えぞのあやめ

とりみ ししょう

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五の段  顔  恋う声(一)

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 日が既に短く、薄暗い灯火に照らされたなかで、新三郎ととりとめのない話をする。それが、あやねにはひどくうれしく、好きな時間になっている。
「もう少し、調度などもよいものにすればよい。部屋もここは、さほどよくはない。」
「随分、道具は増やしました。このお部屋は最初、おやかたさまにいただいたものですから。それに、伺いましたよ。御曹司さまも子どもの頃使われていたとか。なにやら、うれしう存じました。」
「あやめ、それはさほどには考えなんだ。忘れておった。」
「あら。」
 やはりかと、あやめはさほどに気にしていない。それでもこの部屋になったというのには縁を覚えるし、新三郎の正直さに、かえって微笑ましい気分になる。
「では、なぜこのお部屋に?」
「それはあやめ、わざと……」粗末な部屋に押し込んで、もうお前は有徳人の御寮人だけでは済まぬのだぞ、と教えてくれんとしたのだ、とまではもういえず、新三郎は言葉を呑みこむ。あやめはわかっているが、微笑んで、
「お寺さまの庫裏も、いまとなれば、懐かしいばかりでございます。そもそも女が立ち入っていたのですから、それだけでばちがあたりましょうが、埃くさいお道具の転がった、寒い場所でございましたが……」
「十四郎のか。」
 新三郎はさらに苦い顔になった。
(いまさら、おれにあてつけたいわけでもあるまいに……)
「人の世の旅(人生)の場所。」
「なに?」
「少し長く生きれば、ゆめ忘れられない場所というのができるのでございますね。このお部屋も、あまり好きではございませんでした。いろいろなことが起きた。うれしい思いもできて、いまは、そればかりでございますよ?」
「気を遣わんでもよい。」
「嘘は申しませぬ。ですから、もちろん、申さねばなりませぬ。つらいこと、おそろしいことの方が多うございました。……」
 あやめは心の中で手を合わせた。死者に詫びた。
「……で、ございましょう?」
 わざといたずらっぽく目をやりながら、ふざけた調子でいう。新三郎はあやめの自分への心遣いがわかるから、あくどい冗談で応じる。
「左様かな。おれはあやめを思う存分いじめてやって、楽しいばかりだった。」
「また、おむごいことを。」
 あやめは笑う。
「ここも、わたくしにとって、最後に目を閉じるまで、決して忘れないお部屋でございましょう。ですから、いまとなってはなにやら、なにも変えたくない。いまここにいるのに、いられるのに、……懐かしい。」
「あやめ、どこにも行かなければいいのだ。」
 新三郎は、あやめが箱舘に向かわねばならぬと考えるのを知っている。
(何故、左様に思い詰める?)
(十四郎に会いたいがため、だけではなかろう? 何故じゃ?)
「……おやかたさま、このままの、このお部屋に、戻って参りますよ。」
「どうしても箱館に行くというのだな。……逃がさぬというたぞ。」
 新三郎は、さびしく笑った。それはできぬだろう、とは思っている。
「……逃がさないで。」
 あやめが、うつむいて、ぽつりといった。
「あやめ?」
「わたくしを、捕まえて、放さないでくださいませ。愚かな了見で、飛び出していってしまわぬよう、おやかたさまのお手で、止めてくださいませ。箱館などにもう行きとうない。」
「あやめ、そうしてやるとも。お前はおれのものだ。どこにもいかさぬ、ともう何度もいうた。おれは、いうたとおりにする。」
 新三郎はあやめを抱き締めた。痛い、と呟いたが、あやめは新三郎の胸の中で、安らいだ表情になる。

 また明け方近くまで、体力の限りに交わりを続けた。一度睦みあった後、いつものように長い寝物語のなかで、また互いに相手のふとした言葉や所作から愛しさに衝き動かされ、昂って、抱き合った。それから新三郎は、二度果てた。
 あやめは中に熱いものを受け止めるとき、はっきりと快感を味わっている。
 十四郎とのときとは、それが違った。あのころは、十四郎にそれを全うさせ、満足させた喜びだけが大きかった。胎内に熱い液体が引っ掛かる感覚はまだもどかしいばかりで、それ自体が快いかどうかは考えもしなかった。精を受けるのにはいくらかの躊躇いも恐ろしさもあったが、最後まで離れたくないだけだった。一体感が極まったという思いが、あやめを酔わせ、昂揚に包んでいた。
 新三郎に放たれる寸前には、それが欲しいという渇望を鋭く感じるようになっていた。自然に男をうながす言葉が出る。かつては受胎を心底怖れていたのに、いまは同じ新三郎の精が胎内に留まってほしいと、この時からすでに祈る気持ちが湧いている。ただ、男の動きが強くなり、肉が膨れ上がるのを感じる瞬間には、ひたすらに快感への期待が切迫して、なにも考えられず、目もくらむほどだ。そこに男が力強く蒔くものを、火傷しそうなくらい熱く感じるのは何故だろう。胎内を叩き、流れ込む熱湯の感覚と同時に、自分の中で果てて息をつき、急に重みをかける男へのいとおしさがつきあがって、あやめは狂うような幸福感に打たれてしまう。汗みずくで跳ねあがるように震えながら、自分が何を小さく叫んでいるのかもわからない。

 陶酔から醒められぬままに目を閉じて息を吐いているばかりのあやめに、新三郎が何か声をかける。まだそれも遠いほどだが、乱れきって顔にかかった髪を払ってくれるのがわかる。大きな手がそのまま汗の浮いた顔を撫でる。
 あやめはようやく目を開け、新三郎が見つめているのと目が合って、はにかまざるを得ない。男の顔にも汗が光っているのがわかる。
「あやめ?」
 新三郎はわかっているから、よかったか、などとは訊ねない。あやめも黙って、微笑んで、頷いた。
「お体を、お拭きします。」
「頼もうか。」
 起き上がろうとして、腰に力が入らないのに気づき、あやめは複雑な表情にならざるをえない。
(わたくしは、こんなになるまで……)
 新三郎はといえば、そんな、当惑しているあやめがいとおしく感じられてならない。征服欲が満たされたというよりも、愛すべきものを見ている悦びが突き上げてくる。
「起きられぬな。」
「はい、申し訳ありません。今しばらく……」
「そのままでよい。」
「でございますけれど。」
「俺が汗を拭いてやる。」
「ようございますよ!」
「させよ。」
 断ってもあまり抵抗できないあやめの裸の躰を持ち上げるように少し起こし、背中から布で拭いてやる。あやめは手で顔を覆っている。
「顔を見せよ。」
「厭でございます。恥ずかしい。……それに、とっくにお化粧も落ちて。」
「お前は白粉などつけずともきれいだ。幸い月明りで、夜目にも肌がほら、光っておる。」
「なぜ、そんな恥ずかしいことをおっしゃいますか。また、あや憎い(意地悪な)真似をなさいますのか。」
「なにがさが悪(意地悪)だ。まことのことだ。」
「さが悪でございます。」
 あやめは先ほど自分の躰を思うままにした、筋肉の束のような男がむきのように言い募るのが、おかしいようなうれしいような気持ちで、くらくらする。
 ひとしきり肉の快楽を貪った直後だというのに、おとなとも思えぬような痴語を向けられ、抱きあげられているうちに、染み入るようないとおしさに、また躰が熱くなってくる。布越しに感じられる男の掌の温かさに、火照りが呼び返されてきた。
(なんという好色……!)
 あやめは我ながら呆れるような気がした。
(わたくしは、斯様な女だったのか。)
(このお方が好きだ。いとおしい。)
(この方の低い、よく透るお声で、お前がいとおしい、宝だと、また聴きたい。肌に触れて下さり、お前はきれいだとお褒めいただきたい。)
(ああ、大きなお手が、温かいな……。)
(ああ、また、愛して(可愛がって)貰いたくなってきた。)
(この躰の中に入ってほしい! したたに抱きつぶしていただきたい。何もかもで繋がっていたい!) 
(でも、いま、十四郎さまを思い出してもいる。ご兄弟ともにお手の大きい、おやさしい人だったのだ、などと思うている。声が似ておられる、などと思い出している。)
(いま、十四郎さまのお躰を思ったっ?)
(二人の男に抱かれたいのかい、あやめ?)
(わたくしは、いったい、なんて女になってしまったのか。)
「あやめ、驚かなくてもよいぞ。」
 新三郎が、やさしく諭すような声を出した。手の中にある、あやめの躰の変化にこの男は気づいていた。それには有頂天に飛ぶ思いにもなっていたが、あやめのような才長けた女が、自分の躰の自然について思うだろうことも、一方で気づいている。
 微笑む表情に、影がふと差したのがわかる。なにか余計なことを考えているのだ、とわかった。もとより、十四郎のこともある。ひどく恥じる気持ちをもたなくていいのだぞ、といってやりたい。
「たれにも、こんなうれしすぎる夜はある。お前はよい女なのに、松前に来るまでは蕾もできぬままであったようだし、こちらで、花がつくのも遅かった。ようやく、花が十分に開いたのよ。」
 指摘されて、かえってあやめは恥入ってしまった。
「なぜ、そんなこと? いわれなくてもよろしいのにっ!」
「いや、……また、可愛くなりはじめておるが、恥じることもない、躰の自然だと。」
「おやかたさまはむごい。やはり、おむごいっ。」
「……それはいうな、あやめ。いわぬでくれ。」
 やはり、といわれれば、新三郎がつらい。
「あっ、申し訳ございません。そんなつもりでは……」
「おれも、そんなつもりではなかったのだ。」
「はい、よく承知しております。いまのおやかたさまは、おやさしいばかり。」
「いまの、か。」
「あっ。」
 あやめはまた慌てたが、微笑んだ新三郎はその頭を持ち上げて、素早く唇に唇をあてた。長い口吸いがはじまる。あやめの手が、新三郎の躰を届く限りくまなく撫でた。ときに、新三郎の舌の動きに驚いて手の動きが凍る。そしてまた、いとし気に背中を指が這うのだ。

「……昔のように、むごく、乱暴にしてしまうか?」
 息をついた新三郎が笑うと、上気したあやめも笑う。
「どうか、ご勘弁を。……おやさしいおやかたさまが、好きでございます。」
「いや、勘弁ならぬな。」
 新三郎の重みを受け止め、あやめは幸せに吐息をついた。新三郎の所作は、もちろん、ひどくやさしく、丁寧だ。あやめは泣きたいほどの甘い感興に包まれて、微笑む。
 その表情が押し寄せる快感に歪み、やがてまた汗とも涙ともつかぬものに濡れるまで、さほどの時間は要らなかった。
 あやめは躰が壊れるのではないかと思うほど、自分自身を男の固い肉体にみずから叩きつけ、密着を求めて力を振り絞り、忘我の際でついに求めていた熱いものをまた胎内に受け止めて、大きく震えあがった。
 終わった新三郎の体重を重く受けると、しばらくして、また大きな波がきた。そのまま、瞬時は気が遠くなった。
 
 そこからの覚醒と睡魔の襲来とがまだらにおとずれるうちに、男ともつれ合ったまま眠ってしまう。

 
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