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第二章 宴の夕 その三

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「蝦夷にも、剛の者はおりまするとか。」
「戦のことまで耳にしたか。天才丸は、そなたになんでも喋るのじゃな。」
「さ栄が尋ねますもので。」

 火がかかり、百姓の中にも手負いが出たことで、戦場の空気が荒んだ。
(いかぬ。)
 天才丸の心づもりでは、この夜は野盗ども七人をすみやかに捕殺すればいいだけのことだった。合戦騒ぎにしなくてもいい。誰にも頼まれぬのに、童形の少年はまるで主将か軍師のように絵図を描いていたが、それとは違うことが目の前で起きはじめている。
 勝ち戦に逸った浪岡の兵が、略奪暴行に奔りだしたのである。
おいっ、と叫んだときには、周囲を固めていたはずの自分の郎党たちも、燃えもしていない百姓家に走りだした。固く閉じた戸をこじ開ける一団に加わってしまった。
「らんぼうは許さぬ。」
 再び叫んだが、周囲をみると、足軽程度のものではなく、それを束ねる備(そなえ)(部隊)の組頭クラスの中にすら、家々に侵入しようとしていた。戦の習いだというのだろう。
(上の方々が、これは止めねばならぬのじゃ。)
 天才丸は功利的に考えている。せっかく寝返らせた相手を傷つけてしまっては、今後に差し支える。浪岡北畠氏の爾後の戦略の問題ではないか。ましてや、ここはご領内であろう。馬鹿げている、左衛門尉さまはなにをしていやがる、と天才丸は思った。
(やむを得ぬ。蠣崎の兵だけでも止める。)
 暴行略奪を目にすること自体、やはり厭だった。それを自分の預かった郎党がするのを見るのは、耐え難かった。
 天才丸は馬から飛び降りた。悲鳴が漏れ聞こえる家に駆け込み、百姓女にのしかかっている、見知ったアイノ兵らしい背中を鞘ぐるみの刀で思い切り叩いた。
「やめよ。蠣崎の者は浮浪の真似を許さぬ。」
 アイノ兵―たしか弥助と和名を名乗る、よい齢の男だ―は、肩の骨を抑えて転がりまわった。仲間たちが、色めき立ったのがわかる。
 これだけでは足りぬ、と考えた天才丸は刀を抜き、そこにいた他の家の兵たちにもあわせて呼ばわった。
「山手に逃げ込んだ者を追う。ついて参れ。儂は御所さまのご一門にも等しい猶子である。我が命は西舘さま直々と知れ。」
 兵たちを追い立てる。

 次の朝、蝦夷足軽たち五人の姿が蠣崎家からことごとく消えていた。
 覚悟はしていたが、天才丸は自分の顔が青くなるがわかる。じいじどのや千尋丸に、申し訳がたたぬ。じいじどのも驚いたらしいが、話を聞くと、笑ってくれた。
「兵の狼藉を止めるのは、将たる者の役目。……間違っとりゃあせん。それに、蝦夷足軽など、いくらでもまた集められよう。」
(そうもいくまい。)
 幸い、誰もいきがけの駄賃とばかりにものを壊したり盗んだりしてから逃げてはいないようだ、とはわかったが、天才丸は身が縮まる思いしかない。
(あいつらはそこまで気が回るまいが、西舘さまの名を騙ったのもまずかった。)
「余計なことをしたな。」
 と、声がかかる。
「あ、おぬしは残ったか。」
 蠣崎の抱えていた蝦夷足軽の中でも若い、瀬太郎と名乗るアイノ兵だった。天才丸が内心で、最もまともな兵らしいと思っていた男だ。先の戦いでも、挙止動作の戦士らしさがとびぬけていた。
 和名を持っていることからわかるように、蝦夷の風体はあまり残していないが、短弓の技はたしかに受け継いでいる。他の蝦夷足軽のやかましい群れからは、離れていることが多いから、このたびも逐電に加わらなかったのだろうか。
「残るといえば、他のやつらも残ってはいる。……おれは、あんたを呼びに来た。」
 治助は肩を割ったぜ、当分は働けねえ、と瀬太郎は天才丸が打擲したアイノ兵のことを言った。
「そうか。だが、気の毒だとは言わん。」
「あいつには女房子供がいるんだ。」
「……案じるな、と言え。治助の肩が治るまで妻子が飢えぬようには、おれがする。」
「そうかい。直接そう言ってやれ。……だが、あいつらは、あんたを締める気でいる。付いてくるか?」
 天才丸は頷いた。
「あらためて言い聞かせる。蠣崎の兵は、浮浪の真似はしてはならぬ。蝦夷といえども、兵である以上は、物は盗ませぬ。女子どもには手を出させぬ。」
「あいつら……おれたちには、ろくな恩賞もない。それくらい許してくれないのかい。」
「もののふの誇りあらば、当たり前のことじゃ。おれの知る蝦夷島の蝦夷の武辺は皆、さようであったぞ。」
 そう言った瞬間、あっと飛びのいた。前を歩き出していた瀬太郎が、いきなり腰の剣を抜いて、天才丸めがけて振ったのだ。
「シャムのわっぱ。お前なぞに、おれたちの何がわかるか。」
 天才丸も剣を抜いた。
「あるじに向かって、その口の利き方はなにか。」
「なにがあるじか。おれが一言いえば、あいつら、お前なぞが大きな顔をする、こんな家は出ていくわ。もうろく(爺い)さまがどう言おうと、そうたやすく代わりのアイノなど見つかりはせぬ。おれが許さぬ。」
 ほう、と天才丸は感心した。
「見たところ若いのに、お前が蝦夷足軽の頭領格だったのか。」
「親父殿の代から、そうよ。」
 瀬太郎は、どうやらアイノの戦士の家系らしい。刀のぶつかり合う激しい金属音とともに、逆にぱっと身が離れて、またふたりは距離をとった。瀬太郎はふふっ、と笑った。
「……なにが、若い、か。あんたなんかよりも、おれはずっと年上だ。」

「結句、蝦夷足軽どもは蠣崎に残ったのじゃな。」
「天才丸の誠意(じつ)が通じたのでございましょう。」
とは言ったが、さ栄もさほどに甘いことばかりとは思っていない。ただ、ややそれに近いとは思っている。
(瀬太郎とかいう蝦夷には、鬱屈(いぶせさ)があったのじゃ。蝦夷の身では、どれほどのもののふとて、浮かぶ瀬は無い。……若い、風変わりな主人が、それを変えてくれると期待したのであろう。)
(わたくしを使いおって……。)
 さ栄は少し、小憎たらしい。天才丸は意外に抜け目がない、とわかった。

 怒りのあまり剣を振ってしまった瀬太郎と斬り結ぶうちに、お前ほどの腕ならば、武士にもなれよう、とでも言ったのだろう。自分がもうすぐ童形を脱し、出世もすれば、武家への取り立ててやるとて夢でもない、と囁いたに違いない。
 むろん、瀬太郎は子供ではないから、うまい話を信じはしなかった。内心ではかえって新たな怒りが湧いたかもしれない。口から出まかせを言いやがって、と剣を収めて、また鼻で笑ったそうだ。
そして、安心しろ、斬り殺すのはやめた、あんたを締めるのもやめさせるが、治助の薬代だけは出してやってくれ、と言って立ち去ろうとした。
 だが、天才丸はその様子をみて、よかろう、信じぬというのなら、証だてに我がおんあるじである無名舘の姫さまのお顔を眺めさせてやる、と言ったのだそうである。
(わたくしも、悪い戯れに乗ってしもうた。)
 あれはこのたびの戦で功あり、その感状がわりの誉れに、遠くから尊きお姿を眺めさせてやって下さいませ、と頼んできたのに、面白がってつい頷いた。
 だけではない、無名館の屋敷の遠く離れた庭に二人がこちらを臨んで平伏しているのがわかると、この離れの生垣まで手招きし、お声かけまでしてやった。
「瀬太郎とは、そちか。……天才丸より、聞いた。たのもしげなり。」
 天才丸がむしろ慌てふためいていたが、蝦夷の青年は悪びれずに頭を深々と下げた。

(これは御所さまには黙っておいてやろう。いや、天才丸だけではなく、わたくしも叱られる。)
「蝦夷などの不心得、お耳に入れますのも恐縮にございましたが、……。」
「いや、面白い話である。」
「まことに、面白い子がおるものですね。蝦夷島から来た者は、みな天才丸のように面白いのでしょうか。」
「さでもあるまいが……。」
「御意にて。天才丸は、とりわけ賢い子なのでしょうね。玄徳寺さまで四書五経を教わっているようですが、どうやらすでにかなりできていると。御文庫の漢籍も楽に読めているとかで。お歌なども、さ栄などではあまり教えられることがござりませぬよ。」
「さ栄……?」
「松前などというのは余程の僻地かと思っておりましたが、『万葉』や『光る源氏の物語』がちゃんと渡っているのですね。天才丸は、そうした書物なら、あちらで『庭訓往来』をおぼえる傍らに読んだなどと、言うておりました。なにやら、威張って。若紫のくだりが面白いなどと……子供が、『源氏』の若紫のと、あんなもののなにをどこまでわかったものやら?」
 さ栄はころころと笑った。御所さまは目を見張る思いだ。
「それも、蝦夷地で、でござりますよ? 商いの船で上方にも直接につながっているから、さようになるのでございましょうか、言葉すらも、津軽よりもむしろ上方風のところがありそうで。あれの生まれた場所だけに、不思議な……。」
「さ栄、そなた、天才丸の話ばかりじゃな。」
 さ栄は言葉に詰まってしまった。
「よいのじゃ、あの番役がよく勤め、……可愛がってやれるなら、まことによいことじゃ。」
「畏れ入りまする。されど、さほど、……さほどには……。」
 顔に血がのぼるのを感じている。
 御所さまは、口には出さぬが、兄としてうれしい。このはっさい(おしゃべり)ぶり、もとの妹に戻ってきよったわ、と喜んでやりたい。
「父上のおすさび(お気まぐれ)の見立て(思いつき)も、ときに悪しからず。」
さ栄は黙って低頭する。
「長居した。」
 立ち上がったところに、妹は畏れながら、と顔をあげ、
「御所さま。一つお尋ねが。」
「わかっておる。差し出がましい真似は、してやるな。……わかっておるわな、そなたは。」

 
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