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七の段 死闘 激突(三)
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陣を整え、貴重な竹を組んだ防御柵などを丹念に作り、鉄砲への備えを十分にしてから進む。
茂別舘を囲むところまで、時折り、相手の物見をとらえるくらいで、ほぼ無抵抗のうちに行軍した。
こちらの物見が帰ってきた。茂別舘への籠城がはじまっているという。
(籠城してどうするのだ。援軍がどこかから来るのを待つというのか。)
新三郎は、碁で十四郎が悪い目を打ったのを見たような気がして、舌打ちした。はやく勝負を終わらせて寝たいのに、相手の下手のせいで長い碁にされてしまった。
(そんなことが、たしかに奴との間で、あったぞ?)
腹立たしいなかで、ふと懐かしい気がする。あの小さな弟に碁を教えてやったのは、たしかに自分ではないか。
「敵将は、蠣崎十四郎か?」
「不明にて。」
「あいつがわからぬはずもない。顔で知れよう。」
(別人か。玄蕃守(五男正広)か?)
その必要は薄いのに、もう一度見て参れ、と命じて、新三郎はやや思案する。
(さて、この城に構うべきか。)
まっすぐに箱舘に向かい、おそらくは薄いだろうその守りを破って、「政庁」の主だった連中を捕縛してしまえばいいのではないか。
(秋田の連中をこの茂別舘の抑えに使い、おれの本隊は予定とおりに一直線に箱舘のみを目指す。それが戦理ではないか。まさかそう簡単に背中をつかれもせぬし、打って出てくるようならば、逆に平らげてしまえばよい。)
なかば決意しかけたとき、また物見がやってきた。
「鈍い銀色の甲冑を来た、背の高い将。お目やお髪の色はわかりませぬ。」
「顔を隠しているのか?」
「ただ、見慣れぬ旗印がございまして。」
川を挟んだ向こうの柵に、何本もこれ見よがしに立てられ、奇妙な図柄が翻っているという。
「四足の、どうも虎の姿。それに翼らしきものが生えております。」
新三郎は息を呑んだ。
蠣崎代官殿は莞爾として微笑まれ、といくつかの野史が記すのは、このときであろう。周囲の者が聞き取ったとされる台詞もほぼ共通していて、
「心掛けなり。兄の言漸く聞けるか。」
(やっとわかりおったか、あの馬鹿が。)
新三郎は立ち上がった。気持ちの昂揚があったときの癖で、この男らしくもなく、せわしなく歩く。
ひとつの古記録には、つづけてこのようにある。
「サレド学ブニ遅シ。事此処ニ及ブ。天命悟ルモ又空シ。我是ヲ惜シム。」
天命、とまではいうまい。新三郎はあくまで、蝦夷島における天命は自分にあると確信している。ただ、惜しいことだが、とはいったのであろう。
(よい。存分に戦ってやろう。)
わけを尋ねる小姓のひとりには、史書を読め、とだけいった。
「上に畏れ多い思い上がりよ。ただ、おれが諭してやったのだがな。ようやくわかりおった。だが、遅かったかの?」
蠣崎新三郎は、自分がその十四郎によって、決戦の場から遠くに釣り上げられているのを知らない。
茂別舘を囲むところまで、時折り、相手の物見をとらえるくらいで、ほぼ無抵抗のうちに行軍した。
こちらの物見が帰ってきた。茂別舘への籠城がはじまっているという。
(籠城してどうするのだ。援軍がどこかから来るのを待つというのか。)
新三郎は、碁で十四郎が悪い目を打ったのを見たような気がして、舌打ちした。はやく勝負を終わらせて寝たいのに、相手の下手のせいで長い碁にされてしまった。
(そんなことが、たしかに奴との間で、あったぞ?)
腹立たしいなかで、ふと懐かしい気がする。あの小さな弟に碁を教えてやったのは、たしかに自分ではないか。
「敵将は、蠣崎十四郎か?」
「不明にて。」
「あいつがわからぬはずもない。顔で知れよう。」
(別人か。玄蕃守(五男正広)か?)
その必要は薄いのに、もう一度見て参れ、と命じて、新三郎はやや思案する。
(さて、この城に構うべきか。)
まっすぐに箱舘に向かい、おそらくは薄いだろうその守りを破って、「政庁」の主だった連中を捕縛してしまえばいいのではないか。
(秋田の連中をこの茂別舘の抑えに使い、おれの本隊は予定とおりに一直線に箱舘のみを目指す。それが戦理ではないか。まさかそう簡単に背中をつかれもせぬし、打って出てくるようならば、逆に平らげてしまえばよい。)
なかば決意しかけたとき、また物見がやってきた。
「鈍い銀色の甲冑を来た、背の高い将。お目やお髪の色はわかりませぬ。」
「顔を隠しているのか?」
「ただ、見慣れぬ旗印がございまして。」
川を挟んだ向こうの柵に、何本もこれ見よがしに立てられ、奇妙な図柄が翻っているという。
「四足の、どうも虎の姿。それに翼らしきものが生えております。」
新三郎は息を呑んだ。
蠣崎代官殿は莞爾として微笑まれ、といくつかの野史が記すのは、このときであろう。周囲の者が聞き取ったとされる台詞もほぼ共通していて、
「心掛けなり。兄の言漸く聞けるか。」
(やっとわかりおったか、あの馬鹿が。)
新三郎は立ち上がった。気持ちの昂揚があったときの癖で、この男らしくもなく、せわしなく歩く。
ひとつの古記録には、つづけてこのようにある。
「サレド学ブニ遅シ。事此処ニ及ブ。天命悟ルモ又空シ。我是ヲ惜シム。」
天命、とまではいうまい。新三郎はあくまで、蝦夷島における天命は自分にあると確信している。ただ、惜しいことだが、とはいったのであろう。
(よい。存分に戦ってやろう。)
わけを尋ねる小姓のひとりには、史書を読め、とだけいった。
「上に畏れ多い思い上がりよ。ただ、おれが諭してやったのだがな。ようやくわかりおった。だが、遅かったかの?」
蠣崎新三郎は、自分がその十四郎によって、決戦の場から遠くに釣り上げられているのを知らない。
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