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第十一章 金木館へ その四
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「ご介錯をせよ、と?」
新三郎は、つき従ってきた者たちに眼を向けた。止められないのか、と睨んだが、馬回りまでもが顔を伏せるばかりだ。
あらためて木陰に目を凝らしてみると、馬までどこかで喪ったとは言え、大御所は大きな手傷を負っているわけではない。裏切りと敗戦に打ちのめされ、度を失っているだけに見えた。
「大御所さま、お気が早い。ここにわたしを含めて六人おります。あわせて、十二人か。これだけいれば、囲みを破れましょうぞ。」
「新三郎、ならぬ。……大浦の囲みはすでに厚いが、もしやすると斬りぬけられるやもしれぬ。じゃが、浪岡御所までは辿りつけぬ。」
大御所は、待ち受けているだろう北畠中書の兵の網にかかり、人知れず闇に葬られるのを嫌っていた。裏切り者の手にかかるくらいならば、首は積年の敵にくれてやるほうがよい。しかしむざむざ雑兵の餌食になるくらいならば、腹を切りたいと思った。
(これで、ようやく死ねる……。忌まわしいこの身を滅ぼしてしまえる。)
愚かしくも罪深い一生をここで断ち切れると、ひそかな愉悦を感じていた。
新三郎にはそこまではわからないが、死に急ぎだと思えてならない。たしかに退路を断たれかけているが、まだ思案の余地はあるではないか。連戦連勝の将が一敗地にまみれると、かくも諦め早いものか。
(死にたいならば、勝手にされるがよいのじゃ。)
とも、腹立たしく思わぬでもない。昨日の罵詈雑言を根に持つわけではないが、生き残る気のない者は足手まといである。負け戦だろうとなんだろうと、新三郎は、是が非でもさ栄姫のもとに戻らねばならぬのだ。
(いっそ置き捨てていくか?)
新三郎は一瞬考えた。介錯で首を刎ねさせられるなど、まっぴらだという気がした。
しかし、もしも兄君がここで死んでしまえば、
(さ栄さまは、やはり悲しまれよう。)
そう思うと、冷静に考えられた。見捨てるわけにはいかぬ。大御所さまを討ち取られては、やはり、浪岡北畠氏がそこで終わってしまう。北畠中書が大浦に内通していなかったとしても、私利私欲のために主人と友軍を見殺しにするような輩が、御所を支えられるわけはないのであった。
(介錯などご免、と思うのも、やはりおれとても、左衛門尉さまに死んでほしくはないからじゃな。)
「南は凶。」
「……わかっておるな。では儂はここで腹を切る。おぬしは、浪岡に何としても戻れ。」
さ栄にまた会ってやれ、と言いたかった。しかし新三郎はそれを遮るように、
「北は、吉とは言えぬものの、くらべるに凶ではございませぬ。」
北の囲みは、たしかに今やや薄い。すでに掃討戦に入り、大浦軍の最も鋭い先端部は逃げる敵を追い、包囲軍も転回して、南がより分厚い。
「しかし、北に行って如何する? 逃げ込む場所とてない。どこかで反転、獣道を辿りに辿って浪岡に至るか? それまでには、儂らの首には中書めが値をつけていようよ。死んだことにされたまま、浪岡御所の屋根の見える山の中で討たれたいか。」
幕僚の一人が、まくしたてた。新三郎はそれを目であやすと、
「……大御所さま?」
おわかりか、とこれも目で尋ねた。大御所は黙っているが、おそらく飲み込んだ。そのうえで、考えることがあるのだろう。
(成算は、薄い。じゃが、それしかないのは、おわかりになられよう?)
「新三郎。一度、介錯せよと命じた。命は受けよ。」
「大御所さま!」
「……ここではなく、金木館の門の前で、やむなく命じるやも知れぬ。その時は、きっと命に服せ。」
新三郎は低頭しながら、躰に力が入るのを感じる。
(やはり左衛門尉さまは、わかってくださる! おれと同じ考えじゃ!)
金木館に逃げ込もうと言うのである。昨夜まで囲んでいた謀叛人の砦である。幕僚たち、近習や、柿崎兵は唖然としていた。
だが、そこでこそ、捲土重来を期せる。それよりないのである。主従二人の考えが一致していた。
新三郎は、木のまに空を見上げた。すでに昏い。
「夕闇に乗じて、敵軍勢の眼前を走ってやりましょう。」
「しかし蠣崎、金木が我らを迎えるか?」
さきほどの幕僚が、声を潜めるようにして聞く。ありえないのではないか。
「大御所さまのお決めになられたことにて。」
「……さようではあるが、昨日まで討伐しようとしていた相手ぞ?」
「いや、蠣崎ならば、思案の末に大御所さまをお迎えいたします。……ご説明は、金木館の門前でいたしまする。」
(金木の連中にその思案が立たねば、それまで。)
金木館の大手門が開いたとき、新三郎と大御所以外の一行は安堵しながらも手妻(手品)を見せられたような気分だったらしい。
「蠣崎、いかなることじゃ?」
逃走しながらの戦いに疲れ果て、兵の一人も失った新三郎は、まずは生き残った喜びのある一方で、物憂い。幕僚には、簡単に答えた。
「大御所さまを手に入れたほうが、金木勢にとっては得でござろう。」
大浦に対して、浪岡北畠の主将を捕らえたとすれば、何かと後々好都合なのだ。
「手に入れ……? わしらは、迎え入れられたわけではないのか?」
「討ちとられるよりは、ましにござった。」
「この城内で討ち取られるやもしれぬ。」
「……それは、まずは、ござらん。金木は大御所さまを餌に、大浦と取引できる。場合によっては、大御所さまに恩を売って、堂々と北畠に戻ることもできる。それに気づいたから、門を開いた。大御所さまもまた、これから取引のはじまりにございましょう。」
「金木と、か。……いや、大浦?」
「さでもありましょうが、加えて、南部さま。……南部さまのお歴々に間に立っていただき、お命をかたに碁を打たれるよりほか、ない。」
これから敗戦外交だ、と言いたい。
「お命……。で、儂らの命もそれ次第か。」
「囲みを破れず討ち死にならまだしも、浪岡御所のお屋根の見えるところで中書さまの手勢の網にかかれば、無念もきわまりましょう。どこで死んだやも伝わらぬ。闇から闇に葬られる、という奴だ。それに比べれば、ここまで来れば……。」
飯なと食わせてくれましょうよ、と新三郎は笑った。
なるほど、全員に飯があてがわれ、簡単な傷の手当までしてくれた。そのあと、大御所さまはともかく自分たちは縛られて土牢にでも放り込まれるかとも覚悟したが、土蔵に押し込められるだけで済んだ。衣食はあてがわれ、ときに外の空気を吸うくらいは許された。軟禁には違いないが、すぐに始末はないようだ。
「大御所さまは、南部、浪岡、大浦に使いを送られた。」
話をするのを許された幕僚が戻ってきて、教えてくれた。
「蠣崎の言うた通りじゃ。金木の者どもはそれを許しおった。むしろ、ありがたがる様子すらあったわ。大御所さまへのご待遇も、礼を失しておらぬ。」
それはよろしいが、浪岡のご重臣はどこか呑気でいらっしゃるわ、と新三郎は常日頃の印象を裏打ちされたように思ったが、いま肝要なのはそんなことではない。
「浪岡にご無事をお伝えくださいましたか。……わたしたちのことは、お書きになる暇がおありでしたでしょうか?」
「付き従った者の名を添えて下さった。」
(これで、姫さまにご案じいただかずに済む。……いや、気がかりは、しばらくいただくが。)
さ栄は一報を受けると、喜びのあまり、気が遠くなるほどだった。
(生きていた……! 新三郎は金木館に生きていた!)
「姫さまのお祈りが通じました。しかも、大御所さまをお守りしてとのこと、二重におめでたい。」
「……きっと、新三郎が知恵を出してくれたのじゃろう。敵方のはずの城に舞い戻って身を守るなど、新三郎でなければ思いつかぬ。兄上さまにも進言できぬ。」
「さようにございましょう。直に、お戻りでございましょうか?」
随喜の涙を浮かべていたさ栄は、そこで気づいた。まだ、助かったわけではない。
(たしかに金木館の者どもにすぐに殺されはしなかった。しかし、敵中にかろうじて命をつないでいるだけ。あとは大浦次第で、兄上のお命も、……ことによれば、新三郎も……。)
「ふく。またご無事をお祈りしましょう。さ栄には、それしかまだできぬ。」
一方、大御所生存の報に、慌てたのは北畠中書であった。大浦がまず生かしてはおくまいが、万が一このまま浪岡御所に生還でもされたならば、中書の身の破滅であった。いや、すでに戦場を回避した罪は明らかにされていると見てよい。家中では中書の責任を問うべしとの声が圧力を高めた。
御所の実権を握りかけていた北畠中書とその一族は、一転して裏切り者として、南部領めがけて遁走せざるを得なくなった。
代わりにのし上がろうとする北畠一門衆をまとめて抑え込んだのは、御所さま母君、いまの大み台所である。金木館に幽閉された状態の夫の意を汲み、ひそかに示し合わせながら、浪岡北畠氏の生き残りの外交を取り仕切ることになる。
南部氏。あまりにも広大な領土を持つがゆえに、有力な家臣に土地を預けるようにして治めさせていた。客将扱いだった北畠氏が、浪岡に入城したのもその一環だったはずだ。
その南部氏の近年の悩みは、預けてやった土地の管理者たちが、それぞれに主家から自立しがちなことであった。一円支配を目指し、南部氏の臣下の地位から抜け出そうとしている。
大浦氏に、最もその傾向が強い。浪岡北畠氏も当代の幼童の当主から数えて四代前以来、世話になっていた南部氏の頭越しに官位を回復させ、もともとの血の尊貴に磨きをかけた。
南部氏も内部に本質的に抜き難い分断があり、どこの家が宗家なのかすらあやふやになっていたから、こうした地方の自立の動きを鎮めるどころではない。家臣同士の領地争いには当然介入し、裁定を下さなければならぬのに、それもままならないのであった。
一門の大光寺南部を合わせて三家の津軽での争いにも、なかなか手が付けられなくなっていたところであった。
そこに、浪岡北畠氏の惨敗があり、今の実質的な当主から、仲介を嘆願する書状が舞い込んでいる。
好機であった。預かった領地を守る本分を忘れ、勝手な争いを起こした大浦、浪岡両家をともに戒めることで、自分は一兵も動かさず、北奥州・津軽の本来のあるじが変わらぬのを見せてやれる。
もちろん戦に勝った大浦が何も得られぬのはありえず、浪岡は当主の助命と引き換えに多くを喪うだろう。そこにまで手を入れることはできない。しかし加えて、津軽の現状維持を望む南部氏は、一つの策を用意していた。
新三郎は、つき従ってきた者たちに眼を向けた。止められないのか、と睨んだが、馬回りまでもが顔を伏せるばかりだ。
あらためて木陰に目を凝らしてみると、馬までどこかで喪ったとは言え、大御所は大きな手傷を負っているわけではない。裏切りと敗戦に打ちのめされ、度を失っているだけに見えた。
「大御所さま、お気が早い。ここにわたしを含めて六人おります。あわせて、十二人か。これだけいれば、囲みを破れましょうぞ。」
「新三郎、ならぬ。……大浦の囲みはすでに厚いが、もしやすると斬りぬけられるやもしれぬ。じゃが、浪岡御所までは辿りつけぬ。」
大御所は、待ち受けているだろう北畠中書の兵の網にかかり、人知れず闇に葬られるのを嫌っていた。裏切り者の手にかかるくらいならば、首は積年の敵にくれてやるほうがよい。しかしむざむざ雑兵の餌食になるくらいならば、腹を切りたいと思った。
(これで、ようやく死ねる……。忌まわしいこの身を滅ぼしてしまえる。)
愚かしくも罪深い一生をここで断ち切れると、ひそかな愉悦を感じていた。
新三郎にはそこまではわからないが、死に急ぎだと思えてならない。たしかに退路を断たれかけているが、まだ思案の余地はあるではないか。連戦連勝の将が一敗地にまみれると、かくも諦め早いものか。
(死にたいならば、勝手にされるがよいのじゃ。)
とも、腹立たしく思わぬでもない。昨日の罵詈雑言を根に持つわけではないが、生き残る気のない者は足手まといである。負け戦だろうとなんだろうと、新三郎は、是が非でもさ栄姫のもとに戻らねばならぬのだ。
(いっそ置き捨てていくか?)
新三郎は一瞬考えた。介錯で首を刎ねさせられるなど、まっぴらだという気がした。
しかし、もしも兄君がここで死んでしまえば、
(さ栄さまは、やはり悲しまれよう。)
そう思うと、冷静に考えられた。見捨てるわけにはいかぬ。大御所さまを討ち取られては、やはり、浪岡北畠氏がそこで終わってしまう。北畠中書が大浦に内通していなかったとしても、私利私欲のために主人と友軍を見殺しにするような輩が、御所を支えられるわけはないのであった。
(介錯などご免、と思うのも、やはりおれとても、左衛門尉さまに死んでほしくはないからじゃな。)
「南は凶。」
「……わかっておるな。では儂はここで腹を切る。おぬしは、浪岡に何としても戻れ。」
さ栄にまた会ってやれ、と言いたかった。しかし新三郎はそれを遮るように、
「北は、吉とは言えぬものの、くらべるに凶ではございませぬ。」
北の囲みは、たしかに今やや薄い。すでに掃討戦に入り、大浦軍の最も鋭い先端部は逃げる敵を追い、包囲軍も転回して、南がより分厚い。
「しかし、北に行って如何する? 逃げ込む場所とてない。どこかで反転、獣道を辿りに辿って浪岡に至るか? それまでには、儂らの首には中書めが値をつけていようよ。死んだことにされたまま、浪岡御所の屋根の見える山の中で討たれたいか。」
幕僚の一人が、まくしたてた。新三郎はそれを目であやすと、
「……大御所さま?」
おわかりか、とこれも目で尋ねた。大御所は黙っているが、おそらく飲み込んだ。そのうえで、考えることがあるのだろう。
(成算は、薄い。じゃが、それしかないのは、おわかりになられよう?)
「新三郎。一度、介錯せよと命じた。命は受けよ。」
「大御所さま!」
「……ここではなく、金木館の門の前で、やむなく命じるやも知れぬ。その時は、きっと命に服せ。」
新三郎は低頭しながら、躰に力が入るのを感じる。
(やはり左衛門尉さまは、わかってくださる! おれと同じ考えじゃ!)
金木館に逃げ込もうと言うのである。昨夜まで囲んでいた謀叛人の砦である。幕僚たち、近習や、柿崎兵は唖然としていた。
だが、そこでこそ、捲土重来を期せる。それよりないのである。主従二人の考えが一致していた。
新三郎は、木のまに空を見上げた。すでに昏い。
「夕闇に乗じて、敵軍勢の眼前を走ってやりましょう。」
「しかし蠣崎、金木が我らを迎えるか?」
さきほどの幕僚が、声を潜めるようにして聞く。ありえないのではないか。
「大御所さまのお決めになられたことにて。」
「……さようではあるが、昨日まで討伐しようとしていた相手ぞ?」
「いや、蠣崎ならば、思案の末に大御所さまをお迎えいたします。……ご説明は、金木館の門前でいたしまする。」
(金木の連中にその思案が立たねば、それまで。)
金木館の大手門が開いたとき、新三郎と大御所以外の一行は安堵しながらも手妻(手品)を見せられたような気分だったらしい。
「蠣崎、いかなることじゃ?」
逃走しながらの戦いに疲れ果て、兵の一人も失った新三郎は、まずは生き残った喜びのある一方で、物憂い。幕僚には、簡単に答えた。
「大御所さまを手に入れたほうが、金木勢にとっては得でござろう。」
大浦に対して、浪岡北畠の主将を捕らえたとすれば、何かと後々好都合なのだ。
「手に入れ……? わしらは、迎え入れられたわけではないのか?」
「討ちとられるよりは、ましにござった。」
「この城内で討ち取られるやもしれぬ。」
「……それは、まずは、ござらん。金木は大御所さまを餌に、大浦と取引できる。場合によっては、大御所さまに恩を売って、堂々と北畠に戻ることもできる。それに気づいたから、門を開いた。大御所さまもまた、これから取引のはじまりにございましょう。」
「金木と、か。……いや、大浦?」
「さでもありましょうが、加えて、南部さま。……南部さまのお歴々に間に立っていただき、お命をかたに碁を打たれるよりほか、ない。」
これから敗戦外交だ、と言いたい。
「お命……。で、儂らの命もそれ次第か。」
「囲みを破れず討ち死にならまだしも、浪岡御所のお屋根の見えるところで中書さまの手勢の網にかかれば、無念もきわまりましょう。どこで死んだやも伝わらぬ。闇から闇に葬られる、という奴だ。それに比べれば、ここまで来れば……。」
飯なと食わせてくれましょうよ、と新三郎は笑った。
なるほど、全員に飯があてがわれ、簡単な傷の手当までしてくれた。そのあと、大御所さまはともかく自分たちは縛られて土牢にでも放り込まれるかとも覚悟したが、土蔵に押し込められるだけで済んだ。衣食はあてがわれ、ときに外の空気を吸うくらいは許された。軟禁には違いないが、すぐに始末はないようだ。
「大御所さまは、南部、浪岡、大浦に使いを送られた。」
話をするのを許された幕僚が戻ってきて、教えてくれた。
「蠣崎の言うた通りじゃ。金木の者どもはそれを許しおった。むしろ、ありがたがる様子すらあったわ。大御所さまへのご待遇も、礼を失しておらぬ。」
それはよろしいが、浪岡のご重臣はどこか呑気でいらっしゃるわ、と新三郎は常日頃の印象を裏打ちされたように思ったが、いま肝要なのはそんなことではない。
「浪岡にご無事をお伝えくださいましたか。……わたしたちのことは、お書きになる暇がおありでしたでしょうか?」
「付き従った者の名を添えて下さった。」
(これで、姫さまにご案じいただかずに済む。……いや、気がかりは、しばらくいただくが。)
さ栄は一報を受けると、喜びのあまり、気が遠くなるほどだった。
(生きていた……! 新三郎は金木館に生きていた!)
「姫さまのお祈りが通じました。しかも、大御所さまをお守りしてとのこと、二重におめでたい。」
「……きっと、新三郎が知恵を出してくれたのじゃろう。敵方のはずの城に舞い戻って身を守るなど、新三郎でなければ思いつかぬ。兄上さまにも進言できぬ。」
「さようにございましょう。直に、お戻りでございましょうか?」
随喜の涙を浮かべていたさ栄は、そこで気づいた。まだ、助かったわけではない。
(たしかに金木館の者どもにすぐに殺されはしなかった。しかし、敵中にかろうじて命をつないでいるだけ。あとは大浦次第で、兄上のお命も、……ことによれば、新三郎も……。)
「ふく。またご無事をお祈りしましょう。さ栄には、それしかまだできぬ。」
一方、大御所生存の報に、慌てたのは北畠中書であった。大浦がまず生かしてはおくまいが、万が一このまま浪岡御所に生還でもされたならば、中書の身の破滅であった。いや、すでに戦場を回避した罪は明らかにされていると見てよい。家中では中書の責任を問うべしとの声が圧力を高めた。
御所の実権を握りかけていた北畠中書とその一族は、一転して裏切り者として、南部領めがけて遁走せざるを得なくなった。
代わりにのし上がろうとする北畠一門衆をまとめて抑え込んだのは、御所さま母君、いまの大み台所である。金木館に幽閉された状態の夫の意を汲み、ひそかに示し合わせながら、浪岡北畠氏の生き残りの外交を取り仕切ることになる。
南部氏。あまりにも広大な領土を持つがゆえに、有力な家臣に土地を預けるようにして治めさせていた。客将扱いだった北畠氏が、浪岡に入城したのもその一環だったはずだ。
その南部氏の近年の悩みは、預けてやった土地の管理者たちが、それぞれに主家から自立しがちなことであった。一円支配を目指し、南部氏の臣下の地位から抜け出そうとしている。
大浦氏に、最もその傾向が強い。浪岡北畠氏も当代の幼童の当主から数えて四代前以来、世話になっていた南部氏の頭越しに官位を回復させ、もともとの血の尊貴に磨きをかけた。
南部氏も内部に本質的に抜き難い分断があり、どこの家が宗家なのかすらあやふやになっていたから、こうした地方の自立の動きを鎮めるどころではない。家臣同士の領地争いには当然介入し、裁定を下さなければならぬのに、それもままならないのであった。
一門の大光寺南部を合わせて三家の津軽での争いにも、なかなか手が付けられなくなっていたところであった。
そこに、浪岡北畠氏の惨敗があり、今の実質的な当主から、仲介を嘆願する書状が舞い込んでいる。
好機であった。預かった領地を守る本分を忘れ、勝手な争いを起こした大浦、浪岡両家をともに戒めることで、自分は一兵も動かさず、北奥州・津軽の本来のあるじが変わらぬのを見せてやれる。
もちろん戦に勝った大浦が何も得られぬのはありえず、浪岡は当主の助命と引き換えに多くを喪うだろう。そこにまで手を入れることはできない。しかし加えて、津軽の現状維持を望む南部氏は、一つの策を用意していた。
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