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終の段 すずめ(二)
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すずの働くのは、店ではなく、そこから少し離れた、今井家の屋敷である。小間使いというべき役であるが、仕える相手は大旦那様(今井宗久)や旦那様(今井宗薫)のご一家ではない。
旦那様の末の妹さまだという、女のひとだった。いくつもある離れのひと棟を貰って、起居しておられた。
痩せた、顔色の悪い、三十くらいかとみえる物静かな大年増で、これが「御寮人さま」である。
小春さんの直接の主人もこのひとらしく、側についていないときのほうが少ないようだった。
納屋ほどの大店でなくても、店と奥(主人家族の住居)とでは使用人もはっきりと分けられている。現にすずの仕事もお屋敷の中でほぼ完結して、お店の仕事は掃除や炊事すら回ってこないのが普通だ。だが、小春さんだけは、御寮人さまのお身の回りの世話の差配だけではなく、お仕事の一部もお手伝いらしい。
御寮人さまはお店に出ていかれることはないのだが、どうやら、商いをなさっている。小春さんが指示を受けて、お店との間を取り持っているのが聞こえた。すずの村などの近郷に出かけるのも、しばしばであった。
(小春さんは、なにか別儀らしい。)
すずは、お屋敷に着いて、すぐに気づいた。年嵩の使用人すら、この若い女をどこか畏怖している気配があった。小春さん自身は、なにも威張たりはしてはいないのだが。
最初に女主人にすずを引き合わせたとき、その小春が、見るからに緊張している様子だった。
「御寮人さま。この者に今日より、お身の回りのお世話をさせとう存じます。」
なにか、さあ、とお一言を期待している。だが、御寮人さまは点頭されると、
「それは苦労。」
「……御寮人さま、この者、赤の他人の摂津生まれ育ちではございますが、……ございますが、……」
御寮人さまは困った様子で微笑んで、次の言葉を待つ様子だ。小春さんは、根負けしてしまったらしい。
「……いえ、ご覧のとおり、これも、……これもまだ小さな子どもにございまして、最初はご不便もございましょうが、とく(すぐに)お役に立てるかと存じます。どうかまた、……また、お仕込み下さいませ。」
「左様いたそう。」
至極あっさりしたものであった。
(あたし程度を雇うなど、まあ、このようなものだ。)
とはいえ、穏やかな御気性であるのが、ご様子で自然に知れた。あまりお喋りにならない、ともわかった。
このときも、すずの挨拶を微笑んで聴き、頷かれただけで、一言、
「励めや。」
と、少しかすれた声をかけてくださった。それだけであった。
御寮人さまには、お仕事のお部屋がある。そちらに戻っていかれた。すずは毎日出入りすることになるが、珍しい、南蛮のものだろう黒い机に塞がれた、この昼間にもややもすれば灯火のいる一室だった、大抵は一日、この「納戸」にお籠もりだと知ることになる。
なにか歯がゆい様子になった小春さんの多弁が、このとき、むしろ目立った。
「すず、すずめに戻るか?」
と聞いた。呼び名をいっそ、すずめのままにしておけばよかった……と思っている。
「どちらでもようございますが?」
「いつか、お話しできるときがくれば、本当の名はすずめだ、と申し上げてみよ。」
「はい。」
すずのすずめは、ほんとうにどちらでもいい。せっかく堺に来られたのだから、たいして面白くも懐かしくもない村での名前、好きでもない奇妙な名前は捨ててしまってもいいくらいに、少女は思っている。
そして、すぐに気づいたが、たしかに呼び鈴に呼ばれるのが仕事になった。
(すず、でよいわ。)
御寮人さまは、手のかからぬご主人だといえた。変化のない毎日を、静かに暮らされている。
二間と「納戸」、手水のある離れには、ほとんど御寮人さまと小春さんしかいないし、滅多にお客も来なかった。
すずは、ほぼ決まりきった時刻に、決まりきった仕事をすればいい。お床を上げ下ろしする。母屋から膳を運び、掃除をする。今井さまらしく、時折、お茶をおたてになるので、そのときは炉の炭をもってあがる。鈴が鳴れば、仕事の手を放して駆けつけるが、そこでお手短に頼まれる作業も、ごく小さい。外へのお使いなども、多くない。(すずは、繁華な港町の堺をもっと見て回りたかったから、それだけが小さな不満だ。)
離れの中のわからないことは、小春さんが、たいてい先回りして教えてくれた。思った通り、親切な女だった。ときにはその小春さんも二、三日どこかに行ってしまって心細いが、御寮人さまみずから、自分のいいつけた品が仕舞ってあるいつもの場所を教えてくださることもあった。すずはそれらを覚えてしまったから、不用意はすぐになくなった。
「おぬしは、おぼえがよい。」
御寮人さまからお褒めをいただくのもしばしばで、すずは自足で胸がふくらむ思いだった。
といって、すずは、時間を置いて―それはその日の終わりでもあり、仕事をのみこんできたひと月ふた月ののちでもあったが―思い起こすと、顔が赤くなったり青くなったりする失敗もしていたのだが、強く叱られた覚えがない。
荒い言葉や所作とは、およそ縁遠いご主人だ。
有徳人の家の方々とはいえ、皆さまがそうとも限らないのは、すぐにわかった。すずは御寮人さま付の者だが、もちろん人手が足りなければ、お屋敷全体での作業に駆り出されることも多い。そんなときに接する「ご本宅の方がた」(と、小春さんは呼んでいた)は、みなさまおっとりとされているようでいて、中には下女の不始末を直接叱り飛ばすような方もおられた。また、まだ子どもといっていい方々は、みな遊びたい盛りで我が儘であったから、すずは急に遊び相手にさせられて、心身がへとへとになる時もあった。
ご本宅や、ほんの時たまだがお店で他の使用人とともに働くそんなときは、しかし、すずにとっては楽しみな時間でもあった。齢の近い丁稚や小女には生来。気の合う者も、合わない者もいる。すずはその見分け、あるいは見切りに長けていた。大勢に可愛がられたといえる。
だが、気になったのは、すずの御主人が、そうした仲間たちに、さほどよく思われていないところであった。「離れ」(とは、ご主人一家の呼ばれるのが、下にも伝わったのであろう)とは、多くの使用人が自然に疎遠であった、それだけになにやら胡乱なものが感じられ、したがって意図的に無関心であるか、わけもなく嫌うのに決めているかのようであった。
すずに気を許して、根拠もなにもない反感を、ふとあらわにしてしまう年若い下女もいた。
「お前、離れのお勤めは大変じゃろう?」
「いえ? なにがでございますか?」
下女は口ごもる。実は、先輩が噂していたのを耳に挟んでいただけだから、なにと聞かれても困る。
「毎日、のらくら暮らしてらっしゃる。結構なご身分よな。」
「左様でしょか? いつもお机で何やらお書きですよ。お忙しい。」
それは聞いている。若い下女は、子どもに教えてやれるので勢い込んだ。
「あれが、ようわからんと、お店の方らは、いわれるねん。南蛮渡来の大福帳らしいけど、離れのお方以外は誰もよう読まん、出鱈目な代物じゃと。」
(よう読めんから、出鱈目だというのじゃろ。)
そう抗弁したなら、相手が気を悪くする。先輩たちに反感を持たれても仕方ないので、話題を少し変えた。
「御寮人さまは、おやさしいですよ。」
「離れの御寮人さま、じゃな。」
今井家には「御寮人さま」は何人もいる。ややこしい。
「それは、子どもにはそうじゃろう。……昔は結構、店の者にはお厳しかったとも聞いた。」
「へえ、左様ですか。いまは、とてもそんな風には見えませぬ。」
「あたしらは知らんが。いまはお家のお手伝いも、何もされておられんのじゃろう? へんな書き物ばかりで、ご商いの役には立っておられんと。」
(それは違う。)
月に二三度でしかないが、お店の手代が離れにやってきて、大福帳を開いてご商売の話をしているのは、何度もみた。そしてあきらかに、御寮人さまのお指図をうけていた。言葉はいつものように短く、細い指で大福帳をめくられては、何かを囁かれるのが主だった。
小春さんはそんなときは、黙って横にいる。
(そして、なぜかたいてい、がっかりしておられるの。)
「御寮人さま、今日は絵地図をご覧になりましたな。」
御寮人さまは、黙って頷かれるが、そうだが?という調子で、あとは何もない。
小春さんは何かいいたげだが、なにかをあきらめたようで、ようございます、といったあと、なにか一言だけある。そして、どこか悄然として南蛮机の部屋を去るのだ。
「そろそろ鮭の上るころでございますね。」
とか、
「今時分からこう寒いと、これよりもっと寒い土地はどうなることかと存じます。」
とかである。
御寮人さまの表情は、なにも変わらない。意味もわからぬのに、耳をそばだてていると、先ほどの話には、「まつまえ」という地名は何度も出てきたようなのだが……。
一度だけ、小春さんにきつく叱られて以来、「まつまえ」の名を御寮人さまの前では決して口にはせぬようにしている。
「わたくしは、蝦夷島には、行った覚えがないのじゃ。」
お部屋にものをお届けしたときに、金平糖をいただいた。そこで、どういう話の流れになったか、何の気なしに、松前にもこのお菓子はございましたか、と尋ねてしまった。
「松前?」
御寮人さまは、そう呟かれると、すずの顔をじっとご覧になる。そのまま、不思議な表情のまま、なにかを考える風で黙っておられる。
その沈黙に耐えられず、すずは、御寮人さまは松前のお店からいつお戻りでしたか、次にご渡海はおありですか、などと重ねて、主人にものを聞いてしまった。
御寮人さまはそこではじめて、困ったように微笑まれると、こういわれたのだ。そして、誰もいないはずの戸口のあたりに目をやると、近くに、と手招きされながら、
「あまり、わたくしに訊かないでおくれ。……謝らなくともよい。わたくしはよいのだが、小春さんに知られると、お叱りをうけるぞ。あのひとは、わたくしのためにそうしてくれるのじゃが。」
と、最後はすずの耳元で笑いながら、囁かれた。
お言葉通り、その場に姿がなかったはずの小春さんにすぐに呼びつけられた。自分の許しがあるまで、御寮人さまの前で蝦夷島だの松前だのというてはならぬ、ご迷惑をおかけしてはならぬ、と申しおかれた。すずは平伏するばかりだったが、つい、
「お商いは、小春さんが代わりに蝦夷島に行かれるので?」
「……すず。それがいかんと、たった今いうた。」
「申し訳ございません。」
(蝦夷島のことでなければよいのだろう。)
務めが長いはずの奉公人の男が、儂らにはなんのご説明もなかったのだが、噂によると、……と教えてくれた。
旦那様の末の妹さまだという、女のひとだった。いくつもある離れのひと棟を貰って、起居しておられた。
痩せた、顔色の悪い、三十くらいかとみえる物静かな大年増で、これが「御寮人さま」である。
小春さんの直接の主人もこのひとらしく、側についていないときのほうが少ないようだった。
納屋ほどの大店でなくても、店と奥(主人家族の住居)とでは使用人もはっきりと分けられている。現にすずの仕事もお屋敷の中でほぼ完結して、お店の仕事は掃除や炊事すら回ってこないのが普通だ。だが、小春さんだけは、御寮人さまのお身の回りの世話の差配だけではなく、お仕事の一部もお手伝いらしい。
御寮人さまはお店に出ていかれることはないのだが、どうやら、商いをなさっている。小春さんが指示を受けて、お店との間を取り持っているのが聞こえた。すずの村などの近郷に出かけるのも、しばしばであった。
(小春さんは、なにか別儀らしい。)
すずは、お屋敷に着いて、すぐに気づいた。年嵩の使用人すら、この若い女をどこか畏怖している気配があった。小春さん自身は、なにも威張たりはしてはいないのだが。
最初に女主人にすずを引き合わせたとき、その小春が、見るからに緊張している様子だった。
「御寮人さま。この者に今日より、お身の回りのお世話をさせとう存じます。」
なにか、さあ、とお一言を期待している。だが、御寮人さまは点頭されると、
「それは苦労。」
「……御寮人さま、この者、赤の他人の摂津生まれ育ちではございますが、……ございますが、……」
御寮人さまは困った様子で微笑んで、次の言葉を待つ様子だ。小春さんは、根負けしてしまったらしい。
「……いえ、ご覧のとおり、これも、……これもまだ小さな子どもにございまして、最初はご不便もございましょうが、とく(すぐに)お役に立てるかと存じます。どうかまた、……また、お仕込み下さいませ。」
「左様いたそう。」
至極あっさりしたものであった。
(あたし程度を雇うなど、まあ、このようなものだ。)
とはいえ、穏やかな御気性であるのが、ご様子で自然に知れた。あまりお喋りにならない、ともわかった。
このときも、すずの挨拶を微笑んで聴き、頷かれただけで、一言、
「励めや。」
と、少しかすれた声をかけてくださった。それだけであった。
御寮人さまには、お仕事のお部屋がある。そちらに戻っていかれた。すずは毎日出入りすることになるが、珍しい、南蛮のものだろう黒い机に塞がれた、この昼間にもややもすれば灯火のいる一室だった、大抵は一日、この「納戸」にお籠もりだと知ることになる。
なにか歯がゆい様子になった小春さんの多弁が、このとき、むしろ目立った。
「すず、すずめに戻るか?」
と聞いた。呼び名をいっそ、すずめのままにしておけばよかった……と思っている。
「どちらでもようございますが?」
「いつか、お話しできるときがくれば、本当の名はすずめだ、と申し上げてみよ。」
「はい。」
すずのすずめは、ほんとうにどちらでもいい。せっかく堺に来られたのだから、たいして面白くも懐かしくもない村での名前、好きでもない奇妙な名前は捨ててしまってもいいくらいに、少女は思っている。
そして、すぐに気づいたが、たしかに呼び鈴に呼ばれるのが仕事になった。
(すず、でよいわ。)
御寮人さまは、手のかからぬご主人だといえた。変化のない毎日を、静かに暮らされている。
二間と「納戸」、手水のある離れには、ほとんど御寮人さまと小春さんしかいないし、滅多にお客も来なかった。
すずは、ほぼ決まりきった時刻に、決まりきった仕事をすればいい。お床を上げ下ろしする。母屋から膳を運び、掃除をする。今井さまらしく、時折、お茶をおたてになるので、そのときは炉の炭をもってあがる。鈴が鳴れば、仕事の手を放して駆けつけるが、そこでお手短に頼まれる作業も、ごく小さい。外へのお使いなども、多くない。(すずは、繁華な港町の堺をもっと見て回りたかったから、それだけが小さな不満だ。)
離れの中のわからないことは、小春さんが、たいてい先回りして教えてくれた。思った通り、親切な女だった。ときにはその小春さんも二、三日どこかに行ってしまって心細いが、御寮人さまみずから、自分のいいつけた品が仕舞ってあるいつもの場所を教えてくださることもあった。すずはそれらを覚えてしまったから、不用意はすぐになくなった。
「おぬしは、おぼえがよい。」
御寮人さまからお褒めをいただくのもしばしばで、すずは自足で胸がふくらむ思いだった。
といって、すずは、時間を置いて―それはその日の終わりでもあり、仕事をのみこんできたひと月ふた月ののちでもあったが―思い起こすと、顔が赤くなったり青くなったりする失敗もしていたのだが、強く叱られた覚えがない。
荒い言葉や所作とは、およそ縁遠いご主人だ。
有徳人の家の方々とはいえ、皆さまがそうとも限らないのは、すぐにわかった。すずは御寮人さま付の者だが、もちろん人手が足りなければ、お屋敷全体での作業に駆り出されることも多い。そんなときに接する「ご本宅の方がた」(と、小春さんは呼んでいた)は、みなさまおっとりとされているようでいて、中には下女の不始末を直接叱り飛ばすような方もおられた。また、まだ子どもといっていい方々は、みな遊びたい盛りで我が儘であったから、すずは急に遊び相手にさせられて、心身がへとへとになる時もあった。
ご本宅や、ほんの時たまだがお店で他の使用人とともに働くそんなときは、しかし、すずにとっては楽しみな時間でもあった。齢の近い丁稚や小女には生来。気の合う者も、合わない者もいる。すずはその見分け、あるいは見切りに長けていた。大勢に可愛がられたといえる。
だが、気になったのは、すずの御主人が、そうした仲間たちに、さほどよく思われていないところであった。「離れ」(とは、ご主人一家の呼ばれるのが、下にも伝わったのであろう)とは、多くの使用人が自然に疎遠であった、それだけになにやら胡乱なものが感じられ、したがって意図的に無関心であるか、わけもなく嫌うのに決めているかのようであった。
すずに気を許して、根拠もなにもない反感を、ふとあらわにしてしまう年若い下女もいた。
「お前、離れのお勤めは大変じゃろう?」
「いえ? なにがでございますか?」
下女は口ごもる。実は、先輩が噂していたのを耳に挟んでいただけだから、なにと聞かれても困る。
「毎日、のらくら暮らしてらっしゃる。結構なご身分よな。」
「左様でしょか? いつもお机で何やらお書きですよ。お忙しい。」
それは聞いている。若い下女は、子どもに教えてやれるので勢い込んだ。
「あれが、ようわからんと、お店の方らは、いわれるねん。南蛮渡来の大福帳らしいけど、離れのお方以外は誰もよう読まん、出鱈目な代物じゃと。」
(よう読めんから、出鱈目だというのじゃろ。)
そう抗弁したなら、相手が気を悪くする。先輩たちに反感を持たれても仕方ないので、話題を少し変えた。
「御寮人さまは、おやさしいですよ。」
「離れの御寮人さま、じゃな。」
今井家には「御寮人さま」は何人もいる。ややこしい。
「それは、子どもにはそうじゃろう。……昔は結構、店の者にはお厳しかったとも聞いた。」
「へえ、左様ですか。いまは、とてもそんな風には見えませぬ。」
「あたしらは知らんが。いまはお家のお手伝いも、何もされておられんのじゃろう? へんな書き物ばかりで、ご商いの役には立っておられんと。」
(それは違う。)
月に二三度でしかないが、お店の手代が離れにやってきて、大福帳を開いてご商売の話をしているのは、何度もみた。そしてあきらかに、御寮人さまのお指図をうけていた。言葉はいつものように短く、細い指で大福帳をめくられては、何かを囁かれるのが主だった。
小春さんはそんなときは、黙って横にいる。
(そして、なぜかたいてい、がっかりしておられるの。)
「御寮人さま、今日は絵地図をご覧になりましたな。」
御寮人さまは、黙って頷かれるが、そうだが?という調子で、あとは何もない。
小春さんは何かいいたげだが、なにかをあきらめたようで、ようございます、といったあと、なにか一言だけある。そして、どこか悄然として南蛮机の部屋を去るのだ。
「そろそろ鮭の上るころでございますね。」
とか、
「今時分からこう寒いと、これよりもっと寒い土地はどうなることかと存じます。」
とかである。
御寮人さまの表情は、なにも変わらない。意味もわからぬのに、耳をそばだてていると、先ほどの話には、「まつまえ」という地名は何度も出てきたようなのだが……。
一度だけ、小春さんにきつく叱られて以来、「まつまえ」の名を御寮人さまの前では決して口にはせぬようにしている。
「わたくしは、蝦夷島には、行った覚えがないのじゃ。」
お部屋にものをお届けしたときに、金平糖をいただいた。そこで、どういう話の流れになったか、何の気なしに、松前にもこのお菓子はございましたか、と尋ねてしまった。
「松前?」
御寮人さまは、そう呟かれると、すずの顔をじっとご覧になる。そのまま、不思議な表情のまま、なにかを考える風で黙っておられる。
その沈黙に耐えられず、すずは、御寮人さまは松前のお店からいつお戻りでしたか、次にご渡海はおありですか、などと重ねて、主人にものを聞いてしまった。
御寮人さまはそこではじめて、困ったように微笑まれると、こういわれたのだ。そして、誰もいないはずの戸口のあたりに目をやると、近くに、と手招きされながら、
「あまり、わたくしに訊かないでおくれ。……謝らなくともよい。わたくしはよいのだが、小春さんに知られると、お叱りをうけるぞ。あのひとは、わたくしのためにそうしてくれるのじゃが。」
と、最後はすずの耳元で笑いながら、囁かれた。
お言葉通り、その場に姿がなかったはずの小春さんにすぐに呼びつけられた。自分の許しがあるまで、御寮人さまの前で蝦夷島だの松前だのというてはならぬ、ご迷惑をおかけしてはならぬ、と申しおかれた。すずは平伏するばかりだったが、つい、
「お商いは、小春さんが代わりに蝦夷島に行かれるので?」
「……すず。それがいかんと、たった今いうた。」
「申し訳ございません。」
(蝦夷島のことでなければよいのだろう。)
務めが長いはずの奉公人の男が、儂らにはなんのご説明もなかったのだが、噂によると、……と教えてくれた。
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