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五の段 顔 啼泣(二)
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(このおれが、従五位下志摩守だと。)
蠣崎季広のもとに一報が届けられたとき、老人は息子の任官の知らせが間違って舞い込んだのだと勘違いした。
だが、むろん顔も知らぬ菊亭某という公家が内々に伝えるという形で、羽柴内大臣の意志を知らせ、発せられる予定の任官の宣旨に添えられる予定の、内大臣が筆を執った形となるはずの書状の文案まで示されたとき、その宛名と内容に驚愕した。
(天文二十年の『商舶往来の法度』が、大功として挙がっておるではないかっ?)
季広は目を疑い、そして、感激した。
四十の手前で家督をついだ天文年間以来、対アイノとの恒常的な戦争状態を終わらせるために主家安東家とアイノのはざまで辛苦を重ね、ようやく「夷狄の商舶往来の法度」という形で和人とアイノの境界線―和人にとっては上の国を喪ったため、大幅に南に後退した―と和平状態が確保できた。それからも、アイノとの衝突を避けることに三十年にわたりひたすら専心した。
その妥協と忍従の成果を、羽柴内大臣という未知の天下人が、高く評価している。秀吉の対アイノの姿勢は「蝦夷往来勝手次第のこと」と、アイノの一定の自治と和人との共存をとりあえず認めるものであり、季広朝臣の塁年の業績はそれに沿うものとして主上の御心にかなうという。
(見よ、おれには何も間違いがなかった。)
八十を手前にした老人は、痺れるほどの歓喜に、立ちあがって居室をわけもなく歩き回った。数少ない従士が、驚いた顔に一瞬なる。
板の間に、薄い敷物だけの、簡素な部屋である。
(また、畳を置かせよう。)
と、ふと足元をみて、重大事のように考えた。
「おやかたさまを呼べ。」
隠居して以来、節を守って息子を呼びつけたことなどなかった老人は、その息子のものになったはずの大舘の書院に、蝦夷代官である新三郎を召した。
堺の今井のスジからという形で一報を受けていた新三郎は、険しい表情でやってくる。座り慣れていた上座を降り、下座で季広を待つ。
形通り、新三郎は父に任官内示の祝いを述べた。
「思いもかけぬことじゃ。だが、これはお家の名誉。」
(お受けになるか。……それはそうであろうが、迷うそぶりもない。迷うべきであり、辞退の意向も込めつつ、なぜ当代の蝦夷代官にではなく自分であるのかを問い合わせるべきであろうに、その気もないか。)
「志摩守は、我が蠣崎家に代々いただけるものとなりましょうか。」
そのはずである。平城京平安京の昔や関白、太政大臣ならいざ知らず、官位とは家格や血脈の尊卑を示す意味以外にはほぼないのが常識である。職位にせよ国守としてあてがわれた国にせよ、形式的なものに過ぎない。(余談ながら、このあたりになぜか妙に原理主義的で、京に常住して天皇の側にお仕えできぬからと官位をいったん返上し、その後の左大臣任官も断ってしまったのが横死直前の織田信長であった。あやめが蝦夷島にやってくる頃のことだ。)
「新三郎、それはわかるまい。ただ、家督はすでにおぬしが継いでおる。」
宙ぶらりんではないか、という意のことを新三郎は思った。
(それでは困る。何年か待てばいい、というものではないかもしれんといいおるか、父上は。)
(まさか、蠣崎蝦夷代官家とは別に、蠣崎志摩守家が新しく建ったとでもいうのか。)
新三郎は、上機嫌の老父に対して、かつての与三郎の自害のおりに感じたような不穏な感情をまた蘇らせてしまう。
「父上、御任官あそばした後、ご隠居を朝廷に申請いただくものとなりましょうか。」
「何故そうなる。」
(何故、だと?)
「父上の御事績をつつがなく継ぎ、蠣崎家の今後を盤石にするためでござる。」
「なるほど。」
いつものように、老人は息子のいうことに素直に頷いた。しかし、朗々とした調子で言葉を継ぐ。
「だがな若州、畏れ多くも天子様がこの八十翁に官位を下さろうというのは、老骨に鞭打って天下のために微力を尽くせということであろう? それをいきなり隠居などとは、不敬ではないか。」
(その官位は本来、おれのものだ、父上。)
と叫びたいのを我慢した新三郎の表情に、季広老人は眉をひそめた。
「若州よ。新三郎よ。おぬしはいささか、お上に対しておそれがありはせぬか。儂はたしかにおぬしの愚父なるが、もしも任官のお沙汰に誤りがなければ、従五位下志摩守となる。僭称ではない。れきとした朝臣じゃ。儂ら蠣崎家は代々檜山屋形たる安東様にお仕えしてきたが、儂は朝臣にして、天下の将たる羽柴内大臣様の臣ともなったわけじゃぞ。」
「まことにおめでたき次第にて。」
「それを若州は、いろいろと意見してくれよるが、……その前にまず、おぬしは、儂を拝むべきとは思わぬか?」
「なんと?」
新三郎は思わず声に出た。季広は息子の一瞬の激昂は無視して、諄々たる様子で説く。
「逆の立場となれば、儂はおぬしを拝んだであろう。これは本来、新三郎、おぬしが拠って立とうとした理ではないか。それをゆめ疎かにしてはならんぞ。」
「それはまことに、おっしゃられる通りにて。……ご無礼をお許しください。しかし、ご官位は大坂の今井宗久殿の内大臣様へのお口添えあって、父上にめでたく下りたものと存じまする。」
朝臣の官位のといっても、その程度のことではないか、ともいってやりたい。だが、現にそれのおかげで身を一気に高貴の者に引き上げられた季広に、通じるものではない。
「だから自分のものだ、とは申すなよ。それが、不敬というのじゃ。」
(おれと、あやめのものではないか!)
新三郎は心中で叫んだ。この父の無闇にありがたがる官位は、あやめが貰ってきてくれたものではないか。あやめとおれとの間の、余人にうかがい知れぬ愛憎と恩讐あらばこそ、この松前に来たものではないか、といいたかった。
(それに、その官位を、どう使うというのか。どうも使いようがなく、飾っておくだけのものではないか。)
「新三郎、そんな顔をするな。」
季広は幼い子どもにいいきかすような口調になる。
「せいぜいが二、三年のことではないか。儂があの世に行けば、おぬしの代になる。」
「拙者に、それを心待ちにせよと仰るのですか。それほど不孝者とでもお思いか。」
新三郎は、皮肉な表情になる。実際のところ、親の死を指折り数えて待つような男とは、ほど遠い自分でありたいのも新三郎であった。
(それに、二、三年だか四、五年だか十年だか知らぬが、それまではご自分の勝手にするというのか、親父殿は?)
(なるほど、奥もいったとおり、官位は家に着くもの。だが、おれたち蠣崎の場合、そうは簡単にはいかんのだ。)
(それがおわかりでないのか、父上は?)
「……安東様からすでにご下問がございました。」
「秋田から?」
秋田の主家、檜山屋形こと安東家の当主愛季は、蝦夷代官家からみずからに並ぶ地位を手に入れた者が出ることを、別の上方筋から、いち早く掴んでいた。
主家を飛び越して官位を得ることの釈明を求めている。かといって安東家としても、ほぼ同格の朝臣である志摩守となる、それも家中で宿老といえた高齢の蠣崎季広を呼びつけることには遠慮がある。
呼びつけられるのは、蝦夷代官ということになる。
(おれが行けば、ただでは済まぬ。あるいは殺されるかもしれぬ。侍従様(安東愛季は従五位上侍従の官位を先年得ていた)はおそろしい。)
新三郎は安東家出仕もあっただけに、安東愛季の遣りてぶりをよく知っている。
少年時代を過ごし、猶子にしてくれた浪岡御所こと浪岡北畠氏の当主浪岡具運と違い、この十ほど年上の主君は、青年期の新三郎にとってきわめて厳しい「師」であった。愛李は、いわば敵国に身を預けていたこともある新三郎の器量を認めてはくれていた。長年出仕させ、手元で面倒をみてやった弟の蠣崎正広よりも、実は目をかけていたともいえる。だが、だからこそか、新三郎にしばしば苛酷な任務を与えた。
先年にはこの愛季に命じられ、浅利義政という比内の郡司を殺している。
和睦の席に呼びつけてあった。そこを闇討ちしたのだ。安東愛季の策謀に怒り、逃げ惑う浅利左衛門尉の左股を斬り落としたときの感覚は、新三郎の手に長く残った。
この功があってこそ、蝦夷代官家の家督相続をようやく正式に認められたのだ。
と同時に、目的のためなら不意討ち騙し討ちも辞すべきではないという教えも、新三郎はあらためて安東愛季から受け取っていた。
騙し討ちは、父である季広が、蠣崎家代々の弊として忌み嫌い、蝦夷島で長く封じていたものであった。
(侍従様が相手。であれば、あのときのように、抜き打ち一閃で始末をつけねばならぬと、わかっていたのに……)
蠣崎新三郎がいきなり官位を受ければ、主家としても、さすがにあとから手出しの仕様もないはずだった。
その図は外れてしまった。あとは生き残り、再起をはからねばならない。
「玄蕃をいかせまする。」
六男、玄蕃頭長広である。
「よきにはからえ。」
午睡を必要な習慣とするようになった老父の眠そうな声に、新三郎は内心で首を振った。
蠣崎季広のもとに一報が届けられたとき、老人は息子の任官の知らせが間違って舞い込んだのだと勘違いした。
だが、むろん顔も知らぬ菊亭某という公家が内々に伝えるという形で、羽柴内大臣の意志を知らせ、発せられる予定の任官の宣旨に添えられる予定の、内大臣が筆を執った形となるはずの書状の文案まで示されたとき、その宛名と内容に驚愕した。
(天文二十年の『商舶往来の法度』が、大功として挙がっておるではないかっ?)
季広は目を疑い、そして、感激した。
四十の手前で家督をついだ天文年間以来、対アイノとの恒常的な戦争状態を終わらせるために主家安東家とアイノのはざまで辛苦を重ね、ようやく「夷狄の商舶往来の法度」という形で和人とアイノの境界線―和人にとっては上の国を喪ったため、大幅に南に後退した―と和平状態が確保できた。それからも、アイノとの衝突を避けることに三十年にわたりひたすら専心した。
その妥協と忍従の成果を、羽柴内大臣という未知の天下人が、高く評価している。秀吉の対アイノの姿勢は「蝦夷往来勝手次第のこと」と、アイノの一定の自治と和人との共存をとりあえず認めるものであり、季広朝臣の塁年の業績はそれに沿うものとして主上の御心にかなうという。
(見よ、おれには何も間違いがなかった。)
八十を手前にした老人は、痺れるほどの歓喜に、立ちあがって居室をわけもなく歩き回った。数少ない従士が、驚いた顔に一瞬なる。
板の間に、薄い敷物だけの、簡素な部屋である。
(また、畳を置かせよう。)
と、ふと足元をみて、重大事のように考えた。
「おやかたさまを呼べ。」
隠居して以来、節を守って息子を呼びつけたことなどなかった老人は、その息子のものになったはずの大舘の書院に、蝦夷代官である新三郎を召した。
堺の今井のスジからという形で一報を受けていた新三郎は、険しい表情でやってくる。座り慣れていた上座を降り、下座で季広を待つ。
形通り、新三郎は父に任官内示の祝いを述べた。
「思いもかけぬことじゃ。だが、これはお家の名誉。」
(お受けになるか。……それはそうであろうが、迷うそぶりもない。迷うべきであり、辞退の意向も込めつつ、なぜ当代の蝦夷代官にではなく自分であるのかを問い合わせるべきであろうに、その気もないか。)
「志摩守は、我が蠣崎家に代々いただけるものとなりましょうか。」
そのはずである。平城京平安京の昔や関白、太政大臣ならいざ知らず、官位とは家格や血脈の尊卑を示す意味以外にはほぼないのが常識である。職位にせよ国守としてあてがわれた国にせよ、形式的なものに過ぎない。(余談ながら、このあたりになぜか妙に原理主義的で、京に常住して天皇の側にお仕えできぬからと官位をいったん返上し、その後の左大臣任官も断ってしまったのが横死直前の織田信長であった。あやめが蝦夷島にやってくる頃のことだ。)
「新三郎、それはわかるまい。ただ、家督はすでにおぬしが継いでおる。」
宙ぶらりんではないか、という意のことを新三郎は思った。
(それでは困る。何年か待てばいい、というものではないかもしれんといいおるか、父上は。)
(まさか、蠣崎蝦夷代官家とは別に、蠣崎志摩守家が新しく建ったとでもいうのか。)
新三郎は、上機嫌の老父に対して、かつての与三郎の自害のおりに感じたような不穏な感情をまた蘇らせてしまう。
「父上、御任官あそばした後、ご隠居を朝廷に申請いただくものとなりましょうか。」
「何故そうなる。」
(何故、だと?)
「父上の御事績をつつがなく継ぎ、蠣崎家の今後を盤石にするためでござる。」
「なるほど。」
いつものように、老人は息子のいうことに素直に頷いた。しかし、朗々とした調子で言葉を継ぐ。
「だがな若州、畏れ多くも天子様がこの八十翁に官位を下さろうというのは、老骨に鞭打って天下のために微力を尽くせということであろう? それをいきなり隠居などとは、不敬ではないか。」
(その官位は本来、おれのものだ、父上。)
と叫びたいのを我慢した新三郎の表情に、季広老人は眉をひそめた。
「若州よ。新三郎よ。おぬしはいささか、お上に対しておそれがありはせぬか。儂はたしかにおぬしの愚父なるが、もしも任官のお沙汰に誤りがなければ、従五位下志摩守となる。僭称ではない。れきとした朝臣じゃ。儂ら蠣崎家は代々檜山屋形たる安東様にお仕えしてきたが、儂は朝臣にして、天下の将たる羽柴内大臣様の臣ともなったわけじゃぞ。」
「まことにおめでたき次第にて。」
「それを若州は、いろいろと意見してくれよるが、……その前にまず、おぬしは、儂を拝むべきとは思わぬか?」
「なんと?」
新三郎は思わず声に出た。季広は息子の一瞬の激昂は無視して、諄々たる様子で説く。
「逆の立場となれば、儂はおぬしを拝んだであろう。これは本来、新三郎、おぬしが拠って立とうとした理ではないか。それをゆめ疎かにしてはならんぞ。」
「それはまことに、おっしゃられる通りにて。……ご無礼をお許しください。しかし、ご官位は大坂の今井宗久殿の内大臣様へのお口添えあって、父上にめでたく下りたものと存じまする。」
朝臣の官位のといっても、その程度のことではないか、ともいってやりたい。だが、現にそれのおかげで身を一気に高貴の者に引き上げられた季広に、通じるものではない。
「だから自分のものだ、とは申すなよ。それが、不敬というのじゃ。」
(おれと、あやめのものではないか!)
新三郎は心中で叫んだ。この父の無闇にありがたがる官位は、あやめが貰ってきてくれたものではないか。あやめとおれとの間の、余人にうかがい知れぬ愛憎と恩讐あらばこそ、この松前に来たものではないか、といいたかった。
(それに、その官位を、どう使うというのか。どうも使いようがなく、飾っておくだけのものではないか。)
「新三郎、そんな顔をするな。」
季広は幼い子どもにいいきかすような口調になる。
「せいぜいが二、三年のことではないか。儂があの世に行けば、おぬしの代になる。」
「拙者に、それを心待ちにせよと仰るのですか。それほど不孝者とでもお思いか。」
新三郎は、皮肉な表情になる。実際のところ、親の死を指折り数えて待つような男とは、ほど遠い自分でありたいのも新三郎であった。
(それに、二、三年だか四、五年だか十年だか知らぬが、それまではご自分の勝手にするというのか、親父殿は?)
(なるほど、奥もいったとおり、官位は家に着くもの。だが、おれたち蠣崎の場合、そうは簡単にはいかんのだ。)
(それがおわかりでないのか、父上は?)
「……安東様からすでにご下問がございました。」
「秋田から?」
秋田の主家、檜山屋形こと安東家の当主愛季は、蝦夷代官家からみずからに並ぶ地位を手に入れた者が出ることを、別の上方筋から、いち早く掴んでいた。
主家を飛び越して官位を得ることの釈明を求めている。かといって安東家としても、ほぼ同格の朝臣である志摩守となる、それも家中で宿老といえた高齢の蠣崎季広を呼びつけることには遠慮がある。
呼びつけられるのは、蝦夷代官ということになる。
(おれが行けば、ただでは済まぬ。あるいは殺されるかもしれぬ。侍従様(安東愛季は従五位上侍従の官位を先年得ていた)はおそろしい。)
新三郎は安東家出仕もあっただけに、安東愛季の遣りてぶりをよく知っている。
少年時代を過ごし、猶子にしてくれた浪岡御所こと浪岡北畠氏の当主浪岡具運と違い、この十ほど年上の主君は、青年期の新三郎にとってきわめて厳しい「師」であった。愛李は、いわば敵国に身を預けていたこともある新三郎の器量を認めてはくれていた。長年出仕させ、手元で面倒をみてやった弟の蠣崎正広よりも、実は目をかけていたともいえる。だが、だからこそか、新三郎にしばしば苛酷な任務を与えた。
先年にはこの愛季に命じられ、浅利義政という比内の郡司を殺している。
和睦の席に呼びつけてあった。そこを闇討ちしたのだ。安東愛季の策謀に怒り、逃げ惑う浅利左衛門尉の左股を斬り落としたときの感覚は、新三郎の手に長く残った。
この功があってこそ、蝦夷代官家の家督相続をようやく正式に認められたのだ。
と同時に、目的のためなら不意討ち騙し討ちも辞すべきではないという教えも、新三郎はあらためて安東愛季から受け取っていた。
騙し討ちは、父である季広が、蠣崎家代々の弊として忌み嫌い、蝦夷島で長く封じていたものであった。
(侍従様が相手。であれば、あのときのように、抜き打ち一閃で始末をつけねばならぬと、わかっていたのに……)
蠣崎新三郎がいきなり官位を受ければ、主家としても、さすがにあとから手出しの仕様もないはずだった。
その図は外れてしまった。あとは生き残り、再起をはからねばならない。
「玄蕃をいかせまする。」
六男、玄蕃頭長広である。
「よきにはからえ。」
午睡を必要な習慣とするようになった老父の眠そうな声に、新三郎は内心で首を振った。
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