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三の段 なやみ ふたたび、松前(三)
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「御寮人さま?」
「……忘れていた。」
「なにを照れておられますか。」
「いや、……」あやめは無表情になってしまった。「……忙しくて、どうかしていたのだな。いまの今まで、あんなに、堺にいたときから、楽しみにしていたのに、どうしたことだろう?」
「お忙しかった。そういうことでございますよ。御寮人さまはお真面目ですので、お仕事中にはお楽しみを考えないように、ご自分を律されたのですよ。」
コハルは励ますようにいったが、内心で衝撃を受けている。
(やはり、この方は、まだおかしい。無理もないのだが……)
「どうも、いかぬな……。」あやめ自身が、ため息をついている。「大事な十四郎さまのお手紙のことを、けろりと忘れているなど。」
「お疲れなのです。お手紙を気付けのお薬と思って、さあ、今日の分をお読みください。」
「今日の分?」
「ほれ、十四郎さまは天正十二年の何月何日にはこの手紙を開封せよ、と表書きにご指定じゃ。一気に全部読んでしまわれないようにとのお考えでしょう。」
「なんと。それも歯がゆい。おむごいではないか。」
「いやいや、数々(親切)というもの。蝦夷地からでは、……」とコハルはなぜか声を潜めた。「毎日お手紙をお受け取りにはなられぬでしょう。」
「コハル……。」あやめも声を潜めた。「われら、長く店を空けすぎたかの?」
「左様に存じまする。まあ、無理もない。松前の冬は長い。長すぎる。店の者の心もあらぬように動く。ご用心を。」
「沖のことは漏れておらぬな?」
沖のこと、とは、松前のかなり手前で、大舘に知られたくない種類の荷物―鉄砲や弾薬など―を蝦夷船に移し替え、そのままヨイチまで行かせたことである。
「それは、あまりご心配なく。お店に残っていた者でございましょうな、ご用心は。」
「では、このお手紙、如何する?」
「ご安心を。コハルがお預かりしておきましょう。あのお方がご指定の日に、お届けいたしまする。」
「……そうなるか。そうなってしまうのだな。……では、今日の分を、お寄越し。」
あやめの声は、元の大きさに戻った。
(あれから、こんなにたくさんのお手紙をわたくしのために、したためてくださったのか。)
(ありがたい。おやさしい、十四郎さま。)
あやめは、拝むような気持で手紙を開いた。コハルは隣室に去る。
蠣崎十四郎愛広の書状は、文章日本語による情緒の表現として、この時代に突出したものではなかっただろうか。
具体的な用件を伝えようというものではまったくなく、ただひたすらにあやめに話しかけるだけのものである。だから、ときに口語、俗語すら混じっていた。
当時の私信にも当然あったルールの多くは、かえりみられていない。書札礼にまったく沿っていないものも多いため、偽作説が盛んであった時期も長い。まとまった形で発見された現物が公開され、それらへの専門的に詳しい調査も可能であったのが幸いし、今日ではすべてを後世の偽作とする説は退いているが、後代の研究者のなかには文書の多くは「書簡(手紙類)」とは定義上もいえない、なにか別種の覚書ではないかという立場をとる場合もある。
上書きの月日として残る手紙の日付は、それ自体架空のものだといえた。
コハルのいうとおり、何日かおきに定期的に届くわけにはいかない文を、できることなら日をおかずにあやめに読ませたい。そうした心遣いであった。
そしてその日付に、本当にかれが経験していただろうこととは、何も関係のないことばかりが綴られていた。
蠣崎十四郎愛広の天正十一年から秋から冬、そして翌年の浅い春は、苛烈な日々だったと推定されている。まだ唐子の有力なアイノ村の軍事顧問か、せいぜい傭兵隊長でしかなかったかれが、イシカリとヨイチを拠点に地歩を固める時期である。
野心的な事業家といえた“惣大将”と呼ばれたアイノの首長が、ポモールの村での戦闘、いわゆる「チョマカウタの戦い」で思わぬ戦死を遂げてしまったことで、かれの本拠地テシオとその支配地域とは分裂し、ついに村落ごとに紛争状態となった。
ここにイシカリ一帯の諸村は介入し、北上した蠣崎愛広率いる兵力が、それら互いに相争うテシオの勢力を、すべて揉み潰す結果となった。唐子北部の一大独立勢力が消滅した。
これでカラフトから山丹への貿易路の要所がイシカリ・ヨイチの同盟により完全に抑えられたことになる。唐子の統一という未曽有の事態が近づいたともいえる。
十四郎は傭兵隊長にとどまらず、イシカリから一帯の統治を委任される身となっていく。
中近世のイタリア半島におけるコンドッティエーレ(condottiere)に近い立場であった。軍事的才能と名家の権威を背景に、有力市民に請われて統率者となる存在である。臨時の執政官、あるいは雇われ君主といえる。和人の統領であった安東家被官蠣崎家の出だというのは、蝦夷地全体を統治できる権力の不在に対して、なおいくばくかの意義をもった。
そして蠣崎愛広には、武人としての何ものかの資質があり、これが次第に圧倒的なものとなっていく。イシカリからヨイチまでの外人統領の地位に飽き足らず、さらに血塗れの争闘に身を投じていくのは、これからであった。
以下は、先走った話となる。天正十二年の夏から秋、さらにこの土地の軍事行動としてはおよそ考えられぬほどのことであるが、その冬に起きたことである。
唐子からは裏側の大海に面した日ノ本への進出は、有力者であるテシオの“惣大将”の宿願であった。これを死に至らしめた十四郎は、やがて調停者の立場からテシオに実質的な支配力をもったことで、その運動を引き継ぐことになった。
ただ、蝦夷島の北端を回っての南下ではない。日ノ本へは、イシカリから巨大な山塊を越える過酷なルートをなぜか選んだ。
かれの構想は、蝦夷地の統一ではなかったことがわかる。出身の渡党の領土である南部の半島こそが、やはり蠣崎愛広にとって宿願の地だったのであろう。
西部と東部から、半島への南下をはかった。西部の唐子は、かれがヨイチ・イシカリ同盟に雇われた君主として実質的に大半を既に手中にしていたから、南下はやや容易であった。東部海岸線からの南下は、複雑な外交と派兵の事業となった。通常ならば、何年もかかるはずの戦いであった。
これを劇的に展開させる一報は、まさにその蠣崎支配地からもたらされることになる。一進一退の攻防に身をすり減らす十四郎たちにとっての、願ってもない好機がやがて到来したのである。
蠣崎慶広による半島全土にわたる旧和人領の回復と、余勢を駆っての日ノ本への北上浸透であった。これが日ノ本のアイノ首長たちに衝撃をあたえ、にわかに松前への警戒感をかきたてた。これが、アイノの兵力を背景にした十四郎の活動に突破口を開いたのである。相互に孤立的だったアイノ部族の合従連衡が進み、十四郎はそれに乗じて蝦夷地全土に同盟の統率者としての一定の地歩を築けることになった。
手紙に話を戻すと、多くの後世の研究者を当惑させ、落胆させたことに、これらの時期の日付が認められる蠣崎愛広書簡の多くは、かれの英雄的事業、あるいは血塗れの惨憺たる攻防の何事を語るものではなかった。史上に確定された、一種の会戦の日付のついた手紙にすら、のどやかな日常の感慨が記されている。
十四郎は、大量の手紙を書くとき、あやめの心を慰めることしか考えていなかった。傷ついた恋人を慈しみ、離れていながら喜ばせることのみを考えて筆を走らせた。ときに書くべきことが見つからないときには、かつてのような軽口、からかいを記した。およそ突飛な冗談を、ことさらに大真面目な筆致で書いてみせた。それが諧謔を好むあやめを笑わせ、いくらかでも心を癒すだろうと期待したからでもあった。
また、当然のことだが、文章はまずはその筆者のものである。のどやかな日常や、実際には起こりえない楽しい逢瀬を記すとき、十四郎もまた、それに心癒され、救われていたにちがいない。
のち、あきらかに野営の幕舎で、他愛もない空想の逢瀬の様子を書いた。別の記録によれば、初期の蠣崎愛広にとって珍しくはない、死の危険のある長い苦戦の中だったことは明らかである。
苛烈な日々だからこそ、埒もつかぬ空想が書かれるようになるのは、いま少し先のことである。あやめが受け取っている手紙の束は、数か月前の別離の悲しみをつづるのが、最初の一通だった。
「過日、湊に立ち、あなたを乗せた蝦夷船の小さな船影を見送っていました。そのときわたしは、あなたがなにかの忘れ物をされて、船が戻ってこないか、とそんな馬鹿げたことを心から望んでやまなかったのです。あなたがこの土地から去っていくという当たり前のことが、わたくしにはどうしても得心がいかなかった。あなたのお髪の一筋も、この土地に残るわたしには残されていないのが、さびしくてならなかった。
「いただいた大事な守り刀の国光が懐に重いのを、そのときのわたしは気づかなかった。おろかなことです。あなたが蝦夷のあやめである以上、離れているように思えても、わたくしどもは常に分かち難く、ともにある。
「蝦夷の春は遅い、とあなたはいわれましたね。その遅いという春風に吹かれて、いま、遠い土地からお帰りになったあなたと同じ島の土地を踏んでいるのだから、わたくしは、本当は、少しもさびしくはない。」
最初の手紙は、そんな風に書いてあった。
(十四郎さま……! わたくしも、さびしいけれど、さびしくなどはない!)
あやめは叫びだしたいような気持ちに、紙を持つ手が震えた。
その気持ちを訴える相手は、ひとりしかいない。やはり、隣室に控えているコハルであった。用心して、抑えた声で呟く。コハルには十分であろう。
「コハル。……わたくしは、あのお方をお慕いできて、それだけで果報者だ。」
「……」
コハルは笑ったようであるが、燭台の明るみの届かないところに消えた。
(本当に、残りのお手紙は持って行ってしまったのか。次はいつ、読めるのか教えてもらいたかったがな。)
その、「次」の機会は、大舘に呼び出され、また身も心も草臥れ果てて店に戻る日まで来なかった。
「……忘れていた。」
「なにを照れておられますか。」
「いや、……」あやめは無表情になってしまった。「……忙しくて、どうかしていたのだな。いまの今まで、あんなに、堺にいたときから、楽しみにしていたのに、どうしたことだろう?」
「お忙しかった。そういうことでございますよ。御寮人さまはお真面目ですので、お仕事中にはお楽しみを考えないように、ご自分を律されたのですよ。」
コハルは励ますようにいったが、内心で衝撃を受けている。
(やはり、この方は、まだおかしい。無理もないのだが……)
「どうも、いかぬな……。」あやめ自身が、ため息をついている。「大事な十四郎さまのお手紙のことを、けろりと忘れているなど。」
「お疲れなのです。お手紙を気付けのお薬と思って、さあ、今日の分をお読みください。」
「今日の分?」
「ほれ、十四郎さまは天正十二年の何月何日にはこの手紙を開封せよ、と表書きにご指定じゃ。一気に全部読んでしまわれないようにとのお考えでしょう。」
「なんと。それも歯がゆい。おむごいではないか。」
「いやいや、数々(親切)というもの。蝦夷地からでは、……」とコハルはなぜか声を潜めた。「毎日お手紙をお受け取りにはなられぬでしょう。」
「コハル……。」あやめも声を潜めた。「われら、長く店を空けすぎたかの?」
「左様に存じまする。まあ、無理もない。松前の冬は長い。長すぎる。店の者の心もあらぬように動く。ご用心を。」
「沖のことは漏れておらぬな?」
沖のこと、とは、松前のかなり手前で、大舘に知られたくない種類の荷物―鉄砲や弾薬など―を蝦夷船に移し替え、そのままヨイチまで行かせたことである。
「それは、あまりご心配なく。お店に残っていた者でございましょうな、ご用心は。」
「では、このお手紙、如何する?」
「ご安心を。コハルがお預かりしておきましょう。あのお方がご指定の日に、お届けいたしまする。」
「……そうなるか。そうなってしまうのだな。……では、今日の分を、お寄越し。」
あやめの声は、元の大きさに戻った。
(あれから、こんなにたくさんのお手紙をわたくしのために、したためてくださったのか。)
(ありがたい。おやさしい、十四郎さま。)
あやめは、拝むような気持で手紙を開いた。コハルは隣室に去る。
蠣崎十四郎愛広の書状は、文章日本語による情緒の表現として、この時代に突出したものではなかっただろうか。
具体的な用件を伝えようというものではまったくなく、ただひたすらにあやめに話しかけるだけのものである。だから、ときに口語、俗語すら混じっていた。
当時の私信にも当然あったルールの多くは、かえりみられていない。書札礼にまったく沿っていないものも多いため、偽作説が盛んであった時期も長い。まとまった形で発見された現物が公開され、それらへの専門的に詳しい調査も可能であったのが幸いし、今日ではすべてを後世の偽作とする説は退いているが、後代の研究者のなかには文書の多くは「書簡(手紙類)」とは定義上もいえない、なにか別種の覚書ではないかという立場をとる場合もある。
上書きの月日として残る手紙の日付は、それ自体架空のものだといえた。
コハルのいうとおり、何日かおきに定期的に届くわけにはいかない文を、できることなら日をおかずにあやめに読ませたい。そうした心遣いであった。
そしてその日付に、本当にかれが経験していただろうこととは、何も関係のないことばかりが綴られていた。
蠣崎十四郎愛広の天正十一年から秋から冬、そして翌年の浅い春は、苛烈な日々だったと推定されている。まだ唐子の有力なアイノ村の軍事顧問か、せいぜい傭兵隊長でしかなかったかれが、イシカリとヨイチを拠点に地歩を固める時期である。
野心的な事業家といえた“惣大将”と呼ばれたアイノの首長が、ポモールの村での戦闘、いわゆる「チョマカウタの戦い」で思わぬ戦死を遂げてしまったことで、かれの本拠地テシオとその支配地域とは分裂し、ついに村落ごとに紛争状態となった。
ここにイシカリ一帯の諸村は介入し、北上した蠣崎愛広率いる兵力が、それら互いに相争うテシオの勢力を、すべて揉み潰す結果となった。唐子北部の一大独立勢力が消滅した。
これでカラフトから山丹への貿易路の要所がイシカリ・ヨイチの同盟により完全に抑えられたことになる。唐子の統一という未曽有の事態が近づいたともいえる。
十四郎は傭兵隊長にとどまらず、イシカリから一帯の統治を委任される身となっていく。
中近世のイタリア半島におけるコンドッティエーレ(condottiere)に近い立場であった。軍事的才能と名家の権威を背景に、有力市民に請われて統率者となる存在である。臨時の執政官、あるいは雇われ君主といえる。和人の統領であった安東家被官蠣崎家の出だというのは、蝦夷地全体を統治できる権力の不在に対して、なおいくばくかの意義をもった。
そして蠣崎愛広には、武人としての何ものかの資質があり、これが次第に圧倒的なものとなっていく。イシカリからヨイチまでの外人統領の地位に飽き足らず、さらに血塗れの争闘に身を投じていくのは、これからであった。
以下は、先走った話となる。天正十二年の夏から秋、さらにこの土地の軍事行動としてはおよそ考えられぬほどのことであるが、その冬に起きたことである。
唐子からは裏側の大海に面した日ノ本への進出は、有力者であるテシオの“惣大将”の宿願であった。これを死に至らしめた十四郎は、やがて調停者の立場からテシオに実質的な支配力をもったことで、その運動を引き継ぐことになった。
ただ、蝦夷島の北端を回っての南下ではない。日ノ本へは、イシカリから巨大な山塊を越える過酷なルートをなぜか選んだ。
かれの構想は、蝦夷地の統一ではなかったことがわかる。出身の渡党の領土である南部の半島こそが、やはり蠣崎愛広にとって宿願の地だったのであろう。
西部と東部から、半島への南下をはかった。西部の唐子は、かれがヨイチ・イシカリ同盟に雇われた君主として実質的に大半を既に手中にしていたから、南下はやや容易であった。東部海岸線からの南下は、複雑な外交と派兵の事業となった。通常ならば、何年もかかるはずの戦いであった。
これを劇的に展開させる一報は、まさにその蠣崎支配地からもたらされることになる。一進一退の攻防に身をすり減らす十四郎たちにとっての、願ってもない好機がやがて到来したのである。
蠣崎慶広による半島全土にわたる旧和人領の回復と、余勢を駆っての日ノ本への北上浸透であった。これが日ノ本のアイノ首長たちに衝撃をあたえ、にわかに松前への警戒感をかきたてた。これが、アイノの兵力を背景にした十四郎の活動に突破口を開いたのである。相互に孤立的だったアイノ部族の合従連衡が進み、十四郎はそれに乗じて蝦夷地全土に同盟の統率者としての一定の地歩を築けることになった。
手紙に話を戻すと、多くの後世の研究者を当惑させ、落胆させたことに、これらの時期の日付が認められる蠣崎愛広書簡の多くは、かれの英雄的事業、あるいは血塗れの惨憺たる攻防の何事を語るものではなかった。史上に確定された、一種の会戦の日付のついた手紙にすら、のどやかな日常の感慨が記されている。
十四郎は、大量の手紙を書くとき、あやめの心を慰めることしか考えていなかった。傷ついた恋人を慈しみ、離れていながら喜ばせることのみを考えて筆を走らせた。ときに書くべきことが見つからないときには、かつてのような軽口、からかいを記した。およそ突飛な冗談を、ことさらに大真面目な筆致で書いてみせた。それが諧謔を好むあやめを笑わせ、いくらかでも心を癒すだろうと期待したからでもあった。
また、当然のことだが、文章はまずはその筆者のものである。のどやかな日常や、実際には起こりえない楽しい逢瀬を記すとき、十四郎もまた、それに心癒され、救われていたにちがいない。
のち、あきらかに野営の幕舎で、他愛もない空想の逢瀬の様子を書いた。別の記録によれば、初期の蠣崎愛広にとって珍しくはない、死の危険のある長い苦戦の中だったことは明らかである。
苛烈な日々だからこそ、埒もつかぬ空想が書かれるようになるのは、いま少し先のことである。あやめが受け取っている手紙の束は、数か月前の別離の悲しみをつづるのが、最初の一通だった。
「過日、湊に立ち、あなたを乗せた蝦夷船の小さな船影を見送っていました。そのときわたしは、あなたがなにかの忘れ物をされて、船が戻ってこないか、とそんな馬鹿げたことを心から望んでやまなかったのです。あなたがこの土地から去っていくという当たり前のことが、わたくしにはどうしても得心がいかなかった。あなたのお髪の一筋も、この土地に残るわたしには残されていないのが、さびしくてならなかった。
「いただいた大事な守り刀の国光が懐に重いのを、そのときのわたしは気づかなかった。おろかなことです。あなたが蝦夷のあやめである以上、離れているように思えても、わたくしどもは常に分かち難く、ともにある。
「蝦夷の春は遅い、とあなたはいわれましたね。その遅いという春風に吹かれて、いま、遠い土地からお帰りになったあなたと同じ島の土地を踏んでいるのだから、わたくしは、本当は、少しもさびしくはない。」
最初の手紙は、そんな風に書いてあった。
(十四郎さま……! わたくしも、さびしいけれど、さびしくなどはない!)
あやめは叫びだしたいような気持ちに、紙を持つ手が震えた。
その気持ちを訴える相手は、ひとりしかいない。やはり、隣室に控えているコハルであった。用心して、抑えた声で呟く。コハルには十分であろう。
「コハル。……わたくしは、あのお方をお慕いできて、それだけで果報者だ。」
「……」
コハルは笑ったようであるが、燭台の明るみの届かないところに消えた。
(本当に、残りのお手紙は持って行ってしまったのか。次はいつ、読めるのか教えてもらいたかったがな。)
その、「次」の機会は、大舘に呼び出され、また身も心も草臥れ果てて店に戻る日まで来なかった。
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