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第八章 契り その一

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第八章 契り

 浪岡城無名舘に住んだ北畠氏のさ栄姫と、蝦夷島からやってきた蠣崎新三郎慶広が、永禄六年春には男女のあいだがらになっていたのは、一面では自然の成行きであったかと思えた。
 そう見るのは、周囲でそれを知るなかに、少なくない。齢のいった者ほど、春には桃の花が咲く程度の自然さで、ふたりが睦みあうようになったと感じずにいられない。美しい花はひとの手の丹精あってとはいえ、やはり自然の理による。
「さようなものでござりますね。」
 ふくは、蠣崎内蔵助老人にしみじみと同意を求めた。この隠居のじいじどのは、最近急に耳が遠くなったらしく、少し大きな声で繰り返してやる。
「……おっしゃる通りじゃ。若い男女が互いに憎からず思い、これほどの近くにいる。遅いくらいだと思うておった。……めでたい。畏れながら、儂は、めでたいと思いまするぞ。」
 ふくも無言で頷いた。兄妹のことまで喋れるわけもないが、お嫁ぎ先でもご不幸だったのは、たれでも想像のつくことだ。
(お齢も離れ、いささかならず分限(身分)違いではあるが、新三郎どのはよい子。姫さまをこころより大切に思うておられる。なにより姫さまを、昔の姫さまに戻してくれた。あの子とご一緒になられるのが、やはり一番じゃ。)
「ご縁というのは、なにやら他愛もない気もいたしますね。」
「……なんといわれましたかな?」
「……ご縁が、ござったのでしょう!」
 老人は破顔した。
「さよう、亡き御先代の御所さまお導きの、ご縁でありましょうぞ。」
 より齢若い者は、物事を劇的に考えたい節がある。自然にそうなった、では満足しないから、きっかけはあれだった、あれがなければ、あるいは……と思い定める。そうであってほしい。自分たちの若い統率者や、「兄上」(新元服の蠣崎家の若い当主は、千尋丸の頃からかわらず、こう呼び続けている。)の恋は、歌や曲のようでなければならない。
 さ栄と新三郎の当人にも、この傾向はいくらか当てはまる。
 当事者だから、自分たちの出会いこそ運命的であれ、恋ができあがったのはさして自然でもない、命懸けの飛躍の たまものだと思いたい。思わざるを得ない。
 長い逡巡(ためらい)の果て、大きなきっかけがあって一歩を踏み出す勇気があったから、ついにふたりの想いを形にできたのだと感じている。

 たしかに、一大事はあった。新三郎が死線を彷徨ったのである。
 「川原御所の乱」が起きた永禄五年の夏から秋にかけて、にわかにまた増えた野盗や村を占拠する浮浪の退治に、浪岡北畠氏は翻弄された。だが、なんとか街道を掃除し、村々に年貢を納めさせると、雪の季節になった。疲れ果てた将兵は、これでしばらくは雪の中を籠るだけだ、と内心で安堵した。 
 だが、この冬こそは凄惨な季節になった。一面の雪に覆われた浪岡城内で小競り合いが頻発し、積もった雪をかき分けるようにして、しばしば士兵が走ったからである。
 真冬の戦闘など、ありうべからざることだった。城内の舘と舘のあいだで、将兵の衝突が起き、雪が黒くも赤くも汚れた。もみ合ううちに誤って堀に落ち、張った氷を割って沈めば、たちまち凍えて死ぬ者も少なくない。
 雪がまだ積もりだした頃、浪岡城南東の廓、猿楽舘が焼けたのが、はじまりだった。
 猿楽館の半分の主、宰相公といえば北畠氏一族の中でも筋目の正しい家であり、重臣の筆頭格のひとりだったが、「川原御所の乱」の後始末では、西舘の左衛門尉―現在のご名代と揉めていた。謀反人をことごとく討ち取った若い左衛門尉が、幼い当主を押し立て、たちまち実権を握ったことへの憤懣がある。さらに、宰相公がもとから川原御所に親しかったのが災いした。
 折あしく、風邪をひいて行事への欠席が続いた。それだけで叛心ある証のように言われてはたまらないが、ご名代が不審の目を向けているというのが公然の秘密のように語られるようになった。
(頼るべきは、東舘の千君公、新舘の強清水殿。)
 同じく不遇をかこつている一族の者と組んで身を守ろうとしたが、ご名代はこうした動きをこそ待っていたのだろう。
 千君公はすでに抱き込んでいたから、密談の内容は手に取るように知れた。それが大したものではないのはわかっ ていて、叛心を咎めだてる。罪を負わせ、罰として隠居と代替わりを命じた。そこまでは筋書き通りであった。
 ご名代―左衛門尉にとって意外でもあり、苦々しかったのは、代わって当主の座につけてやろうとした宰相公の若い息子が公然と不平をならしたことだった。
「老父が濡れ衣を着せられたのを、喜んで家を継いでは名折れである。」
というのである。
 孝の徳を言い立てられたことは、いうまでもなく左衛門尉をひどく刺激した。
(愚かな。父親が何だというのだ。それも、命まで取らずに済ませてやろうとしたものを!)
 怒りのあまり左衛門尉が、ついに宰相公の家ぐるみを改易し平人に落とすと決めたとき、覚悟を決めた親子は兵をあげた。絶望的な籠城であり、猿楽館はたちまち囲まれたが、寄せ手がみな息を呑んだのは、降伏を勧告しようとした矢先である。
 堀の向こうに、磔刑の柱が掲げられた。そこには、宰相公の孫にあたる幼い長男と次男がうなだれていた。白装束の屍衣姿である。すでに縊り殺されていた。嫡孫も殺したうえは、決して投降はしないという、一族討死の覚悟を示そうというのであろう。
「……天晴なり。正々堂々、討ち取って武家の最後の花を咲かせてやろう。」
 攻め手の大将となっていた東館の千君公が、裏切りの気まずさもあってか妙に高ぶり、突撃を命じた。
(また、厭な戦じゃ!)
 思ったのは、新三郎だけではあるまい。血腥い戦の果てに、宰相公一族は館に火を放って全員が死んだ。火は燃え広がってしまい、猿楽館とその自慢だった能舞台も焼き、お抱えの猿楽師たちまで火に巻かれる始末であった。
「叛徒の末路は、かくの如し。」
 ご名代は高らかに宣言したものの、つけくわえて、
「斯様の揉め事はこれ限りにせねばならぬ。ご病臥の四位さまにも、幼き御所さまにも、申し訳が立たぬ。」
と言ってしまったのは、城内での凄惨な内乱にさすがに感じるものがあったからだ。
 むろん、その言葉どおりにはならなかった。
 
 あいつづく謀反人の誅滅によって、御所に対抗する「野党」の勢力は分断された。だが、このためにかえって、互いに疑心に駆られた一族間の揉め事が頻発するようになった。 
 まず恐慌をきたしたのは、行きがかり上、宰相君家と並べてあやうく滅ぼされかねなかった新舘の強清水殿である。当然のことながら、寝返った千君公をまず憎み、警戒と挑発を互いに繰り返す。
 東舘と新舘で衝突が起きれば、御所―内舘と西舘が仲裁に回らねばならないが、これがしばしば兵事になってしまった。城内の他の北畠氏一門や領内の舘を預かる有力家臣も、傍観してはいられない。雪の日々、目まぐるしく敵味方が入れ替わる衝突が絶え間ない。
 新三郎たち「御所」の備(そなえ)、すなわち浪岡宗家の部隊はなお優位であり、いわば警察軍的な役割を争いの場で果たしていたが、どちらか一方と戦う局面にもしばしばなった。
「なんだ、蠣崎新三郎、お前か。」
 猿楽舘の廃屋のひとつに立て籠もった形で交戦していた強清水殿方の士が、「警察」の小隊長格のひとりとして突入した新三郎に、懐かしげに声をかけた。春先にこちらの見舞いに来てくれた、西舘さま―いまのご名代さまの近習だった男だ。
 先輩こそ何故ここに、と言う意の問いを、新三郎はせずにおられない。
「おれは、こう見えて強清水殿の妾腹の子じゃ。……東舘と争うとなれば、ご名代にお仕えしてはおられぬ。」
「道理。されど、ひとまず終わりでござろう。こんなところで一所懸命も阿呆らしうはありますまいか。」
 そのとき、斬りかかってきた強清水殿方の雑兵を、新三郎は突き伏せた。蝦夷足軽たちが、慌てて主人の周囲を守る。話をする余裕ができた。
「その様子、性根も直ったようじゃな。……わかっておるよ。気の毒に、この男も死んだが、死人は最初ではない。だが、新舘の本備(本軍)は動いてくれぬらしい。東館もこれ以上は出て来ん。どうやら、騒ぎはここでまたひとまず終りらしい。」
(そして、あなたあたりが、この騒ぎのすべての罪を被ることになりかねぬのだ。)
 新三郎は内心で叫んだ。北畠一門の方々はよいところで手を打ってしまうが、直接干戈を交えた者たちが責めを負わされる。絶え間ない衝突に駆り出される将兵はどこの配下も皆、疲弊しきっている。
(こんな内輪もめを、いつまで続けるのか?)
 気のいい元同僚はにやりと笑い、
「新三郎、かくのごとく戦さ場に出てくる身こそは、つらいの。……縛についてやってもいいが、腹を切らされるのも、首打たれるのも気が進まぬ。」
「お逃げなされ。」
 新三郎は、思わず叫んでいた。
「逃がしてやる、とは言いませぬ。わたしと斬り結んで、隙をみて逃げなされ。我が足軽一人二人、追っ手に付けましょう。それらが目くらましになる故、城を抜けたら南(大光寺南部氏)にでも西(大浦氏)にでも逃げなされ。津軽の外でも構わぬ。」
「追手が目くらましに付いてくれるか。蠣崎はやはり、面白い知恵を出す奴じゃったの。西舘さまが買うたわけよ。」
「早く。」
「逃げねばならぬかね?」
 新三郎は、わざとらしい声をあげて、大上段に斬りかかった。刃をあわせると、
「今だけのことではない。このたびはこれで終りでも、憚りながら強清水殿はいずれ謀反人とされよう。新舘はもうおしまいじゃ。お逃げになられたほうがよい。」
「言うたの? おれは新舘浪岡の端くれじゃ。その強清水殿が滅びるというのに……。」
「じゃからこそ、」新三郎はあらためて打ち合って見せると、「あなたが生き残って、血を絶やさぬようにされねばなるまい? いずれ、ころあいを見て戻ってこられればよかろう。」
「新三郎、……いずれ、と言うたか。そのいずれは、来るかの?」
「……?」
「浪岡御所は、この有様では、長くあるまい。」
 新三郎が絶句すると、相手は殺気を込めて斬りかかる。反射的に、新三郎の刃が、その胴から胸を斬り上げた。かつての同僚は、血を噴きながら新三郎の肩に縋り、支えられる。
「……謀反人の首をとれ、蠣崎新ざ……、て、手柄に、……なるかの? ……いや、さようにせよ。……どうか、……してくれ。」
(このたびのこと、あなたの責にせよとのことじゃな?)
「わかり申した。北畠さまご一門のあなたが、新舘勢の主将じゃったな。兵の暴れを止められず、戦いになってしもうたと。その責をとられて、み、見事に……討ち死にされたと。」
 聞こえているのか、すでに絶息していた。

 こうしたこともあり、新三郎の心身も疲弊したまま、春を迎えた。天候の通り、陰鬱な空の下の、厭な冬だった。
 めでたいことがあったとすれば、永禄六年の新春早々、蠣崎千尋丸を元服させられたことだけだったであろう。
「もう死んでもよい。新三郎、おぬしのおかげじゃ。」
 じいじどのがいつもの口癖を言いつつ泣いて喜んでくれたのが、心の慰めになった。
(これが潮時かもしれぬ。松前に帰ろうか?)
とふと考え、何を思ったのだおれは、と訝しい。前にじいじどのに約束したこととは違うし、さらに……。
(おれは、姫さまのおそばを離れたくない。)
 それなのにこんなことをふと思ったのは、また疲れているのだと思った。
 そうであろう。
 新三郎が、油断してしまったのも、疲れで判断力が鈍っていたからに違いない。



 
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