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三の段 なやみ 新三郎(一)
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あやめは手紙の文言に、たしかにすがらなければならなかった。
側妾としての勤めは、かわらず、あやめの身と心を苛むものだった。
淫事を強いられていると意識するとき、あやめは相手の新三郎を蔑むことで意識の平静を保とうとしたが、それもかなわないときがあった。
絶え間ない刺激に耐えながら、自分を維持しようと努めるならば、最後には、却ってよくないことだ、いけないこと、あらずもがなのことだと思いながら、十四郎の書き送ってくれた手紙の文句を思い出した。経文か何かのように、頭の中で唱えてみた。
大舘に戻った直後には、蠣崎新三郎は奇妙に女にやさしかった。猟官運動を納屋の御寮人がやってくれているから、というだけではないようだ。閨での所作も、「堺の方」であるあやめの躰に要らぬ負担のないようにとする配慮があったので、驚いた。
「おぬしは、もう堺に帰らなくてよい。……夏の戻りの船には、乗るなよ。」
あやめの上で動きながら、新三郎はどこかしみじみとした調子で話しかけた。
(なにをいっているのか……)
あやめは、新三郎がやすやすと自分の中に入ったことで、悔しさと安堵の入り混じった奇妙な気分にあり、それについて頭を巡らせていた。考えを邪魔されたくない気持ちが強い。
(十四郎さまを受け入れることができなかったのに、なんだ、わたくしの躰は?)
悔しさとつらさ、十四郎への申し訳なさがむろん大半である。だが、これは前からそうであった。このときは、別の気持ちも起こっていた。
(……よかった。できた。)
この安堵感を整理して、考えにしてしまいたい。なぜ、一面でほっとしている?
(もしもここでああなってしまえば、さすがに『堺の方』ではいられなくなる。それは不都合だし、お店も危ないから……か?)
(いや、不具になってしまったからといって、容赦のある蠣崎新三郎ではない。それをまた面白がられて、いたぶられ、弄ばれては、この身がいよいよもたぬ。そういうことか?)
(もしもあの状態で無理やりに突き入れられたら、きっと、ただではすまない。狂い死にしてしまうかもしれない。……だから、ほっとしたのか?)
(まさか、男の躰に飢えているのか、このわたくしが? いや……)
(そうだ、これで、わかったではないか。こんなことは、本当はたいしたことではないのだ。まぐわいなど、犬や猫でもやっている、あさましい、簡単なことなのだ。……それが、わたくしと十四郎様とのあいだでだけ、できない。どんなに心が通じていても、ともに泣いても、できなかった。ということは、……)
(別儀(特別)なのだ。十四郎様だけがやはり、わたくしにとってただひとりの、ことのほかの方なのだ。だからこそ、心をやぶられてしまったわたくしは、どうしても、こんなことが、あの方とはできなくなってしまった。他人と、無造作にけだもののようにまぐわっている身だと思うから、大切なあのお方に、同じことをさせられなくなってしまったのだ。)
あやめは、躰の上にのしかかって何やら満足気な息を吐く男を、内心で嘲笑った。
(ははは、新三郎。何を嬉しそうな顔をしておる。憎いぞ、おぬしが。おぬしを憎んでも、憎んでも足りぬ理由が、はっきりわかってしまったぞ。ぬしを討たねば、割れてしもうた、わが心は接げぬのだ。わたくしと十四郎様の幸せのために、必ずおぬしを滅ぼす。待っておれ。)
「あやめ、それほどよいか。」
「……?」
「笑っておるわ。顔が、ほころんでおった。」
あやめは目を閉じたまま、首を振った。新三郎の動きがにわかに激しくなる。
(「そんなときには、天の川を仰ぎます。……ときに温かい夜は、星を仰いでみてください。きっとそのとき、わたしも星を仰いでいる。」)
「星が……」
思わず漏れた呟きを耳にして、新三郎はまた何か一人合点したらしい。あやめの上で瞬時飛び跳ねるようになると、大きく吐息をついた。
「あやめ……。もう儂から離れてはならぬのだぞ、」
「そういたしましょう。」
当分、十四郎からの連絡を待つために、蝦夷島を離れるのは避けたいのであった。
「あやめ、なにか欲しいものはないか。」
(なにをいっておるのかな。こやつ、まさか、わたくしとひと冬も離れて少し寂しかったか?)
あやめは内心でまた嘲けり笑った。そんなことはどうでもいいのだが、そう想像すると、少しでも仕返しをしてやれたようで、昏い喜びがある。
「いまは、とくにはございませんな。」
新三郎は、残念な顔をしたのだろうか。あやめは見もしていない。
そうした新三郎の態度は、徐々に元どおりになっていった。所作も乱暴になっていく。やはり新三郎は、あやめと睦みあうよりも、声を限りに悲鳴をあげさせ、泣かせたいものらしかった。
別に、それであやめは落胆も失望もしない。むしろ、うれしく睦み合うふりをするなど、面倒臭いだろうと思う。 ただ、打擲まがいのことをされたり、遊戯的な体位を強要されるせいで、躰の負担がまた重くなるのが憂鬱だった。
十四郎の手紙の文句にすがる夜が増えた。
内臓の端をさらけだす恥辱に、躰が強張るような体位を強いられたときは、こんなことは犬でもするのだ、とまた心中で嘯いたが、十四郎がこちらを笑わせようと書いたにちがいない猫の話を思い出して、心を甘い思い出で塞いだ。
(わたくしたちとて、外で、あんな真似をした。よし思いあったとしても、本来これは、滑稽な行為なのだ。)
男に跨がされて、汗まみれで腰を振らされながら、唇を噛んで天を仰いだときには、低く暗い天井の彼方に、天の川をみようとした。
どうしても痛みに耐えきれない行為を強いられたときには、目を白く向いて口を開き、舌を吐き出しながら、十四郎の文とはやはり違って古歌の意味する通り、鳥になってこの苦しい世から飛び立ちたいと思った。
(「深い山と荒い海が、わたくしたちを隔てています。」ああ、それを越えていきたい。鳥になって、ひととびに越えていければいい!……お会いできなくてもいい。こんな痛みを負っては、とても飛べないかもしれぬ。エサシかどこかの海に落ちてしまってもいい。……恥ずかしい。情けない。つらい。死にたい。少しでもお近くで死なせてほしい!)
側妾としての勤めは、かわらず、あやめの身と心を苛むものだった。
淫事を強いられていると意識するとき、あやめは相手の新三郎を蔑むことで意識の平静を保とうとしたが、それもかなわないときがあった。
絶え間ない刺激に耐えながら、自分を維持しようと努めるならば、最後には、却ってよくないことだ、いけないこと、あらずもがなのことだと思いながら、十四郎の書き送ってくれた手紙の文句を思い出した。経文か何かのように、頭の中で唱えてみた。
大舘に戻った直後には、蠣崎新三郎は奇妙に女にやさしかった。猟官運動を納屋の御寮人がやってくれているから、というだけではないようだ。閨での所作も、「堺の方」であるあやめの躰に要らぬ負担のないようにとする配慮があったので、驚いた。
「おぬしは、もう堺に帰らなくてよい。……夏の戻りの船には、乗るなよ。」
あやめの上で動きながら、新三郎はどこかしみじみとした調子で話しかけた。
(なにをいっているのか……)
あやめは、新三郎がやすやすと自分の中に入ったことで、悔しさと安堵の入り混じった奇妙な気分にあり、それについて頭を巡らせていた。考えを邪魔されたくない気持ちが強い。
(十四郎さまを受け入れることができなかったのに、なんだ、わたくしの躰は?)
悔しさとつらさ、十四郎への申し訳なさがむろん大半である。だが、これは前からそうであった。このときは、別の気持ちも起こっていた。
(……よかった。できた。)
この安堵感を整理して、考えにしてしまいたい。なぜ、一面でほっとしている?
(もしもここでああなってしまえば、さすがに『堺の方』ではいられなくなる。それは不都合だし、お店も危ないから……か?)
(いや、不具になってしまったからといって、容赦のある蠣崎新三郎ではない。それをまた面白がられて、いたぶられ、弄ばれては、この身がいよいよもたぬ。そういうことか?)
(もしもあの状態で無理やりに突き入れられたら、きっと、ただではすまない。狂い死にしてしまうかもしれない。……だから、ほっとしたのか?)
(まさか、男の躰に飢えているのか、このわたくしが? いや……)
(そうだ、これで、わかったではないか。こんなことは、本当はたいしたことではないのだ。まぐわいなど、犬や猫でもやっている、あさましい、簡単なことなのだ。……それが、わたくしと十四郎様とのあいだでだけ、できない。どんなに心が通じていても、ともに泣いても、できなかった。ということは、……)
(別儀(特別)なのだ。十四郎様だけがやはり、わたくしにとってただひとりの、ことのほかの方なのだ。だからこそ、心をやぶられてしまったわたくしは、どうしても、こんなことが、あの方とはできなくなってしまった。他人と、無造作にけだもののようにまぐわっている身だと思うから、大切なあのお方に、同じことをさせられなくなってしまったのだ。)
あやめは、躰の上にのしかかって何やら満足気な息を吐く男を、内心で嘲笑った。
(ははは、新三郎。何を嬉しそうな顔をしておる。憎いぞ、おぬしが。おぬしを憎んでも、憎んでも足りぬ理由が、はっきりわかってしまったぞ。ぬしを討たねば、割れてしもうた、わが心は接げぬのだ。わたくしと十四郎様の幸せのために、必ずおぬしを滅ぼす。待っておれ。)
「あやめ、それほどよいか。」
「……?」
「笑っておるわ。顔が、ほころんでおった。」
あやめは目を閉じたまま、首を振った。新三郎の動きがにわかに激しくなる。
(「そんなときには、天の川を仰ぎます。……ときに温かい夜は、星を仰いでみてください。きっとそのとき、わたしも星を仰いでいる。」)
「星が……」
思わず漏れた呟きを耳にして、新三郎はまた何か一人合点したらしい。あやめの上で瞬時飛び跳ねるようになると、大きく吐息をついた。
「あやめ……。もう儂から離れてはならぬのだぞ、」
「そういたしましょう。」
当分、十四郎からの連絡を待つために、蝦夷島を離れるのは避けたいのであった。
「あやめ、なにか欲しいものはないか。」
(なにをいっておるのかな。こやつ、まさか、わたくしとひと冬も離れて少し寂しかったか?)
あやめは内心でまた嘲けり笑った。そんなことはどうでもいいのだが、そう想像すると、少しでも仕返しをしてやれたようで、昏い喜びがある。
「いまは、とくにはございませんな。」
新三郎は、残念な顔をしたのだろうか。あやめは見もしていない。
そうした新三郎の態度は、徐々に元どおりになっていった。所作も乱暴になっていく。やはり新三郎は、あやめと睦みあうよりも、声を限りに悲鳴をあげさせ、泣かせたいものらしかった。
別に、それであやめは落胆も失望もしない。むしろ、うれしく睦み合うふりをするなど、面倒臭いだろうと思う。 ただ、打擲まがいのことをされたり、遊戯的な体位を強要されるせいで、躰の負担がまた重くなるのが憂鬱だった。
十四郎の手紙の文句にすがる夜が増えた。
内臓の端をさらけだす恥辱に、躰が強張るような体位を強いられたときは、こんなことは犬でもするのだ、とまた心中で嘯いたが、十四郎がこちらを笑わせようと書いたにちがいない猫の話を思い出して、心を甘い思い出で塞いだ。
(わたくしたちとて、外で、あんな真似をした。よし思いあったとしても、本来これは、滑稽な行為なのだ。)
男に跨がされて、汗まみれで腰を振らされながら、唇を噛んで天を仰いだときには、低く暗い天井の彼方に、天の川をみようとした。
どうしても痛みに耐えきれない行為を強いられたときには、目を白く向いて口を開き、舌を吐き出しながら、十四郎の文とはやはり違って古歌の意味する通り、鳥になってこの苦しい世から飛び立ちたいと思った。
(「深い山と荒い海が、わたくしたちを隔てています。」ああ、それを越えていきたい。鳥になって、ひととびに越えていければいい!……お会いできなくてもいい。こんな痛みを負っては、とても飛べないかもしれぬ。エサシかどこかの海に落ちてしまってもいい。……恥ずかしい。情けない。つらい。死にたい。少しでもお近くで死なせてほしい!)
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