えぞのあやめ

とりみ ししょう

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六の段 わかれ  箱館(一)

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 蠣崎十四郎の箱館入りは、遅れている。
 だが、おそらく明日には、新しく開かれつつあるこの湊町を目にすることができるだろう。
(まもなく、あやめに会える。)
 騎馬の十四郎は、身体に馴染んできた南蛮甲冑の目庇のなかで、自然と目を細めた。
長い旅路であった。かれの本拠である唐子からはもちろん、船が一番早い。だが、このたびは兵を連れて入城し、志摩守の新しい政庁の軍となるのである。兵を率い、イシカリから、はるばる陸路をとった。行く道でアイノの兵を吸収していき、より大きな兵力を築いていった。
海岸線以外にろくな道はない。蝦夷島に、安東家もその代々の蝦夷代官である蠣崎家も、道を引くことをあまり考えてこなかった。日ノ本は南部もまだ十四郎がすべてを宰領しているわけではなかった。イシカリ・ヨイチの軍が通過するだけで、軋轢も起きた。それを鎮めながら進む形になる。日ノ本の南東部の北からこそが広大であるが、この北部地域は、新三郎になってからの蠣崎代官家支配地からの圧迫もまだ全く意識していない。いざというときに中立を保たせるのにも気を遣う。
日ノ本南部の内浦沿岸で大きな兵力を吸収し、かつて半島東部アイノの土地だった地域に入ると、そこからはなかば戦旅であった。
ある考えがあって、このあたりから、顔をすっぽり覆う兜をもつ銀色の南蛮甲冑を、自分の印のように内外に印象づけている。同じ理由で、この征旅に先立って、旗も作っていた。
 あやめにことの仔細をつたえて、作ってもらった。京で意匠を起こしてくれているから、目をみはる立派なものになった。
頼みを文で受けたあやめは、そのときはただ意外の念を抱いただけだった。いまあやめが思いおこしていることを、十四郎とて正確には知らない。
(やはり、十四郎さまとおやかたさまを戦わせてはいけない。)
箱館は、すでに決定的な布告を発していた。新三郎の定めた知行地をいったん廃し、東西のアイノの旧領支配を一部回復するというのである。
(いったん、一部……が父上らしい。)
 十四郎は苦笑いする。かつてただ尊敬するばかりであり、自分の命を救ってくれたはずだった父を、十四郎は突き放して見ざるをえなくなっていた。
(が、蠣崎武士の全てを敵に回すわけにはいかない。どっちつかずで、かれらに期待を持たせるのは、いまは、必要だろう。)
(利権は、「敵」のそれを奪って、手に入れるのだとみな思っている。父上は、ここで敵味方を分けられようというのだ。)
十四郎の軍はその命を受け、知行地を通過した。松前から派遣された武士たちのうち、箱館に帰属を誓わぬ者を追い、内浦アイノや東部の旧首長の一族を復帰させた。
箱館の地の隣といっていい、シノリにたどり着いた。この地に復活したばかりの舘は、すでに箱館の新政庁に属した形をとっていた。十四郎の軍は悠々と入城した。
ここから十四郎は、蠣崎志摩守と蠣崎蝦夷代官にあてて、視察報告という形で意見書を送る。父と兄はほぼ同時にその書状を受けとった。

蠣崎愛広がいわゆる歴史の表舞台に登場したといえるのは、この日であろう。
「志海苔状」は和人の一方的支配を最終的に断念し、「日本人(和人)」と蝦夷(十四郎ですら、アイノとは書かなかった)の勝手往来(共存と書きたかったであろうが、そうした概念は十四郎の時代にはない)を通じて、前者が後者を慰撫、教化するべきだとして、和人政権が一定の権威をもってアイノの自治体を盟主として統括する緩やかな支配を、と建白するものであった。
ちなみにいう。十四郎ですら、和人という「文明人」の蝦夷に対する文化上の優越を疑わなかったともいえる。あやめや十四郎の、この時代としてはすぐれて開明的とも人道的ともいえる考えというのは、そのようなものだった。むしろ、新三郎の隠れた蝦夷観こそが、はるかに本質的に新しい開明性を帯びていたのかもしれない。

(空文空語だ。)
新三郎は十四郎の建白を一読して笑い捨てたが、もっとも、「志海苔状」の文言は、秀吉が志摩守の任命にあたり、蝦夷の自治をある程度認めるとれる文言を混ぜたことに矛盾しない。
(だからこそ悪い。上方の天下人が蝦夷島の富に手を出すとき、たれが守るか。蝦夷島を武力で抑えている確固とした領主が要るではないか。蝦夷の村々がばらばらで、志摩守を称する蝦夷島主は名目上のお飾りであれば、いまの檜山屋形(安東家)と変わらぬ。天下人や上方商人たちのやりたい放題にされかねぬ。)
(そうであろう、あやめ?)
 新三郎は、そこにいないあやめに問いかけてみた。
(お前が、十四郎にこれを書かせたのか?)

 一方、志摩守は「志海苔状」こそ新政庁の基本方針を示すものとして、喜んで受け取った。ただちに、蠣崎愛広を「蝦夷地代官」に任命する。安東家の「蝦夷代官」である新三郎との関係は曖昧なまま、ある意味では安東家支配にこれで終止符を打つと宣言したことになる。
 ここで十四郎は代官職を固辞した。その真意は不明だが、ひとつには志摩守支配下に簡単には入らない、なかば独立した、一種の同盟者の地位を守りたかったからであろう。
(あやめは、教えてくれた。父上にご用心されよ、と。)
 あやめは蠣崎家の毒殺事件の真相をはっきりと伝えたわけではないが、十四郎は貰った文の中からそれを読み取っていたし、自分が追放された経緯についても、新三郎との別れの際のやりとりを思い出して、何事かを読み取っている。
「志州様かねてより御子を喰われる方にて」
とだけ、あやめは書いてきた。それでほぼすべてが知れた。
(“代官”同士の争いにされたくない。あくまで、志州さまである父上やその取り巻きである兄上たちと、新三郎兄上が争うのだ。おれはもちろん、志州さまにつく。新三郎兄を討つ。だが、おれたち二人だけの争いにはさせない。)

 代官職固辞のまま、目と鼻の先のシノリ館に留まるうちに、さらに一日が過ぎてしまった。十四郎は灯火の下で、一人座って物思いにふけっていた。
「会いに来てくれぬのか、あやめは。」
後ろから女の太く作った声が聞こえたので、十四郎は振り向く。アシリレラが、鉄砲足軽のような具足姿で立っていた。笑っている。
「ご宰領さま、背中がそういわれていますよ。聞こえました。」
「アシリレラ、なんだお前は。礼儀がなっていない。小姓を通せ。いきなり入ってくるな。」
「わたくしはまだご宰領さまの小姓でございますよ。一番古くからお仕えの小姓です。出入りは勝手でございます。」
「そんなことはない。」
「あやめはまだか、とお声が聞こえんばかりでございましたから、あやめさまの妹のわたしが、急いで、飛んで参りました。」
「お前では代わりにならぬ。」
「まあ、おむごい。」
「納屋の御寮人は、箱館では志州さまのお側でお仕えとのこと。お聞きしたいこと、今後のことで詰めておくべきことが多いのだ。お前と相談してもはじまらぬ。」
「ひどいなあ、オンゾウシは。」アイノの言葉になって、アシリレラは十四郎の側による。「わたしでは代わりにならない、って面と向かっていうのは、ひどい。……ゴリョウニンサマに会いたいと、そればかりなのは、わかりますけどさ。」
「アイノの言葉になると、お前は、まったく大人になりきれていないのがわかるな。」
「もう、大人ですよ。」
「子どもだよ。」
「慰めてあげましょうか?」
 十四郎の腕を、少女はとった。
「それが子どもだというんだよ、アシリレラ。」
いつも似たようなやりとりだな、とアシリレラは不満に思ったが、睨んでやろうとふと見ると、十四郎の顔つきが妙だ。
「オンゾウシ? どうなされた?」
「……仲間の他の女ごたちにはいうなよ。これからおれのいうことを。」
「はい?」
「アシリレラ、すまぬな。お前にそんな恰好をさせてしまって。」
「この恰好ですか? 鉄砲を撃つなら、これですよ。」
「その、鉄砲だ。……たくさんの女ごを、戦に連れてきてしまった、おれは。それを、謝りたい。」
「わたしは、もう、慣れました。それに、次の戦は必ず勝てる。」
「慣れてしまったか。……」
「オンゾウシは、わたしたち女子どもに力をくれたと思うよ。」
「おれにも、そんなつもりはあった。……だが、間違いだったかもしれない。」
「間違いじゃないよ。きっと、戦に勝てばそれがわかるよ。」
「勝ったとしても……。いや、すまない。忘れてくれ。」
「……それに、うれしいよ、オンゾウシ。」
「?」
「いまの話は、わたしだけが聞けたものですね。たとえお姉さまにも、話せないでしょう?」
「いまさら、こんな弱気のところを御寮人殿に見せられるか。」
「そうだね。でも、わたしには見せていいんだ。それがうれしい。」
 アシリレラは、十四郎に抱きついた。そして、和人の言葉になって、
「ご無礼いたしますよ。」
「アシリレラ。やめぬか。」
「これだけでございますよ、ご宰領さま。……どうか、お気になさらずに。アシリレラは決して戦で死にませぬ。怪我もいたしませぬ。ことがなりましたら、お姉さまと一緒に、ご宰領さまに変わらずお仕えいたしとうございますから。仲間もみな、なにも恐れておりませぬ。戦のあとの、今より安心できる、たのしい暮らしだけを信じておりまする。」
「そうか。そうであればよいな。……礼をいう。アシリレラ。」
 十四郎は、アシリレラの頭を撫でた。子どもを褒めるようだった。
(このひとは、いつもこうだ。)
(戦が終われば、なにかが変わるだろうか?)
(アイノを抑え込もうという者を、オンゾウシが倒す。そして、……)
(お姉さまとお暮しになる。わたしは、そのとき、ほんとうに一緒にいられるのだろうか?)
 アシリレラは、無意識に男の袖を掴んだ。
(……いるともさ。わたしにとっても、どうやらこのひとが、人生そのものなのだから。子どもの時から、ずっと見てきたこのひとだけが、そうなるはずなのだから。)
 アシリレラは首を伸ばして、ずいぶん高いところにある十四郎の頬を舐めた。
「おい?」
こちらを向いた十四郎の口に唇をあてた。十四郎に外されるよりも早く、とすぐに唇を離す。
「今日は、ここまで進みました。またのときに、もう少し進めますね。」
「よさぬか。」
「戦の前だもの。これくらいは、させなさい。」
「侍の習慣は、逆だ。出陣前には女性を避ける。覚えておけ。いや……」
「それはわたしたち女の集まりには、無理だよ。」
 ふたりで笑った。
「それにしても、なぜ、お姉さまは来られないのですか?」
「お忙しいのだろう。」
「ならば、ウスケシュ(箱館)でお会いできますね。」
「そうとも。」

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