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七の段 死闘 ふたり(一)
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(いつからだったろう? 最初から? そうではなかった。)
十四郎は、自分にそっくりなソヒィアに最初に面会したときの衝撃を思い出した。あの、雷に打たれたような思いは、ひとめぼれとひとが呼ぶようなものに、きわめて近いのだろう。
あやめとの仲が深まっていたから、それきりだったが、初対面の衝撃だけは躰の深くに残っていた。その後、ソヒィアと一度だけ躰を交えた時、そして彼女を怒りのあまり斬り捨てた時にのみ、それはまざまざと蘇った。
(アシリレラのやつも、よくそんなことをいいおる。最初に出会ったときに、このひとと結婚すると思った、などと。あの子は、ほんとうに幼童だったくせに。)
納屋の御寮人は、大舘ではじめてみたときには、そんなに美しいとも思わなかった。妙に生白い化粧をした、痩せた、都会の騒々しい女だとしか思わなかった。
(しかも、おれのいちばん厭な、顔のことをずけずけといいおって……)
与三郎兄が、大事なことだといって鉄砲入手のあたりをつけさせに自分を納屋に差し向けた時も、あの弁の立つ女に会うのは気が進まなかった。
ただ、納屋の店の連中とは、すぐに心安くなれた。あの堺のひとたちは異国人にも慣れ、開放的だったからだろう。だから納屋通いが続いた。
そのうちに、納屋の女主人と話ができるようになった。頭はまわるらしいが、変わったひとだと思っていた。蝦夷地でエコリシチ翁からひょんなことで白磁を託されたのも、広い世間には面白いめぐり合わせがあるものだ、というくらいで、別に自分と年上の女との縁などとは少しも思わなかった。
それを渡したとき、目の前で、あやめがぼろぼろと涙を落として大声で泣き出したときには驚いた。
(ああ、あのときからだな。可愛らしい、綺麗な女だと思いだしたのは。また話したい、と別れるたびに気づいたのは。)
(エコリシチ翁はどうも、ひと違いをしているらしい。だが、あやめにはいうまい。おれとの縁だとも思ってくれているのだから……)
それからは、楽しかった。十四郎のここまでの人生で、なんの屈託もなく毎日を浮き立つ気分で過ごせたのは、この頃だけだと思える。
あやめが姉みたいに振る舞ってくれるのが、女の肉親との縁が薄い自分にはうれしく、懐かしかった。あやめと冗談をいいあい、ふと互いの淡い好意を探るような言葉を交わして、それきりまた、埒もない冗談や他愛もない遊びに戻る。ときに、家中のたれにも喋ったことのない秘密の心持ちを、さりげなさ気に打ち明け合う。そうやって、河原の小石を積みあうように、好意と信頼を互いのなかに少しずつ蓄えていく。そんなことを、いつまでも続けていけるように思えた。
与三郎兄の表情が硬く、暗くなり、いざというときにはおれが何とかしてやる、お前は侍らしく嘘偽りのない態度でただおれよ、まことに知らんでよいことは知らんのだから、としきりに説くようになったときから、自分はあやめという女が好きなのだと気づいた。
自分はもしかするといずれ腹を切るのかもしれないが、誰よりもそれに泣いてくれそうなひと。同時に、自分が誰よりも泣かせたくないひと。それが納屋の御寮人だった。
それなのに、ひそかにくりかえした妄想の中の行為では、あやめを痛がって泣かせていた。具体性の乏しい、想像の中のあやめの躰に、餓え続けた。それまでの、不特定の女への性的な妄想とは違うものがそこにあった。肉体の昂奮から醒めても、罪悪感をおぼえながら、餓えは絶えなかった。あやめに会いたかった。一度だけ偶然に握った手の感触が、貴重なものにおぼえて、何度も頭の中で反芻した。
与三郎兄から、急ぎ鉄砲を手にいれておけといわれて焦ったために掴まされた偽物の鉄砲を納屋でみせたとき、あやめが親身になってくれたのが、涙がこぼれるほど嬉しかった。ここに、おれのことを案じてくれる女がいる。おそらく、おれを愛おしいと感じてくれているのだろう。だが、
(もう会えなくなるのだろう。)
と思った時に、腹を切るのを想像するよりも、悲壮な気持ちに打たれていた。
(遅かった。御寮人殿。出会うのも、自分の気持ちに気づくのも、我らは、遅すぎたようだ。)
帰路の暗い道で、頭の中だけであやめに呼びかけていた。
与三郎兄が突然、切腹した衝撃で、自分は腑抜けのようになったと思える。なにも考えられず、ただ流されていた。吟味のときにも、うまく切り抜けたつもりはない。それほどのことを、本当に知らされていなかったのだ。
もしも大舘が与三郎の遺志を汲み、ことを適当に収めるつもりだったとすれば、あのときはたしかに、むしろ納屋のあやめこそが(コハルに命じて)余計な細工をして、自分を後戻りできない流れに落とし、重ねての罰に追い込んだのかもしれない。
だが、あやめは知りようもなく、ただ自分のためにしてくれたのだ。そのとき自分は何も考えなかったのだから、何が起きようと一緒のことだったろう。首を斬られる羽目になっても、自分は抵抗も何もできなかったに違いない。すべてに抗しようとする気力も失せていた。
そんなところに、あやめが飛び込んできてくれた。温かく、柔らかい、香りたつ躰ごと、すべてを賭けて、抱きついてきてくれた。
このひとのためを考えよう、という自制心は、あやめの髪の匂いを知ったとたんに、いっぺんに押し流された。無我夢中で貪ったあやめの躰は、想像のどれとも違っていた。はじめて現実に差し出された、どこまでも豊かで甘美な謎。それを懸命に解いていく思いだった。
肉体のひとときの陶酔が過ぎたのち、あやめの情けがあらためて、痛いほどだった。この自分などが欲しくて、泣いてくれる女がいるのだ。
ひとりの女にこれほど大切に思われているのが、うれしくてたまらなかった。生きていようと思えるようになった。
想像のとおり、初めての行為ではひどく痛がって困惑していた女と、その女の躰の前でおよそ無力に思えた自分が、その後、未知のものを互いに不器用に探り合っていった。そのことに夢中になった。本能に導かれただけの粘膜の接触以上に、ひとと愛しみあっているという、それが無上の快楽だった。心をあわせて睦みあうため、肉体の行為をともにする。それを重ねるごとに、相手は一層かけがえがない存在になっていった。躰の刺激を工夫するたびに、女は、こちらの思いもよらぬ表情を浮かべ、意外な言葉や声を漏らす。そのとき、女の心の知らなかった新しい場所が見える気がした。それらがすべて愛おしかった。女の表情や声が、記憶の中に入りこんで、反芻するうちに自分の一部になっていった。
あやめのいうことは、なんでも聴くべきだと信じた。相手が自分に堺で商人になれというのだから、そうしよう、よい商人になろうと心から思った。そうでないと、あやめと一緒にいられないからではない。それであやめが喜んでくれるのであれば、それが正しい。あやめの望みが自分の望みで、それ以外はもうないのだと信じていた。
(ポモール……!)
あれが、自分にはあやめと共有できない望みがあるのだとわからせてしまった。
あやめと生まれた時からずっと一緒の自分を妄想したほどだったが、それでも、あまり覚えてもいない母の顔をソヒィアの顔に重ねて、生々しい懐かしさに身悶えした。
あやめとともにいた時間にはあれほどの気持ちの平穏を覚えていたのに、あやめの側にではなく、ポモールの村に自分の居場所があったのかもしれないと思った。薄倖だった亡母を裏切って、自分の新しい幸せを追うなどできぬ、という思いに囚われていった。
あのときの自分を、十四郎はその後、何度となく責めた。あやめが流し続けた苦しい涙を思い、とりかえしがつかないと悔いた。自分はもう死ぬのだから、許してほしいという思いにだけすがったが、死ぬわけにはいかなかった。
それどころか、自分のしたことは何もかもが無駄で、有害なだけだったかもしれない。
村は、最も無惨な形で滅びたではないか。ひと目で惹かれ、そしてただ一人だけ知る同族の女になってくれたソヒィアを、この手で斬り殺す羽目になった。ソヒィアがどんなに病苦のつらさや切支丹ゆえの自害の不可能を訴えていたところで、だから殺してやったのだ、相手もたしかにいまわのきわに喜んだなどとは、いまだに思えない。自分もここで確実に死ぬのだから、という思いが、無理心中のような殺害を衝動的におこなわせたのだとわかる。なんという卑劣だろう。
(兄上は女を犯したが、おれはといえば、女の命を奪った。)
(いや、兄上が無理やりに犯した女は、おれが振り捨てて、泣かせた女だ。)
(その女が許してくれたのをいいことに、おれは暢気に、いずれすぐによりを戻せるつもりで、またあてどもなく山丹に渡ってしまった。その間に、あやめは災難に遭ったのではないか。)
あやめが新三郎の側妾にされていると聞いたとき、十四郎は自分に相応しい罰が与えられたと思った。ただ、自分の過ちの犠牲になったあやめが、ひたすらに哀れだった。罪もないあやめの心が無惨に壊れている様を目の前にして、そこからはじめて怒りが湧いた。あやめの切なる願いをかなえてやるためには、その怒りは必要だった。
だが、それはあやめの気持ちに本当に寄り添ったものだっただろうか、と思い返すと、いまになって、そうではないのがわかる。
ようやく、こんな自分にまたすべきことが与えられた。可哀相なあやめが喜んでくれる。いくらかでも、とりかえしのつかない背信の罪が拭えているのかもしれない。
定型を崩した長い文章を山ほど書き送ったのも、あやめがそれで喜んでくれるという以上に、自分のためだった。何通かは、遺書としてあやめが受け取ってくれれば、と思って書いた。自分がアイノの敵兵に討たれてしまっても、あやめの中で生き続けるのを期待していた。
蝦夷地で戦いつづけたとき、大義というほどのものは感じていない。アイノのために義憤にかられたわけではなかった。和人に脅かされる人びとと自分とが、きれいに重なるように思えたくらいだった。和人と同じ黄色い肌と黒い髪をもつかれらが蝦夷として追い立てられていくことになれば、滅びてしまった異人の部族の姿かたちをとどめた自分などは、とても和人たちにまともに扱われまい。そして、蝦夷地にも荒々しい風は吹き始めていたから、アイノの人びとの望む役割を果たさなければ、ここですら居場所を喪うだろう。その程度のことだった。十四郎の闇雲な行動に、あやめが大義の衣をかぶせてくれただけだ。
(結句、自分のためだった。すべて、自分のことばかりだった。今になってわかる。)
(今……!)
十四郎は、自分にそっくりなソヒィアに最初に面会したときの衝撃を思い出した。あの、雷に打たれたような思いは、ひとめぼれとひとが呼ぶようなものに、きわめて近いのだろう。
あやめとの仲が深まっていたから、それきりだったが、初対面の衝撃だけは躰の深くに残っていた。その後、ソヒィアと一度だけ躰を交えた時、そして彼女を怒りのあまり斬り捨てた時にのみ、それはまざまざと蘇った。
(アシリレラのやつも、よくそんなことをいいおる。最初に出会ったときに、このひとと結婚すると思った、などと。あの子は、ほんとうに幼童だったくせに。)
納屋の御寮人は、大舘ではじめてみたときには、そんなに美しいとも思わなかった。妙に生白い化粧をした、痩せた、都会の騒々しい女だとしか思わなかった。
(しかも、おれのいちばん厭な、顔のことをずけずけといいおって……)
与三郎兄が、大事なことだといって鉄砲入手のあたりをつけさせに自分を納屋に差し向けた時も、あの弁の立つ女に会うのは気が進まなかった。
ただ、納屋の店の連中とは、すぐに心安くなれた。あの堺のひとたちは異国人にも慣れ、開放的だったからだろう。だから納屋通いが続いた。
そのうちに、納屋の女主人と話ができるようになった。頭はまわるらしいが、変わったひとだと思っていた。蝦夷地でエコリシチ翁からひょんなことで白磁を託されたのも、広い世間には面白いめぐり合わせがあるものだ、というくらいで、別に自分と年上の女との縁などとは少しも思わなかった。
それを渡したとき、目の前で、あやめがぼろぼろと涙を落として大声で泣き出したときには驚いた。
(ああ、あのときからだな。可愛らしい、綺麗な女だと思いだしたのは。また話したい、と別れるたびに気づいたのは。)
(エコリシチ翁はどうも、ひと違いをしているらしい。だが、あやめにはいうまい。おれとの縁だとも思ってくれているのだから……)
それからは、楽しかった。十四郎のここまでの人生で、なんの屈託もなく毎日を浮き立つ気分で過ごせたのは、この頃だけだと思える。
あやめが姉みたいに振る舞ってくれるのが、女の肉親との縁が薄い自分にはうれしく、懐かしかった。あやめと冗談をいいあい、ふと互いの淡い好意を探るような言葉を交わして、それきりまた、埒もない冗談や他愛もない遊びに戻る。ときに、家中のたれにも喋ったことのない秘密の心持ちを、さりげなさ気に打ち明け合う。そうやって、河原の小石を積みあうように、好意と信頼を互いのなかに少しずつ蓄えていく。そんなことを、いつまでも続けていけるように思えた。
与三郎兄の表情が硬く、暗くなり、いざというときにはおれが何とかしてやる、お前は侍らしく嘘偽りのない態度でただおれよ、まことに知らんでよいことは知らんのだから、としきりに説くようになったときから、自分はあやめという女が好きなのだと気づいた。
自分はもしかするといずれ腹を切るのかもしれないが、誰よりもそれに泣いてくれそうなひと。同時に、自分が誰よりも泣かせたくないひと。それが納屋の御寮人だった。
それなのに、ひそかにくりかえした妄想の中の行為では、あやめを痛がって泣かせていた。具体性の乏しい、想像の中のあやめの躰に、餓え続けた。それまでの、不特定の女への性的な妄想とは違うものがそこにあった。肉体の昂奮から醒めても、罪悪感をおぼえながら、餓えは絶えなかった。あやめに会いたかった。一度だけ偶然に握った手の感触が、貴重なものにおぼえて、何度も頭の中で反芻した。
与三郎兄から、急ぎ鉄砲を手にいれておけといわれて焦ったために掴まされた偽物の鉄砲を納屋でみせたとき、あやめが親身になってくれたのが、涙がこぼれるほど嬉しかった。ここに、おれのことを案じてくれる女がいる。おそらく、おれを愛おしいと感じてくれているのだろう。だが、
(もう会えなくなるのだろう。)
と思った時に、腹を切るのを想像するよりも、悲壮な気持ちに打たれていた。
(遅かった。御寮人殿。出会うのも、自分の気持ちに気づくのも、我らは、遅すぎたようだ。)
帰路の暗い道で、頭の中だけであやめに呼びかけていた。
与三郎兄が突然、切腹した衝撃で、自分は腑抜けのようになったと思える。なにも考えられず、ただ流されていた。吟味のときにも、うまく切り抜けたつもりはない。それほどのことを、本当に知らされていなかったのだ。
もしも大舘が与三郎の遺志を汲み、ことを適当に収めるつもりだったとすれば、あのときはたしかに、むしろ納屋のあやめこそが(コハルに命じて)余計な細工をして、自分を後戻りできない流れに落とし、重ねての罰に追い込んだのかもしれない。
だが、あやめは知りようもなく、ただ自分のためにしてくれたのだ。そのとき自分は何も考えなかったのだから、何が起きようと一緒のことだったろう。首を斬られる羽目になっても、自分は抵抗も何もできなかったに違いない。すべてに抗しようとする気力も失せていた。
そんなところに、あやめが飛び込んできてくれた。温かく、柔らかい、香りたつ躰ごと、すべてを賭けて、抱きついてきてくれた。
このひとのためを考えよう、という自制心は、あやめの髪の匂いを知ったとたんに、いっぺんに押し流された。無我夢中で貪ったあやめの躰は、想像のどれとも違っていた。はじめて現実に差し出された、どこまでも豊かで甘美な謎。それを懸命に解いていく思いだった。
肉体のひとときの陶酔が過ぎたのち、あやめの情けがあらためて、痛いほどだった。この自分などが欲しくて、泣いてくれる女がいるのだ。
ひとりの女にこれほど大切に思われているのが、うれしくてたまらなかった。生きていようと思えるようになった。
想像のとおり、初めての行為ではひどく痛がって困惑していた女と、その女の躰の前でおよそ無力に思えた自分が、その後、未知のものを互いに不器用に探り合っていった。そのことに夢中になった。本能に導かれただけの粘膜の接触以上に、ひとと愛しみあっているという、それが無上の快楽だった。心をあわせて睦みあうため、肉体の行為をともにする。それを重ねるごとに、相手は一層かけがえがない存在になっていった。躰の刺激を工夫するたびに、女は、こちらの思いもよらぬ表情を浮かべ、意外な言葉や声を漏らす。そのとき、女の心の知らなかった新しい場所が見える気がした。それらがすべて愛おしかった。女の表情や声が、記憶の中に入りこんで、反芻するうちに自分の一部になっていった。
あやめのいうことは、なんでも聴くべきだと信じた。相手が自分に堺で商人になれというのだから、そうしよう、よい商人になろうと心から思った。そうでないと、あやめと一緒にいられないからではない。それであやめが喜んでくれるのであれば、それが正しい。あやめの望みが自分の望みで、それ以外はもうないのだと信じていた。
(ポモール……!)
あれが、自分にはあやめと共有できない望みがあるのだとわからせてしまった。
あやめと生まれた時からずっと一緒の自分を妄想したほどだったが、それでも、あまり覚えてもいない母の顔をソヒィアの顔に重ねて、生々しい懐かしさに身悶えした。
あやめとともにいた時間にはあれほどの気持ちの平穏を覚えていたのに、あやめの側にではなく、ポモールの村に自分の居場所があったのかもしれないと思った。薄倖だった亡母を裏切って、自分の新しい幸せを追うなどできぬ、という思いに囚われていった。
あのときの自分を、十四郎はその後、何度となく責めた。あやめが流し続けた苦しい涙を思い、とりかえしがつかないと悔いた。自分はもう死ぬのだから、許してほしいという思いにだけすがったが、死ぬわけにはいかなかった。
それどころか、自分のしたことは何もかもが無駄で、有害なだけだったかもしれない。
村は、最も無惨な形で滅びたではないか。ひと目で惹かれ、そしてただ一人だけ知る同族の女になってくれたソヒィアを、この手で斬り殺す羽目になった。ソヒィアがどんなに病苦のつらさや切支丹ゆえの自害の不可能を訴えていたところで、だから殺してやったのだ、相手もたしかにいまわのきわに喜んだなどとは、いまだに思えない。自分もここで確実に死ぬのだから、という思いが、無理心中のような殺害を衝動的におこなわせたのだとわかる。なんという卑劣だろう。
(兄上は女を犯したが、おれはといえば、女の命を奪った。)
(いや、兄上が無理やりに犯した女は、おれが振り捨てて、泣かせた女だ。)
(その女が許してくれたのをいいことに、おれは暢気に、いずれすぐによりを戻せるつもりで、またあてどもなく山丹に渡ってしまった。その間に、あやめは災難に遭ったのではないか。)
あやめが新三郎の側妾にされていると聞いたとき、十四郎は自分に相応しい罰が与えられたと思った。ただ、自分の過ちの犠牲になったあやめが、ひたすらに哀れだった。罪もないあやめの心が無惨に壊れている様を目の前にして、そこからはじめて怒りが湧いた。あやめの切なる願いをかなえてやるためには、その怒りは必要だった。
だが、それはあやめの気持ちに本当に寄り添ったものだっただろうか、と思い返すと、いまになって、そうではないのがわかる。
ようやく、こんな自分にまたすべきことが与えられた。可哀相なあやめが喜んでくれる。いくらかでも、とりかえしのつかない背信の罪が拭えているのかもしれない。
定型を崩した長い文章を山ほど書き送ったのも、あやめがそれで喜んでくれるという以上に、自分のためだった。何通かは、遺書としてあやめが受け取ってくれれば、と思って書いた。自分がアイノの敵兵に討たれてしまっても、あやめの中で生き続けるのを期待していた。
蝦夷地で戦いつづけたとき、大義というほどのものは感じていない。アイノのために義憤にかられたわけではなかった。和人に脅かされる人びとと自分とが、きれいに重なるように思えたくらいだった。和人と同じ黄色い肌と黒い髪をもつかれらが蝦夷として追い立てられていくことになれば、滅びてしまった異人の部族の姿かたちをとどめた自分などは、とても和人たちにまともに扱われまい。そして、蝦夷地にも荒々しい風は吹き始めていたから、アイノの人びとの望む役割を果たさなければ、ここですら居場所を喪うだろう。その程度のことだった。十四郎の闇雲な行動に、あやめが大義の衣をかぶせてくれただけだ。
(結句、自分のためだった。すべて、自分のことばかりだった。今になってわかる。)
(今……!)
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