それが如何いたしました?」
「お馬回りにおなりになったとか。」
 組頭は、驚いたことに片膝をついて命を受ける仕草になった。
「姫さまのお守りのご差配は、蠣崎さまとお聞きした。さ、我らに命をくだされ。」
 そんなことは聞いていない。
「大御所さまは、おれに宅に戻っておれと書かれただけらしいが……。」
 組頭は黙っているが、顔をあげて、そういうことにしておけ、と無言で伝えた。
「あなたさま方は、困らぬのか。いや、組頭さまの上にはどなたかがいて、この場を差配されているのでは? その方は……?」
「お馬回りほど、お偉くはござらぬゆえ。……いや、お馬回りのご命じを待て、と仰ってくれました。」
 組頭から、あらかじめ話をつけてくれていたのだろう。それに、城内に事情を知る者も少なくない。蠣崎新三郎がお家の邪魔者として排除されるのではなく、むしろ栄達したことで、本来の同情をあらわにできるようになったとも言える。
「……有難し。」
 新三郎は、素直にそう感じた。
 たれもが、まず自分の身を守らなければならない。この組頭とて、もし逆の命が下っていれば、容赦なく自分を斬ろうとでもしたであろう。だが、今はすすんで、多少の犠牲を払っても新三郎を助けようとしてくれる。それを有り難いと思わなければいけないと思った。
「命じます。姫さま御警固はこれより解く。わたしひとりがあたるゆえ、懸念に及ばず。……お離れには、内館よりどなたか見張りに入られておるのですか?……そのご女中たちをお守りし、お返しする者以外は、めいめいの宅に戻り、追っての命を待て。」

「新三郎どの。よくお戻りになりました。さ栄は、これほど嬉しいことはない。」
 形通り、さ栄姫さまに拝謁する新三郎は、恋しい女の声を耳にして震えた。
 新三郎は顔をあげた。部屋には二人きりだ。ふくすら、引き上げてしまっていた。
(姫さま……!)
 声でわかったように、さ栄さまの表情は穏やかだ。泣いたりしておられない。たしかに喜びの色しかそこにはない。
(何故、さほどに穏やかにおられましょうか? おれは、……お目にかかれた今になって、頭がおかしくなりそうじゃ!)
「新三郎どの?」
 心のなかに渦巻いている想いに喉が塞がれたように声が出ない新三郎を、姫さまは訝るようだ。
(あっ、いかぬ!)
 新三郎は、視界がぼやけて揺らぐのに気づいた。
(おれが、泣いてしまっては……!)
 顔を隠そうと、慌てて平伏し、そのまま、声を絞り出す。
「このたびは、新三郎などの身をご案じくださり、恐縮至極にございます。」
「当たり前ではないか! 新三郎どのの、ご無事ばかりを祈っておりました。お怪我もなく、さ栄は、安堵いたしました。」
「あ、ありがたき仕合せに存じます。」
 沈黙があった。さ栄が何か口を開きかけた気配を察して、新三郎がまた声を絞り出す。
「……こ、このたび、……このたびは、まことにおめでたきお話を伺い、まことに、……およろこびいたしまする!」
 小さく叫んだ。姫さまが息を呑む気配がする。
(言うてしもうた……! こんなことを、おれは、口に出してしもうた!)
「……新三郎。そなた、祝うてくれるのかえ?」
 冷え冷えとして平板な声が降ってきた。
「まことに喜ばしく、おめでたき仕儀に存じ上げます。」
「喜ばしいか。」
(ああ、おれは、なんてことを……! 腹立ちまぎれのように聞こえたに違いない?)
「お家のためにございますれば……。」
「本意(本心)で、申されたのかえ?」
(そのはずがないではないか! おれは、あなたを大浦なんぞに行かせたくないのじゃ! 別れたくない。姫さまは、おれのものじゃ!)
 新三郎ははっとして顔をあげた。姫さまの声が震えている。
「新三郎どの……さ栄は、このたびのこと、等閑でなく(本気で)、喜んでおる。」
 新三郎は愕然とした。だが、すぐに姫さまの目にも涙が浮いているのに気づいた。面持ちは変わらず穏やかに見えたが、そうではなかった。血の気が失せ、薄く笑みを浮かべた表情が固い。思いつめた気配が、ようやく新三郎にも感知できたのである。
「無事に生きて戻ってこさせるためじゃったから。それが、できた。ここに、ぬしさまがおられる。……さ栄が、この手で新三郎どのを戻したのじゃ。喜ばぬで如何しましょう?」
「姫さま! お礼を申し上げます。新三郎は戻って参りました……!」
(言いたい! 今から一緒に逃げましょう、と!)
 さ栄姫は、うれし気に頷いた。
「ご約定、ぬしさまは、やはり守ってくれましたな。」
 新三郎の膝はたまらず、床を蹴った。姫さまが手を広げて、こちらに躰を傾ける。それを受け止めるようにして、抱きしめた。姫さまも懸命にしがみつく。
「ああ、新三郎どのがおる。ぬしさまが、ここにおられる……!」
「姫さま……。さ栄さま!」
 新三郎はなにを言っていいのかわからない。ただ呼びかけた。姫さまはそのたびに、はい、はい、と肩越しに頷いて答える気配だ。

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