えぞのあやめ

とりみ ししょう

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七の段 死闘  再会(二)

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 そのあやめが、目の前にいる。十四郎は結んでいないその髪と丸い背中を見ていると、声が上ずるのを感じた。
「茶の席と同じと考えられよ。いや、まだここは戦場。礼は不用。……顔を。」
 あやめは顔をあげた。
 十四郎は息を呑んだ。
 あやめの顔からは、感情らしいものは抜け落ちているかのようだった。畏まったような表情を作っているだけである。
「ご宰領さま……まことにご無沙汰失礼を申し上げておりました。このたびのご戦勝、重ねてお祝い申し上げたく存じます。」
「まだ、戦勝とはいえぬのだ、御寮人どの。」
 それで通じる。いつの間にか夕闇が迫っているが、まだ新三郎からの応答はないのだ。
(まだか……!)
(もしや……?)
 あやめと十四郎は、懸念をひとつにしている。
 ただ、十四郎は懸念をすぐに行動に移さなければならない。
「重ねて、ご降参を促す軍使を送っている。」
「早馬もよろしうございますが、船というものも……」
(あやめも、使いを出したか。)
(出しております。)
 ふたりの目が語ったが、十四郎はいわねばならない。
「物見も出した。東に向かう手筈はついている。しかし、夜討ちはせぬ。」
 横にいた萩原が、そんなことまで喋るのか、という顔をしたが、十四郎は続けて、
「暗くなると、足元が危ない。ご存じの通り、ろくな道がないからな、蝦夷島には、爾後、よい道を敷いていかねばならぬの。」
 今後のことを匂わせてみたが、あやめは溜息をついたような表情になっただけだ。まだ、新三郎兄のことで頭がいっぱいなのか、と十四郎はふとあやめが憎く感じられたが、いまは違ったようだ。
「無駄になってしまう……」
「なにが、でござるか?」
 問われて、はっとしたようなあやめは居住まいを正して、はじめて十四郎の瞳の底を見つめるようにした。と、あやめの青ざめていた顔が紅潮し、みるみる目に涙が浮かび上がる。
(泣いた……。泣いてくれたか。)
(これが、あやめだ。泣き虫の、あやめどの……)
 十四郎は初めて、あやめの泣き顔に安堵するような気持を抱いたが、その言葉には表情を引き締める。
「ご宰領さま。北の方さまと武蔵丸様も、お亡くなりになりました。遅れてではございますが、お悔やみを申し上げます。」
「納屋殿も、親しんでくれたと聞く。痛み入る。」
「ご恩は、一方ならぬご恩は、決して……」あやめは言葉を詰まらせたが、「しかし、お身内のお方のお討ち死には他にもございましたと聞きます。ご家中の皆さま、互いに多くの人死にを出したと存じます。秋田の方々とて、異郷で命を捨てられたはお気の毒。アイノの兵は、いうまでもない。みなさま、蝦夷島の大義を争って、戦われた。それが、もしも、明日もう一度ご兄弟、ご一家で戦われるということにならば、……」
 あやめは絶句した。
「蝦夷代官様を、……兄をかならず説得する。いまいちど、軍使を送る。」
「……」
「それしかできぬ。」わかってくれ、と無言のうちに十四郎は付け加えた。
 あやめは大泣きはせず、涙をぬぐうと、ふたたび平伏した。下がりたい、というのであろう。
「お疲れであろう。御寮人は、今夜は大舘に泊まられよ。お店も、そのあたりの寺も、今日は兵が借りた。軍紀行き届かず、ご無礼があってはいかぬ。」
「有り難きお言葉に存じます。……あ、ひとつ、お願いが。」
「なんであろうか。部屋ならばよりどりとはいかぬものの」
「いえ、首のことにございます。」
「首?」
(十四郎さまはご存知ないか。よかった……。)
 あやめは蛮行が十四郎の意図によるのではないらしいと気づいて、それだけは小さく安堵したが、つづけた。
「大舘のなかに、女の首がさらされております。科人ゆえでございましょうが、おそらくは人違いで討たれたものかと。」
 十四郎が沈痛な表情を深めた。
「それはならんな。無辜の者を殺めたのか。……だが、御寮人どの。将の身として恥ずかしいが、戦場なれば、兵の過ちは、なかなかに」
「はい、避け難いかと存じます。ただ、死んでしまった後も、あまりに哀れに存じますから、もう首を晒すのはやめてやってくださいませぬか。」
「そうさせる。……なぜ、人違いとおわかりになった?」
「標札に、堺の方とありましたもので。お代官を惑わして戦をもたらした憎き女狐ということで、恨まれていたのでございましょうか。」
「あやめ……?」
 十四郎は、青ざめた顔で、あやめの淡々と語る無表情をみつめていたが、やがて息を吐き、
「アシリレラ、適当な部屋をご用意せよ。」
「ご宰領さま。納屋は、馴染んだお部屋がございますが、そこはどなたか今、お使いでしょうか?」
「……」
 十四郎は沈黙してしまう。あやめはそれを同意、許可と受けとることにしたらしい。
 呆気に取られているご坊たちを促し、案内もなしに「堺の方」の部屋に向かって歩き出す。

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