えぞのあやめ

とりみ ししょう

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八の段  大団円   東へ(二)

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 もちろん、二人きりにはさせない。
 浜の手はすでに枯れ木のように細いが、装束や髪の手入れで後ろに立つこともある。嫁入り前からの主人の仇になったと狙っていれば、なにをしでかすかもわからない。
 現にアシリレラなどは不審とともに、十四郎への怒りも隠さなかった。
「なぜ、そんな危ない目にお姉さまをあわせますか?」
「危ないと思うか?」
「仕返しが怖い。死んだひとの古い侍女なのでしょう?」
「仇討ちか。……あやめは、すぐに会うといった。」
「お姉さまが、変なのです。」
 アシリレラのいうところを今風にまとめれば、あやめは罪障意識が強すぎる。
「殺されても構わないと思っておられるのではないか。」
 十四郎は目をつぶった。
「お前もついていてやれ。」
「いうにや及ぶ。」
「あやめが、そういった。アシリレラを同席させてくれ、と。」
「なんで、わたしが?」
「さて? ただ、お前も同席するといったな。」
「行きますよ。わたしなら、お姉さまを守れる。」
 そんなわけでアシリレラが、かつての北の方の居室の隅に、刀を差した小姓姿でちょこんと座っている。

 この部屋に入るとき、あやめは文字通り、足がすくんだ。平伏している浜にかける声も小さく、かすれた。
 それが、浜の手で装束を武家の晴れ着に整えていくさいちゅうには、平然としてみえるようになった。
(お姉さまは、やはり変だ。妙に落ち着いている。)
(ああ、あんなに後ろに回られて。尖ったものも髪に刺して。危ない?)
「お浜。お方さまの話を聞かせてくれるかえ?」
 それまでほぼ無言だった二人が、髪を梳かれ、整える段になって、ひそやかに話し出した。あやめはされるがままにしながら、背後の老女に尋ねた。
「お方さまは、わたくしにお輿を貸してやれとおっしゃったのか?」
「はい。」
 浜はことさらに表情を消している様子だったが、はじめて、やや声を震わせた。
「お姫さまは、左様に仰っておられました。わたくしめは、それで北のお方さまにお目通りをお願い致したのでござります。」
「わたくしは、……」まだ北の方でもなんでもないよ、といいかけて、あやめはいいよどんだ。いまさら、堺と呼ばれても困るが、ではどう呼べというべきか。代わりに、念を押すように尋ねる。
「お姫さまというたのが、北の方さまじゃな?」
「こちらにお輿入れの前から、さにお呼びして、お仕えして参りました。あの世に旅立たれれば、わたくしめには、もとの小さなお姫さまにござります。北の方さまのお役目は、お済みになられましたかと。」
「……まことに、……まことに左様よの。お代官家奥方さまのお勤め、ご立派にお果たしでした。」
(その役目は、今度はわたくしがやるのだ、といいたいのであろうか?)
 浜は胸に迫ったのであろうか、しばらく沈黙したが、手はゆっくりと動いている。
「お姫さまは、あなた様が大舘からいなくなられてから、おさびしいご様子でございましたが、いろいろとお考えになられました。それで、わたくしめにいわれたのです。あれが戻ってくれば、この家から嫁に出してやろう。十四郎殿は松前には帰れぬ。よくて箱館だが、それも難しいだろう。また蝦夷地、唐子にでも引き下がることになろう。」
(ああ、お方さまは最後までおやかたさまの勝利を疑われなかった。おやかたさまが箱館を鎮めた後のことをお考えだったのか。)
「あやめは、いったんは箱舘から松前に必ず連れ戻す。だが、落ち着けば、ここから十四郎殿のいるところに行かせてやろう。……お姫さまはそうおっしゃいました。あれは遠い上方から来た商人だったが、もはや蠣崎の家の女じゃ。ならばこそ、笑って送り出してやろう。あれは悩んでおったが、そのようにしよう。おやかたさまも、好きなようにさせてやろうと、屹度お考えよと。おやかたさまからいただいた、あの輿に乗せて、輿入れの行列を組ませてやるのじゃ、と。」
(お方さま……)
「お泣きになられますな、お方さま。お化粧が流れまする。」
 浜も、声の震えを抑えている。
「なぜ、わたくしなどに、そこまでのお情けをいただけたのか? おやかたさまの妾を不承不承つとめていた、堺の方などを? そして、わたくしは、お方さま、武蔵丸様まで……」
「お姫さまは、あなた様とお仲がよろしかった。可愛がっておられた。それだけでございますよ。」
「だが、今は定めしお怒りじゃ……。」
「お姉さま。そのお方さまも、和人のお武家の女。」
 アシリレラが口を挟んだ。
「そこの蝦夷女のいうとおりにございますよ。ご武運つたなきを嘆かれても、たれも恨んだりはされませぬ。大筒が、お姫さまと武蔵丸さまを狙ったわけでもない。ましてや、あなた様の手にかかったのではございませぬ。」
 あやめは無言で、両手で顔を覆っている。
「お姫さまのお考え通りにはございませんが、此度は、あなた様のお輿入れには違いないと存じまする。浜は、お姫さまはいまも極楽でそれをお望みと存じましたので、差し出がましい真似をいたしております。」
「お浜、……痛み入ります。お方さまはおやさしい。だが、お方さまのお役目の半分でもつとめを怠れば、お叱りがあるでしょう。」
「畏れ多いですが、左様に拝察いたしまする。蠣崎のお家のお方さまとして、お姫さまのお心をお継ぎくださいませ。」
「……つとめましょう。」
「出すぎたことを申しましたが、この大舘で、些かの日々をあなた様とご一緒できました者からの、お願いに存じます。」
 あやめの化粧を直すと、支度は整った。

「お姉さま、すっかりお武家の奥方さまです。」
「アシリレラ。このお浜さんに、……」
 あやめは、下がろうとする老女を呼び止めた。
「お浜。頼みがあります。いずれ箱館に来ておくれ。……この、アシリレラは蝦夷地の高い身分の者で、お姫様とお呼びしてもいい。」
「それは、さきほどはご無礼をいたしました。」
「にい風姫とでも呼ぶかな。いずれは、ご宰領様を支える者となる。そうなれば、にい風の方か。」
「お姉さま?」
「このひとに、和人の武家女の作法、挙止動作のありようを教えてやってほしいのじゃ。今から、何くれとなく側で世話をしながら、手取り足取り教えてやってくれぬか。……わたくしも、そばで見習う。」
「ありがたき幸せにて。」
 浜は、刺青を入れたアシリレラに向き直り、一瞥して、恭しく頭を下げた。仕えるべき次のお姫様を見つけた思いらしい。
「……ご行列について参るはできませぬが、こちらのお掃除がすみましたら、駆けつけたいと存じます。」
「礼を申します。大舘の女で、箱舘で仕えたいものは来てくれ、と伝えてくれぬか。」
 浜はまた低頭し、別の女たちが入ってきて、部屋を出ていくあやめにつき従う形になった。アシリレラがそれを追う。
「お姉さま? わたしはアイノの女です。」
 アシリレラにはその誇りがある。このたびの戦も、アイノへの圧政者になりかけていた和人を懲しめるためのものだと理解していた。十四郎は好きだが、和人になってしまう気はない。
「わかっておるよ。だから、和人のお姫様にもなって貰いたい。」
「こんな格好はしていますし、言葉はできますが、もうこれ以上は。」
「ご宰領さまのおそばにいるのじゃろう? ならば、もっと要りましょうぞ。」
「どういうことで?」
「あのお方は、和人でもアイノでもポモールでもない。だからこそ、何者でもありうる。蝦夷島は、左様なお方が治められる土地になるのです。それに一番のお傍でお仕えするお前は、和人のことを一番よく知るアイノにならねばならぬ。」
「一番?」
「にい風の方は、もしかすると、上洛にお付き添いして、天下人のお城に参らねばならぬかもしれぬ。」
「それはお姉さまのお役目でしょう。」
 あやめはそれには答えず、
「そこでお前が、御殿のお作法を隙なく勤めて、上方者を驚かせてやりなさい。」
 アシリレラは要領を得ない顔で頷いた。
 
 輿に揺られながら、笛や太鼓の音、竹を叩く音を聴いた。
(まるで、お祭りじゃな……)
 行列は静かには進まない。松前の町をひとめぐりはしただろう。その間、餅や酒をふるまっている。あやめは顔をさらしているわけではないが、あまりの決まりの悪さに頬を染め、汗をかいていた。そうするうちに、沿道の人びとの声には喜色があるらしいと分かって、徐々に落ち着いてきた。
(ああ、和人の声とアイノの声が、仲よう混じっておる。)
(アイノは、……あれはおなごの声か。女とはいえ、兵かもしれぬ。だが、どのような形にせよ、この松前の町に、アイノが戻ってこれたのじゃ。)
 輿の御簾越しに、いよいよ東の関から出ていこうとする松前の町を眺めた。
 騎馬の十四郎が近づいてきたので、また恥ずかしくてたまらなくなった。やめてほしいと思ったのに、十四郎は並んで馬を進める。
「いかがか?」
「……いかが、もなにも。」
 あれはおやかたさまの花嫁様か、という沿道の声が聞こえた。なんともお綺麗な、と聞こえて、あやめは思わず顔を伏せる。
「いまのは、この、お輿のことにございますよ!」
 十四郎は笑って、花嫁さまといったではなかったか、と満足げに聞き返して、あやめを赤面させると、
「この行列の意味、みなの者、わかっておる。」
「……蝦夷島の静謐を知らせるも、お役目と思えば。」
「左様。あでやかな花嫁様のお姿に、庶人は新しき世を知るのだ。堂々としておられよ。そう、はにかまれるでない。」
「御曹司さまは、昔は、こんなにあやめをおからかいでしたかね。」
「昔か。」
 十四郎は馬上で振り向いた。あやめの視線もそれを追う。松前の町が、遠ざかる。
「不思議だが、これでもう戻れぬような気がしてならぬ。そんなはずもないのだが。」
「はい、わたくしども、もう戻れますまい。」
 十四郎は、ひどく不吉な予言をあやめがしはじめるのかと、心なしか身構えたようになる。
 それに気づいて、あやめは微笑む。久しぶりに、弟にいい聞かせるような口調になった。
「いえ、御身はご無事、わたくしもお陰様でこのとおり。町も決してなくなったりしませぬ。じきに元どおりに。箱舘からは二日の道のり。いつでも来られましょう。ですが、もう戻れぬのでございますよ。」
 十四郎は考えていたが、すぐに思い当たったようだ。
「おれたちが、昔のおれたちではなくなるからか。」
「左様でございます。」
 あやめは声を小さくした。
「十四郎さまと出会えた松前、ともに笑ってともに泣いたあの松前を、もう二度と繰り返せない。十四郎様とわたくしの最初の日々は、遠くなっていく。また御一緒に松前に戻る日がもしあったとしても、もうそれは、わたくしたちの松前ではございますまい。」
「ああ。」
 十四郎は、かつて蝦夷地に旅立った朝に似た感傷に襲われたが、御簾に向かって馬上で身体を傾けて、囁いた。
「あやめ、今度は箱舘を、おれたちの町にしよう。」
「……」
 あやめは上気して、黙り込んだ。十四郎は、あやめが頷くのをにこにこしながら待っている。

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