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第五章 謀叛人 その四

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 案の定、かつて家督を争ったこともある老人たちは、和やかに談笑とばかりにはいかなくなった。本題から離れたところで、ともに激しはじめた。声も言葉も、立場の上下があるにもかかわらず、ともに荒い。互いの従者近習の目が一切ないから、逆にはばかりがなくなっているのかもしれない。
(これで、兄弟じゃから水に流せるものか? 儂と左衛門尉、いやさ栄とでも、さようにはいくまい。)
 御所さま―具運は内心で辟易し、左衛門尉に目くばせをした。左衛門尉から何か言え、というのだが、弟は心得たとでもいうのだろうか、何か不思議な笑いを浮かべて、立ち上がった。
「拙者、御供応の準備を見て参りましょう。」
(逃げ出しおったか。小姓を呼んで言いつければよかろうに。)
 具運は苦笑いしたが、左衛門尉の大きな姿が消えてしばらくしたかと思うと、これも所在なく黙っていたいとこの具重が、何かそわそわとし出した。
「如何したか?」
と具運が尋ねた瞬間だった。いとこ
が剣を引きつけ、やにわに抜くと、こちらに斬りつけた。
 座ったまま、後ろに飛びのくように危うくかわしたが、肩衣が切られた。
「なにをする?」
という声は、父親の濁ったような断末魔の叫びにかき消された。
 大御所さま―具統は、川原御所の手で一刀のもとに斬り伏せられていた。首が離れかけている。おびただしい血が噴き出し、浪岡前侍従の生命の火が一瞬にしてかき消されたのがわかった。
 その時、縁の障子を突き破る勢いで、庭から瀬太郎が飛び込んで来た。御所さま―具運に斬りかかろうとしている若者―具重の胴を、脇差程度の短い刀で突き、そのまま押し倒した。一瞬で馬乗りになり、素早くとどめを刺す。飛びのいて、御所さまを守って立つ。
(ほんものの、川原の御所さまじゃねえか。どういうことだ?)
 川原御所―具信は顔まで血に染まって、悪鬼のようである。兄を我が手にかけた。目の前で、嫡男が殺された。すでに半ば正気を喪っている。
「下郎。」
 斬りかかってきたが、瀬太郎は簡単にそれを払った。
「瀬太郎。殺すな。」
 御所さまはわけがわからない。それだけに、殺してしまってはならない。捕えて、この謀叛の有体を喋らせねばならぬ。瀬太郎は、承知、と低く呟くと、一歩前に出る。
 たれか、と御所さまが呼ばわりかけた時、左衛門尉が駆け戻ってきた。御所さまは首を後ろに曲げて、それを認めた。
「おお、左衛門尉。」
 御所さまと川原御所さまの二人が、ほぼ同時にそう叫んだ。
 左衛門尉は、一瞬で全ての状況を悟ったらしい。下手人ふたりの斬りかかるのが早すぎたのは、いいのである。蝦夷足軽らしき男が庭に伏せていたのが、誤算であった。だが、それだけである。
 瀬太郎が息を呑んだことに、左衛門尉の刀が、背中から胸にかけて真直ぐに御所さまを貫いていた。左衛門尉は躰を密着させ、さらに深く抉った。
「なっ……なんのことか?」
「御所さま、申し訳ございませぬ。お家のためじゃ。」
「お前……兄と、父を……?」殺して、なにが家のためか、と言いたい。
「あなたさまが、本当の兄上ならばよかった! おれも、こんなことはせずとも済んだ。」
「うつけ者。……やはり、お前は、如何しようもない、うつけ者じゃ!」
 御所さまは叫んだ。その瞬間、少量の血を吐いた。
「さようにございます。じゃが、屹度、きっと、……な、浪岡のお家のことはお任せ下されっ。」
「……!」
 左衛門尉の声が、冷静に抑えているようで震えているのを御所さまは知った。
(ああ、いまさらに泣いておるのか、愚かな。なんと愚かしい……!)
 御所さまの目からも、後悔と悲痛と哀憐の涙が湧き出た。
「……頼む。息子のこと、頼む。あれだけは……。」
「若君か。承知いたした。」
 刀が引き抜かれると、御所さまは力を喪って横ざまに倒れた。
 川原御所さまが打ちかかってきたのを、あまりのことに茫然としていた瀬太郎は慌てて防ぐ。しかしそこに、西館さま―左衛門尉の一撃が入った。肩から切り下げられ、瀬太郎は悲鳴をあげ、朱に染まって倒れたまま動かない御所さまに、半ば折り重なって倒れた。がくりと頭を落す。
 その背中に、息子の仇とでもいうのだろうか、川原御所―浪岡具信がさらに一太刀を叩きつけた。大きく跳ねた瀬太郎は、まったく動かなくなった。
 ようやく、城中の者が駆けつけてくる足音がした。左衛門尉は荒い息をつくばかりになった川原御所に近寄ると、無警戒の老人の腹に一突きを加えた。引き抜くと、肩から切り下げた。
(左衛門尉?)
「……。」
 御所、西舘、川原御所の近習たちが駆け込んで、血の海を前に立ちすくんだ。
 川原御所が低く唸りながら足元に倒れ伏すのにさらに一突きを加えると、左衛門尉は一喝する。
「控えよ。謀叛である。川原御所親子が、大御所さま、御所さまを討った。ために誅殺を加えた。」
 げえっ、と息を呑んだのは、川原御所からの従者たちである。動揺の様子が悟られでもせぬように、あえてまずは何も知らぬ者ばかり供につけたらしい。
「そ奴らも討て!」
 乱闘になったが、川原御所の者たちは、たちまち斬り伏せられる。
 まだ意識のある川原御所―浪岡具信は、こんなはずはない、と思って目の前の最後の景色に不思議がっている様子だった。だが、やがて苦悶の一瞬とともに、息がとまった。
 乱闘が片付くと、左衛門尉は大声を発した。さすがに昂奮し、白い顔がまったく血の気を喪っている。そこに何条もの涙が流れているのを、侍たちはたしかに見た。
「大御所さま、御所さまの仇を討つ。謀叛の川原をこれより根こそぎにせん。」
 血の匂いに酔ったようになった近習たちは、応、と叫ぶと左衛門尉のあとに続く。惨劇の現場に、ほんの一瞬、立っている者は誰もいなくなった。
「……瀬太郎?」
 躰の上にいる瀬太郎に、まだ息のあった御所さま―具運が小さな声をかける。
 瀬太郎は慌てて飛び起きようとしたが、のしかかっていた具運から離れられただけで、あおむけに転がった。なんとか立ち上がったが、たちまち尻もちをつく。荒い息をついた。和人の衣装が、流れた血でぐっしょりと濡れていた。
「ご無事で、なにより。」
 御所さまは即死ではない、と咄嗟に判断して、瀬太郎は自分の身で守ったのだ。
 具運はまだ起き上がれないようだったが、首だけ曲げて、微笑んだ。
「有り難かったが、無事ではないな。……瀬太郎、頼む。」
「はっ。なんなりと。」
「……!」
 具運は息を呑んだ。声がうまく出ない。死んだふりをしてやりすごす冷静さはあったが、どれほどの深傷かはわからなかった。おそらく、出血が限界を超えたのだろう。
(もう、いかぬか。)
 差招く手を上げるのにも苦労したが、目の表情でわかったのだろう、血まみれの蝦夷足軽の青年は這うようにして口元に耳を近づけた。
「……む、め、……無名舘の妹……にのみ、仔細、つ……伝えよ。」
「姫さまおひとりにだけ、でござりますか? 他には、西舘の仕業とは申さぬのでござるか?……お家のため?」
 そうだ、と具運は頷いた。
(もはや、あのうつけ者に、お家を託すしかない。)
 蝦夷の癖にわかりがよい、とからかって瀬太郎を褒めてやりたいが、その余裕がもうない。
「わがあるじ、蠣崎新三郎には伝わりましょうが?」
 いや、と御所さまは微かに首を振る。それは、さ栄姫の判断に任せるというのだろうが、伝えて貰いたくない。
「せ、瀬太……こ、この右腿、斬れ。」
 震える重い手で、自分の右腿を指した。
「あざ……。」
「痣?」
「……あやつ、知らぬでよい。……」
「あやつ、とは?」
「……。」
 具運は答えない。目を閉じた。
 やがて目を開けたつもりが、すべてが昏くなっていくのだけがわかった。
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