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六の段 わかれ ヨイチの幻滅(一)
しおりを挟むヨイチでの艤装はそれほどの時間はかからない。
大きな荷物の受けとりも済んだ。いつのまにかヨイチにいる、徹底して無口な鈴木十三にあとはまかせる。
となると、あやめたちは、することもない。蝦夷商人の八郎右衛門の家でまた歓待を受け、それ以外は一見のんびりと船の出来あがりを待っている。
徳兵衛が迎えてくれたのが、うれしかった。湊で、軍船となった今井の船と、かき集められてきた、大小の和船、蝦夷船が所狭しと浮かんでいるのを見ながら喋る。
(トクはこんなに立派になったけれど、こうして三人で海をみていると、上方に戻った頃を思い出す。)
(この子は、喜んだ犬のように海辺を走っていたなあ。)
「御寮人さまにお供いたして、箱館に参りとうございます。」
「よければ、そうして貰いたいが……」
「前の知行地では、もう村上さましか、お仕事はございませぬ。」
「戦だからな。」
「はい。」
西部戦線というべきものは、萩原五兵衛が引き連れて南下中の、この唐子の兵が中心だが、主将は村上兵衛門になるのである。松前の西部からの侵入を図る軍は、最も北の花沢舘で合流し、松前の支城ともいうべき比石舘から原口舘を攻めるであろう。ただし、それらの舘の帰順はすでになかば決まっていた。兵はすみやかに松前の西の守りと激突するはずだ。
(……だが、松前の守りは東西ともに固い。まともに攻めれば、勝敗はわからなくなる。)
あやめは恐れている。
(戦は長びいてしまう。)
(数で押して松前に兵が突っ込むのはできるだろうが、そこで……。)
(いずれにせよ、松前で十四郎さまとお屋形さまがぶつかれば、大変なことになる。)
松前の街中での両軍の総力をあげた殺し合いを思って震えたが、そのなかで二人が殺しあうさまを想像すると、あやめの血は凍るのだ。かつてあれほど夢みた輝かしい光景が、いまは最も目にしたくない地獄絵図であった。
(そうならぬためには、ただ一つしか手はない。戦になってしまえば、その手しかないが……)
「徳兵衛さん。せっかくだが、御寮人さまはここからエサシにむかわれる。」
「存じております。そこでお船を乗り換えて、お帰りに。」
「なられぬやもしれませぬよ。」
「いや、戻る。エサシに用はない。」
「……会われる方がいるでしょう。大きな声ではいえぬが、来られるではありませぬか。」
「その、声が大きい。」
十四郎の決定的な作戦であった。これは味方ですら、知らぬ者が多い。
「……お会いせぬ。ことが済むまでは、お会いできぬと申した。」
「御寮人さま。何故でございますか。」
「トク……徳兵衛さんまでいうか。」
徳兵衛はあやめを心配していた。もちろん、あやめについてくわしくは誰も伝えてはいないが、唐子での商売で、しばしば十四郎に会っている。蝦夷地の有力者、通称ご宰領様になった十四郎が、昔馴染みのよしみで、あやめのことを口に乗せる時、何も知らせなくてもあやめの身を案じる気持ちが、徳兵衛には伝わる。
(御曹司さまは、御寮人さまがご心配でならぬのだ。)
(大舘からお救いしようと、懸命なのだ。)
(その想いだけで、流人も同然の境涯から、ここまでになられた。)
少年時代から憧れていた御曹司さまへの敬慕は高まり、大人の頭になってからもかわらない。崇拝する、いまは悲運の底にある主人との幸せを祈らずにいられない。
「申し上げますが、お会いしてくださいませ。ご宰領様も楽しみになさっておいでです。会ってあげてくださいませ。」
あやめは苦しい表情に一瞬なるが、
「徳兵衛さん。あんたにはまだお伝えしていないこともある。」
黙れ、という意である。なかなか食えぬ商人に成長している徳兵衛は、しかし、あやめには従順である。
「はい。」
「徳兵衛さん、簡単に引き下がらないで。ご主人に意見するのも店の上の者の勤めでしょう。」
「番頭さんは?」
「弥兵衛さんは箱館だ。儂らの今している仕事は何もご存じない。だから、御寮人さまの依怙地も存じ上げぬ。」
「依怙地ではない。」
「番頭さんがご反対されぬのであれば、手代風情が申し上げるのは……」
「そうじゃの。」
「……僭越に存じますが、御曹司さまがお可哀想とお思いになりませぬのは、意外に存じます、御寮人さま。」
「なにを……。僭越というより、無礼であろう、蝦夷地ご宰領様がお可哀想とは。」
「いや、ここはトクさんのいわれるとおり、そうでしょう。あのお方が、どんな思いでここまでたどり着いたか。そして、これから、大きな声ではいえませんが、命がけの博打を張られるのですぞ。長年会えなんだ想い人を、一目でも見たかろう。」
「ならば、お前たちがお会いすればよいのじゃ。」
あやめは意味の通らぬことをいい捨て、肩をいからせるようにして、八郎右衛門の屋敷の方に戻りだす。
「あ、お供いたします、御寮人さま。」
「……」
「昔から、お足がお早い。懐かしう存じます。」
「……」
「よくお供できました。またお供できる。やはり蝦夷島はトクにはよいところでございます。」
「徳兵衛さんは、えらいのう。ご苦労も多いのに、そんな風にいえる。」
「久しぶりにお褒め下さいました!」
徳兵衛のほうがずいぶん大きくみえる背中が、あやめのこれはずいぶん小さい背中を追っている。コハルはそれを、物憂げに眺めていた。
「……待たせたな。」
呟く。と、水主の姿の男が何食わぬ顔で近づき、囁いた。
「エサシの湊、ご懸念無用です。」
「うむ。」
コハルのみるところ、―そして十四郎もそう考えているにちがいないが―この戦で肝要なのは、松前と箱館の間、すなわち東ではない。松前からみて北西部をいかに抑えておくか、なのだ。そして、それは目算がたったらしい。
「こうなると、はやく安東侍従からの命が新三郎に下らぬかとすら思えるの。」
戦機というものがある。相手が自分たちの実態を掴んでいない今こそがそれであろう。
「それが、どうやら。」
「下ったか。」
「秋田からの援兵の数の相談に入った。おそらく五、六十は参ります。」
「ほう。湊合戦(安東家別流との内紛)もあるというに、はずむものだな。」
「なんの、代官様に妙な動きをさせぬためだけの兵だ。代官様は厭がっておられるそうな。」
「新三郎は、監視の兵を減らしてくれと相談をしているのじゃな。」
「御意。」
「何騎来ようと、松前で留守番をさせる以外ない兵か。後ろで見張られておる。」
コハルは嗤った。ただ、松前の固めの心配がない分、打って出るべき兵を増やすであろう。
「ご存知か。」
十四郎は、である。
「正式に、箱館の蠣崎の弟君ご一統に対し、秋田より追討令が出るのを待たれるでしょうが、すでに箱館を出るご準備をなさっておられるとか。」
「早く出られよ。エサシで会えぬ。」
さもないと、エサシの湊では、行き違いのようになるだろう。海峡のどこかで船がすれ違うことになる。
「え。お待ちになるのではないですか。」
「お前からも御寮人さまに申しあげてくれぬか。」
「滅相もない。……どうしたんだい。さっきもだ。」
「おぬしには、……」いや、とコハルは思い直して、溜息をつくようにいった。「儂らなどには、わからぬわ。」
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