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五の段 顔 傾斜(二)
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女や子どもを中心に、大小の鉄砲隊を編成した。すでに珍しいものではない鉄砲の集団運用を、これによりおこなおうというのである。
それも、縦深列による掃射や、数にものを言わせた乱射だけではない。「鉄砲組」とよぶ小規模な単位には、女や子どもに火打石式の鉄砲を持たせ、男の槍兵と弓兵と組ませた。一種の散開歩兵部隊を作ったのである。後世に、「蝦夷巴御前」「蝦夷板額」などという伝説になった女狙撃手が、ここに生まれていた。
十四郎は、圧倒的な火力で和人の兵を迅速に掃討する戦法を導入しようとしていた。
その意を受けたコハルは、秀吉政権との戦いで徐々に崩壊しつつある紀州の雑賀衆を大量に引き抜き、蝦夷島に連れてきている。かれらは箱館の普請場の人夫に身をやつし、いまごろは蝦夷地に散って、鉄砲の集団射撃と個々の狙撃の併用という得難い軍事技術を指導しているだろう。
ところが、アイノの精強な戦士は、強弓を誇りにしている。その分、鉄砲を持ちたがらない。それはアイノの癖だけでなく、元来、鉄砲は足軽の持ち物だったが、それに代わる兵員を人口稠密ではない蝦夷地で求めるにはどうすればいいか。
「鉄砲は重いが、女がかつげぬものではない。」
「鉄砲をもつことで、膂力の弱い女子や子どもですら、一人前の兵になる。身を守れる。」
十四郎がこの結論を出せたのは、松前という武家社会から追放された身だからだろう。かれ自身は武士だが、戦国の天下ですら長い伝統をもつ武家社会の慣習や道理にしばられがちであった同時代人を、自己のごく限定的な作戦―この場合は、将来の蠣崎新三郎討滅戦―のためだけに、軽々と超越した境地に至っていた。
武士のものである暴力を、女子どもに解放しようというのである。
(まさか、御寮人さまのことがあったからではあるまいが。)
あやめという、まさに武士である男の暴力に翻弄された女性の復讐の代理人を任じたために、そうした飛躍を果たせたのかどうかは、十四郎本人すらわからないことであろう。
(しかし、もし女こどもの鉄砲隊が成功すれば、大袈裟にいえば、蝦夷島全体に武家の世は来ぬぞ。いや、それどころか、いずれ天下の兵のありかたが変わるぞ。そんなことがありうるのか?)
コハルは、柿崎十四郎という人物に、久しぶりに、警戒すべき異常性を感じている。
(そもそも、女子どもを戦わせるに躊躇ないとは……?)
あやめはこの十四郎の案に、惜しみない援助を与えていた。この春の松前下りの船も、たっぷりと鉄砲と鉛弾、唐渡りの硝石や火打石を積み込み、松前に着く前に別の蝦夷船に積み替えてヨイチに去った。
その中には、今井の鉄砲鍛冶が苦心した火打石式の複雑な機構をもつ銃も、十四郎やその重臣たちのものとして数丁が含まれている。
(森川や萩原が喜ぶだろう。)
この荷と入れ替わりに、十四郎があやめに託した、より簡便な最新式の火打石式銃が堺に急ぎ送られ、複製されるであろう。さらに十四郎は山丹貿易でも火器を手に入れている。それらの代金は、砂金で払うのが間に合わず、まずは松前納屋の払いとなった。
「追って砂金はいただいた。損はしていない。」
あやめはそこは抜かりないところをみせているが、これから失うものの大きさも考えれば、その独特の帳面はまだ閉じていないだろう、とコハルは気づいていた。
(与平のやつが見たら、また何かいいよるだろうなあ。)
(御曹司さまに賭けるのは決まったことではあるが、さすがに大きな博打。これを平然とやらせる御曹司さまも御曹司さまなら、この御寮人さまも御寮人さま。)
「コハル?」
「いえ、少し鉄砲のことを考えておりました。」
「トクは休みがとれぬよの。」
「徳兵衛さんこそが、裏表のご奉公に目の回るほどに忙しいではございませぬか。……いかがなさったのでございます。御寮人さま、おさびしいのか。」
「さ、さびしいわ。心細いわ。悪いか。」
「何故でございます?」
訊いてみたが、わかっている。
(怖いのだ。いよいよ、全ての糸が張る。筬にかけねばならない。)
「ご宰領様のお手紙をお読みなされ。お気を落ち着けになさいませ。」
「……堺に帰りたい。」
あやめはぽつりと呟き、はっと気づいて、
「今のは、忘れておくれ。」
「御寮人さま。一体どうなされたのです。あまりにもお心がお弱りだ。」
「……そうだな。わたくしはおかしい。」
「あっ、まさか、お熱などないか? お咳は?」
「大丈夫だよ。それに労咳という病は、かえって気だけは張るものらしい。ソヒィア殿がそうだったのではないかな?……わたくしも罹っておけばよかったか?」
「おたわぶれを。しかし、お疲れのご様子です。」
「……いや、最近は、『堺の方』の仕事のほうは、随分らくなのだ。」
「……なんともいいかねますが、まずはよろしかったかと。」
「お方さまもようやくお元気になられてな。よかった。武蔵丸様は、ますますお聡い。今度堺から草紙を持ってこさせたが、お読みすると、大層お喜びじゃ。もうご自分でもお読みになれそうだ。ご隠居さまは、少し愚痴が増えられたかな? 御子息は根はみな親孝行なのだが、ことお家のこととなれば、兄弟仲良くしてばかりもいられぬらしい。ままならぬものよ。お気が入らないので、茶の湯のご上達は些か」
「御寮人さま、何も皆殺しと決められたわけではないのでございます。大将首だけ取ればそれで済むのだ、戦というものは。しかもご隠居などは」
結句、大変な得をすることになる筈ではないか、といいかけたが、あやめは聞いていなかったらしく、
「気が弱いのだ、わたくしは。いや、あほうなのだ。仇の家に馴染んでしまって一体いかがするのだ、なあ?……そうよ、しかもやられていることは変わりがない。想い人には会えぬ。会っても満足に睦みあえぬ躰にされてしまった。」
「御寮人さま、ご案じなさるな。次はきっと……」
コハルはなぐさめかけたが、あやめが一番気に懸かっているらしいことに気づいて、黙り込んでしまう。
「一方で、むごい無理矢理からはじめたくせに、いまは好きだの可愛いだのとぬかしよる奴に、いいように遊ばれておる! なにを、なにを勝手な……!」
「……。」
コハルは実は、頭が痛い。あやめには告げていないが、新三郎との臥所の様子が変わってきているのを知っている。
口では今もこんな風にいうが、あやめの床での挙止動作には、見え透いた演技や刺激への単純な躰の反応にとどまらず、いわば、心が滲みだしはじめているらしいのだ。気持ちの深いところから来るらしい切なさや、睦みあう悦びの色すら混じり出しているという。
新三郎があやめをついに犯さなかった閨の一夜もあったという。
それも、縦深列による掃射や、数にものを言わせた乱射だけではない。「鉄砲組」とよぶ小規模な単位には、女や子どもに火打石式の鉄砲を持たせ、男の槍兵と弓兵と組ませた。一種の散開歩兵部隊を作ったのである。後世に、「蝦夷巴御前」「蝦夷板額」などという伝説になった女狙撃手が、ここに生まれていた。
十四郎は、圧倒的な火力で和人の兵を迅速に掃討する戦法を導入しようとしていた。
その意を受けたコハルは、秀吉政権との戦いで徐々に崩壊しつつある紀州の雑賀衆を大量に引き抜き、蝦夷島に連れてきている。かれらは箱館の普請場の人夫に身をやつし、いまごろは蝦夷地に散って、鉄砲の集団射撃と個々の狙撃の併用という得難い軍事技術を指導しているだろう。
ところが、アイノの精強な戦士は、強弓を誇りにしている。その分、鉄砲を持ちたがらない。それはアイノの癖だけでなく、元来、鉄砲は足軽の持ち物だったが、それに代わる兵員を人口稠密ではない蝦夷地で求めるにはどうすればいいか。
「鉄砲は重いが、女がかつげぬものではない。」
「鉄砲をもつことで、膂力の弱い女子や子どもですら、一人前の兵になる。身を守れる。」
十四郎がこの結論を出せたのは、松前という武家社会から追放された身だからだろう。かれ自身は武士だが、戦国の天下ですら長い伝統をもつ武家社会の慣習や道理にしばられがちであった同時代人を、自己のごく限定的な作戦―この場合は、将来の蠣崎新三郎討滅戦―のためだけに、軽々と超越した境地に至っていた。
武士のものである暴力を、女子どもに解放しようというのである。
(まさか、御寮人さまのことがあったからではあるまいが。)
あやめという、まさに武士である男の暴力に翻弄された女性の復讐の代理人を任じたために、そうした飛躍を果たせたのかどうかは、十四郎本人すらわからないことであろう。
(しかし、もし女こどもの鉄砲隊が成功すれば、大袈裟にいえば、蝦夷島全体に武家の世は来ぬぞ。いや、それどころか、いずれ天下の兵のありかたが変わるぞ。そんなことがありうるのか?)
コハルは、柿崎十四郎という人物に、久しぶりに、警戒すべき異常性を感じている。
(そもそも、女子どもを戦わせるに躊躇ないとは……?)
あやめはこの十四郎の案に、惜しみない援助を与えていた。この春の松前下りの船も、たっぷりと鉄砲と鉛弾、唐渡りの硝石や火打石を積み込み、松前に着く前に別の蝦夷船に積み替えてヨイチに去った。
その中には、今井の鉄砲鍛冶が苦心した火打石式の複雑な機構をもつ銃も、十四郎やその重臣たちのものとして数丁が含まれている。
(森川や萩原が喜ぶだろう。)
この荷と入れ替わりに、十四郎があやめに託した、より簡便な最新式の火打石式銃が堺に急ぎ送られ、複製されるであろう。さらに十四郎は山丹貿易でも火器を手に入れている。それらの代金は、砂金で払うのが間に合わず、まずは松前納屋の払いとなった。
「追って砂金はいただいた。損はしていない。」
あやめはそこは抜かりないところをみせているが、これから失うものの大きさも考えれば、その独特の帳面はまだ閉じていないだろう、とコハルは気づいていた。
(与平のやつが見たら、また何かいいよるだろうなあ。)
(御曹司さまに賭けるのは決まったことではあるが、さすがに大きな博打。これを平然とやらせる御曹司さまも御曹司さまなら、この御寮人さまも御寮人さま。)
「コハル?」
「いえ、少し鉄砲のことを考えておりました。」
「トクは休みがとれぬよの。」
「徳兵衛さんこそが、裏表のご奉公に目の回るほどに忙しいではございませぬか。……いかがなさったのでございます。御寮人さま、おさびしいのか。」
「さ、さびしいわ。心細いわ。悪いか。」
「何故でございます?」
訊いてみたが、わかっている。
(怖いのだ。いよいよ、全ての糸が張る。筬にかけねばならない。)
「ご宰領様のお手紙をお読みなされ。お気を落ち着けになさいませ。」
「……堺に帰りたい。」
あやめはぽつりと呟き、はっと気づいて、
「今のは、忘れておくれ。」
「御寮人さま。一体どうなされたのです。あまりにもお心がお弱りだ。」
「……そうだな。わたくしはおかしい。」
「あっ、まさか、お熱などないか? お咳は?」
「大丈夫だよ。それに労咳という病は、かえって気だけは張るものらしい。ソヒィア殿がそうだったのではないかな?……わたくしも罹っておけばよかったか?」
「おたわぶれを。しかし、お疲れのご様子です。」
「……いや、最近は、『堺の方』の仕事のほうは、随分らくなのだ。」
「……なんともいいかねますが、まずはよろしかったかと。」
「お方さまもようやくお元気になられてな。よかった。武蔵丸様は、ますますお聡い。今度堺から草紙を持ってこさせたが、お読みすると、大層お喜びじゃ。もうご自分でもお読みになれそうだ。ご隠居さまは、少し愚痴が増えられたかな? 御子息は根はみな親孝行なのだが、ことお家のこととなれば、兄弟仲良くしてばかりもいられぬらしい。ままならぬものよ。お気が入らないので、茶の湯のご上達は些か」
「御寮人さま、何も皆殺しと決められたわけではないのでございます。大将首だけ取ればそれで済むのだ、戦というものは。しかもご隠居などは」
結句、大変な得をすることになる筈ではないか、といいかけたが、あやめは聞いていなかったらしく、
「気が弱いのだ、わたくしは。いや、あほうなのだ。仇の家に馴染んでしまって一体いかがするのだ、なあ?……そうよ、しかもやられていることは変わりがない。想い人には会えぬ。会っても満足に睦みあえぬ躰にされてしまった。」
「御寮人さま、ご案じなさるな。次はきっと……」
コハルはなぐさめかけたが、あやめが一番気に懸かっているらしいことに気づいて、黙り込んでしまう。
「一方で、むごい無理矢理からはじめたくせに、いまは好きだの可愛いだのとぬかしよる奴に、いいように遊ばれておる! なにを、なにを勝手な……!」
「……。」
コハルは実は、頭が痛い。あやめには告げていないが、新三郎との臥所の様子が変わってきているのを知っている。
口では今もこんな風にいうが、あやめの床での挙止動作には、見え透いた演技や刺激への単純な躰の反応にとどまらず、いわば、心が滲みだしはじめているらしいのだ。気持ちの深いところから来るらしい切なさや、睦みあう悦びの色すら混じり出しているという。
新三郎があやめをついに犯さなかった閨の一夜もあったという。
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