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三の段 なやみ 故郷の日々(一)
しおりを挟む堺で秋をすごし、冬を迎えた。この間のあやめは、精力的に動いている。
いま敦賀の湊で休んでいる今井の持ち船は、春に蝦夷島にまた下る。米や酒、醤油、古着、刃物や鍋釜などの鉄製品、漆器といった荷の手配を進めておかねばならない。あやめは何かの形で船の行き来を年に一度か二度、増やしてみたいので、翌天正十二年には春の早いうちに船を出しておきたかった。航海で蓄えができれば、持ち船そのものを増やすこともできるだろう。
堺にじっとしているわけでもなかった。二重の堀を越え、大坂や京にはしょっちゅう足を運んだ。
「あやめ、父に話があらば、堺か京で聴こう。」
宗久がいったことがある。さほど大坂見物に来てほしくない理由がある。
「あら。なじょう(なぜ)でございましょう。」
「筑州様は、いまお忙しいが、もちろんときどきお城に戻られる。」
「結構なことでございます。できましたら、天下人さまにはお目にかかりたいものでございます。」
あやめは信長という人物に一度も会ったことがないままに終わったが、秀吉にはできれば拝謁しておきたい。興味もあるし、その方が都合がよいかもしれない。
「それがいかん。」
宗久は渋い顔になる。
父は、羽柴秀吉の度外れた女好きの危険性を口にしたいが、他の娘はともあれ、松前の事件があるあやめへの伝え方に気をつかう。
不思議そうな顔をしていたあやめは、やがて気がついた。
「筑州さまは、稀代の色好みとか。」
「それじゃ。」
「こわや。」
あやめはからっと笑って見せた。
「万が一、こちらでも召されて長の足止めをお城で食っても困りまするな。」笑ったのは、父の気遣いがほのぼのとうれしかったからでもある。
「なるべく大坂には立ち寄らぬようにいたしましょうか。」
そうはいったものの、大坂はその後、何度も訪ねた。巨城ができあがっていくのを眺めると同時に、羽柴筑州さまの町割りのコツを盗みたかった。近江長浜という町で、あやめは秀吉の都市設計の妙手を知っている。今度は、その比ではない規模であり、おそらく何百年も続く大都市ができるのであろう。
あやめにいわせれば(いったことがある相手はごく限られたが)松前は町としてこれ以上は伸びようがない。あれは、「館」のためにあるような土地であって、攻めるに難いのだけが取り柄である。アイノの圧倒的だった武力から、和人がじっと身を屈めて守るためだけの場所だった。彼我の武力の優劣は劇的に変わりつつあるし、あやめが望むのは、そうした対立が昇華された蝦夷島である。
(箱館に、納屋の店を移す。そのことで箱館―ウシュケシに立派な商売の町をつくっていく。)
蝦夷島の支配者ならば、まずは箱舘に城を構えるべきだろう―とはあやめは、蠣崎新三郎などにはいってやらない。武家の威張らぬ、堺のような街をつくるのが夢であった。
(十四郎さまだけが、その街を治めるのだ。)
あやめの目には、箱館の湊を見下ろす小高い丘の上に、今様の、小さいながら天守をもった城の姿が浮かんだ。十四郎の城だ。
秋、大坂から河内までまわるときには、必ずトクをともなった。増えはじめた棉花畑を見せておきたかった。白い実が「棉の花」であった。
「トクどん。わたくしどもの商いのお客がここにいる。何をお売りします。」
トクは考えていたが、やがて、ニシンの干鰯でございますか、と正解をいった。
「ニシンの干鰯、とは面白いものいいよ。が、そのとおりじゃ。よくわかりました。」
あやめはトクに、棉花栽培につかう肥料としての鰊の商売をともに考えさせ、体得させたい。
トク、それにコハルを連れて、冬のはじめには泉州を南に下り、紀州まで足を延ばしたこともある。
天正十一年の秋以降、秀吉政権に敵対的で、泉南勢と小競り合いをくりかえしていた紀州勢がしばし後退し、日の高いうちの旅にはさほど危険がない。
漁法の発達した茅渟の海(大阪湾)沿いの泉州南部や紀州の漁村は豊かで、獲りにとれて困るほどの魚を干鰯にして売るということを、すでにはじめていた。
「カド(鰊の古称)か?」
北海の鰊を干鰯のようなすぐれた肥料にできるか、というあやめの問いに、敬語表現に乏しい紀州弁の網元はひどく簡単に答えた。
「できるじゃろうな。天日では難しいじゃろうが。」
(であろうな。こちらあたりと蝦夷島では陽の力が違う。)
「薪がいるが、蝦夷島には樹が生えておるのか?」
「おるとも。」
工夫好きで、蝦夷島を見てみたいという、干鰯の作れる者。そうした者がいないか、あてを考えて貰いたい。そういい置き、あらかじめ支度金がわりの銭を握らせて去った。
冬に入りかけているはずなのに、三人は海の明るさ、穏やかさに見とれる思いになる。トクが、失礼いたします、というや、砂浜に走り出て、波打ち際をかけた。ひとりはしゃぐ声があがる。松前では見たことのない顔だ。
「あれが、二十年もたてば、松前……いや箱舘納屋の番頭さんでございますかね。」
「そのつもりじゃよ、わたくしは。」
子どもを抜けきっていない少年を見守るふたりは、笑みが抑えられない。
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