174 / 210
七の段 死闘 決断(一)
しおりを挟む新三郎は茂別の手前で陣をまた揃えた。ここで長男を使いという名目で松前に返している。
(増援には間に合うまいが……)
跡継ぎとして戦場を経験させるのは、もうよいだろうと思えた。まだ幼名松房丸は、元服をすませたばかりではある。諱は公広。
(とはいえ、十四郎ともいくつも変わらんのか。)
背中を見送りながら、別れを思ってしまう新三郎は、自分が悪い予感に囚われているのを意識している。
夜明けの戦闘で、箱舘の兵の力は見切れたか、というと、不安が残っていた。十四郎が出てこない以上、箱舘の本軍は温存されていると見るべきであろう。
(茂別館は一度も落ちたことのない堅城。それに、今井の鉄砲が備え付けられているはず。)
厄介だ、という思いは高まっていた。ここまでの道中、息を潜めたように函館軍が沈黙し、茂別に閉じこもって出てこないのも気になる。
新三郎は茂別の町というべき集落に入る時に、何の抵抗もないのに驚いていた。
(いや、これを奇貨としよう。)
茂別舘の、松前大舘に似た小舘と大舘からなる丘城に翩翻と翻る飛虎旗をにらみながら、新三郎は包囲網を固めていく。
鉄砲への防御を最優先し、密集を避けた。
川の向こうの茂別舘は、不気味な静寂を続けている。
新三郎は、秋田兵を連れてきている。むしろ自分を監視する兵とも思っていたが、檜山屋形に仕える仲で顔見知りともいうべき侍大将に一団を率いさせていた。
この将が、睨みあいに焦れ始めた。
「攻めよう。相手は単に怖じておる。」
よろしかろう、と答えたときの新三郎の気持ちはどうであったか。この将は、若いときから知っているし、このたびもいわば目付役として来島した者とはいえ、不快な思いは互いになかった。
秋田兵は徒歩兵もふくめて四十ほどである。騎馬を中心に一気に川に入る。
「相手が一発目を撃った瞬間に、われわれも攻め込む。」
新三郎は鉄砲隊に準備させている。応射させ、その弾を追いかけるように渡河し、塀に張りつくつもりだ。
(秋田の連中の死骸を踏みながらになろう。)
新三郎たち攻め手の矢が一斉に宙をかけ、雨のように小舘の塀の内外に降り注いだ。
(撃ってこぬか。)
秋田兵の一団が駆けた。川を渡りきろうとするとき、ついに破裂音が響いた。
無数の生木を裂くような爆ぜる音があわさり、天に木霊した。全山鳴動したといってよい。軍記の誇大かもしれぬ表現をここで用いたい。硝煙が雲のようにあがって、舘を覆い隠した。火薬の匂いがむせるほどに充ちた。
(これほどの数とは予期しなかった。)
新三郎は斉射から知れる鉄砲の丁数に、唖然とした。
それでも二騎は渡河している。新三郎はそれを避けてこちらの鉄砲を撃たせた。
(少ない。)
さきほどは敵を圧倒した我が火力が、いまやみすぼらしく感じられる。
新三郎は秋田兵が命からがら張りついている大手門に向けて、兵たちを一斉に突進させた。
「駆けろ。早い者勝ちだ。」
(第二撃を避けるには走るしかない。)
全軍斉射などという真似は、そう簡単ではない。十四郎がいかに兵を鍛えているかがわかった。
だが、この時代の銃は連射できるものではない。その間隙をつくべきであろう。
ところが、思ったより第二撃目にあたる、こんどは準備の整った者からの射撃は早い。乱射を受ける形になる。川を渡っているさいちゅうの兵が倒れた。それをかわした者たちが、小舘に取りつく。
塀を超える者が出てきた。
新三郎は、馬を撃たれて立ち往生気味だった秋田の将―小介川という変わった姓を持っていた―を救い上げる形でいったん自らは陣に戻った。しかし、攻勢の手を緩めない。城内に飛び込み、門を内側から開けてしまえば小舘は落せると見た。
その陣に、敵の騎馬が背後を突く形で突進したとき、すでに午であった。
(こざかしいぞ、十四郎。)
十四郎の手はこれか、と新三郎は見抜いた気になった。正面の攻城戦にはりつけておき、あらかじめ放っておいた騎馬隊が折りを見計らって、本陣で大将首をとろうという奇襲策であろう。二十数騎が襲ってきた。
(この程度か。)
箱舘の手持ちの兵は少ないのか、と新三郎は考える。
見ると、馬に乗っている中には、和人でない者が混じっていた。
(蝦夷を馬に乗せたな。)
新三郎は、十四郎を叱り飛ばしたい。物見によれば、舘の中には少なからぬ蝦夷の女が鉄砲を握っていて、城内に躍りこんだ蠣崎侍の刀槍の餌食になっているという。ただ、そうなる前に仲間の槍兵や弓兵がかばって応戦するらしいが、悲鳴をあげて逃げ惑う者も少なくないらしい。
(お前は、戦うべきでない者どもを戦わせているのだ。)
(なぜそんな真似ができる?)
新三郎とその麾下の将、近習たちは慌てなかった。突入に気づくのが早かったためだ。無理押しするには、奇襲の敵の数は十分ではない。
(十四郎、賭博はお前の負けだぞ。)
それでも数騎が本陣に飛び込み、大将みずから血刀を振るう事態になった。小舘を襲う兵たちにも動揺が走る。
これを乗りきったとき、戦勢は決定的に攻城方に傾いた。新三郎は小舘部の陥落は間近と確信した。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲
俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。
今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。
「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」
その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。
当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!?
姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。
共に
第8回歴史時代小説参加しました!
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
証なるもの
笹目いく子
歴史・時代
あれは、我が父と弟だった。天保11年夏、高家旗本の千川家が火付盗賊改方の襲撃を受け、当主と嫡子が殺害された−−。千川家に無実の罪を着せ、取り潰したのは誰の陰謀か?実は千川家庶子であり、わけあって豪商大鳥屋の若き店主となっていた紀堂は、悲嘆の中探索と復讐を密かに決意する。
片腕である大番頭や、許嫁、親友との間に広がる溝に苦しみ、孤独な戦いを続けながら、やがて紀堂は巨大な陰謀の渦中で、己が本当は何者であるのかを知る。
絡み合う過去、愛と葛藤と後悔の果てに、紀堂は何を選択するのか?(性描写はありませんが暴力表現あり)
ステンカ・ラージン 【軍神マルスの娘と呼ばれた女 5】 ―コサックを殲滅せよ!―
kei
歴史・時代
帝国は北の野蛮人の一部族「シビル族」と同盟を結んだ。同時に国境を越えて前進基地を設け陸軍の一部隊を常駐。同じく並行して進められた北の地の探索行に一個中隊からなる探索隊を派遣することとなった。
だが、その100名からなる探索隊が、消息を絶った。
急遽陸軍は第二次探索隊を編成、第一次探索隊の捜索と救助に向かわせる。
「アイゼネス・クロイツの英雄」「軍神マルスの娘」ヤヨイもまた、第二次探索隊を率い北の野蛮人の地奥深くに赴く。
ヴィクトリアンメイドは夕陽に素肌を晒す
矢木羽研
歴史・時代
カメラが普及し始めたヴィクトリア朝のイギリスにて。
はじめて写真のモデルになるメイドが、主人の言葉で次第に脱がされていき……
メイドと主の織りなす官能の世界です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる