魚伏記 ー迷路城の姫君

とりみ ししょう

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第二章 宴の夕 その一

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第二章  宴の夕

「蠣崎? 津軽の蠣崎家でござりますか?」
 そういう家があるのは、知らなかった。
 若狭武田氏の一族だったという武田信広公が蝦夷島に渡りついた百年も前の享徳年間(一四五二-五五年ごろ)、これを婿養子にとって家を継がせた蠣崎家は、すでに「渡党」として蝦夷島の南岸に張り付いていた。
 今の蠣崎家はこの武田信広を家祖扱いし、不思議なことにその前の蠣崎家の起りには無関心だ。武田氏の流れだから若狭源氏を称しているのだが、では、もともとの蠣崎氏はどうであったのか。
 天才丸は松前にいたとき一度、このあたりを義兄の南条に尋ねてみたことがあったが、はぐらかされた。主家の素性をおもんばかってのことだろう。ついでに言えば、南条家のほうがもとは蝦夷島での安東家家臣としては上席だった上に、坂東武士の末裔という流れもまだたしかだ。
「南部の家臣であった、蠣崎という家がある。今は浪岡のお家にお仕えしておる。」
 姫さまの家の客間を借りて上座に座った浪岡武士は、いわば辞令を伝えに来たのである。頭を上げた天才丸の思わず出た反問を叱らず、答えてくれた。説明してやれと言われてきたのであろう。
「おそらく、ぬしの実家、蝦夷代官家のゆかりの者ではあろう。そこから蝦夷島の蠣崎家が出たのではないか。」
「仰せの通りにござりましょう。」
「本家」と言うのは松前でもついぞ聞いたこともなかったが、だからといって逆に蝦夷島から津軽に渡ったとは考えられないわけである。
 そこに属せよ、というのが言わば辞令であった。
(いよいよ、元服……?)
 そして、その津軽蠣崎家を継げとでも言ってくれるのだろうか。父に相談しなければならないが、悪い話ではない。
 だが、使者は困った顔になった。少年が何を期待したかは、わかっている。
「蠣崎、あのな、元服についてであるがな。」
「はい!」
「西舘さまの仰せには、……」
 天才丸は内心で悲鳴を上げた。次の間でも、ごとん、と音がしたのは、どうしたものか。姫さまが聞き耳を立てておられたのかもしれない。
「西舘さま、で、ござりますか?」
「このお話は、ありがたくも、西舘の『兵の正』さま、つまり左衛門尉さまからなのじゃが。……蠣崎、ご一門のお名前が出たら、畏れ入れ。」
 茫然として硬直していた天才丸は、あわてて低頭した。
「蝦夷島の蠣崎家から小童が出仕してきたのは知っていた。浪岡北畠の士として恥ずかしいようでは困る。幸い係累らしい家があるので、そこでまず仕事を覚えさせよ。……とのことじゃ。」
「有り難き幸せにて。」
 なんなのだ、とあれこれ疑問に思わざるを得ないが、元服や猶子の話が消えたわけではない。たしかに、その蠣崎という家で働くうちに、浪岡北畠の武士らしくもなれるかもしれぬ。
「うむ、天才丸、それでよい。」
「あ。」
「なにか?」
「蠣崎天才丸はただいま、この無名舘で姫君さまの番役を仰せつかっております。」
(左衛門尉、そのつもりではないのか?)
と、天才丸は歯噛みする思いだ。自分を姫さまの番役から引きはがして、己の邪まな思いを遂げようとするではあるまいか。
「ああ、それは続けられぬな。」
(やはり。ならば、この話は断るしかない。)
 憤慨とともに、ただちに心を決めた。だが、何も知らぬ相手は浪岡御所の者らしい品のいい微笑を浮かべて、
「しかし、有り難いことじゃが、このお家で、姫さまに行儀を教われとのことじゃ。」
「え。どなたが?」
「どなた、とは。ぬし、聞いておったのか? 西舘さまがそうおっしゃった。武芸だけでは北畠侍は務まらぬ。お勤めの合間に、お歌とお茶を教わるようにとのことじゃ。それが番役の仕事でもあって、御所さまのご命じはそのまま、妹君たる姫さまをご身辺にてお守りするように。ただし、これまでのように、そればかりまる一日で、暇ではいられぬぞと。」
 天才丸は意外の念に打たれたが、とりあえず伝えられた西舘さまのお言葉に平伏して見せた。戸越に見えぬ隣室で、また物音がする。
 わざわざ縁から回って、姫さまが何食わぬ顔であらわれた。慌てて立ち上がったに違いない。
「ご公務のお話、耳に入ってしまいましたが、少しよいか?」
 二人が低頭すると、使者に譲られた上座に急ぐように着くや、
「天才丸、良いお話をいただいたのであろう。ここと蠣崎とのあわせての勤めとはご苦労じゃが、左衛門尉さまのお目に留まっていたとは、めでたい。是非もなく、お受けせよ。お仕事の合間に歌や茶道具扱いの手ほどきくらいは、さ栄でも、してやれましょう。」
 とだけ早口でいうと、わかったな、と目で念押しし、使者の武士には軽く会釈して、さっさと出て行った。天才丸は、安心したような、おかしいような、温かい気持ちになる。
(ご心配いただいたのであろう。おれが変にあの夜にかかずらう(こだわる)ことのないように、と。)
「おあるじさまのお許しもありましたので、蠣崎天才丸、謹んで蠣崎本家(―と言ってみた)でお役につきまする。」
「うむ、天才丸、その様子では元服は遠くない。励め。……ただ、儂から伝えておくべきは、まだある。その蠣崎本家、のことじゃ。ここからは、まあ内々に教えてやるようにとのことじゃった。」
「はい、よろしくお教えください。」
「悪いが、その、……たいした家ではない。侍大将だのの、大身を思い描いてはいかぬ。」
後に言う、上士階層ではない。大した所領をいただいているわけではなく、お蔵から俵米を頂戴する家柄だという。
 もともとは南部領内の小土豪で、その地名もある。かつては海岸沿いのその地で大いに威勢があったが、一時、主家に背いて誅伐された結果、衰弱した。ここで謀叛の張本人は蝦夷島に逃れたとも言われるが、蝦夷島にはそれ以前から蠣崎家はあったらしいし、松前の蝦夷代官家との関係も定かではない。
 いま浪岡に仕えるのは、客将格だった北畠氏の浪岡入城を南部氏が下国安藤(安東)氏牽制の目的でお膳立てしてやったときに、ついてきた家だそうだ。代を重ねるたびに力衰え、今は足軽大将とまでもいかないところまで、要するに落ちぶれた。
「ことに近年は、当代が病に倒れ、十歳にもならぬ跡取り息子を残して死んでしまった。仕方なく隠居の先代がお役に戻って勤め、惣領の元服までを支えようという。……ぬしは? 十三か。うむ、要するに、ぬしがこの隠居返りと幼い惣領を手伝ってやるのじゃ。」
「はあ。」
「そう、がっかりした顔をするな。」
「しておりませぬ。」
「ご城中ではなく、お戦さ場にてお仕えする家じゃ。小身なれど、馬の一頭は持っておるじゃろう。」
「ようございますな。しばらく乗っておりませぬ。」
(どんな痩せ馬か、わかったものではないが……。)
 とは思いながら、天才丸は久しぶりの馬上の疾走感を思って、心躍った。
「いい忘れた。天才丸、おぬしなら蠣崎はきっと水が合うぞ。」
「はあ、松前の蠣崎でございますから。」
 痩せても枯れても蝦夷代官の家ぞ、あまり一緒にされたくない、とは思った。
「うん、まさにそれじゃ。おぬしは、蝦夷島の生まれ育ち。」
 蝦夷足軽、という耳慣れぬ言葉を使者は口にする。

(こういうことか。)
 天才丸は得心がいった。津軽者に自分たち蝦夷島の出がどう思われているか、わかる気がした。
 津軽蠣崎家は北舘に屋敷とも言えぬ簡素な古家―さ栄姫さまのお住まいと変わらぬ程度の大きさしかない―を貰っていたが、たしかに馬を持ち、中間や小者もいた。しかし、数人はいなければならぬ戦闘員たる郎党は、五人ほどの「蝦夷足軽」であった。
(たしかに、おれは馴染んでいるよ、こやつらには。)
 この当時の松前は蝦夷―アイノと和人―シャムの雑居地であったから、松前大舘にも大勢の蝦夷が働いていた。アイノ兵も、松前蠣崎氏は抱えている。
 この津軽蠣崎家の「蝦夷足軽」も、要はアイノ兵であった。
 ただ、松前のみな強稈なそれとは、随分違う印象である。言葉は和語を使うし、身なりもかなり和人風に染まっている。手にしている粗末な武具も、アイノのそれではなかった。
 一方、松前にいるアイノ兵は根っからの戦士であり、その容儀にも武具にも誇りが強い。和人風の刀こそ腰に差すが、先祖伝来の武器である剛い短弓を手放すことはない。下手に足軽扱いで当世風の武具を持たせようとしても、頑として拒否した。たしかに巧みに毒矢を操り、身体は誰も小柄ながら分厚く、膂力も見るからに強かった。
 それに比べると、津軽蠣崎家の庭に集められた四、五人のアイノは、およそ戦士、あるいは職業軍人と呼ばれるべき者ではない。
(要は、食い詰めた連中が仕方なしに戦場に出ているのではないか。まさに足軽……と言うより、浮浪の徒でしかないな。)
 天才丸の見立ては正しかった。この奥州アイノの小柄な男たちは、飢饉や天災、そうでなければ領主や商人の横暴に苦しめられ、あるいは酒や賭博に身を持ち崩して、先祖代々のアイノの生活を喪った、いわば零落者たちだった。生産力のまだ低い奥州の土地で、食っていける農民にはそう簡単になれぬから、浮浪に身を落すのが厭なら、最下層の兵士として雇われるしか生きる道がない。たまの戦場働きのご褒美代わりの略奪暴行が楽しみのような連中で、このあたりはそれこそ浮浪、野盗とあまり変わらないのであった。
 説明してくれたのは、この蠣崎家の老当主だ。まだ元服前の天才丸を見ても、歓迎してくれた。西舘さまなどのお声がかりがあってのことというのは、家の存続のことしか考えられぬこの老人―蠣崎内蔵介にとってはありがたいと思えたし、まだ子供とはいえ、天才丸はこちらにきてずいぶん背が伸びた。頼りになるように見えたのだろう。
「松前の蠣崎家との間には残念ながら、この何十年も行き来がなかったが、ようやく、わぬしが来てくれた。千尋丸をよろしく頼む。」
 横でその八歳の男の子が低頭してくれた。
「千尋。天才丸じゃ。よろしく頼むぞ。わたしは蠣崎のご当代、内蔵介さまに教わって手柄を立て、このお家のためになるつもりじゃ。」
「じいじでよろしいぞ。」
「では、さようにお呼びいたします。お互いにまだ童じゃが、きちんとお勤めすれば、すぐに元服できる。わたしはさようにしたい。おぬしもそれに続け。」
 千尋丸は素直に頷いた。このあたりの五つの齢の違いは大きい。幼い目に、天才丸は立派な若者に映ったのであろう。
 にこにこしながら孫たちの様子をみている蠣崎内蔵介に、天才丸は気になっていたことを尋ねた。
「お尋ねしてよろしいでしょうか、内蔵助どの。……あ、じいじどの。このお家も、松前の我が家と同じく、若狭源氏の流れで?」
「若狭源氏?」じいじどのはまた、愉快そうに身をゆすった。「さあ、それは聞いたことがござらんの。」
 天才丸の表情が沈んだのを見て、じいじどのは慌てた。
 衰えた小身とはいえ、この蠣崎家も武家である以上、それなりの家系伝承はある。だが、信ずるに足りないものだというのはわかっていた。蠣崎家は津軽の小土豪があるときから南部家の支配に属したもので、南部氏が東国入りした鎌倉期以来の家臣ではないらしい。武家としての出自はそうたいしたものであるはずはないのである。しかし、それでは少年のやる気にかかわると思えたから、言い添えた。
「天才丸どのもご存知の通り……」
 と、じいじどのはこの小さないわば「客将」に丁寧な言葉をまた使ったが、天才丸本人は、いえ、わたくしはご本家に厄介(いそうろう)のまだ子供、よければ呼び捨ててやって下され、とへりくだった。そこで、さようよの、孫がもう一人できたように思えるものな、と笑って口調を改め、
「蠣崎家は南部様の家臣であった。南部は坂東より下った、もとは甲斐源氏のお家柄。我が家もまた、甲斐源氏とも伝わっておる。」
「……なるほど、武田家とは、そういう繋がりでございましたか。」
 頷いてみせると、じいじどのもほっとした様子なのを、少年は目ざとく観察した。そして、おれの内心の落胆を隠せたかと安堵した。
(たしかにこの津軽蠣崎は、たいしたことがなさそうじゃ。)
 それはいい。問題は、松前の蠣崎家はこの家と決して無縁ではないだろうことである。松前蠣崎家の家祖扱いされている「若狭源氏」武田信広は、まずは津軽に落ち、そこから安東さまの渡海に従って蝦夷島に渡ったとされる。そこで大功あり、もともと蝦夷島に定住していたとも安東さまご渡海につき従ったともいわれる蠣崎家の養子に入った、というのだが……。
(我が家もまた、どうも若狭源氏の家系が疑わしく思えてならぬ。信広公は、まことに若狭源氏武田家のご出身であったのか? いかなる経緯で蝦夷の蠣崎家に養子に入られたのか?)

「ほう、それを気にしだしおったか。」
「それで、言うのでござりますよ。」
 さ栄は長兄である御所さま―浪岡具運の前で、おかしげに表情を崩した。
「いつかは、若狭で調べてみたい、と。若狭武田さまに尋ね、文書を漁って、その、信広公ですか、その人について詳しきを明かし立てたとうござる、……のだそうで。」
「笑うてやるな。」
 と言いながら御所さまも、笑みを抑えられない。妹が天才丸の口吻を真似してみせたのが、うれしくてならないのだ。
「ああいう家の者だからこそ、胡散な(うさんくさい)家系を誇りにせざるをえないのじゃ。」
「笑うてはおりませぬ。殊勝と存じまするよ。」
 そうは言いながら、名家北畠氏の兄妹は、さすがにこうした点については容赦ない。天才丸の気持ちにも、理解こそあれ、結局は鈍感であった。
 御所さま―具運は、鷹狩の帰りに、無名舘に立ち寄っている。
(短い間に、いくらかも達者になりおった。)
 侍女のふくなどを通じて奥の女人たちから聞かされていたが、この目で妹の元気な様子を確かめられてうれしい。
「現に、お戦で、手柄を立てたとか。」
「戦? 天才丸が、か?……ああ、あれのことか。たしかに。」

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