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五の段 顔 秋田からの使者(二)
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「さて、山寺様には御立身あそばし、まことにおめでたく、古くよりのお目もじかなっている身としても恐悦でござります。檜山屋形(安東家)様のお考えも、どうぞお伝えくださいませぬでしょうか。」
「……お、おう。安東愛季はさすがの古狸よ。志摩守任官には驚き怒ったようだが、しばらく考えると、存外にこれも天祐かもしれんなどといいおった。いい機会だと、蠣崎家に手を突っ込むつもりだ。」
主君を久しぶりに呼び捨てにできるのがうれしいのか、元寺男の山寺は饒舌になる。
「そうでなくてはいかん。それも、御寮人さまの『図』のうちだ。安東様には大いに働いて貰う。」
「なんといっても、運上金の心配がある。ここで蠣崎家に完全に独立されては、蝦夷島から労せずしてやってくる運上金の上納をとれなくなってしまう。蠣崎新三郎は自分の家来なだけに、あやつの人となりも野望も知り抜いているから、警戒は怠りないが、かといってすぐに殺さないのも、そのあたりよの。蝦夷代官というのがいなくなってしまえば、元も子もない。」
「儂なら、蠣崎家中の別の者を蝦夷代官に任命してしまうがな。」
「わかっておるくせに。そうなれば、新三郎は父親に頭を下げるだろう。そしてその蝦夷代官を討つだろう。まずは蠣崎志摩守家が固まる。……それを恐れていたか、あんたらは。」
「安堵したぞ。檜山屋形はいま、湊合戦(別系統の安東家との統一戦争)に明け暮れているから、自分たちの立てた新代官に援軍もおぼつかぬ。されば、新三郎が新代官に勝つであろうからな。それはわかっていた。……ただ、安東様が怒りに駆られて計算を誤るようなお人であれば、すこし『図』を描き換えねば弱ったことになると思ったのよ。」
「うちの殿は、そこは利口だな。何が一番大事かを、間違えたりはしない。蝦夷島にはまともな出兵など考えてもいない。新三郎を使って、蠣崎志摩守などというのは一代限りの飾り物にしてしまうのが、狙いだ。」
「飾り物か。そうはならぬ。」
「そのようだ。」
蠣崎志摩守は、蝦夷代官とは別に、政務をとりだしたのである。隠居所に、ひとを集めだした。新三郎に疎外されたか、あるいはそう意識していた者たちであり、五男左近大輔定広がその筆頭格であった。若き日は安東家の覚えが新三郎よりもめでたく、家督を継ぐのはこちらではないかと思われた人物であった。それが安東家に対する謀叛ともとられかねない、父親の勝手な任官に加担し、兄の蝦夷代官を圧迫しようとしている。
「生臭い話だな。」
隠居所のいわば「志摩守政庁」は、各地の「知行地」からも武家や商人を呼びつけ、報告させているらしい。
「実体もない官職と叙位以外の裏付けは何もないのに、また政事をとるつもりなのか、ご老人は。……身は危なくないのかね。」
「危なくなって貰わねば、困るわ。」
「なるほど。」
(何か小細工を仕掛けおるな、おかしら様よ。たれか、襲われるか、死ぬな。)
「新三郎も、耐えかねるのよ。」
「それも、そうなって貰うのだろう?」
「そして、蝦夷代官様の武威は疑いない。志摩守とその欲深い取り巻きは、蝦夷代官がいざ兵をあげれば、ひとたまりもない。」
「そう、お伝えするのだな、秋田の檜山屋形様に。」
「主家への不忠かもしれぬが、それで安東家が潰れるわけではない。頼む。」
「心得た。なに、おれなどが吹き込むまでもねえ。いまはそう思っていない者はいない。蠣崎家の内紛がもし戦になれば、間違いなく新三郎が勝つ。それがすべての話の前置きになっている。」
「そこが、御寮人さまの『図』の肝よ。」
「……で、気になることを聞いていいかい? しばらくは会えぬ。ここで聞いておきたい。」
「御寮人さまのことなら、答えぬ。」
「答えたも同然じゃの。あんたもおれも、あのお方のことになると、どうしてこうなってしまうかね?……しかし、のう。よもや、のう。」
山寺は天を仰ぐようにした。
「なにをいうておるのか、わからぬな。」
「おれは、山寺家の後家の後添いに入ったんだがね。……不思議なものだな、安東様ご家中により深く潜りこむための方便だ、仕事だと思って毎夜臥所をともにしているうちに、情が移るってことは、まことにあるもんだな。おれが侍などをつづけてもよい気になっているのは、女房殿のせいよ。」
「御寮人さまとは何の関係もない話だ。一人合点するでない。」
「そうかね。」
「そうだ。それに、儂にいわせれば、おぬしの衰えよ、それは。ことが済んだら、心置きなく、お武家になられるがよい。」
コハルは皮肉な笑みをみせたが、山寺はまた天井をみつめ、感に堪えたように呟いている。
「仇に抱かれているうちに、か。無理矢理にむごい目にあわされてはじまったのに、か。」
「違うと申すに。ありえぬ。そのようなことがあろうか。御寮人さまをこれ以上辱めるな。」
「……そうだな。すこし、違うんだろうな。悪かった。俺のいったことは、忘れてくれ。」
「いわれるまでもない。覚えとうないわ。」
「しかし、御寮人さまは……」
「おぬしの気に病むことではないわ。この垣間見(のぞき見)者めが。」
「……コハルとやら。そちはたしかに儂の旧知ではあるが、やや程を忘れて狎れておるようではないか。」
「申し訳ございませぬ。ご無礼いたしまして、畏れ多いことに存じます。どうかお許しください。」
「うむ、わしは行くとする。手間をとらせた。これからも、主人に忠節を尽くし、励め。」
「有り難きお言葉にて。」
「主人に伝えよ。躰を労われ、と。」
「はっ、感涙いたすでありましょう。」
「泣かなくていいんだ。もう、ひとしきり、いっぺえ泣いたんだから、いい。おれも、ああはいったがね、男も女もこの世には山ほどいる。あんたの齢なら、まだまだいくらでもいい男に出会える。躰の上を通りすぎてく男のことをいちいち気にしなくてもいいんだ。まあ、いまのあんたには無理だが、いずれは、そうなれ。ならねえと、長生きできねえよ……と、伝えよ。」
「……伝えられるか、あほう。」
「それと、おかしらも、だ。おれと同じだ。年貢の納め時が近いようだ。これが済んだら、御寮人さまと堺ででも、箱館ででも、のんびり暮らせよ。」
山寺は笑って、立ち去った。
「……お、おう。安東愛季はさすがの古狸よ。志摩守任官には驚き怒ったようだが、しばらく考えると、存外にこれも天祐かもしれんなどといいおった。いい機会だと、蠣崎家に手を突っ込むつもりだ。」
主君を久しぶりに呼び捨てにできるのがうれしいのか、元寺男の山寺は饒舌になる。
「そうでなくてはいかん。それも、御寮人さまの『図』のうちだ。安東様には大いに働いて貰う。」
「なんといっても、運上金の心配がある。ここで蠣崎家に完全に独立されては、蝦夷島から労せずしてやってくる運上金の上納をとれなくなってしまう。蠣崎新三郎は自分の家来なだけに、あやつの人となりも野望も知り抜いているから、警戒は怠りないが、かといってすぐに殺さないのも、そのあたりよの。蝦夷代官というのがいなくなってしまえば、元も子もない。」
「儂なら、蠣崎家中の別の者を蝦夷代官に任命してしまうがな。」
「わかっておるくせに。そうなれば、新三郎は父親に頭を下げるだろう。そしてその蝦夷代官を討つだろう。まずは蠣崎志摩守家が固まる。……それを恐れていたか、あんたらは。」
「安堵したぞ。檜山屋形はいま、湊合戦(別系統の安東家との統一戦争)に明け暮れているから、自分たちの立てた新代官に援軍もおぼつかぬ。されば、新三郎が新代官に勝つであろうからな。それはわかっていた。……ただ、安東様が怒りに駆られて計算を誤るようなお人であれば、すこし『図』を描き換えねば弱ったことになると思ったのよ。」
「うちの殿は、そこは利口だな。何が一番大事かを、間違えたりはしない。蝦夷島にはまともな出兵など考えてもいない。新三郎を使って、蠣崎志摩守などというのは一代限りの飾り物にしてしまうのが、狙いだ。」
「飾り物か。そうはならぬ。」
「そのようだ。」
蠣崎志摩守は、蝦夷代官とは別に、政務をとりだしたのである。隠居所に、ひとを集めだした。新三郎に疎外されたか、あるいはそう意識していた者たちであり、五男左近大輔定広がその筆頭格であった。若き日は安東家の覚えが新三郎よりもめでたく、家督を継ぐのはこちらではないかと思われた人物であった。それが安東家に対する謀叛ともとられかねない、父親の勝手な任官に加担し、兄の蝦夷代官を圧迫しようとしている。
「生臭い話だな。」
隠居所のいわば「志摩守政庁」は、各地の「知行地」からも武家や商人を呼びつけ、報告させているらしい。
「実体もない官職と叙位以外の裏付けは何もないのに、また政事をとるつもりなのか、ご老人は。……身は危なくないのかね。」
「危なくなって貰わねば、困るわ。」
「なるほど。」
(何か小細工を仕掛けおるな、おかしら様よ。たれか、襲われるか、死ぬな。)
「新三郎も、耐えかねるのよ。」
「それも、そうなって貰うのだろう?」
「そして、蝦夷代官様の武威は疑いない。志摩守とその欲深い取り巻きは、蝦夷代官がいざ兵をあげれば、ひとたまりもない。」
「そう、お伝えするのだな、秋田の檜山屋形様に。」
「主家への不忠かもしれぬが、それで安東家が潰れるわけではない。頼む。」
「心得た。なに、おれなどが吹き込むまでもねえ。いまはそう思っていない者はいない。蠣崎家の内紛がもし戦になれば、間違いなく新三郎が勝つ。それがすべての話の前置きになっている。」
「そこが、御寮人さまの『図』の肝よ。」
「……で、気になることを聞いていいかい? しばらくは会えぬ。ここで聞いておきたい。」
「御寮人さまのことなら、答えぬ。」
「答えたも同然じゃの。あんたもおれも、あのお方のことになると、どうしてこうなってしまうかね?……しかし、のう。よもや、のう。」
山寺は天を仰ぐようにした。
「なにをいうておるのか、わからぬな。」
「おれは、山寺家の後家の後添いに入ったんだがね。……不思議なものだな、安東様ご家中により深く潜りこむための方便だ、仕事だと思って毎夜臥所をともにしているうちに、情が移るってことは、まことにあるもんだな。おれが侍などをつづけてもよい気になっているのは、女房殿のせいよ。」
「御寮人さまとは何の関係もない話だ。一人合点するでない。」
「そうかね。」
「そうだ。それに、儂にいわせれば、おぬしの衰えよ、それは。ことが済んだら、心置きなく、お武家になられるがよい。」
コハルは皮肉な笑みをみせたが、山寺はまた天井をみつめ、感に堪えたように呟いている。
「仇に抱かれているうちに、か。無理矢理にむごい目にあわされてはじまったのに、か。」
「違うと申すに。ありえぬ。そのようなことがあろうか。御寮人さまをこれ以上辱めるな。」
「……そうだな。すこし、違うんだろうな。悪かった。俺のいったことは、忘れてくれ。」
「いわれるまでもない。覚えとうないわ。」
「しかし、御寮人さまは……」
「おぬしの気に病むことではないわ。この垣間見(のぞき見)者めが。」
「……コハルとやら。そちはたしかに儂の旧知ではあるが、やや程を忘れて狎れておるようではないか。」
「申し訳ございませぬ。ご無礼いたしまして、畏れ多いことに存じます。どうかお許しください。」
「うむ、わしは行くとする。手間をとらせた。これからも、主人に忠節を尽くし、励め。」
「有り難きお言葉にて。」
「主人に伝えよ。躰を労われ、と。」
「はっ、感涙いたすでありましょう。」
「泣かなくていいんだ。もう、ひとしきり、いっぺえ泣いたんだから、いい。おれも、ああはいったがね、男も女もこの世には山ほどいる。あんたの齢なら、まだまだいくらでもいい男に出会える。躰の上を通りすぎてく男のことをいちいち気にしなくてもいいんだ。まあ、いまのあんたには無理だが、いずれは、そうなれ。ならねえと、長生きできねえよ……と、伝えよ。」
「……伝えられるか、あほう。」
「それと、おかしらも、だ。おれと同じだ。年貢の納め時が近いようだ。これが済んだら、御寮人さまと堺ででも、箱館ででも、のんびり暮らせよ。」
山寺は笑って、立ち去った。
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