えぞのあやめ

とりみ ししょう

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五の段 顔  老人(二)

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「……さように、あやめの亡霊がいったか。」
「いいえ。そのようなことは申されませんでした。ただひたすらに、お家に仇なすとのご決意を重ねて叫ばれるばかりで。」
 あやめはくすりと笑ってみせた。
「なるほど、すべて手前の気の迷いが生み出した空耳かもしれませぬ。肝心なことは何もいってくださらなかった。」
 老人は暗がりに浮かぶあやめの顔をまじまじと見つめ、はじめて恐れたようであった。
「途方もない空言じゃが、なぜ、そのように考えた?」
「御任官の前には、ご隠居様でした志州さまの御政道についてのお話をよくうかがい、感服いたしましたからです。」
「なに?」
「まことにご一貫なされている。蝦夷島平穏を願われ、天文年間以来、まったくお揺るぎがない。いまも志州さまとして、当代さまのなされたことをゆくゆくは元に返されようとの御所存とうかがっております。」
「褒められたのかの?」
「それがゆえに、お許しにならない。ご自分の御政道のありかたを変えようとする、お子達を。」
「……彦太郎(長男 舜広)や万五郎(次男 明石元広)は、儂の意に背こうとしたというのか?」
「はい。重臣の南条越中様と語らい、十余年を経て古錆びてきたアイノとの和睦の見直しを測られたのでございましょう。鉄砲が、ようやく蝦夷島の戦も変えようとして参りましたので。」
(南条のお方さまの女に似合わぬ御家督へのご野心は、まことであったのかどうか、わたくしにはわからぬ。)
(なぜ、御父君の御関与を一言も口にせずに庇って死んでいかれたのかも、わからぬ。)
(おそらくは、たれかのためかもしれぬ。それとも、夫の南条どのが、切腹や無実の抗弁すら許されずに首を落とされるのを避けるためだったのか。)
(だが、ひょっとすると、庇いもしていないのかもしれない。ほんとうに何もしらぬまま、首を落とされたことだって、ありうる。)
(南条のお方さまこそ無き名(無実)というのに、夫君の南条様に連座したのではあるまいか?)
(どうなのでございますか、お方さま? あやめ様?)
 あやめは亡霊に尋ねてみたが、答えはどこからもこない。
「見たようなことを。御寮人などは、永禄五年にはまだ生まれてもいまい?」
「左様でございますね。でも、ほぼ同じことをもう一度、この松前で目の当たりにいたしましたので、思い描くことはできまする。」
「ほぼ同じこと?」
「与三郎(包広)さまの御自害と、十四郎さまへのご処断のときですが。あれも、次代様の新三郎さまへの御謀反も疑われかねない動きに、後ろで糸を引いておられたのは、志州さまでございましたね。」
(与三郎さまの咄嗟の御自害は、十四郎さまを守られるためだった。だがそれは、ご名代の新三郎さまから、だけではない。ことが中途半端に終わった以上、自分たちをまとめて見殺しにするであろう父親のお代官さまから、でもあったのだ。)
「儂が、あれらを使嗾したと? 十四郎がそういったか?」
「いいえ、十四郎さまは、ほんとうに何もご存じなさそうです。あのときの、あのお方は、なりは大きくても、まことに子ども。与三郎さまにいわれる通り、わけもわからず、手前どもから鉄砲を都合するつもりだけだったのでございましょう。与三郎さまの背後に御父君がいらっしゃったとは、あまりご存じない。」
(わたくしに、自分が生まれる前の一家の惨劇をわざわざ話したのは、なにかに気づきかけられていたかもしれないが……)
「まさか、新三郎が、おぬしに……」
「はい。お代官様は、そうお考えのようです。」

 寝物語に、直接そんな話をしたわけではない。ただ、新三郎が敬愛の念を持ちつつも、一面で父親をひどく軽んじているのが、任官騒動以来、よくわかる。任官し、自分の施策を覆さんばかりの動きをみせても、決して恐れていない。兵の裏付けがないくせに、というのだけではない。
「ご隠居は、所詮は途中で棒を折られる。そういうお方だ。」
 そこには政治家としての父への、抜き難い嫌悪と軽蔑が感じられる。新三郎のような男が軽蔑するのは、どんな態度だろうか。

「ご隠居が、お逃げになったのをご存じのようでした。いや、ご名代がお逃がしになったというべきやも。」
「逃げた、か? 儂は蝦夷代官としてなすべきこと以外はしたことがない。」
「まことに左様です。ご名代のお考えが、ご自分とはかけ離れていくことがおわかりになられた。だから、最もご自分にお考えの近い与三郎さまに、お力を授けようとされた。十四郎さまも、あのお顔お姿で、与三郎さまのご薫陶もあったから、のちのちご便利と存じたでしょう。蝦夷代官としてのお考えです。だが、ご名代のご器量の方が上だった。すぐにご計画に気づかれ、未然に芽をつぶしてしまわれた。そして、お父上には、きっと、老いの火遊びはお控えあれ、といわれたのでしょうね。」
「火遊び、とおぬしにもいったか。」
「その言葉は、何度かお使いでした。」
「あの、不孝者めが。」
 老人は苦笑した気配である。
「左様でしょうか? ご不孝にはあたられますまい。お父上だからこそ、それ以上の詮索もされず、お見逃しになった。」
「あれは、秋田の安東侍従さまが怖かっただけだ。蠣崎代官とその名代で揉め事などあっては、侍従様につけこまれるから、手を控えたのだ。儂も同じだった。」
「……いま、お認めになられましたのでしょうか。」
 あやめの話を、である。
 老人は沈黙していた。あやめはいざという時に備える。コハルに一言、呼ばわるための咽喉を意識し、思わずかたずを飲んだ。
 季広を急き立てるさいに、刀は預からせて出た。いまの老人は身に寸鉄もおびていない。だが、あやめは武家の男の腕力も厭というほど知っている。枯れ木のようになったかに見える老人が、いかなる手段に訴え出るかと思うと、緊張せざるをえない。
 
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