えぞのあやめ

とりみ ししょう

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二の段 蠣崎家のほうへ 帰郷(一)

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 蝦夷船は松前ではなく沿岸部の小さな湊を経由し、十三湊の廃港を横眼で見ながら南下して、秋田にむかった。また小さな板張りの蝦夷船だが、アイノの船頭たちには慣れた航路である。
 蝦夷船を降りた一行は、秋田の湊で待っていた納屋の大船に乗り込んだ。松前で積んだ荷の一部をここでおろし、秋田で売りさばく時間を要するから、この待ち時間は奇異の念をうけるべきものではない。
 あやめたちが乗りこんでしばらくたってから、目付役の村上が酒の匂いをさせながら、あわてて乗りこんできた。あやめの連れてきた屈強なアイノの男二人をみて、目を細める。酔いもあるのだろう、帆柱の陰に隠れてではあったが、いささか大仰なまでにあやめに礼をいう。
 ここからは急いだ。商機の待つ沿岸の湊をなかばやりすごす形になるが、船主当人の望みである。敦賀まで、やや荒れはじめた海をいく。

 海は陽をうけて光っていたが、どこかに秋が近づいている。北からやってくる秋に背を向けて逃れる形で、船は沖をすすんだ。
 水主たちが気づくことに、若い女船主の姿は、ときおり船尾にある。長い髪が海風に流されるのも構わずに、過ぎていく遠くの海に目をやって、物思いに沈んでいる風であった。船主の心配といえば積み荷のことだけのはずだが、海の向こうばかりみていた。
 そんなとき、小山のように大きな体の従者が横にはべり、ときに会話していた。言葉は風と波の音に飛ばされて、水主たちには聞こえない。

 敦賀の三国湊では、あやめは多忙であった。村上らを送り出すと、商売に専心する。ここでの荷下ろしと、とくに昆布の蔵への搬入を、松前納屋の主人としては久しぶりに監督しなければならない。
 堺から納屋の店の者が迎えに来ていた。松前納屋との連絡は、この手代が引き受けている。
 こまごまとした作業を入れ替わらせる形で、一行は南下の途を急ぐことにした。琵琶湖に至り、ここからまた船であった。
 船に乗りこむとき、一行のなかの目立って小さい男の子に、若い女が真剣な顔で何かを尋ねてやるのを、同乗の一人の客がふと目にした。だが、少年は明るい表情で首を振ったようである。姉と弟の仲にもみえるが、どうやら商家の女主人と小僧のようだな、と客は珍しく思う。
 急ぎの船はまっすぐに琵琶湖を縦断する。
 晩夏の湖は明るく光っていた。水のうえに、同じ色をした青い空が広がる。淡水の匂いのする風が爽やかだ。
 あやめたちが、湖北から湖東にかけての町に寄ることはなかった。だが、湖上からも、この三年の世の変転は知れた。
 左手に遠く望む長浜城の姿が懐かしく感じられたが、この城はすでに羽柴筑前守の居城ではない。いったんは柴田勝家方の領有になり、秀吉がこれを攻めて取返し、去る賤ヶ岳合戦以来はまた持ち主を変えているはずだ。
 三年前の往路にあやめを圧倒した安土城の巨大な天守の姿も、それが地上から消滅して一年がすぎ、もはや見ることはない。この一事でも、織田家の天下は終わったと思わざるをえない。比叡の山影こそは変わらないが、それを背景に美しい影を水に移していた明智光秀自慢の坂本城も、むろんもうない。
 織田政権の消滅という事態が、その新しい本拠地ともいえた近江国の景色を変えたのが、まざまざとわかる気がした。
 心配していた湖賊の襲来はなかった。大津の代官所は健在であった。琵琶湖の水運と京を出入りする人やモノを管 理できる、後継政権が上方に出現しつつある。このあたりの治安もよいだろうから、安心した。
 山越えの陸路をとった。京に入る。ここでいったん旅装を解いた。京の今井屋敷に入った。

 都にさほどの用もなく、若い女らしい京の風物への思い入れも、あやめには元から乏しい。
(光源氏の物語、か……。)
 ふと思い出したが、本を探すのも億劫な気分になった。まあ堺の今井屋敷にでもいけば、嫁いだ姉たちの残したそれが転がっているだろう。
 都の訳知りや事情通と会い、茶や宴の席でこのところの政情や商いについてこまごました情報を集めることはしたが、肝心なのは父宗久とどこで会えるかだ。昔ならばこの京屋敷で待っていればよさそうで、堺まで行くこともないかもしれないと思ったが、羽柴筑前守秀吉が築城中の大坂から、出入りの豪商たちは動けないらしい。
 新しい天下政権がまず出来上がりつつあるのは、いまは京ではないようだった。
 京はそのぶんも平穏無事で、活気はあっても退屈であった。
 淀川を下ることにした。
 本願寺のころの大坂しか知らない。長い織田勢との戦いの果てに本願寺が退去し、城郭の機能は堀や石垣に部分的に残しつつ、この二年はただの「石山」にいったんは戻っていたときく。その台地の上に、三十数国から何万もの人 足工夫を雇い集め、安土城をもはるかに上回る巨城が築かれているという。それも見ておきたかった。

 納屋が織田信長の認可を得て出していた定期船・今井船で下る。低湿地帯を抜け、枚方をとおる。川面のかなたに天守の姿が近づくと、あやめらの一行は息を呑んだり、口をぽかんと開いたりする。
「だいぶ、できあがってきましたな。」
 乗り合わせた見知らぬ客のひとりが訳知り顔で、美しい女であるあやめに聞かせるつもりでか、大きな声で呟いた。
 台地の隅に立ち上がっていた巨城の結構と広がりは、天守といい石垣、堀といい、松前納屋の者たちの想像をはるかに超えていた。城を軸に、台地を南に、そしてさらに西の海に向かって、繁華な町が開かれようとしていた。
「わたくしどもも、よほど蝦夷島の者になってしまったことでございます。」
 コハルが感に堪えたようにいう。ただ驚くばかりの自分に、驚いているのだろう。
「あのようなお城など、蝦夷地では想像もつきますまい。」
「いや、京にも堺にもあれほどの大きさの建物はない。安土のお城ですら及ばなかった。」
 大坂は瀬戸内に面し、西国や四国を指呼のうちに置き、京、近江を経て、関東はじめ全国に通じていた。いま、工事の資材が絶え間なく流れ込んでくるのと同じ道をたどって、いずれ海内の物産の奔流がこの街を目指すであろう。
(堺は、いずれこの新しい街に飲み込まれるのではないか。)
 あやめは、大坂城と堺のあいだに広がる田畑や野が、いずれびっしりと家の屋根で覆われる様を想像した。
(おそらく京大坂の間も、さらに狭まるであろう。)
 のちに聚楽第と呼ばれることになる宮殿の建築計画が、京にあるのも聞いていた。すでに一条あたりの古い寺社が移動を内示されているのだという。
 羽柴筑前守の新しい天下政権は圧倒的な武威と経済力に加え、織田政権がそうしようとしたように、京の朝廷の権威を柱とするつもりらしい。いずれにせよ、より密な交通路が開かれるだろう。そうなると、東西南北に広がる巨大な一つの都市圏が上方に出現する。
 こうしたものをつくりあげる力に、あやめは感服や昂揚もおぼえたが、それ以上に、ひどく身に染みる痛みを感じる。
 いま、あやめ個人に襲いかかってくるのは、こうした巨大な力を真似た小さな細工物のような存在であった。
(蠣崎新三郎などの夢はこれなのだ。)
 天下人の有象無象の小さな模倣者たちのひとりこそが、蝦夷代官蠣崎慶広であった。むろん、俗物とも常識人ともいえる(強姦者ではあり、ウーマンビーターではあるが)新三郎は、まさか天下人を夢想するわけではない。だが、まだ密かに望むことに、その小さな領地に似たようなものをつくり、大名として北の土地の小さな「天下」に君臨したいのである。小さな箱庭の天下人であった。
(そのようなちっぽけな望みのために、どれほどの人間がすでに踏みにじられたか。)
 あやめの憤りは普段通りだが、目の前に本物の巨大な権力を見せつけられたとき、羽柴筑州様も新三郎たちの親玉にすぎないのが、かえってわかった気がする。
(しかし、筑州様にはいつまでも“筑州”でいてもらうわけにはいかぬ。大樹(将軍)様でも相国(太政大臣)様でもかまわぬ。もはや天下の帰趨は決まったも同然だが、急いでいただかなくては困るのだ。)
 あやめ自身が逸る気持ちで、町中が普請場と化している大坂の、真新しい―というより、これも普請中の―今井屋敷に入った。削った木の香りのなかで。父宗久を待つ。
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