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八の段 大団円 東へ(一)
しおりを挟む大館開城以来、松前はいわば軍政下にある。武力支配といえば、のち人口に膾炙した「幕府」などという語が示すように、武家政治とは本質がそうしたものだったろう。だが、いまの松前は、大舘にも町中にも、アイノや箱舘側の蠣崎侍が武装を解かぬままに充ちているから、占領による支配は露骨であった。
(元に戻したいが、しばらくはかかる。)
十四郎はいそがない。その幕営が大館に入り、統治をはじめていた。いまは先発の東征部隊を送り出した後、本軍の出発に備えている。
町のなかでは軍紀を引き締めて家屋の再建をすすめる一方、大館のなかでは「箱館移城」の足掛かりを築かなければならない。消滅した蝦夷代官所の機能を箱館に移すため、大館の人と書類を丸ごと持っていくのである。
ひと時には、むろん、済まない。役所としての蝦夷代官所の仕事はたかが知れていたとはいえ、名目上も安東家支配の蝦夷代官は六代続いた。書類仕事の比重を増した先代以来の文書の蓄積は、書庫で整理させられている役の者が、
「いっそ、焼けてしまえばよかったのに。」
と口を滑らせたほどの嵩になっていた。大量の文書を残す時代が、すでにこの北辺の地にも当然のように来ていた。
物ですら、この苦労である。ましてや、かれら役人にあたる家中の者の移動には、とてつもない手間がかかるであろう。
「逆ではないですか。あの人たちには、足がある。」
アシリレラが尋ねたので、十四郎は答えてやる。
「家の者もいる。家財ももっていよう。人を在所から引きはがすのは、そう簡単ではないのだ。」
「そうかな。」
「お前やおれのような、風来の者ばかりではない。」
「風来?」
まず主だった者を引き抜き、同行させることにした。
松前から箱館までの行軍は、長大な行列となった。「御城御移り」の名で人びとの記憶に残ったのは、その規模だけではない。華やいだ印象が伝えられている。蝦夷島の歴史上、庶人が目撃できたその種の行事の、最初のものであったせいもあろう。
この行軍の「主宰者」本人に、あきらかに祝祭を演出する意識があった。戦勝者の凱旋行であると同時に、新しい政権がこの地にできるという一種の世直しの始まりを告げたい。
故右大臣がかつて上洛した際には室町将軍家の御所工事を大々的におこない、のちにしばしば馬揃いを挙行したような、あるいはやがて関白秀吉が大茶会を催すような、貴庶一体の祭りめいた行事を権力が主催する。そうした風潮が蝦夷島に及んだといえる。
だが、新しい権力者である十四郎には、ひそかな意図もあった。
それは行列の中ほどを行く、絹張の板輿にあきらかだった。あやめが乗り、和人とアイノを取り混ぜた女中たちに軽々と担がれて進む。貴人女性の乗物として、美麗な印象を振りまいている。
もとは北の方の女乗物だった。新三郎の得意の時期に取り寄せたもので、蠣崎家の格を越えたものであったろう。北の方は遠出をする機会もなく、遠慮したのかそれらしい機会も訪れなかったためか、用いないままだった。
「滅相もない。」
十四郎の勧めに、あやめは最初、怖気づき震えて断った。当然であろう。
(なにをおっしゃるか。左様な真似をしてみよ、まるで、堺の方が奥方を弑して奪い取ったかのようになるではないか。)
「うむ、おれはむしろ、馬でもいいと思っていたのだ。そうされるか?」
「なんでございます?」
「そなたの姿を、民に見せたい。顔とまではいわぬが……」
「なにをおっしゃいますか? 厭でございますよ。恥ずかしい。」
まさに、どの面を下げて、という思いがある。戦の結末は、たしかに相当数の人死にであった。
(わたくしが殺したようなものだ、とはもう思うまい。だが、それにも違いないではないか。)
(これから、せめて償っていきたい。人目に姿を自慢げにさらす気になどなるか。)
「これよりの、世のためなのだが……?」
「何のことやら。」
「蝦夷島の民に、新しい世が来るのだと知らせたいのだ。戦は終わった。行列は美々しくしたい、そう、納屋の大船が港についたときのように、道中で振舞いの酒や餅なども撒きたい。」
「お酒やお餅は、ようございます。あ、お茶やお菓子もよろしいか? されど、わたくしは、列のどこかでご一緒いたしまするよ。」
「あやめ、それではよくない。……拙者は、昔、申しましたな。拙者の身の上では、納屋の御寮人殿に相応しい婚儀もいたしかねる。それが申し訳なく、口惜しい、と。」
「ああ……」
十四郎は、むかしの言葉遣いにわざと戻したのだろう。あやめはそのときを思い出し、胸が一杯になったが、
「御曹司さま。それを此度の行列で、とお申し出くださいますのでしょうか?」
「左様。遅くなってしもうたが。」
「若いあやめは、そのとき申しましたよ。そのようなお心遣いは御無用と。あやめは、御曹司さまとご一緒できれば、美々しい婚儀など望まぬと。」
「花嫁行列にしたいのだ。」
(花嫁……か!)
あやめは思わず胸を抑えるほどに感情が弾けるのを覚えた。だが、
「……有り難いお申し出でございます。ただ、輿入れの行列に花婿様もいるなど、聞いたことがございませぬよ。」
と笑ってみせた。
「それに、此度のご行列は御凱旋。政事のご大事ではござりませぬか。それとこれとは、また別で。」
「別にやればよいのか?」
「結構でございます、と。」
あやめは、婚儀にはたしかにさほどの執着はない。
(たしかに、わたくしたちは野合のようなものではないか。)
かつてその語で十四郎を苦笑いさせたのを思い出すが、そのように思っている。縁結びの仲人のようなものだと思えたエコリシチ老人が幻のようなものだとわかって以来、とりわけそう思い直すようになっていた。
(むしろ、それでよい。周囲のなんの思惑もなかった。たれの打算もはたらかなかった。だから、ただひたすらに惹かれあって、なんの儀式もなく、人目を忍んで結ばれた。それだけでよい。)
「望む者がいるのだ。」
「有り難き幸せでございます。ご宰領さまのそのお気持ちがうれしうございます。それで十分。」
「いや、おれだけではない。……義姉上、……お方さまが、お望みだったという。」
「え……?」
「浜が、そう申してきたのだと。」
浜というのは、お方さま付の老女のはずであった。
「お浜がなにをいうてきたのです?」
(あれは、お方さまを死なせたわたくしを、……いや、そうとは知らぬにせよ、敵方の箱舘に奔ったには違いないわたくしを、憎んでいるだろうに……?)
「お支度を手伝いたいというらしい。それも、お方さまにそういわれていたと。」
「お方さまが?」
「あやめの嫁入りのときには、お輿を使うがよいといわれていたのだそうだ。」
「わたくしは、……嫁入りなど。」
「浜に、会ってやってくれぬか。」
あやめは頷いた。
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