えぞのあやめ

とりみ ししょう

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三の段 なやみ   北の方さま(一)

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「前田さまは珍しい蝦夷の兵にご感服で、筑州様にもおつたえしようとのことであった。大儀であったな。」
「いえ、それは手前ではなく、村上さまのお手柄。」
「うむ。しかし、あれに、よく使いが勤まった。」
 新三郎の放言に、一座がこの場にいない村上某を笑った。あやめは、このあたりの武士どもの性根が、存外に爽やかではなく思えて、きらいだ。新三郎の傲慢さには慣れてしまったが、それに阿る家臣たちの態度が、それでもお武家かと嫌気がさしてしまう。
(十四郎さまのいいところを思い出した。あのお方は、わたくしに他人の悪口をいわないな。)
「で、納屋の御寮人の首尾はいかに? 文ではよくわからぬところもあった。」家中の者どもの前であらためていえ、というのであろう。
「は。若狭守様のお名は、筑州様のお耳にも、お伽衆の一人某より入っておりまする。」
「……!」
 父から受け継いだ受領名、とはいうものの実質は単に私称に近い若狭守を受け継いでいる新三郎は、満足そうに頷く。一座がどよめくのを、気持ちよく聞いている。
「で?」
 とせかす。手紙の後の展開はどうなったか。自分の貰うべき官位の話が聞きたい。
「で、どうなるか?」
「はい。噂では、この夏か秋にも」
「なんと!」
(あほうめ。)
 あやめは心の中で舌を出す。
(ひとの話を最後まで聞かぬか。)
「筑州様は従五位下近衛少将にご任官あそばすかと。」
 話はまだまだこれからだ、とあとはいわないで沈黙することで、伝えてやる。
「……つまり、」と、さすがに新三郎は、なんだ俺のことではないのかつまらぬ、とはいわず、「武家の棟梁としてのご開府ではなく、前右大臣様のやり方を踏襲される。御所にてお仕えする形をとられるのじゃな。」
「ご明察に存じまする。おそらく、ゆくゆくは、右大将や征夷大将軍ご宣下をおうけではなく、畏れ多くも天子様に最もお近いところにてのお仕えで、天下の政をとられるのかと。」
「羽柴家は源氏にあらざれば。」
 訳知りの左衛門大夫正広が口をはさんだ。
 新三郎の不機嫌はこの弟に向いたらしい。黙っていろ、と無言でにらみつける。正広も不快気な表情になる。ちょっとした緊張感が沈黙とともに生じた。
(やれやれ。)
 あやめは場を引き取ってやる。
「おそれながら、たしかに、武門の長となられますには、源平いずれかのお血筋が肝要ではございましょう。筑州様は、残念にも、そのいずれでもなさげな……?」
 ねえ、とばかりに正広と目を合わせてやった。かれはややうれしげだ、
(この方もこの方じゃが、わたくしも厭な女じゃな。これも『図』のため、仕方がない。)
 あやめは知っていたが、秀吉は足利家の養子に入り、将軍宣下を受ける計画も胸に秘めてはいた。ただ、まさに今井宗久などが足利将軍家との関係から暗に間に立っても、うまくいっていない。やがて毛利領の鞆に粘る十五代将軍の峻拒をうけるのだが、今井家の力にも限界があるのを新三郎たちに知らせることもないので、このあたりは黙っている。
「では、どうやって昇殿の身の上になられるのか?」
 新三郎があくまで弟を無視してあやめに尋ねる。
「これはお伽衆某の言でございますが、」とあやめは、宗久が漏らしたかのように嘘をつく。なに、堺や京、それに大坂といった上方の大都市では、町の雀でも噂していることだ。「関白殿下のご猶子として、近衛様のお家に入られるとか。」
「それで公卿になるというのか! 羽柴筑前……」
 新三郎は、成り上がりものめが、という言葉を飲み込んだようだ。若年の頃、今は滅んでしまった浪岡北畠氏というれっきとした公家身分を誇る津軽の名家に仕えていたから、その点でも余計に違和感があるのだろう。あやめもそれは知っていたものの、
(その成りあがりものに官位をいただきたくてうずうずしているのは、誰か?)
 可笑しくてならないが、顔に浮かべた笑みは、そうした毒の籠ったものではない。
「おそれながら、お家にとっては、これは好都合かと存じます。もしも筑州様がいずれ関白様としてでも宮中で政をとられるならば、限られた官職官位をお武家様方にお与えになることも、よりなめらかに増えましょう。」
 蠣崎家に官位が来る可能性が増える。それに、もしも実質的な役務と職名がいくらかは密接にむすびついた幕府組織を開かれれば、蠣崎家にとっては不利である。
「松前は鎌倉、京の近辺にあらず。おそれながら、ご当地にて公方様の政所や侍所にお仕えするはかないますまいが、身は蝦夷島にあって位官を名乗られるはできましょうかと。」
「それがよいのだ。」
 新三郎は思わず本音を口にした。かれ自身、位官そのものが尊いとは思っていない。あくまで、蝦夷島を治める道具として、欲しいのだ。
 あやめはにっこりとした。

 新三郎夫人、北の方―お方さまにも帰着の挨拶がある。少し背の伸びた侍女のすずめがお仕着せを抱えて追いかけてきたが、面倒なので、着替えずに商人姿のままお目通りすることにした。
 京で求めた細工物や反物といった土産を渡し、おつきの女たちにも小さなものを配った。
(十四郎さまを見習おう。昔のご本にも、ものくれる友はよい、とあるそうな。)
あやめは、自分を嫌っているお方さまやその侍女たちととりわけ仲良くしたいわけではなかったが、「奥」であまりひどく嫌われても、企てに差し支えるので困るとは思っている。
幸い、みな喜んでくれたようだ。上方の土産を変にひねくれて悪意にとる女はいないようで、聞きかじった都の流行を喋ってやると、みな感心し、ときに手を打って笑ってくれた。女たちのざわめきに囲まれ、大舘ではじめてくつろいだ気がする。
(といって、わたくしは女ばかりの集まりにうまく溶け込めたことなど、あまりなかったのだがな。姉上がたともうまくいかなかった。)
女たちがいつもよりももの柔らかいのは、この身に着ているものがよいのかもしれない、と気づいた。お方さまが、こういったからだ。
「そちは、今日は納屋の御寮人か、堺の者か。」
(さて?)
 あやめが最も端的に「堺の方」になるのは、もちろん新三郎に組み敷かれているときだろうが、こうして「奥」でお方さまにご挨拶しているのも、制度的には正室の使用人である、側室・堺の方としての自分に違いない。
 ところが、簡素だが仕立てのいい、いかにも都の商人の服装だと、あやめは地のままからちょっと気取ったくらいの、納屋の御寮人に他ならぬと自分で思えている。気づくと、現に喋り方がそうなっている。
「申し訳ございませぬ。急いでお目通りしたく、着替えてまいりませんでしたので……」
「ならば、納屋の御寮人じゃな。」
「左様ではございますが……ここにこうして控えておりますというと……」
 あやめは本当に考え込んでしまった。
 お方さまはかすかに笑ったようだ。老女に囁き、人払いをさせる。
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