えぞのあやめ

とりみ ししょう

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四の段 地獄の花  来訪者(三)

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「お茶をたてながら、考えました。」
 あやめはふと気づいて、また、アイノの言葉を使ってみる。どのように聞こえるのかわからないが、そうしてみる気になぜかなった。
「……オチャはアイノのことばでなんていうの?」
「ゴリョウニンサマ、ここは松前だから、和人のことばでいい。わたしも、わかる。」
 アシリレラは茶の作法は何も知らないようだったが、あやめが用意した白樺の樹皮で作った器をうれしそうに眺めた。アイノの器が茶器になるのが珍しいようだ。
「まあ、わたくしにアイノのことばのおさらいをさせておくれ、アシリレラ? 先ほどの話のつづきだが、……」
「もうよろしいのです。ゴリョウニンサマまで泣いてしまいました。ひとに泣かれるのは、わたしもつらい。悲しみを思いだされるのは、よくありません。」
「……では、お手紙を読んでよろしいか?」
 あやめは書状の封を切った。短い手紙に走らせる目に、涙が膨れ上がる。
「……また、泣かれておる。うれしいことが書いてありましたか?」
「うれしいこと? そうかもしれぬ。だが、おそろしいことでもある。」
(鉄砲と、砂金。それですべてが伝わるだろうと書いてあった。いよいよお約束を果たす準備ができている。お前の考えを伝えよ、と。そして、ここに至っても、わたくしの心と身をお案じくださって……。)
「おそろしい、とお考えなのですね?」
 少女は、たしかめるようにいう。
「アシリレラさま、あなたのことも書いてあります。」
「怒っていらっしゃるでしょう、あの方は。」
 結局、無理強いするように出てきてしまったから、アシリレラは心配だ。
「お読みですか。」
 読めるのなら、自分で読むほうがよい。
「読んでください。まだ、苦手だ。」
「私の妹を使いに出しました。きっときちんとご説明できたと存じます。その名、アシリレラというのは、新しき風という意味だそうです。春風のような心映えのよい娘です。新しい風が、どうかわたしたちのこの土地にふきますように。さて、よろしければ、どうかお茶を教えてやってください。……あら、ちゃんとできていましたね、わたくし。」
「妹か。わたしは、やはり、妹でしかないのです。」
 また、目が潤みはじめた。
「わたくしも、よく姉と呼ばれるの。あの方のお癖でしょう。ご兄弟も、ほんとうのお姉さま妹さまもたくさんいらっしゃったみたいだけれど、あの方は母君もなく、……」語が出てこなくて、急に和人の言葉に切りかえた。「肉親のご縁がお薄かったからでしょう。」
「ゴエン?」
「むずかしいわ。……親兄弟のお心が通じていらっしゃらない。」
「左様。」
 少女は、それはそうだろうという顔になった。アイノの長の娘は、蠣崎家の兄弟あいはむ争いをどう思っているのだろう。
「だから、好きな女はきょうだいのように思えるのでしょう。思いたいのでしょう。」
「好きな女……。」
「妹というのは、古い日本の言葉では、心妻のことでもあるのですよ。」
「ゴリョウニンサマ。ありがとう。……あなたのお話の続きが、お聞きしたい。」

「……なんでしたでしょうか。……ああ、また泣いてしまいそう。十四郎様のことを考えると、わたくしは、どうしても泣くの。わたくしは、十四郎様を好きになったときから、とても幸福にも、とても不幸にもなりました。十四郎様が、大好き、大好き、でも、大嫌いなのかもしれない。この前も、昔のことをふと思い出して、ひどい男だ、大嫌いだと思ってしまった。でも、その出来事は、こうしてお話をするだけで、うれしくて、懐かしくて、胸がときめいて、……わたくしの、とてもきれいな思い出なのです。とても、痛かったけれどね。」
「痛い?」
「……うん、十四郎様は、わたくしの、『人の世の旅』そのものなのでしょうね。」
「ヒトノヨノタビ…とは?」
「ああ、……わたしの一生。人生。だから、大好きで、大嫌い。幸福で、不幸。うれしくて、つらい。いとしくて、憎い。……出会ったのは、五年前でしかない。でも、出会ってしまってからは、うんと小さいときから、あの方に出会うことが決まって生きてきたみたいに思えて、仕方がない。十四郎様も、そう思って下さっているようです。」
「わたしには、よくわからない。でも、あのお方は、そんな夢を見た話をされたことがあります。ほんとうにはいない姉上の夢だとか。」
「ふふ、そうなの?……わたくしたちは、これからどうなるかも、わからない。十四郎様はどうなのかしら? おわかりかしら? わたくしには、なにも、わからなくなってしまった。でも、人生そのものだから、それも仕方がありません。」
「ゴリョウニンサマ。……敵わない。わたしは、とてもあなたに敵わない。及ばない。」
 少女は肩を落として、すすり泣き出す。
「そうではないの。アシリレラ? 十四郎様は、あなたにとっても、人生そのものになってしまわれるのかもしれません。それも、あなたの決めること。あなたが、どこかで決めてしまうこと。」
「わたしが、どこかで決めること?」
「そう。そして、決めてしまえば、わたくし―あやめのように、もう逃れられない。死ぬときまで、あやめは、このまま……。」

「ゴリョウニンサマ。わたしは、あなたに、やめてもらおうと頼みに来たつもりであった。オンゾウシを操って、戦を続けさせるのを。」
「……そうじゃったか。」
「あなたのせいで、オンゾウシは、戦をお続けになる。あなたに御本懐をとげさせるためだけに、命がけで戦われてきた。今度は和人が相手。あいつら相手だから、もっとひどい殺し合いになる。……ごめんなさい。」
 あやめは黙って首を振った。その通りだ、と思っている。
 もしこの松前と戦うのであれば、アイノ同士のように贈り物と和解の宴会で後始末が済むものにはならない。現に十四郎が蝦夷地に持ち込んだのが、和人の容赦のない戦い方だったと聞く。それがぶつかるのだ。
「あのお方は、唐子の“ゴサイリョウサマ(ご宰領さま)”だけでいいのに。いや、父のいう通り、わたしを娶って、イシカリの村々の長になられるだけでよいのに。また、おそろしい戦を、はじめられるのではないか。それもすべて、ゴリョウニンサマ……あやめ様のために。」
「……」
「だから、あやめ様に仕返しをあきらめていただければ、十四郎様も、もう戦などせずに暮らせる。そう思っていた。」
「……その通りかもしれない。」
(「仕返し」だけではないつもりでいたけれど、蝦夷地のひとが現に恐れる戦なのだ。わたくしさえ、新三郎への復讐の心を捨ててしまえば、……)
「ううん、違う。私の考えは間違っていました。あやめ様にとって十四郎様が、人生そのものなら、十四郎様にとってあやめ様が、人生。もう、やめてしまうことも、曲げてしまうこともできない。」
「アシリレラ。あなたなら、十四郎様の新しい人生になれるかもしれない。わたくしが、あなたのいうとおり、あきらめてしまえば、それで戦は起こらないのかも……」
「それでは、あやめ様は新しい人生をどうやって見つけるの? あなたの人生はひとつだけ。十四郎さまと、あなたの人生。もうそれしかない。……わたしもお助けする。何か決めるのは、そのあと。」
「……ありがとう、アシリレラ。わたしの妹。」
「あやめ様。ごめんなさい。わたしはこんなものまで用意してきました。」
アシリレラは懐から、みるからに重たい短銃を取り出した。火縄式ではない。
「あの銃と、同じつくりのもの。すぐに撃てる。」
 畳の上に置いた。
「それで、わたくしを撃つつもりだったの。」
「いうことを聞いてくれなければ、殺すつもりでした。……そうすれば、あの方は戦をやめるだろうと思っていた。ごめんなさい。」
「そんなことをいって、あなた、ひとを殺したことがある?」
「あります。わたくしは、戦場に出た。わたしは鉄砲がうまい。あの方がどんなに厭がっても、ついていったから、そうなった。何人も、強い戦士を撃ち殺してやれました。」
 少女の屈託のなさが、あやめにはわからない。戦場とはそういうところか。
 そして、その者が、これほど次の戦を恐れているのか。
「……わたくしも、ある。ひとをひとり、殺したことがある。」
「そうなのか。そうはみえない。あの方もご存じか?」
「あっ、お願い、十四郎さまにはいわないで。」
 あやめは慌てて頼んだ。
「お姉さまの秘密をひとつ、いただいた。」アシリレラは笑った。「わたしの秘密と交換。お姉さまを殺してやろうかと思っていたのは、あの方には秘密。」
「あたりまえです。」
「姉妹の契りに、これをさしあげます。これは、まだ持っているのがわかると、また叱られる。でも、他の者に持たせたくない。お姉さまならば、よろしいでしょう。」
「なぜ、叱られるの? あの方に?」
「あの人が、撃たれたときの銃だから。誰かが拾って、何人もの人の手を渡って、わたしが手に入れた。欲しかった。」
「……ソヒィアさまの鉄砲?」
「何発もすぐに撃てる。ここが回る。……これでポモールの子どもを殺したのでございましょう?」
「なぜ、そんなものをあなたはもっていたの……?」
「タマシイがやどっている。お姉さま以外に、十四郎さまがただ一人好きになったかもしれない女のタマシイが、わたしに力をくれると思った。」笑った。「だから、今日からは、もう要らない。お姉さまが持っていてあげて。」
 あやめは少し考えて頷くと、鉄砲を手に取った。
「あなたも、ソヒィアさまは十四郎さまと、と、そう思うたか。わたくしはソヒィアさまと、お話もしたことがない。十四郎さまも何も喋られない。でも、なぜか、そう思うたのだけれど……」
「わたしも、会ったことがない。十四郎さまも話さない。でも、そう思った。」
「あのひとは……まったく、あのひとは。」
 あやめは苦笑いした。
(噂にきく羽柴さまのような漁色家よりも、ああいうへんに生真面目な男こそがたちがわるいというのは、まことな。わたくしとて、いかにも謹厳な父上が婢女に手をつけて生まれた子だが、十四郎さまはそれとも少し違うな。なんとも、困ったものだ。この娘もわたくしも、気苦労なことじゃ。)
「アシリレラ、ああいうひとのことを“女泣かせ”という。おぼえておおきなされ。」
「女を泣かせるひとか。そのとおりだ。わたしたちは、いま泣いている。」
 少女は涙の跡がつやつやと光る頬をほころばせた。あやめも声をたてて笑った。

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