えぞのあやめ

とりみ ししょう

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八の段  大団円  兇刃 (三)

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 右衛門大夫は新三郎の羽交い締めに身動きできずに呻いたが、これで勝ったと思っている。
 勿論、手の者を三名も潜ませ、事あれば敗将の新三郎を押し包んで斬れと命じてある。その「事」らしいものが生じた。絞め殺されるまでに、兄が血を吹いて倒れるだろう。
(兄上……おやかた。悪いが、お命を頂戴する。)
「待っているようだが、無駄のようだぞ。」
「……?」
「血の匂いがするようだ。三人ほど斬られたか。」
「……!」
「おれが酒など手に入れたところで気づいて、やめておくべきだった。おれは今井の手の者に見張られているのでな。折角、籠に閉じこめた鳥を、別の者に殺させはせぬよ。」
 右衛門大夫は呻いた。
(殺すか。)
 新三郎は強く締め上げたが、弟が身を跳ねまわらせた末に気絶したのを知ると、手を緩めた。右衛門大夫のからだが床に転がった。
(殺すまでもない。ただ、このことは覚えさせておいてやろう。)
 ふと、床に転がった脇差が気になり、身を動かす。同時に、強い殺気をおぼえた。

 銃声とともに、左脚に焼け火箸を当てたような熱が広がった。
(撃たれた。)
 硝煙の匂いがする方に顔をむけると、日が陰った庭に巨きな人影がある。小さな銃を顔の前に構えていた。火縄はない。
(二発目を撃てるか。連射できるというのか。)
 まったく無防備の状態で、上体を振って移動する。狙われたままだ。引き金の音が聞こえる気がした。二度、三度、それがしたようだった。
(……不発か。)
 侍風の装束の影は、そこであきらめなかった。銃を捨てると濡れ縁に飛びあがり、短い白刃をかざして、新三郎に詰め寄った。
 コハル、と名乗っていた巨漢のみせる、凄まじい速さである。身を低くしてぶつかっていく。
 新三郎は、すでに脇差を拾っていた。もはや身をかわせぬ。右足を踏ん張り、相手の刃を受けるそぶりを見せながら、鋭く刀を返した。影を斬る。捨て身でそうするしかない。
 コハルの短刃は新三郎の右脇腹を深々と刺していた。左手で抉って、抜く。血が噴きこぼれた。新三郎は刀を握ったまま、後ろに飛び逃れようとしたが、そのまま重い音をたてて仰向けに倒れた。
 コハルは茫然としているようにみえる。右腕の二の腕から下が、ごとりと床に落ちた。切り口から大量の血が噴き出すまで、瞬時の間があったようにみえた。倒れた新三郎は首をあげて、それを見ている。
 コハルは叫びながら、残った左手の刃をかざしたが、その瞬間に態勢を崩して、もんどりを打った。新三郎はもう一太刀を、刺された瞬間に相手の背中に深々と加えていたのである。血の海の中で喘ぎながら、からだを起こそうとする。
 侍姿の男ふたりが、音もなく駆け寄ったのを新三郎の視界がとらえた。男たちは、もがいている刺客をまず抱き起した。巨体が、こちらに憎悪の目を向けた。やれ、と命じている風だ。
(こやつらにとどめを刺されるか。)
 覚悟した瞬間、男のひとりが首を振ったのが見えた。驚くべき膂力で、刺客のからだを引きずり、庭先に移動させた。
「なぜ、やらぬ。」
 コハルはふたりに運ばれながら、弱々しく叫んだ。
「とどめを、さしておけ。助かるやもしれぬ。」
「おかしら、それは無理だ。われらのご主人の命に反する。」
「左様。本来なら、あんたを止めねばならなかったのに、できなんだ。」
 闇を選び、三つのからだがもつれ合うようにして消えていく。
 新三郎はようやく半身だけ起き上った。意識は清澄だ。ただ、左脚の痛みが激しい。見ると、出血がはなはだしく、おそらくは、骨まで鉛玉に砕かれた。
(もう使い物にならぬな、この脚は。)
 檜山屋形での暗殺で、相手の脚を一刀で斬り落としたのを思いだす。
(因果応報か。)
 苦笑いを浮かべようとするが、腹にも力が入らない。こちらも出血は少なからぬうえに、腸を傷つけられたかもしれぬ。
「たれかある。」
 自分の声がひどく小さいのに気づいた。
(今井の者どもはどうしおった?)
と思った時に、気づいた。あの侍姿のふたりが、今井の手の者であったのだろう。
(座視しよったか? いや、奴らすら間に合わなかったものらしい。)
(あの巨体の者は、どこかで見覚えがあった。……あれも?)
 新三郎はコハルをみたことがあったかもしれないが、女の姿をしていたから、それはわからない。ただ、尋常ならざる者だというのは、こうして自分が相討ちにされてしまったのでわかる。箱舘の者の仕業ではない。
(わからぬ。仲間割れか?主人の命にあれが背き、他の者にも防げなかったか。)
 銃声と死闘の気配に気づき、箱舘の者どもが、離れにようやく駆けつける気配がした。
 新三郎は刀を投げ捨てて腹の傷を抑え、再び仰向けになった。

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