えぞのあやめ

とりみ ししょう

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四の段 地獄の花 こころ(三)

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 もうひとつは、お方さまがやや月足らずで産んだ子が、死んで生まれたことにはじまった。名を与えられる間すらなかった。それ自体、お方さまが気の毒で、あやめもつらかった。
 新生児の死はこの時代に珍しいことではないが、慶広正室村上氏の悲嘆は深かった。
「そなたの身がもって、よかった。」
「よかった、とおっしゃるか。」
 真っ赤に泣き腫らした目を据えて、枕の上から夫を睨みつけたという。
「嗣子松房丸はきちんといる。元服もさせよう。武蔵丸もそろそろ七つにもなる。そこまで嘆かなくてもよい。」
 新三郎は慰めるつもりでいったのだろうが、お方さまがそこで激昂した―とあやめはお喋りの侍女に聞かされた。
「さもあらぬ。子は他にもいるからよい、は殿方の御理屈じゃ。」
 あやめは、あのものしずかなお方さまがそれほど激したかと思うと、子を喪う母のつらさを想像して、気の毒でならない。
「お方さま。それがご迷惑なお話なのでございますよ。」
 遠慮というものが一切ない、於うらという新しい侍女は、妙にうれしそうに、あやめにとっては不愉快なことをいいだした。
「お屋形さまが、堺の方さまをあんまりいじめるもんだから、バチが当たったのではないですか、と北のお方さまがいわれたとか。」
「……。」
「弟をつぎつぎと死なせた天罰やもしれませぬ、とまでいわれたそうで。」
(お方さまは、殴られたのではないか?)
「おやかたさまは、ふざけるでないわ、バチが当たったは奴らよ、と怒鳴られまして、……」
「それは、お可哀相に。」
「もしそなたのいう通りなら、堺には儂が罰を与えてやるわ、といい捨てて立ち去られたとか。迷惑千万のお話ではござりませぬか。しばらくお身を隠されては。」
「呼ばれたから、来ておるのだ。どこへ身を隠す?」
(こいつは、好かんな。ひとの不運を、内心で喜んでおる。できれば、別の者に取り換えさせようか。)
(ただ、この度のすぎたお喋りは、役に立つやもしれぬ。我慢するか。)
(すずめとは、わたくしは楽しかったのだが。)

 すずめは案の定、暇を出された。すでに体調の悪かったお方さまには、おやかたさまの一存への抵抗を期待できなかった。すぐに納屋で雇ってやろうとしたが、すずめがそれを断った。
 聞けば、蝦夷―アイノは単身者以外には松前に住んではならないというお触れが出たという。慌てて確かめると、それどころか、蝦夷地から半島へのアイノの流入や定住自体を厳しく差し止めるお達しまで出ていた。いま住んでいる、新三郎に服属させられたアイノ以外には、これ以上蝦夷に立ち入らせない。ゆくゆくは、半島部よりも北の蝦夷地は蝦夷も和人も出入りがかなわぬ封禁の地とするというのである。
 そんなことが実際にできようかと思ったが、新三郎にいわせれば、可能だろうとなかろうとその「つもり」をみせてやるのがお上には大事なのだそうだ。
 すずめはこちらの生まれで、両親やきょうだいとともに暮らしていたから、かれら家族とともに松前を出るという。
「箱舘へおいき。普請があるから雇われ口もある。」
 といってやったが、どうしたか。
(新三郎め。どういうつもりか。松前からアイノの一家を追い出そうなどと。)
(蝦夷商人を追い出したいのが主だろうが、……)

「城下に蝦夷は目障り。そういうことだ。」
「御城下、でございますか。」
 命じられて帯を解きながらであるが、あやめは話を続けたい。
 「罰」だとかいっていたという。何をされるのか、恐ろしくもある。
(どうせ、ろくなことはされないのだが、いたずらに痛いのは厭じゃ。)
 そう思いながらも、この程度の丘城である大舘が「お城」ですか、と揶揄したように聞こえかねないことをいってしまう。しまった、と思ったが、新三郎は気づきつつも、怒りはしない。
「そうだ。いずれ、大舘はさらに堅牢な城とする。普請の役は、上方から呼ぶつもりだ。」
「それはようございますが、アイノを追い出しては、松前の御繁華が損なわれるのが心配。あ……。」
 引き寄せられた。
「松前には、いずれ御勅使をお迎えするのだ。あれらに町をうようよさせるわけにもいかぬ。それに。おぬしらが幅をきかせるのだ。蝦夷商人どもは要らぬ。」
(こんな真似をしながら、御勅使などと口にするとは……!)
 あやめの怒りは、まずはそちらに向いた。アイノ差別への憤りがまず発するほど、あやめは立派ではない。このあたり、得体のしれぬ蝦夷の顔かたちをもつだけで疎外されていた経験をもち、いまもアイノにたちまじって暮らしている十四郎からの感化は、なお薄いといわざるをえなかった。
……
 また転がされた。あやめは厭な姿勢をとらされる。尻を高くしろ、といわれた。なにもかも男の目にさらしたところに、受け入れた。
(けだものめ。)
(これは、罰ではないつもりか。十分、罰だが……)
 あやめの背中には、びっしりと汗が浮く。躰を支える腕が時折り、がくがくと折れる。新三郎はそれを持ち上げ、力を入れて突くのをやめない。
「おぬしは、北の方を呪ったようだな。」
(そら、きた。)
「そんなことが、あろうはずが、ございませぬ……」
「では、儂を呪ったか。呪っておろうな。十四郎を、北に追いやって、見殺しにしたのだからな。蝦夷どもに殺されてしもうた。骨も帰って来ぬ。だがそれも、ろくに兵もつけなかった儂のせいじゃ。恨んでおろう?」
 新三郎は、執拗に問い詰めた。
「儂さえ邪魔しなければ、いずれは一緒になれたな? それが、死んでしまったのだ。大舘が奴を許さず、蝦夷地に追いやったからだ。憎いであろう? 儂を許せぬであろう?」
(なにをいまさら、いいやがるか! 許せぬ? 当たり前ではないか!)
 あやめは心のなかで罵倒を吐き散らしたが、躰を揺らされながら、苦しい息をつないで、
「昔の、ことで、ございますからっ。」
「こうしてやっているのも、厭なのであろう?」
 あやめは無言で首を振る。耳元で髪がばさばさと鳴った。
「もっと厭なことをしてやる。」
「なにを……?」
 あやめは怯えた。
「呼べ。」
 新三郎は、離れた場所で控えていたらしい者に合図した。聞かれていたのかと思うと、あやめはあらためて羞恥に打ちのめされた。

 そして、気づいて、震えあがった。全身が熱くなり、冷たい汗がまた噴き出す。
(呼べ、とはどういうことかっ?)
(誰を呼ぶというのじゃ? また、侍女にでも見せようというのか。)
(けだものが。新三郎め!)
(ああ、たれか来た。足音がする。男か。男にみられるのか。たれが、くるのだ。)
(この蝦夷どもめがっ。)
 あやめは惑乱し、誰もかれも、この蝦夷島に住む全ての者を憎む気持ちが噴き上がる。
(十四郎さまもじゃっ。北国の風、などといって、なにも知らぬわたくしを赤裸に剥きおった。あれも最初はコハルの手の者に覗かれていたに違いないのに。それを追い出しもしないで。わたくしの初花が散るのは、見知らぬ他人にのぞかれていた。思いだせば、なんだ、あのひともっ?)
(女の恥を考えぬのか。男というのはなんという得手勝手な生き物じゃ。)
(わたくしの恥を、誇りを、こやつらは何だと思うか?)
(嫌い、嫌いじゃ! 蝦夷島の連中などみな大嫌いじゃ!)
(ことごとく滅ぼしてやる。滅んでしまえ!)
 姿勢を変えて、新三郎は躰をこちらの胸に委ねさせたあやめを後ろから抱きかかえ、両手を使って膝を大きく開かせた。肉は収めたままだ。
自分の腹の下に、忌まわしい結合がある。あやめは目をつぶり、顔をそむける。全身の肌が粟立った。
(たれに見せようというのじゃ。この恥知らずの、畜生が、外道が……!)
 襖があいた。控えているのであろう。あやめは目を開けない。死んでも顔を見てやるものか、と思った。
「来たか。どうじゃ。」
「……畏れ多いことにござりまする。」
 その声が耳に入ったとき、あやめは衝撃に目を見開いた。
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