えぞのあやめ

とりみ ししょう

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三の段 なやみ   手紙(一)

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 小さな行李一杯にあった十四郎の手紙を、あやめは指示通りの日に開けていくうちに、やがて読みつくしてしまった。
「次のお届けは、ないのかの。」
 コハルに愚痴ともつかぬ問いをしてしまう。
「いま、御曹司さまは、なかなかに労多くていらっしゃいましょう。」
「こちらからの手紙は、受け取られただろうか?」
 ヨイチにむけて、こっそりと大量の文をあやめは投げている。受け取った一通一通への返事とばかりに、暇があれば細い筆を走らせた。
(十四郎さまのようには、書けぬなあ。)
 いつも嘆息する。あやめのほうが、この時代の厳格な書簡の格式に縛られていた。とても十四郎を破顔させるとは思えず、その代わりにとも思って、十四郎の喜びそうな、甘いものまで蝦夷商人に託した。高価な紙の束も、手紙の催促のつもりで添えた。
 それへの礼などは、まだ届かない。コハルは首を振った。
「ヨイチよりも、イシカリよりも、よほど奥に行かれているのです。」
「それはたしかかえ?」
「コハルは、“でしょう”とは申しませんでした。」
「ならばやむを得ないな。……ご活躍なのだ。」
「……なんとかされましょう。」
 蠣崎愛広の武将としての苦闘の時期であり、蝦夷地に無限に広がるかと思われる泥沼地に深く足を取られているさいちゅうであるともいえた。かれにとっての金城湯池であるヨイチに戻る暇はなく、前年の冬までの驚異的な内陸部への進攻への反撃を受け、小さいながら絶え間のない、苦しい戦闘を繰り返していた頃であろう。
 この時期に書かれた手紙には、十四郎はおそらくは本当の日付を記した。それを送ることはできないが、かれ自身が、生々しい日付を記すことで、危うくなりかけるときもある自分の生を記録しておきたかったのかもしれない。あやめに対する遺書のつもりも、頭をかすめたであろう。
 それらはこの時、あやめの手にまだ届いていない。

「ご武運を……ご無事をお祈りするしかない。」
 あやめは鍵のかかる手文庫のいくつかに分けて隠した手紙を何度も読み返し、ついには半ば暗唱できるようになっていた。
 コハルは、機嫌のよいあやめが、はにかみながら、あれやこれやの文言をうれしげに教えてくれるのを聞かされた。そんなとき、自然に自分の目に涙が浮かんでくるのに、いつも狼狽せざるを得なかった。
(儂も、御寮人さまのせいで、……そう長くはないわ。)
 子どもだったあやめに出会い、その成長を垣間見、長じた女主人と再び、今度はさらにもつれあうようにこの蝦夷島ですごした。ずっと、あやめを見続けた。そのおかげで、非情という職業上の美質を自分は喪ったと思える。
(所詮は、食うに困ったことのないお身の上呑気な方々の、おさない色恋沙汰と最初は思っていたのだ。お二人とも、躰以外は、子どもも同然だった。それが、想いを遂げられようという、ただその為だけに、いまはそれぞれがそれぞれの場所で、のたうちまわっておられる。)
 それを思うと、コハルは泣けて仕方がない。
(この儂が、主人を想って泣くのか。)
(儂も永禄以来、よく生き残ってこられたものだが、この始末では、どうやら終わりが近い。)
「落ち着けば、ゆっくりコハル殿のお話を聞きたい。前右大臣はじめ名のみ聞く英傑の謦咳に接したひとであれば、切れ切れの思い出語り、四方山話にも学ぶところがありましょう。……ですと。きっといつか、お話ししてさしあげなさい、コハル。」
「口が裂けても喋れぬ、汚らしいお話ばかりでございますよ。コハルのような卑しき生業の者どもの見聞きした話は、世に残ってはならぬのです。決して蠣崎十四郎愛広様などがお耳にしてはなりますまい。御寮人さまもじゃ。」
「お父上は、よくご存じなのでしょう?」
「大旦那様とて、儂にお命じになるばかりで、なにをせよといわれても、どのようにせよとはいわれなんだ。それはお任せになられ、首尾の全てをご存知になられようとはしなかった。御寮人さまもそうでございましょうが? そこが、いいのこしてはならぬところだ。」
「コハル……すまないの。」あやめは思わず低頭した。「親子二代で世話になっているが、いえぬ仕事を投げ、おぬしにのみ厭な思いをさせてきたか。」
「滅相もございません。お頭をおあげになられよ、勿体ない。……儂のような者が生きてこられたのは、今井のお家のおかげ。大旦那様に命を救われ、いまはまた、御寮人さまに……」
「わたくしに?」
「申し上げますまい。」
「なんだ?」
(いえるかい、心を救われたなどと!)
(ひととしての情緒を蘇らせてくれたと!)
(そのおかげで、どうやら命運尽きるは間近、とでもいうか? ありえぬ。)
「申し上げるのは、いよいよお暇をいただくときにいたしましょう。」
「それでは聞けぬ。わたくしは、お前に暇など出してやりませぬ。……ずっとお店にいてくれよ、コハル。」
 コハルは涙を抑えるために、能面のような表情になって、無言で一礼すると、そのままあやめの部屋を出た。

 
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