えぞのあやめ

とりみ ししょう

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五の段  顔  あやめのいる家(二)

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「よい。あのな、内々のはなしぞ。」
 北の方は周囲を窺うようにして、声を潜め、あやめに体を傾けた。
「……わらわも、あれだけは正直申して、苦手だ。挨拶に来てくれたが、なにやら妙な女に思えた。」
「お方さまも!……左様でございますね。なにやら、どうともいえませぬが、不思議な陰がおありな……。」
(あっ、あやつはもしやすると、コハルの手の者ではないか。女がひとりは、前々から潜りこんでおる。)
(……と気づいても、何たることか、妬心が消えぬわ、このあほうが……)
「身元もたしかというし、気の毒な女なのだがな。まあ、あれの噂はよい。そこで聞くがな。急にあけすけな話ですまぬが、おやかたさまは、いまも、お荒いのか?」
「……はい?」
「いわせるな。……お床で、まだ、むごい真似をなさるのか?」
「それは、……いまは、……お方さまのおかげでございましょうか、おやかたさまは、手前などにも、おやさしいばかりでございます。」
 先ほども同じような話があったが、と首をかしげる思いで、あやめは内心少し怖じながら答えた。あやめの感覚では、お方さまに面白い話ではないはずなのだ。
「そうか、よかったのう。……うむ、これが答えよ。」
「……?」
「あやめ。武家の女は、心に鎧をつけておる。女も戦をするため。なま身のこころは、鎧の下にある。ご主君のため、お家のため、夫のため、……そういう鎧で、真情を表に出さぬようにする。」
「では……?」
「いや。いま、わらわはその鎧を脱いでおったな? おセンとてわが君のお手付き、とあらば、おやかたさまをお慰めしてくれる者、ひょっとすれば蠣崎のお家の子をなしてくれる者として、わらわは可愛がってやらねばならぬ……というのが、鎧をつけての話じゃが、それは外した。そのうえで、そちの話をまた聞いてみた。心より安堵できた。おやかたさまが、いまはそちを大切にして下さると聞いて、よかったとしか思わなかった。わらわにとって、そちは、そのような者ゆえ、よいのだ。……もう半分の答えになったかの?」
(つまり、このひとは、わたくしのことが好きだから、構わないというのだろうか?)

「まことに、有り難い、勿体ないお言葉にございます。」
 北の方は微笑んでいたが、
「おやかたさまは、男振りがよろしいであろう?」
「はい。まことに左様に存じます。手前の存じる中で、いちばんにお武家さまらしくあられます。」
「だから、見誤られる。本当は、おやさしい方なのだ。そちも、もう知っておろうようにな。」
「ですが、たしかに見誤っておりました。恐ろしいばかりのお方でございました。」
「憎かったであろう?」
「……。」
「当然じゃ。そちは、まことに恐ろしい目にあっていた。誰も救ってやれなんだ。許せ。……そのおやかたさまが、いまはもう元に戻られた。」
 (何がきっかけかは知らぬ。官位でご不本意があったのが、かえって幸いしたのかもしれぬ。)
あやめがまた涙を落しはじめたのをみて、お方さまは慌てた。
「……よい。泣くな。武家の女は、そう簡単に泣かぬぞ。」
「申し訳ございませぬ。」
「それも、わらわはうれしい。そちにおやさしいというのは、おやかたさまご本人も、お幸せだからだ。それも、よかったという気持ちの中にたしかにある。」
「お幸せ?」
「わらわは最初、こちらに上がらせたときのそちを、見損なっていたが、……」
「不実とお思いになられても、やむをえませぬ。手前は、弟君からおやかたさまに、……」
「それを見損なっていたというのだ。さほどさがわる(意地悪)をした覚えはないが、冷たくはあったな。助けてもやれなんだ。まことに、相済まなかった。」
「ご勘弁ください。わたくしは、お方さまの思いやりに御すがりできて、どんなにうれしかったか。」
 あやめはまた目が潤みだしていたが、続くお方さまの言葉に、息を呑んだ。北の方は、愕然とさせるような内容を、なんでもないように話し出したのである。

「わらわは、いや、おやかたさまとわらわは、夫婦して、そちと十四郎殿との仲を、よく知っておった。おやかたさまもわたくしも、微笑ましいとも思っていた。よく、二人だけでおぬしらの噂をした。あのおやかたさまが、ひとの恋路を気にされたのだぞ。悪いが十四郎殿は、器量こそあれど、母者の家に恵まれぬ。風体こそいわぬが、流れ着いた異人の奴婢の子。おそらくは、一生部屋住みの身であった。いずれ引きあげてやろうにも限りがある、いっそ今井殿の婿にとってもらって有徳人になるならばありがたいはずだと、おやかたさまなどは申されていた。」
(まさかっ?)
 あやめは驚きのあまり、相手の顔をまじまじと見つめてしまった。
 驚愕が顔に張り付いているのに、お方さまは、よい事を教えてやるという喜びに、微笑んだ。
「賢いそなたですら、気づかなかったのじゃの。わらわもいわなんだが、おやかたさまに、余計なことはいうなと命じられていた。……じゃが、十四郎殿もどこかで生きていた。もう話すもよかろう?」
「……!」
「与三郎殿のご不幸の一件以来、おぬしらの仲が深まったのも、禍福はあざなえる縄というが、かえって好ましいのではないかとすら、話された。わらわもそう思えていた。そちらは、まことに羨ましいほど仲のいい、想い人同士であったな。」

「しかし、あの不出来なはぐれ者が、思わぬ冥加というものではないか。」
 どうも十四郎と納屋の御寮人は。こっそりと深い契りを結んだらしい、と難しい顔をして告げたとき、新三郎は、どこかに嬉しさを隠しているようではあった。
 このときの夫婦の会話は、お方さまにとっても、懐かしい思い出の一つでもある。わが夫は厳し気に見えて情け深い、と再認識したからだ、
「夫婦の契りまでかわしましたので?」
「そのようだ。……十四郎の奴、分も置かれた立場もわきまえぬ振る舞いではあるが、まあ見過ごしてやろう。血を分けた兄としてなら、……許してやるべきだ。」
 新三郎は、主家に召喚された奥州の戦場から、わが身は無事に戻ってきたばかりであった。しかし、そこで弟をひとり喪っている。討ち死にしたのである。
 北の方は、厳格にも不愛想にもみえて、夫が実はひどく肉親思いであるのを昔から知っていた。もちろん松前の生まれだが、十三の年には父の思惑で津軽の浪岡御所に出仕させられてそこで元服、その後は秋田安東家と、ごく若年から他郷で育ち、肉親の縁が薄かったからでもあろう。
 すぐ下の弟との間で家督の相続をめぐり揉め事が生じかねなかったとき、どんなに夫がつらい思いをしているのかを、北の方は一番身近でみた。
(義弟たちは、それを知らないから、この人を哀しませてばかりいる。)
「十四郎殿を、しかし、なかなかご赦免にはならないのでございましょう?」
「できぬのだ。」
「家中にお示しがつきませぬゆえか?」
 新三郎はそれには答えず、
「……堺の今井殿の婿にでもなれれば、あいつもようやく立つ瀬ができる。奥も、義弟のために喜んでやってくれ。」
「つまり、黙っておけよ、とおっしゃるのでございますね。もちろんでございます。」
「……あの御寮人というのは、女の目からみて、どうなのだ?」
「頭のよいお人でしょうね。女だてらに納屋今井の店を預かれるとは、胆力もありましょう。その割に、色々とひどく稚ないらしいのが面白い。変わっていますが、かわいい女ごでは?」
「そうか。しかし、あの十四郎に惚れるというのが、そも賢いのやら。」
「いろいろ知恵を絞るでしょう。こうしたとき、女は命懸けでございますからね。」
「ほう、奥も、命を懸けてくれたか?」
「当たり前でございますよ。」
 それを聞いた新三郎が、かたじけなし、と低頭してみせたので、笑った。ふたりは、政略結婚に違いなかった。村上家の少女は蠣崎家に決意を抱いて嫁いできたのだろうが、それだけに、そこから夫婦の日々を平穏に重ねられたのに新三郎は満足しているのだろう。
「……若い者が思いつめて、危ない真似に出ないとよろしいのですが。」
「いや、有徳人の娘が、必死であいつを羽交うてくれるのは、まだいいのだ。十四郎をたぶらかし、また火遊びをしたい者から、知らず守ってくれよう。」
(あっ、ご赦免はできぬ、とおっしゃるのも、そこか。)
 「与三郎派の残党」あつかいされる十四郎が松前に残る限り、またお家の中での争いに巻き込まれる、と新三郎は踏んでいるらしい。
(そして、「火遊び」というからには、その争いをつくるのは、ほかならぬお義父上か。ご名代にお力を渡すのを、嫌がられるあまりか……。)
 なんというご心労か、このひとも……とお方さまは内心で涙ぐむおもいだが、当の新三郎は、いまはただ弟の前途が開けたのを喜んでいるらしかった。
 思い切ってふたり道行(駆け落ち)でもして、松前納屋の財を全部おいて出て行ってくれると有り難いの、と冗談をいうので、ご名代様がそう欲深いことをたわぶれにもおっしゃるのは、とたしなめるふりで笑った。
「道行かどうかはともかく、十四郎殿は、お武家を捨てるのでございますかね。」
「知らぬ。だが、それくらいの覚悟を決めずに、女の真心に応えることなどできぬだろう?」

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