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第七章 惨劇のあとで その三
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津軽蠣崎家が、無名舘のさ栄姫の住む離れの母屋にあたる屋敷に居を移したのは、この初夏のことだった。水木舘の残敵掃討がなんとか済んだ直後、あたふたと論功行賞がおこなわた結果である。
(新三郎が、来てくれた……!)
さ栄は、挨拶にやってきた新三郎に手をあわせたいほどであった。新三郎は明るく微笑んで、しばらくは引っ越しやら家の直しやらで騒々しくなりますがお許しあれ、と頭を下げた。
「まるで、こちらが蠣崎さまに間借りしているようになりましてございますね。」
ふくは笑ったが、こちらも安堵している。
あの「川原御所の乱」以降、城内は落ち着いていない。浪岡御所の中に、緊張した空気が走っている。戦時の外郭であるはずの無名舘などには、いつどこの兵が門を破って入って来るかわからない物騒さである。
(かと言うて、左衛門尉さまが牛耳る内館などに、この姫さまが移るわけにはいかない。どちらが危ないやら、わかったものではないわ。)
それを、蠣崎家の人びとが隣にいてくれると言う。これほど有り難いことはない。
「賑やかになって、うれしいではないか。」
「まったく、さようにござります。あのお宴のころが、戻って参りますようで。」
「……戻そう。また、楽しくなればよいの。……亡きご先代さま方も、笑ってお許し下さろう。」
蠣崎家はまたいくらか禄の加増を受けたが、兵をさほど増やせるほどでもない。分不相応に広い屋敷が貰えたのは、新三郎が強く無名舘の警護を望んだのと、ひとつには城内にまた空き家が増えたからでもあった。
あまりに幼い御所さま―急遽元服した八歳の浪岡顕村を補佐する西舘さまこと「兵の正」浪岡顕範は、西舘に家格で勝る岩倉殿や千君公といった北畠連枝の扱いに苦慮している。
最初の目論見では、これら「御所」を名乗る有力分家同士を争わせて潰してしまうか、強制的に代替わりさせてしまうつもりだったのだ。現に先代まで、これら「御所」名乗りの分家のいざこざの仲裁に、兄の御所さまは手を焼い ている風だった。
ところが、謀叛人の川原御所に対する徹底的な処断は、左衛門尉が侮蔑していた「中の御所」や「中書」や「宰相殿」といった名を代々継いできた老人たち―と言っても、まだ壮年の者が多かったが―を警戒させ、浪岡宗家・西舘の政権と野党ともいうべき他の一門連枝との対立、という構図を作ってしまった。
「ああ見えて亡き先代さまは老獪でいらした。分家の仲が悪くて困る、間に立って手間がかかるわ、と仰りながら、内心は満更でもおありでなかったようじゃ。それで浪岡宗家、内舘の御所さまのご地位はますます固まったのですからな。」
「図書頭、危うい話を聞かせてくれるものではない。」
「蠣崎さま、あなたがお聞きになりたそうに、わざわざお越しになった。」
「残った仕事を片付けるために参っている。」
新三郎はふたたび西舘の幕下に働くように命じられ、いまの御所さまの直属の形をとる備(部隊)に加わっている。御書庫での働きは短かったが、図書頭たちとのつきあいは続いている。
(どこよりも、この暗い書庫でこそ、城内外の様子が知れる。)
新三郎は思っている。
姫さまとは、いつぞやのような政事の話はおろか、お茶や歌のお話しなどあまりない。
さすがにご落胆が激しく、一日の大半を亡き大御所さま、御所さまのために念仏をずし、経を読んでおられるようだ。
(御出家でもなさってしまわれるのではないか?)
新三郎は気に掛ってしまうが、しかし、
(お目にかかれば、喜んでくださる。)
それがうれしくてならない。おやつれにもなったようだが、新三郎を陶然とさせる、あの笑顔をお見せになる。お言葉数も、一時にくらべれば、そうお減りではない。
「お戦か。」
ある時、尋ねられた。
「戦というほどでもございませぬ。浮浪どもが街道筋でまた騒いでおりまして。」
「またか。……新三郎がこちらに来た頃のようじゃな。御苦労のおかげでそれは減ったはずだったに、なじょうかの?」
「さあ、それは……。」
やや言いにくい。大浦に逃げ奔った川原御所の残党こそが、「浮浪ども」の頭だからだ。
もともとの川原御所の所領の村々に、れきとした川原御所の家臣だった侍がいつの間にか戻って、浪岡御所への貢納や賦役を邪魔している。「邪魔」というが、村人たちは気づいておるまい。つい最近までの所領役人が戻ってきただけと思っているのではないか。
そこに浪岡御所から兵馬を入れ、元の「役人」どもを追い散らし、村人たちに賦役に出よ、年貢をきちんと納めるようにと言うのだが、村にしてみれば税を倍増された思いであろう。川原御所の残党は、こっそりまた帰って来るかもしれない。秋には年貢を二重にとられかねないのである。
(あいつらのほうが村の顔馴染じゃ。どちらが野盗と思われているやら……。)
言いよどんでいる風の新三郎の顔を見て、さ栄はわかってしまった。
(やはり、無茶苦茶(わりなし)の代償(かた)は、大きい……。)
さ栄は暗い気持ちになる。父殺し兄殺しの悪逆非道の主が栄えてほしいとはどうしても思えないのだが、報いを受けるとすれば、兄ひとりではないのである。
(われら北畠の家の者どもは自業自得じゃが、この新三郎たちにまで、累が及んではならぬが……。)
「危なくはありますまいな?」
「はい、それはきゃつら、浪岡の兵が来ると知ると、さっさと逃げてしまいまして。なんでわかるものやら。……あ。」
浪岡御所に内通者がいるのだ、と新三郎は迂闊にも今気づいてしまった。さ栄も気づいている。
(なんということか。もうお城は、ばらばらではないか。)
「……口の軽い者がおるのでしょう。わたくしなどにも、御出陣前の挨拶はいらぬよ。」
冗談めかして、小さく笑ってみせた。
「いえ、それは、……申し訳ございませぬ。新三郎の我が儘にてございます。」
(あっ、それは、会いたかった、と言うてくれるのじゃな?)
「有り難いこと。……ご武運をお祈りいたします。」
さ栄が上座から低頭したので、新三郎は慌てる。
(新三郎が、来てくれた……!)
さ栄は、挨拶にやってきた新三郎に手をあわせたいほどであった。新三郎は明るく微笑んで、しばらくは引っ越しやら家の直しやらで騒々しくなりますがお許しあれ、と頭を下げた。
「まるで、こちらが蠣崎さまに間借りしているようになりましてございますね。」
ふくは笑ったが、こちらも安堵している。
あの「川原御所の乱」以降、城内は落ち着いていない。浪岡御所の中に、緊張した空気が走っている。戦時の外郭であるはずの無名舘などには、いつどこの兵が門を破って入って来るかわからない物騒さである。
(かと言うて、左衛門尉さまが牛耳る内館などに、この姫さまが移るわけにはいかない。どちらが危ないやら、わかったものではないわ。)
それを、蠣崎家の人びとが隣にいてくれると言う。これほど有り難いことはない。
「賑やかになって、うれしいではないか。」
「まったく、さようにござります。あのお宴のころが、戻って参りますようで。」
「……戻そう。また、楽しくなればよいの。……亡きご先代さま方も、笑ってお許し下さろう。」
蠣崎家はまたいくらか禄の加増を受けたが、兵をさほど増やせるほどでもない。分不相応に広い屋敷が貰えたのは、新三郎が強く無名舘の警護を望んだのと、ひとつには城内にまた空き家が増えたからでもあった。
あまりに幼い御所さま―急遽元服した八歳の浪岡顕村を補佐する西舘さまこと「兵の正」浪岡顕範は、西舘に家格で勝る岩倉殿や千君公といった北畠連枝の扱いに苦慮している。
最初の目論見では、これら「御所」を名乗る有力分家同士を争わせて潰してしまうか、強制的に代替わりさせてしまうつもりだったのだ。現に先代まで、これら「御所」名乗りの分家のいざこざの仲裁に、兄の御所さまは手を焼い ている風だった。
ところが、謀叛人の川原御所に対する徹底的な処断は、左衛門尉が侮蔑していた「中の御所」や「中書」や「宰相殿」といった名を代々継いできた老人たち―と言っても、まだ壮年の者が多かったが―を警戒させ、浪岡宗家・西舘の政権と野党ともいうべき他の一門連枝との対立、という構図を作ってしまった。
「ああ見えて亡き先代さまは老獪でいらした。分家の仲が悪くて困る、間に立って手間がかかるわ、と仰りながら、内心は満更でもおありでなかったようじゃ。それで浪岡宗家、内舘の御所さまのご地位はますます固まったのですからな。」
「図書頭、危うい話を聞かせてくれるものではない。」
「蠣崎さま、あなたがお聞きになりたそうに、わざわざお越しになった。」
「残った仕事を片付けるために参っている。」
新三郎はふたたび西舘の幕下に働くように命じられ、いまの御所さまの直属の形をとる備(部隊)に加わっている。御書庫での働きは短かったが、図書頭たちとのつきあいは続いている。
(どこよりも、この暗い書庫でこそ、城内外の様子が知れる。)
新三郎は思っている。
姫さまとは、いつぞやのような政事の話はおろか、お茶や歌のお話しなどあまりない。
さすがにご落胆が激しく、一日の大半を亡き大御所さま、御所さまのために念仏をずし、経を読んでおられるようだ。
(御出家でもなさってしまわれるのではないか?)
新三郎は気に掛ってしまうが、しかし、
(お目にかかれば、喜んでくださる。)
それがうれしくてならない。おやつれにもなったようだが、新三郎を陶然とさせる、あの笑顔をお見せになる。お言葉数も、一時にくらべれば、そうお減りではない。
「お戦か。」
ある時、尋ねられた。
「戦というほどでもございませぬ。浮浪どもが街道筋でまた騒いでおりまして。」
「またか。……新三郎がこちらに来た頃のようじゃな。御苦労のおかげでそれは減ったはずだったに、なじょうかの?」
「さあ、それは……。」
やや言いにくい。大浦に逃げ奔った川原御所の残党こそが、「浮浪ども」の頭だからだ。
もともとの川原御所の所領の村々に、れきとした川原御所の家臣だった侍がいつの間にか戻って、浪岡御所への貢納や賦役を邪魔している。「邪魔」というが、村人たちは気づいておるまい。つい最近までの所領役人が戻ってきただけと思っているのではないか。
そこに浪岡御所から兵馬を入れ、元の「役人」どもを追い散らし、村人たちに賦役に出よ、年貢をきちんと納めるようにと言うのだが、村にしてみれば税を倍増された思いであろう。川原御所の残党は、こっそりまた帰って来るかもしれない。秋には年貢を二重にとられかねないのである。
(あいつらのほうが村の顔馴染じゃ。どちらが野盗と思われているやら……。)
言いよどんでいる風の新三郎の顔を見て、さ栄はわかってしまった。
(やはり、無茶苦茶(わりなし)の代償(かた)は、大きい……。)
さ栄は暗い気持ちになる。父殺し兄殺しの悪逆非道の主が栄えてほしいとはどうしても思えないのだが、報いを受けるとすれば、兄ひとりではないのである。
(われら北畠の家の者どもは自業自得じゃが、この新三郎たちにまで、累が及んではならぬが……。)
「危なくはありますまいな?」
「はい、それはきゃつら、浪岡の兵が来ると知ると、さっさと逃げてしまいまして。なんでわかるものやら。……あ。」
浪岡御所に内通者がいるのだ、と新三郎は迂闊にも今気づいてしまった。さ栄も気づいている。
(なんということか。もうお城は、ばらばらではないか。)
「……口の軽い者がおるのでしょう。わたくしなどにも、御出陣前の挨拶はいらぬよ。」
冗談めかして、小さく笑ってみせた。
「いえ、それは、……申し訳ございませぬ。新三郎の我が儘にてございます。」
(あっ、それは、会いたかった、と言うてくれるのじゃな?)
「有り難いこと。……ご武運をお祈りいたします。」
さ栄が上座から低頭したので、新三郎は慌てる。
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