195 / 210
八の段 大団円 兇刃 (三)
しおりを挟む
右衛門大夫は新三郎の羽交い締めに身動きできずに呻いたが、これで勝ったと思っている。
勿論、手の者を三名も潜ませ、事あれば敗将の新三郎を押し包んで斬れと命じてある。その「事」らしいものが生じた。絞め殺されるまでに、兄が血を吹いて倒れるだろう。
(兄上……おやかた。悪いが、お命を頂戴する。)
「待っているようだが、無駄のようだぞ。」
「……?」
「血の匂いがするようだ。三人ほど斬られたか。」
「……!」
「おれが酒など手に入れたところで気づいて、やめておくべきだった。おれは今井の手の者に見張られているのでな。折角、籠に閉じこめた鳥を、別の者に殺させはせぬよ。」
右衛門大夫は呻いた。
(殺すか。)
新三郎は強く締め上げたが、弟が身を跳ねまわらせた末に気絶したのを知ると、手を緩めた。右衛門大夫のからだが床に転がった。
(殺すまでもない。ただ、このことは覚えさせておいてやろう。)
ふと、床に転がった脇差が気になり、身を動かす。同時に、強い殺気をおぼえた。
銃声とともに、左脚に焼け火箸を当てたような熱が広がった。
(撃たれた。)
硝煙の匂いがする方に顔をむけると、日が陰った庭に巨きな人影がある。小さな銃を顔の前に構えていた。火縄はない。
(二発目を撃てるか。連射できるというのか。)
まったく無防備の状態で、上体を振って移動する。狙われたままだ。引き金の音が聞こえる気がした。二度、三度、それがしたようだった。
(……不発か。)
侍風の装束の影は、そこであきらめなかった。銃を捨てると濡れ縁に飛びあがり、短い白刃をかざして、新三郎に詰め寄った。
コハル、と名乗っていた巨漢のみせる、凄まじい速さである。身を低くしてぶつかっていく。
新三郎は、すでに脇差を拾っていた。もはや身をかわせぬ。右足を踏ん張り、相手の刃を受けるそぶりを見せながら、鋭く刀を返した。影を斬る。捨て身でそうするしかない。
コハルの短刃は新三郎の右脇腹を深々と刺していた。左手で抉って、抜く。血が噴きこぼれた。新三郎は刀を握ったまま、後ろに飛び逃れようとしたが、そのまま重い音をたてて仰向けに倒れた。
コハルは茫然としているようにみえる。右腕の二の腕から下が、ごとりと床に落ちた。切り口から大量の血が噴き出すまで、瞬時の間があったようにみえた。倒れた新三郎は首をあげて、それを見ている。
コハルは叫びながら、残った左手の刃をかざしたが、その瞬間に態勢を崩して、もんどりを打った。新三郎はもう一太刀を、刺された瞬間に相手の背中に深々と加えていたのである。血の海の中で喘ぎながら、からだを起こそうとする。
侍姿の男ふたりが、音もなく駆け寄ったのを新三郎の視界がとらえた。男たちは、もがいている刺客をまず抱き起した。巨体が、こちらに憎悪の目を向けた。やれ、と命じている風だ。
(こやつらにとどめを刺されるか。)
覚悟した瞬間、男のひとりが首を振ったのが見えた。驚くべき膂力で、刺客のからだを引きずり、庭先に移動させた。
「なぜ、やらぬ。」
コハルはふたりに運ばれながら、弱々しく叫んだ。
「とどめを、さしておけ。助かるやもしれぬ。」
「おかしら、それは無理だ。われらのご主人の命に反する。」
「左様。本来なら、あんたを止めねばならなかったのに、できなんだ。」
闇を選び、三つのからだがもつれ合うようにして消えていく。
新三郎はようやく半身だけ起き上った。意識は清澄だ。ただ、左脚の痛みが激しい。見ると、出血がはなはだしく、おそらくは、骨まで鉛玉に砕かれた。
(もう使い物にならぬな、この脚は。)
檜山屋形での暗殺で、相手の脚を一刀で斬り落としたのを思いだす。
(因果応報か。)
苦笑いを浮かべようとするが、腹にも力が入らない。こちらも出血は少なからぬうえに、腸を傷つけられたかもしれぬ。
「たれかある。」
自分の声がひどく小さいのに気づいた。
(今井の者どもはどうしおった?)
と思った時に、気づいた。あの侍姿のふたりが、今井の手の者であったのだろう。
(座視しよったか? いや、奴らすら間に合わなかったものらしい。)
(あの巨体の者は、どこかで見覚えがあった。……あれも?)
新三郎はコハルをみたことがあったかもしれないが、女の姿をしていたから、それはわからない。ただ、尋常ならざる者だというのは、こうして自分が相討ちにされてしまったのでわかる。箱舘の者の仕業ではない。
(わからぬ。仲間割れか?主人の命にあれが背き、他の者にも防げなかったか。)
銃声と死闘の気配に気づき、箱舘の者どもが、離れにようやく駆けつける気配がした。
新三郎は刀を投げ捨てて腹の傷を抑え、再び仰向けになった。
勿論、手の者を三名も潜ませ、事あれば敗将の新三郎を押し包んで斬れと命じてある。その「事」らしいものが生じた。絞め殺されるまでに、兄が血を吹いて倒れるだろう。
(兄上……おやかた。悪いが、お命を頂戴する。)
「待っているようだが、無駄のようだぞ。」
「……?」
「血の匂いがするようだ。三人ほど斬られたか。」
「……!」
「おれが酒など手に入れたところで気づいて、やめておくべきだった。おれは今井の手の者に見張られているのでな。折角、籠に閉じこめた鳥を、別の者に殺させはせぬよ。」
右衛門大夫は呻いた。
(殺すか。)
新三郎は強く締め上げたが、弟が身を跳ねまわらせた末に気絶したのを知ると、手を緩めた。右衛門大夫のからだが床に転がった。
(殺すまでもない。ただ、このことは覚えさせておいてやろう。)
ふと、床に転がった脇差が気になり、身を動かす。同時に、強い殺気をおぼえた。
銃声とともに、左脚に焼け火箸を当てたような熱が広がった。
(撃たれた。)
硝煙の匂いがする方に顔をむけると、日が陰った庭に巨きな人影がある。小さな銃を顔の前に構えていた。火縄はない。
(二発目を撃てるか。連射できるというのか。)
まったく無防備の状態で、上体を振って移動する。狙われたままだ。引き金の音が聞こえる気がした。二度、三度、それがしたようだった。
(……不発か。)
侍風の装束の影は、そこであきらめなかった。銃を捨てると濡れ縁に飛びあがり、短い白刃をかざして、新三郎に詰め寄った。
コハル、と名乗っていた巨漢のみせる、凄まじい速さである。身を低くしてぶつかっていく。
新三郎は、すでに脇差を拾っていた。もはや身をかわせぬ。右足を踏ん張り、相手の刃を受けるそぶりを見せながら、鋭く刀を返した。影を斬る。捨て身でそうするしかない。
コハルの短刃は新三郎の右脇腹を深々と刺していた。左手で抉って、抜く。血が噴きこぼれた。新三郎は刀を握ったまま、後ろに飛び逃れようとしたが、そのまま重い音をたてて仰向けに倒れた。
コハルは茫然としているようにみえる。右腕の二の腕から下が、ごとりと床に落ちた。切り口から大量の血が噴き出すまで、瞬時の間があったようにみえた。倒れた新三郎は首をあげて、それを見ている。
コハルは叫びながら、残った左手の刃をかざしたが、その瞬間に態勢を崩して、もんどりを打った。新三郎はもう一太刀を、刺された瞬間に相手の背中に深々と加えていたのである。血の海の中で喘ぎながら、からだを起こそうとする。
侍姿の男ふたりが、音もなく駆け寄ったのを新三郎の視界がとらえた。男たちは、もがいている刺客をまず抱き起した。巨体が、こちらに憎悪の目を向けた。やれ、と命じている風だ。
(こやつらにとどめを刺されるか。)
覚悟した瞬間、男のひとりが首を振ったのが見えた。驚くべき膂力で、刺客のからだを引きずり、庭先に移動させた。
「なぜ、やらぬ。」
コハルはふたりに運ばれながら、弱々しく叫んだ。
「とどめを、さしておけ。助かるやもしれぬ。」
「おかしら、それは無理だ。われらのご主人の命に反する。」
「左様。本来なら、あんたを止めねばならなかったのに、できなんだ。」
闇を選び、三つのからだがもつれ合うようにして消えていく。
新三郎はようやく半身だけ起き上った。意識は清澄だ。ただ、左脚の痛みが激しい。見ると、出血がはなはだしく、おそらくは、骨まで鉛玉に砕かれた。
(もう使い物にならぬな、この脚は。)
檜山屋形での暗殺で、相手の脚を一刀で斬り落としたのを思いだす。
(因果応報か。)
苦笑いを浮かべようとするが、腹にも力が入らない。こちらも出血は少なからぬうえに、腸を傷つけられたかもしれぬ。
「たれかある。」
自分の声がひどく小さいのに気づいた。
(今井の者どもはどうしおった?)
と思った時に、気づいた。あの侍姿のふたりが、今井の手の者であったのだろう。
(座視しよったか? いや、奴らすら間に合わなかったものらしい。)
(あの巨体の者は、どこかで見覚えがあった。……あれも?)
新三郎はコハルをみたことがあったかもしれないが、女の姿をしていたから、それはわからない。ただ、尋常ならざる者だというのは、こうして自分が相討ちにされてしまったのでわかる。箱舘の者の仕業ではない。
(わからぬ。仲間割れか?主人の命にあれが背き、他の者にも防げなかったか。)
銃声と死闘の気配に気づき、箱舘の者どもが、離れにようやく駆けつける気配がした。
新三郎は刀を投げ捨てて腹の傷を抑え、再び仰向けになった。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
枢軸国
よもぎもちぱん
歴史・時代
時は1919年
第一次世界大戦の敗戦によりドイツ帝国は滅亡した。皇帝陛下 ヴィルヘルム二世の退位により、ドイツは共和制へと移行する。ヴェルサイユ条約により1320億金マルク 日本円で200兆円もの賠償金を課される。これに激怒したのは偉大なる我らが総統閣下"アドルフ ヒトラー"である。結果的に敗戦こそしたものの彼の及ぼした影響は非常に大きかった。
主人公はソフィア シュナイダー
彼女もまた、ドイツに転生してきた人物である。前世である2010年頃の記憶を全て保持しており、映像を写真として記憶することが出来る。
生き残る為に、彼女は持てる知識を総動員して戦う
偉大なる第三帝国に栄光あれ!
Sieg Heil(勝利万歳!)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる