105 / 210
三の段 なやみ さまざまな糸(三)
しおりを挟む
納屋が夏の戻りの船を出してすぐに、早い秋が来た。
この秋から冬にかけ、中央では羽柴秀吉の栄達が凄まじい。
天正十二年十月、従五位下・左近衛権少将にのぼったかとおもうと、同年十一月、従三位・権大納言に叙された。
蠣崎新三郎慶広は、遠い畿内の動きにあきらかに刺激され、空が冷え、雪が降りしきるこの時期に、半島東部を攻めている。常識外れの行軍であった。
すでに上の国に敷いている新しい統治の方法を、まだ抑えていない東部にも強要した。かつて「下の国」と呼ばれた、和人との混住地ともいうべき、最も(和人の目からみて)拓けた土地のアイノたちであった。当然の反発に対しては、羽柴左近衛少将が背後にいることを匂わせたが、このときは、あまり効果はなかったようである。半島で和人に馴染んだアイノたちにはそれなりの情報が入る。十万の大軍が控えていると脅しても、疑うのが正しかった。
また、安東家の分家の末すら、この半島には、まだいるのである。実権はなにもないとはいえ、蠣崎家が主家扱いして遠慮しなければならない存在で、その目の前で、主家を飛び越して中央につながり、官位を得ようとしているのはあまり大っぴらにはできない。
ついに無理攻めになった。最初、かつての和人の舘の跡を奪還占領したかにみえた先陣は逆襲をうけ、一時は、真っ先に占領したシリウチにまでアイノが侵入した。松前とは目と鼻の先といえるこの舘を支えきれず、大舘に退いた。
勢いにのったアイノの兵は、我勝ちに雪を蹴って、松前の東に迫った。むろん松前市中は騒然とし、納屋も大舘への避難の籠城か、船を使っての対岸への脱出かを考えねばならなかった。
(故右大臣に攻められたときの堺のようよ。)
お方さまに許されて大舘からいったん店に駆け戻り、慌ただしく万が一の避難の用意をしながら、あやめは妙にのんびりとしたことをふと思う。
あやめは大舘で知っていたが、家中における新三郎の地位も、もし敗戦となれば大いに揺らぐであろう。新三郎は誰にも相談しない。独断専行が目立つ。それがうまくいっていたから不満の声は抑えられていたが、此度こそあやうい。先代の対蝦夷政策に馴染んだ保守的な一派が盛り返し、秋田の安東家に働きかけて、新三郎が蝦夷代官の座から引きずり降ろされる事態すらもありえた。
いや、それどころか、あえなく討ち死にの可能性も捨てきれないのだ。アイノの兵はどうやら諸悪の根源らしい今の代官への闘志に充ち、強悍であった。雪でも降って火縄が湿れば、鉄砲などなんの役にも立たないと知っている。
そうでなくてもいざ敗戦ともなれば、すべての責任を負わせて代官の首をアイノに差し出そう、という意見すら、家中ではこっそり囁かれた。アイノに融和的な考えをもつ、新代官を立てればよい。その候補は血縁にいくらでもいる。たとえば、安東家の覚えもめでたい五男など……。
(だが、新三郎は、決して慌てていない。)
(この状態ですら、おのが武勇に絶対の信頼を置いているらしい。)
蠣崎新三郎慶広の軍事上の癖(へき)といったものを決定づけたのは、このとき、松前という土地の防御力がまたもや生かされたことであった。
夏に倒したはずの西部のセナタイアイノが、「下の国」こと東部のアイノの蜂起に応じて立った。だが、諸村にはすでに和人に直接入りこまれ、規模も質ももはや一揆でしかない乏しい兵力では、上ノ国から松前に至り、海岸線の細い道の固い守りを容易に抜くことはできない。
そう判断できた新三郎は浮足立たず、西の守りをまったく手薄にしても、一気に東を屠ると決意した。松前ひいては大舘の防御力への絶対的な信頼があった。
その決意は正しく、そしてその実行は神速であるといえた。新三郎はさらに大量の鉄砲を、いわば味方にも隠し持っていた。知っていたのは、それらを売ったあやめたち、納屋の者だけである。
鉄砲は防衛線で最も効果を発揮するのを、新三郎は理解していた。
新三郎にとって都合のよいことに、敵は火縄の発火を妨げるほど雪が降りしきる日には、自分たちもやってこない。むしろ、そうでない日に一斉に攻めかかった。
(これを待っていた。)
新三郎は、笑ったであろう。アイノを東の守りで撃退すると、これを追って逆にシリウチを簡単に奪還した。
アイノ部族の連合がこれで揺らいだのを知ると、ここから一気に箱館―ウシュケシまで進んで陥落に追い込み、海岸沿いのアイノ勢力をことごとく伏せしめた。家中の反対派も目を見張る早業であった。これで、西におけるセナタイの残党も、やむなく和を乞うた。
百年近く前の康正年間以来、蠣崎季広の講和まで縮小を続けた半島の和人旧領は、蠣崎慶広ひとりの手で、驚くべき短時間で回復されたのである。松前から箱館(ウシュケシ)までのあいだに、およ部、穏内、脇本、中野、といった館が、松前大舘のいわば支城として復活した。
ただ箱館は、またも焼けた。納屋の新しい倉も損壊した。
(だが、これは奇貨とすべきだ。)
あやめは逆に、箱館復興の大義名分を得たといえる。航海の成功で得た富を、ここで化けさせる算段がたっていた。
春に敦賀から戻ってくる松前下りの船は、貯えた松前納屋の儲けをあやめにとって役に立つ様々なものや人の形に変えて、運んで来てくれるだろう。
(荒っぽいことをしてくれたな、新三郎。この無理攻めは高くつくぞ。)
あやめは内心でほくそ笑んだ。
実際、半島南部から蝦夷地をうかがう蠣崎の軍事行動は、上ノ国が和人の手に落ちたことで指呼の間に迫られていた唐子のみならず、今度は下の国のはるか北に隣接する日ノ本のアイノたちも激しく刺激している。
(十四郎さまは、この機に乗じられる。なに、あの広大な蝦夷地にくまなく布武されようというのでは、最初からないのだ。)
十四郎の動きは、再度活発化した。
これまでなかなか服さなかった日ノ本のとりわけその南部のアイノたちが、半島からの衝撃に態度を変え、歩み寄りをはじめたからである。妥協しない者をすかさず共通の敵とし、十四郎の兵は小さな戦闘で勝利を続ける。ここから、新三郎が切り取った和人の土地に覆いかぶさるように、十四郎を統領とする、アイノ部族独自の服属や同盟の範囲が一挙に広がっていった。
蠣崎十四郎愛広が「蝦夷地宰領」の判を使い始めるのは、このあたりからであった。旗差しものまで、あやめに頼んできた。おやおやと思いながら、あやめは頼られるのがうれしい。ただ、その図柄の案を目にしたときには、思わず恐ろしいものを目にしたときのように反射的に目を閉じた。自分でもなぜかはわからない。
一方、蠣崎彦九郎季広老人は、旧知のアイノの首長たちの助命工作に忙しい。かれらは、老人の青年期と壮年期にともに衝突と妥協を重ねあい、蠣崎家が積み重ねてきた陰惨な争闘を終わらせた同志ともいえる顔馴染や、その子たちである。
(きゃつらの思い上がりから多少の行き違いがあったとはいえ、盟約を破ったのは、我らではないか。それを相手に科ありとして、命までとるのか。)
だが、ほぼ無駄に終わった。父子の会話は漏れ聞こえた―コハルが教えてくれたし、家内の噂にもなっていた―が、子は父の政策の歴史的使命は既に終わった、という意を伝えたらしい。アイノの武力行使を、これよりは正しく蠣崎蝦夷代官家支配への「叛乱」と位置付け、容赦しないとわからせる。もはや妥協や交渉の余地はない、それどころか双方にとって有害となるのだと。
「強い君臣の理を通して、その地を治める。それが天下の趨勢と存じます。」
「おや、いつからこの蝦夷島までが天下に入った。」
いいこめられがちな父が、皮肉に笑った。新三郎は動じない。いつものように、父に対しては態度ばかりは恭しく、温順なのであった。
「入りましょう。それは避けがたく存じます。」
「世の流れ! 世の流れか。二十年も昔か、さようなことを申した者がおったな。」
このとき、はじめて新三郎の口調がやや激したのだという。
「兄上がたや姉上の頃とは、違うのでございます。……わたくしも、南条の義兄上とは違いまする。」
「……。」
父親は黙って立ち上がり、話はそれだけであったという。
「堺納屋や両岸商人がこの松前に来てくれたのは、……」
と、自慢めいたことを口にしたことのない季広老人が、あやめだけを招いてくれた茶の席でぽつりと漏らしたことがある。
あやめは引き取った。ここで、嘘は何もいわなくてよい。
「まことに、先代さまの並々ならぬご尽力あらばこそ、戦も途絶え、安心して商いができました。われら上方よりの者はいつも感謝いたしておりまする。それを……」
わざと口を濁してみせると、季広老人は若い娘に親身になって注意してくれた。
「堺。いや、御寮人。いわずともいいことを、おぬしらが口にせんでもよい。」
「畏れ入り奉りまする。」
「口にすべきは、……わしら、蠣崎の者であるよな。」
どの糸も、かなりぴんと張ってきたとあやめは感じている。
「秋田の安東さまも、蝦夷島の騒ぎは御憂慮とのことで。」
コハルがしらっとした顔で、呟いたこともある。その糸も使えそうだ。
(あとは羽柴権大納言様のいっそうの御栄達にかかるが、……)
この秋から冬にかけ、中央では羽柴秀吉の栄達が凄まじい。
天正十二年十月、従五位下・左近衛権少将にのぼったかとおもうと、同年十一月、従三位・権大納言に叙された。
蠣崎新三郎慶広は、遠い畿内の動きにあきらかに刺激され、空が冷え、雪が降りしきるこの時期に、半島東部を攻めている。常識外れの行軍であった。
すでに上の国に敷いている新しい統治の方法を、まだ抑えていない東部にも強要した。かつて「下の国」と呼ばれた、和人との混住地ともいうべき、最も(和人の目からみて)拓けた土地のアイノたちであった。当然の反発に対しては、羽柴左近衛少将が背後にいることを匂わせたが、このときは、あまり効果はなかったようである。半島で和人に馴染んだアイノたちにはそれなりの情報が入る。十万の大軍が控えていると脅しても、疑うのが正しかった。
また、安東家の分家の末すら、この半島には、まだいるのである。実権はなにもないとはいえ、蠣崎家が主家扱いして遠慮しなければならない存在で、その目の前で、主家を飛び越して中央につながり、官位を得ようとしているのはあまり大っぴらにはできない。
ついに無理攻めになった。最初、かつての和人の舘の跡を奪還占領したかにみえた先陣は逆襲をうけ、一時は、真っ先に占領したシリウチにまでアイノが侵入した。松前とは目と鼻の先といえるこの舘を支えきれず、大舘に退いた。
勢いにのったアイノの兵は、我勝ちに雪を蹴って、松前の東に迫った。むろん松前市中は騒然とし、納屋も大舘への避難の籠城か、船を使っての対岸への脱出かを考えねばならなかった。
(故右大臣に攻められたときの堺のようよ。)
お方さまに許されて大舘からいったん店に駆け戻り、慌ただしく万が一の避難の用意をしながら、あやめは妙にのんびりとしたことをふと思う。
あやめは大舘で知っていたが、家中における新三郎の地位も、もし敗戦となれば大いに揺らぐであろう。新三郎は誰にも相談しない。独断専行が目立つ。それがうまくいっていたから不満の声は抑えられていたが、此度こそあやうい。先代の対蝦夷政策に馴染んだ保守的な一派が盛り返し、秋田の安東家に働きかけて、新三郎が蝦夷代官の座から引きずり降ろされる事態すらもありえた。
いや、それどころか、あえなく討ち死にの可能性も捨てきれないのだ。アイノの兵はどうやら諸悪の根源らしい今の代官への闘志に充ち、強悍であった。雪でも降って火縄が湿れば、鉄砲などなんの役にも立たないと知っている。
そうでなくてもいざ敗戦ともなれば、すべての責任を負わせて代官の首をアイノに差し出そう、という意見すら、家中ではこっそり囁かれた。アイノに融和的な考えをもつ、新代官を立てればよい。その候補は血縁にいくらでもいる。たとえば、安東家の覚えもめでたい五男など……。
(だが、新三郎は、決して慌てていない。)
(この状態ですら、おのが武勇に絶対の信頼を置いているらしい。)
蠣崎新三郎慶広の軍事上の癖(へき)といったものを決定づけたのは、このとき、松前という土地の防御力がまたもや生かされたことであった。
夏に倒したはずの西部のセナタイアイノが、「下の国」こと東部のアイノの蜂起に応じて立った。だが、諸村にはすでに和人に直接入りこまれ、規模も質ももはや一揆でしかない乏しい兵力では、上ノ国から松前に至り、海岸線の細い道の固い守りを容易に抜くことはできない。
そう判断できた新三郎は浮足立たず、西の守りをまったく手薄にしても、一気に東を屠ると決意した。松前ひいては大舘の防御力への絶対的な信頼があった。
その決意は正しく、そしてその実行は神速であるといえた。新三郎はさらに大量の鉄砲を、いわば味方にも隠し持っていた。知っていたのは、それらを売ったあやめたち、納屋の者だけである。
鉄砲は防衛線で最も効果を発揮するのを、新三郎は理解していた。
新三郎にとって都合のよいことに、敵は火縄の発火を妨げるほど雪が降りしきる日には、自分たちもやってこない。むしろ、そうでない日に一斉に攻めかかった。
(これを待っていた。)
新三郎は、笑ったであろう。アイノを東の守りで撃退すると、これを追って逆にシリウチを簡単に奪還した。
アイノ部族の連合がこれで揺らいだのを知ると、ここから一気に箱館―ウシュケシまで進んで陥落に追い込み、海岸沿いのアイノ勢力をことごとく伏せしめた。家中の反対派も目を見張る早業であった。これで、西におけるセナタイの残党も、やむなく和を乞うた。
百年近く前の康正年間以来、蠣崎季広の講和まで縮小を続けた半島の和人旧領は、蠣崎慶広ひとりの手で、驚くべき短時間で回復されたのである。松前から箱館(ウシュケシ)までのあいだに、およ部、穏内、脇本、中野、といった館が、松前大舘のいわば支城として復活した。
ただ箱館は、またも焼けた。納屋の新しい倉も損壊した。
(だが、これは奇貨とすべきだ。)
あやめは逆に、箱館復興の大義名分を得たといえる。航海の成功で得た富を、ここで化けさせる算段がたっていた。
春に敦賀から戻ってくる松前下りの船は、貯えた松前納屋の儲けをあやめにとって役に立つ様々なものや人の形に変えて、運んで来てくれるだろう。
(荒っぽいことをしてくれたな、新三郎。この無理攻めは高くつくぞ。)
あやめは内心でほくそ笑んだ。
実際、半島南部から蝦夷地をうかがう蠣崎の軍事行動は、上ノ国が和人の手に落ちたことで指呼の間に迫られていた唐子のみならず、今度は下の国のはるか北に隣接する日ノ本のアイノたちも激しく刺激している。
(十四郎さまは、この機に乗じられる。なに、あの広大な蝦夷地にくまなく布武されようというのでは、最初からないのだ。)
十四郎の動きは、再度活発化した。
これまでなかなか服さなかった日ノ本のとりわけその南部のアイノたちが、半島からの衝撃に態度を変え、歩み寄りをはじめたからである。妥協しない者をすかさず共通の敵とし、十四郎の兵は小さな戦闘で勝利を続ける。ここから、新三郎が切り取った和人の土地に覆いかぶさるように、十四郎を統領とする、アイノ部族独自の服属や同盟の範囲が一挙に広がっていった。
蠣崎十四郎愛広が「蝦夷地宰領」の判を使い始めるのは、このあたりからであった。旗差しものまで、あやめに頼んできた。おやおやと思いながら、あやめは頼られるのがうれしい。ただ、その図柄の案を目にしたときには、思わず恐ろしいものを目にしたときのように反射的に目を閉じた。自分でもなぜかはわからない。
一方、蠣崎彦九郎季広老人は、旧知のアイノの首長たちの助命工作に忙しい。かれらは、老人の青年期と壮年期にともに衝突と妥協を重ねあい、蠣崎家が積み重ねてきた陰惨な争闘を終わらせた同志ともいえる顔馴染や、その子たちである。
(きゃつらの思い上がりから多少の行き違いがあったとはいえ、盟約を破ったのは、我らではないか。それを相手に科ありとして、命までとるのか。)
だが、ほぼ無駄に終わった。父子の会話は漏れ聞こえた―コハルが教えてくれたし、家内の噂にもなっていた―が、子は父の政策の歴史的使命は既に終わった、という意を伝えたらしい。アイノの武力行使を、これよりは正しく蠣崎蝦夷代官家支配への「叛乱」と位置付け、容赦しないとわからせる。もはや妥協や交渉の余地はない、それどころか双方にとって有害となるのだと。
「強い君臣の理を通して、その地を治める。それが天下の趨勢と存じます。」
「おや、いつからこの蝦夷島までが天下に入った。」
いいこめられがちな父が、皮肉に笑った。新三郎は動じない。いつものように、父に対しては態度ばかりは恭しく、温順なのであった。
「入りましょう。それは避けがたく存じます。」
「世の流れ! 世の流れか。二十年も昔か、さようなことを申した者がおったな。」
このとき、はじめて新三郎の口調がやや激したのだという。
「兄上がたや姉上の頃とは、違うのでございます。……わたくしも、南条の義兄上とは違いまする。」
「……。」
父親は黙って立ち上がり、話はそれだけであったという。
「堺納屋や両岸商人がこの松前に来てくれたのは、……」
と、自慢めいたことを口にしたことのない季広老人が、あやめだけを招いてくれた茶の席でぽつりと漏らしたことがある。
あやめは引き取った。ここで、嘘は何もいわなくてよい。
「まことに、先代さまの並々ならぬご尽力あらばこそ、戦も途絶え、安心して商いができました。われら上方よりの者はいつも感謝いたしておりまする。それを……」
わざと口を濁してみせると、季広老人は若い娘に親身になって注意してくれた。
「堺。いや、御寮人。いわずともいいことを、おぬしらが口にせんでもよい。」
「畏れ入り奉りまする。」
「口にすべきは、……わしら、蠣崎の者であるよな。」
どの糸も、かなりぴんと張ってきたとあやめは感じている。
「秋田の安東さまも、蝦夷島の騒ぎは御憂慮とのことで。」
コハルがしらっとした顔で、呟いたこともある。その糸も使えそうだ。
(あとは羽柴権大納言様のいっそうの御栄達にかかるが、……)
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―
三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】
明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。
維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。
密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。
武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。
※エブリスタでも連載中
浅葱色の桜
初音
歴史・時代
新選組の局長、近藤勇がその剣術の腕を磨いた道場・試衛館。
近藤勇は、子宝にめぐまれなかった道場主・周助によって養子に迎えられる…というのが史実ですが、もしその周助に娘がいたら?というIfから始まる物語。
「女のくせに」そんな呪いのような言葉と向き合いながら、剣術の鍛錬に励む主人公・さくらの成長記です。
時代小説の雰囲気を味わっていただくため、縦書読みを推奨しています。縦書きで読みやすいよう、行間を詰めています。
小説家になろう、カクヨム、エブリスタでも載せてます。
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
鬼を討つ〜徳川十六将・渡辺守綱記〜
八ケ代大輔
歴史・時代
徳川家康を天下に導いた十六人の家臣「徳川十六将」。そのうちの1人「槍の半蔵」と称され、服部半蔵と共に「両半蔵」と呼ばれた渡辺半蔵守綱の一代記。彼の祖先は酒天童子を倒した源頼光四天王の筆頭で鬼を斬ったとされる渡辺綱。徳川家康と同い歳の彼の人生は徳川家康と共に歩んだものでした。渡辺半蔵守綱の生涯を通して徳川家康が天下を取るまでの道のりを描く。表紙画像・すずき孔先生。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる