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四の段 地獄の花 来訪者(二)
しおりを挟むそれが、来た。コハルは驚いた。
「あなたは。」
イシカリのアイノの「姫」ではないか。雪まみれの防寒衣を脱ぐと、また和人の小姓のような姿だ。自分たちくらいしか、この雪の中を長距離、ろくな道もないのに移動できるとは信じられない。
(それをこの、少女が。)
ひとりではなく、屈強そうな従者の男がいる。これも和人の装束だが、あきらかにアイノだ。
(あ、こいつ。)
コハルは見覚えのある顔に、黙って微笑みかけた。アイノの男は、にっこりした。
(ヨイチから敦賀まで連れていった男ではないか。手筈通り、うまく逃げ出せて、戻れていたか。よかったのう。)
「ゴリョウニンサマにお目にかかりたい。もしオーダテなら、待たせてくれ。何日でも、待つ。」
「ご運がよろしうございました。御寮人さまはお店だ。さあ、お体をお温めください。」
「あとでよい。」
イシカリの「姫」はそれが癖なのか、ぶっきらぼうな和人言葉を使うと、店の奥にずかずか入っていく。従者もそれにしたがい、大事そうな荷物を抱える。
(あの長物は……?)
「お屋敷のほうに?」
駆け寄ってきたミツが尋ねる。いったん出て貰い、店とは別の、客を迎える戸口に案内するのか、と訊くのであろう。
「もうよいじゃろう。お店から入らせよう。」目立つのも困る。「塗籠の部屋は、温まっておるのか? まずあちらにお通ししよう。儂は御寮人さまにお知らせする。」
あやめは、書院の下座で待つ。
(十四郎さまの急のお使い!)
あやめは不安と期待に動悸していたが、やがて案内された小姓姿の少女をみると、
(なんだ、あの子ではないか。)
「ゴリョウニンサマ、久しい。」
「まことに、ヨイチ以来でございます。」
大きくおなりで、といいかけて、相手は昔のトクやミツや武蔵丸様ではないわ、と気づいてやめる。ただ、ヨイチから二年もたっていないのに、少女は体つきも大人びたようだし、もう子どもの顔立ちをしていない。
(これは、これは……。)
(まさか、十四郎さま?)
(……まさかね。)
「唐子の御方さまからのお使いと存じます。手前が、納屋今井でござります。遠路、はるばるのお使い、恐縮に存じ奉ります。どうか御用をお伝えくださいませ。」
「ああ、オンゾウシ……」あやめが咳払いしたので、少し考えて、「唐子の御方さまから、託ったもの、これありて、持参した。」
「畏れ多きことに存じまする。」
少女は従者を下がらせ、かれが抱えていた包みを解いた。樹皮と油紙に包まれた、見るからに銃身らしきもの、口をひもで固く結んだ重たげな袋、さらに書状である。
あやめは書状に真っ先に手を伸ばしたかったが、少女の許しを請う姿勢をとる。やや焦れたが、ようやく少女が気付いた。ところが、
「まず、その長いものを。」
(こちらか。)
油紙に何重にも包まれたなかから、鈍く光る銀色の銃身が現われた。
(前の銃とは違うのか。)
「こちらは、こわれていません。それに、真似がむずかしくないだろう。」
「……と、唐子の御方がおっしゃったのですね。」
「左様です。どうか、サカイでお試しください、と。」
「わたくしが堺に参ることはできませぬが、早速、真似て作らせましょう。素人目にも、前のものより簡単なつくりかと。まずこちらに、詳しいものがおりますので……おぼえられましたか? あとで文にしたためまする。」
「さように。」
「ご書状を、よろしいでしょうか。」
「次に、その袋を。ご注意の上で。」
(あっ。)
袋の口を開くと、輝きが漏れ出た。
「砂金でございますね。これは……?」
「オン、いや、唐子の御方は、これを日ノ本で手に入れられた。砂金をあつかう村の長と、……手、手を、こう……」
「手を結ばれた。」
「左様。手を、結びました。ついに。唐子の商いに、砂金が加わる。」
「こうした鉄砲も、その砂金で買えますね。」
「イシカリの富でも買える。」少女はイシカリの「姫」らしいことをいった。「だが、唐子の御方は、これでもっと盛んに商いを、と。高い山々を超えてのつながりを、と。商いでもって、人とひととの、つながり。」
(十四郎さま……ついに、成し遂げられましたか?)
(唐子と日ノ本が、かりそめにも商いでまとまった。モノだけではないらしい。十四郎さまという人が動いた。戦いの末に、商いが立ったのだ。)
(蝦夷地に、松前にゆうに対抗できる、いや、圧倒できる、ひとまとまりの勢力ができる。……できたのか。)
「書状はよろしいでしょうか。」
「読みますか。」
「姫」の黒い瞳が大きく揺れた。
「それは、謹んで拝読いたしますが。」
「読むのだな。」
「読みますよ。……あの、いけませぬか?」
「わたしは読んでほしくはない。でも、読んでくだされ。」
少女はあきらかに泣き出しそうである。
あやめはまさかと思ったが、封が切られたりはしていない。
「……お茶をお飲みになりますか。茶室に参りましょう。ここではお話がしにくい。」
あやめは茶室を温めるように命じる。もう茶の席になったつもりで、気楽な風にしゃべる。
「ご使者様は、おひいさまとお呼びすればよろしいの?」
「アシリレラ。」
「アシリ、レラ、……さまがお名前か。どういう意味で?」
「新しき風。」
「よいお名前。素晴らしいお名前です。蝦夷島にも、アシリレラが吹けばようございます。」
「オンゾウシもそういわれた。」
少女の大きな瞳から、涙が溢れだした。
(かえって、泣かせてしもうた。)
「ああ、お泣きになるな。わたくし、困ってしまいまする。」
「ゴリョウニンサマも、……ゴリョウニンサマも……」
「は?」
「……よく泣かれる。オンゾ……唐子の、あのお方を、よく困らせた。」
「あのお方に、聞かれたのですね。」
「はい。」
「ははは、いやらしいのう。私が泣きましたのも、たいていはあのお方のことばかりでございます。あのお方のせいではないか。」
「……」
「あのお方は、わたくしのことを、あなたにおしゃべりになられるのでございますか。」
「はい。」
「あのお方は、おひいさまのお気持ちを、ご存知でしょうね?」
「知っている、と思う。」
「わたくしは、……あのお方がおやさしいのか、むごいのか、わからなくなりますよ。ひどくむごいことを平気でなさる。」
これは本音であった。十四郎が思いやり深く誠実なばかりであれば、いまのあやめの状態はないであろう。
「此度も、あなたを、わたくしに会わせてどうするおつもりか。わざわざ使者に立てて、あんな遠くから寄越すとは。」
「おやさしいから、むごいのでございましょう。」
「……これは然り。」
あやめは虚をつかれたが、そういうものかもしれぬと思った。
「使者に立ちたいといったのは、わたくしです。あの方は危ないと御止めになったけれど、わたくしが、きかなかった。もしわたくしを行かせないのなら、南に走って、ムラカミさまのところに駆け込んで、わたくしの知っているなにもかも……知らせてやります、……ぶちまけてやります、とおどかした。」
「おやおや。」
ムラカミさまというのは、唐子に食い込んだところの知行地にいる、お方さまの従兄の村上兵衛門さまか。
「……あの方には、きつく叱られました。お前はおれを脅かすつもりなのだろう。それは叱らない。けれど、いまお前がそんなことを考えたのを叱る。おれはお前を信頼している。イシカリの人たち、ヨイチの人たち、テシオの人たち、みなを信頼しているが、お前のご一家はとりわけ信頼している。わかるか、それなのに、お前はいまカキザキのお役人のところへ行くなどといった。それはいけないことだ。」
「十四郎さまがいわれたので?」
「はい。ひとの信頼というのを、一度でも裏切ってはならない。おれは一度、破ってはならない約束を破った。あるひとが、おれに下さった尊い信頼を踏みにじった。そのことで、おれは許されない者になった、と。」
「許されない者……? 許されぬ罪科(つみとが)を背負った、ということ?」
「そういう意味かもしれない。許されない、絶対に許されない男になった、といわれました。おれはもう、そういう者として生きていくしかない。だからお前も、たわぶれにもそんなことをいってはいけない。裏切ることなどと考えてもいけない。それだけは、キモニ、メイジテクレ。覚えていろ、ということですね?」
あやめは無言で頷いた。
「ゴリョウニンサマは、あのお方をお許しではないのですね。」
「そんなことは……!」
あやめは強く否定しようとして、絶句した。
「わたくしは、……そうでございますね、十四郎さまを、許していないのかもしれない。一度は、固い契りを破って、行ってしまわれた。そのあとは、こうしてお約束を守って下さっているけれど、決して心から許してはいないのだ。いくら謝ってくださっても、そのあといただいたお心が、涙が出るほどうれしくありがたくても、許してさしあげることがどうしてもできないでいる。こんなに好きなのに……」
あやめの頬に、ひとすじ涙が流れた。
「だから、十四郎さまに、わざとつらい思いをさせようと、戦わせているのかもしれぬ。」
「ゴリョウニンサマ、泣くのか? おつらいのか?」
「はい。あのお方のお身が危ないとしたら、わたくしのせいと思うと、つらくて、悲しくて、泣けてなりませぬ。」
「……」
「御寮人さま、お茶室が少し温まりましてございます。」
ミツがやってきて、主人と客がふたりでめそめそと泣いているのを目にして、驚いた。
「あ、あの……?」
「ミツ。ご苦労。なんでもない。そちらに移ろう。」
あやめは少女に、アイノの言葉で話しかけた。
「あのひとのはなしは、別の部屋でやろうね。あの人のおはなしが聞けて、わたしはうれしい。うれしいのだ。」
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