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第十一章 金木館へ  その三

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(やはり……!)
 矢の雨を盾で防ぎながら、新三郎は歯噛みした。
 こちらは圧倒的な寡兵になってしまった。金木より北に潜んでいて、この予定戦場にやってくるはずだった味方の伏兵は、一向に現れなかった。いまだに戦況をうかがっているか、さもなくば、味方に知られぬようにこの辺りを迂回して、浪岡へと引き上げてしまったに違いない。
 さほどでもない数の孤軍が大浦の派遣軍に正面から激突し、粉砕されかけていた。
(中書は、おそらく御所に入ったな?)
 それが浪岡北畠氏の藩屏たるべき「小御所さま」の狙いだったのだ。大御所にとって代わり、浪岡御所の事実上のあるじになる。大浦からの内通の工作があったのかどうかはまだわからないが、大御所を討ち死にさせる気であるのはたしかだった。
(ふん、今になって、あの薬が欲しくなってきたわ。)
自分が危惧したとおりに戦が進むのが、腹立たしくてならない。もはや合戦の敗けは決まった。
 大御所の直隷の備までが潰走を始めた。
(やはり、薬なぞで死を忘れるわけにはいかぬのですよ、左衛門尉さま!)
やや捨て鉢になりかけている新三郎は、この若者らしくもない皮肉な笑みを浮かべた。あの様子では、本営も崩れただろう。大御所の命も定かではない。
 だが、こちらも死ぬわけにはいかぬ。新三郎は、普段の様子に戻って、背筋を張った。生き残った五人の配下とともに、敵の囲みを切りやぶらねば、戦場を離脱できない。しかし、
(すでに退路は塞がれた。まっすぐ浪岡を目指せば、討ち取られるわ。)
林の中に逃げこんだ。いずれこの中にも敵兵が追ってくるが、まずは息をつかねばならない。逃げる手筈を考えるのだ。
(中書が裏切った以上、南は凶じゃな。)
 もし包囲を破れても、味方の筈の北畠中書の軍勢が浪岡のそばで網を張って待ち受けているだろう。裏切り者が、敗残兵をどう迎えるつもりかわからない。有象無象の雑兵ならいざ知らず、将ならば口封じにその場で殺されかねない。組頭程度でも御所さまの備である以上、あるいは、先代さまのご猶子であった以上、新三郎もその対象になるだろう。
 鉄砲の音がした。反射的に新三郎と蠣崎の兵たちは茂みの中に身を躍らせた。林のなかに駆け込んできたのは、どうやら味方だ。だが、救いにはならないようだ。
(大御所さまではないか?)
幕僚ふたりと近習たちを従えた大御所は、荒い息をつくと、床机を準備させた。
(腹を切るおつもりか?)
 茂みの中で立ち上がった新三郎は、なりませぬぞ、と叫んだ。
「大御所さま、まだお早い。」
「おお、新三郎か。」
大御所さまは、眩しそうに眼を細めた。ややうれしげな表情がふと浮かんだのは、先日若者に投げつけた自分の言葉がいくらか気になっていたからかもしれない。
「よいところに来た。お前が介錯せよ。」

 浪岡城内は騒然となっていた。
「大御所さま、お討ち死に。」
 城に戻りついたばかりの鎧姿のまま、北畠中書さまが沈痛な表情とともに幼い御所さまと大み台さま―もとのみ台所、先のご後室さまに告げた。本軍の到着前に急襲された金木館包囲軍は散り散りになって敗走し、大御所は敵の手に落ちるのを潔しとせずに腹を召されたと言う。
「西舘の軍勢、御所さまのお備(直属部隊)もろとも、揃って討ち死に。」
「ありえませぬ。」
 さ栄は蒼白な顔で、しかし力を込めて断言した。
 打ちのめされた蠣崎家の人びとがそれを告げに来たとき、姫さまは奇妙に落ち着いておられると不思議がった。お倒れになられぬかとも心配していたが、顔色こそ変わっても、動じた様子がない。
「新三郎が、死ぬはずはない。」
「たしかに、はっきりと新三郎が討たれたを見た者はございませぬ。」
 じいじどのが無理やりに声を絞りだして頷いてみせると、さ栄姫は笑みすら浮かべた。
「で、あろう? いかにひどい戦であっても、皆殺しにされるわけではあるまいて。」
「大御所さまがお腹を召されたと聞きます。お供したのでは……?」
 小一郎が泣きながら、言わずもがなを口走ったが、姫さまはそれを聞いても平然としている様子だった。
「小一郎。新三郎どのは忠義者じゃが、賢い。筋を通す。お仕えするお相手を違えはせぬ。御所さまをお守りするのがお役目なのじゃから、大御所さまのお供は、まずはご遠慮なさるよ。」
「……さよう、……さようでございますな。間違いを申しました。斯様な御所の大事、兄上は駆け戻って参られましょう。」
 それを聞いたさ栄は明るく微笑んで、頷いた。
 蠣崎家の二人が下がった後、さ栄は座ったまま、床に片手をついた。ふくが駆け寄るようにして支えると、大事ない、とまた姿勢を戻す。
「ふく、さ栄は偽りを言ってはおらぬ。まことに信じておる。新三郎はきっと戻る。死んではおらぬ。」
 ふくはまた両目に涙を溢れさせたが、何度も頷いてみせた。
「新三郎は、約定を破らぬ。無事に戻ると誓ってくれた。兄上の後を追ったりはせぬ。大浦ばらの手にかかるなども、ありえぬ。」
「まことに、……違いございませぬ。お戻りになったら、ふくが叱って進ぜましょう。姫さまにご心配をおかけして、天才丸どの……!」
「心配しておらぬと、言うた。」
 さ栄はまた苦しい笑いを浮かべると、ふくの手を振り切るように、ふらふらと縁に出た。夜が近く、空はすでに昏い。春の宵の匂いが立ち上っていた。
(新三郎! 死なせはせぬ! さ栄が必ず生かしてやる。この命と換えても、殺させはせぬ。)
 さ栄は膝をついた。悪寒がして、息が詰まった。
(……来た!)
 何か月かぶり、いや、一年振りだろうか。さ栄の躰に、発作が襲っていた。赤い疼痛が躰中に広がり、模様のような赤い腫れが広がっていく。気の違いそうな痛痒に身を揉みながら、しかし、さ栄は初めて、このようになったことに奇妙な喜びを感じていた。
(これでわたくしが魚になれば、ひと一人の命の分、あのひとが助かるとでも言うのか? ……神さま、仏さまか、どなたでもよろしうございます。もしもさであれば、どうか今、さ栄の命を奪って、魚に変えてやってくださいませ。それであのひとが無事に戻ってこられるなら、構わぬ。いや、うれしい! あのひとが生き残ってくれるのなら、さ栄はいかになろうと構わぬ。うれしいのじゃ。……南無、あのひとをお助けくださいませ。さ栄はなんでもいたします。どうか……!)
 さ栄は手を強くあわせ、疼痛に苦悶しながら祈った。目の前が暗くなり、躰を横たえる。ふくが慌てて駆け寄ってきた。
(新三郎……! いまどこにおる? このさ栄が助ける!)
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