えぞのあやめ

とりみ ししょう

文字の大きさ
上 下
112 / 210

四の段 地獄の花 こころ(三)

しおりを挟む
 もうひとつは、お方さまがやや月足らずで産んだ子が、死んで生まれたことにはじまった。名を与えられる間すらなかった。それ自体、お方さまが気の毒で、あやめもつらかった。
 新生児の死はこの時代に珍しいことではないが、慶広正室村上氏の悲嘆は深かった。
「そなたの身がもって、よかった。」
「よかった、とおっしゃるか。」
 真っ赤に泣き腫らした目を据えて、枕の上から夫を睨みつけたという。
「嗣子松房丸はきちんといる。元服もさせよう。武蔵丸もそろそろ七つにもなる。そこまで嘆かなくてもよい。」
 新三郎は慰めるつもりでいったのだろうが、お方さまがそこで激昂した―とあやめはお喋りの侍女に聞かされた。
「さもあらぬ。子は他にもいるからよい、は殿方の御理屈じゃ。」
 あやめは、あのものしずかなお方さまがそれほど激したかと思うと、子を喪う母のつらさを想像して、気の毒でならない。
「お方さま。それがご迷惑なお話なのでございますよ。」
 遠慮というものが一切ない、於うらという新しい侍女は、妙にうれしそうに、あやめにとっては不愉快なことをいいだした。
「お屋形さまが、堺の方さまをあんまりいじめるもんだから、バチが当たったのではないですか、と北のお方さまがいわれたとか。」
「……。」
「弟をつぎつぎと死なせた天罰やもしれませぬ、とまでいわれたそうで。」
(お方さまは、殴られたのではないか?)
「おやかたさまは、ふざけるでないわ、バチが当たったは奴らよ、と怒鳴られまして、……」
「それは、お可哀相に。」
「もしそなたのいう通りなら、堺には儂が罰を与えてやるわ、といい捨てて立ち去られたとか。迷惑千万のお話ではござりませぬか。しばらくお身を隠されては。」
「呼ばれたから、来ておるのだ。どこへ身を隠す?」
(こいつは、好かんな。ひとの不運を、内心で喜んでおる。できれば、別の者に取り換えさせようか。)
(ただ、この度のすぎたお喋りは、役に立つやもしれぬ。我慢するか。)
(すずめとは、わたくしは楽しかったのだが。)

 すずめは案の定、暇を出された。すでに体調の悪かったお方さまには、おやかたさまの一存への抵抗を期待できなかった。すぐに納屋で雇ってやろうとしたが、すずめがそれを断った。
 聞けば、蝦夷―アイノは単身者以外には松前に住んではならないというお触れが出たという。慌てて確かめると、それどころか、蝦夷地から半島へのアイノの流入や定住自体を厳しく差し止めるお達しまで出ていた。いま住んでいる、新三郎に服属させられたアイノ以外には、これ以上蝦夷に立ち入らせない。ゆくゆくは、半島部よりも北の蝦夷地は蝦夷も和人も出入りがかなわぬ封禁の地とするというのである。
 そんなことが実際にできようかと思ったが、新三郎にいわせれば、可能だろうとなかろうとその「つもり」をみせてやるのがお上には大事なのだそうだ。
 すずめはこちらの生まれで、両親やきょうだいとともに暮らしていたから、かれら家族とともに松前を出るという。
「箱舘へおいき。普請があるから雇われ口もある。」
 といってやったが、どうしたか。
(新三郎め。どういうつもりか。松前からアイノの一家を追い出そうなどと。)
(蝦夷商人を追い出したいのが主だろうが、……)

「城下に蝦夷は目障り。そういうことだ。」
「御城下、でございますか。」
 命じられて帯を解きながらであるが、あやめは話を続けたい。
 「罰」だとかいっていたという。何をされるのか、恐ろしくもある。
(どうせ、ろくなことはされないのだが、いたずらに痛いのは厭じゃ。)
 そう思いながらも、この程度の丘城である大舘が「お城」ですか、と揶揄したように聞こえかねないことをいってしまう。しまった、と思ったが、新三郎は気づきつつも、怒りはしない。
「そうだ。いずれ、大舘はさらに堅牢な城とする。普請の役は、上方から呼ぶつもりだ。」
「それはようございますが、アイノを追い出しては、松前の御繁華が損なわれるのが心配。あ……。」
 引き寄せられた。
「松前には、いずれ御勅使をお迎えするのだ。あれらに町をうようよさせるわけにもいかぬ。それに。おぬしらが幅をきかせるのだ。蝦夷商人どもは要らぬ。」
(こんな真似をしながら、御勅使などと口にするとは……!)
 あやめの怒りは、まずはそちらに向いた。アイノ差別への憤りがまず発するほど、あやめは立派ではない。このあたり、得体のしれぬ蝦夷の顔かたちをもつだけで疎外されていた経験をもち、いまもアイノにたちまじって暮らしている十四郎からの感化は、なお薄いといわざるをえなかった。
……
 また転がされた。あやめは厭な姿勢をとらされる。尻を高くしろ、といわれた。なにもかも男の目にさらしたところに、受け入れた。
(けだものめ。)
(これは、罰ではないつもりか。十分、罰だが……)
 あやめの背中には、びっしりと汗が浮く。躰を支える腕が時折り、がくがくと折れる。新三郎はそれを持ち上げ、力を入れて突くのをやめない。
「おぬしは、北の方を呪ったようだな。」
(そら、きた。)
「そんなことが、あろうはずが、ございませぬ……」
「では、儂を呪ったか。呪っておろうな。十四郎を、北に追いやって、見殺しにしたのだからな。蝦夷どもに殺されてしもうた。骨も帰って来ぬ。だがそれも、ろくに兵もつけなかった儂のせいじゃ。恨んでおろう?」
 新三郎は、執拗に問い詰めた。
「儂さえ邪魔しなければ、いずれは一緒になれたな? それが、死んでしまったのだ。大舘が奴を許さず、蝦夷地に追いやったからだ。憎いであろう? 儂を許せぬであろう?」
(なにをいまさら、いいやがるか! 許せぬ? 当たり前ではないか!)
 あやめは心のなかで罵倒を吐き散らしたが、躰を揺らされながら、苦しい息をつないで、
「昔の、ことで、ございますからっ。」
「こうしてやっているのも、厭なのであろう?」
 あやめは無言で首を振る。耳元で髪がばさばさと鳴った。
「もっと厭なことをしてやる。」
「なにを……?」
 あやめは怯えた。
「呼べ。」
 新三郎は、離れた場所で控えていたらしい者に合図した。聞かれていたのかと思うと、あやめはあらためて羞恥に打ちのめされた。

 そして、気づいて、震えあがった。全身が熱くなり、冷たい汗がまた噴き出す。
(呼べ、とはどういうことかっ?)
(誰を呼ぶというのじゃ? また、侍女にでも見せようというのか。)
(けだものが。新三郎め!)
(ああ、たれか来た。足音がする。男か。男にみられるのか。たれが、くるのだ。)
(この蝦夷どもめがっ。)
 あやめは惑乱し、誰もかれも、この蝦夷島に住む全ての者を憎む気持ちが噴き上がる。
(十四郎さまもじゃっ。北国の風、などといって、なにも知らぬわたくしを赤裸に剥きおった。あれも最初はコハルの手の者に覗かれていたに違いないのに。それを追い出しもしないで。わたくしの初花が散るのは、見知らぬ他人にのぞかれていた。思いだせば、なんだ、あのひともっ?)
(女の恥を考えぬのか。男というのはなんという得手勝手な生き物じゃ。)
(わたくしの恥を、誇りを、こやつらは何だと思うか?)
(嫌い、嫌いじゃ! 蝦夷島の連中などみな大嫌いじゃ!)
(ことごとく滅ぼしてやる。滅んでしまえ!)
 姿勢を変えて、新三郎は躰をこちらの胸に委ねさせたあやめを後ろから抱きかかえ、両手を使って膝を大きく開かせた。肉は収めたままだ。
自分の腹の下に、忌まわしい結合がある。あやめは目をつぶり、顔をそむける。全身の肌が粟立った。
(たれに見せようというのじゃ。この恥知らずの、畜生が、外道が……!)
 襖があいた。控えているのであろう。あやめは目を開けない。死んでも顔を見てやるものか、と思った。
「来たか。どうじゃ。」
「……畏れ多いことにござりまする。」
 その声が耳に入ったとき、あやめは衝撃に目を見開いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

白雉の微睡

葛西秋
歴史・時代
中大兄皇子と中臣鎌足による古代律令制度への政治改革、大化の改新。乙巳の変前夜から近江大津宮遷都までを辿る古代飛鳥の物語。 ――馬が足りない。兵が足りない。なにもかも、戦のためのものが全て足りない。 飛鳥の宮廷で中臣鎌子が受け取った葛城王の木簡にはただそれだけが書かれていた。唐と新羅の連合軍によって滅亡が目前に迫る百済。その百済からの援軍要請を満たすための数千騎が揃わない。百済が完全に滅亡すれば唐は一気に倭国に攻めてくるだろう。だがその唐の軍勢を迎え撃つだけの戦力を倭国は未だ備えていなかった。古代に起きた国家存亡の危機がどのように回避されたのか、中大兄皇子と中臣鎌足の視点から描く古代飛鳥の歴史物語。 主要な登場人物: 葛城王(かつらぎおう)……中大兄皇子。のちの天智天皇、中臣鎌子(なかとみ かまこ)……中臣鎌足。藤原氏の始祖。王族の祭祀を司る中臣連を出自とする

夢のまた夢~豊臣秀吉回顧録~

恩地玖
歴史・時代
位人臣を極めた豊臣秀吉も病には勝てず、只々豊臣家の行く末を案じるばかりだった。 一体、これまで成してきたことは何だったのか。 医師、施薬院との対話を通じて、己の人生を振り返る豊臣秀吉がそこにいた。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

江戸時代改装計画 

華研えねこ
歴史・時代
皇紀2603年7月4日、大和甲板にて。皮肉にもアメリカが独立したとされる日にアメリカ史上最も屈辱的である条約は結ばれることになった。 「では大統領、この降伏文書にサインして貰いたい。まさかペリーを派遣した君等が嫌とは言うまいね?」  頭髪を全て刈り取った男が日本代表として流暢なキングズ・イングリッシュで話していた。後に「白人から世界を解放した男」として讃えられる有名人、石原莞爾だ。  ここはトラック、言うまでも無く日本の内南洋であり、停泊しているのは軍艦大和。その後部甲板でルーズベルトは憤死せんがばかりに震えていた。  (何故だ、どうしてこうなった……!!)  自問自答するも答えは出ず、一年以内には火刑に処される彼はその人生最期の一年を巧妙に憤死しないように体調を管理されながら過ごすことになる。  トラック講和条約と称される講和条約の内容は以下の通り。  ・アメリカ合衆国は満州国を承認  ・アメリカ合衆国は、ウェーキ島、グアム島、アリューシャン島、ハワイ諸島、ライン諸島を大日本帝国へ割譲  ・アメリカ合衆国はフィリピンの国際連盟委任独立準備政府設立の承認  ・アメリカ合衆国は大日本帝国に戦費賠償金300億ドルの支払い  ・アメリカ合衆国の軍備縮小  ・アメリカ合衆国の関税自主権の撤廃  ・アメリカ合衆国の移民法の撤廃  ・アメリカ合衆国首脳部及び戦争煽動者は国際裁判の判決に従うこと  確かに、多少は苛酷な内容であったが、「最も屈辱」とは少々大げさであろう。何せ、彼らの我々の世界に於ける悪行三昧に比べたら、この程度で済んだことに感謝するべきなのだから……。

日本が危機に?第二次日露戦争

歴史・時代
2023年2月24日ロシアのウクライナ侵攻の開始から一年たった。その日ロシアの極東地域で大きな動きがあった。それはロシア海軍太平洋艦隊が黒海艦隊の援助のために主力を引き連れてウラジオストクを離れた。それと同時に日本とアメリカを牽制する為にロシアは3つの種類の新しい極超音速ミサイルの発射実験を行った。そこで事故が起きた。それはこの事故によって発生した戦争の物語である。ただし3発も間違えた方向に飛ぶのは故意だと思われた。実際には事故だったがそもそも飛ばす場所をセッティングした将校は日本に向けて飛ばすようにセッティングをわざとしていた。これは太平洋艦隊の司令官の命令だ。司令官は黒海艦隊を支援するのが不服でこれを企んだのだ。ただ実際に戦争をするとは考えていなかったし過激な思想を持っていた為普通に海の上を進んでいた。 なろう、カクヨムでも連載しています。

幕府海軍戦艦大和

みらいつりびと
歴史・時代
IF歴史SF短編です。全3話。 ときに西暦1853年、江戸湾にぽんぽんぽんと蒸気機関を響かせて黒船が来航したが、徳川幕府はそんなものへっちゃらだった。征夷大将軍徳川家定は余裕綽々としていた。 「大和に迎撃させよ!」と命令した。 戦艦大和が横須賀基地から出撃し、46センチ三連装砲を黒船に向けた……。

処理中です...