えぞのあやめ

とりみ ししょう

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二の段 蠣崎家のほうへ 輝ける罠(二)

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 その宵、新三郎はいつも以上に精気に充ち、飽きることなくあやめの躰を責め苛んだ。
 あやめは男の普段以上の荒々しい所作に怯え、許しを請う声を何度もあげたが、意に介されなかった。無意味に打ちこそしなかったが、愛撫の手は執拗で、あやめの肌から激しい反応を確かめるまで、容赦がない。
(堺などに行っても、この儂を忘れられないようにしてやる。)
 新三郎がそんな風に考えていることが、あやめにはわかった。新三郎のつもりでは、そのために、あやめからこの上ない肉の悦びを引き出して、覚えさせておいてやろうとでもいうのであろう。心まで弄られているようで、つらく腹立たしかった。
(左様。お前への怒りと恨みは、どこにいても忘れてやらぬわ。)
 躰の中をかきまぜられるような苦しみとつきあがる異様な感覚に耐えて、荒い息を吐きつづけ、ときに自然に弾けるような声を必死で押さえた。のしかかり、押さえつける重みの主である男に、あやめは内心で切れ切れに毒づきつづけた。
 男はいつものようにすべてをあやめの中に放った。受け終わった時、一瞬の惑乱から醒めるあやめの心には、深い憎悪と懐妊への怖れしかない。いつのまにか目が充血して、真っ赤になっていた。
 
 その日、最後に放ち、そのまま中からしばらく離れないままで、新三郎は話し出した。
「あやめ、おぬしは一向に孕まぬな。」
 あやめは息を整えようとしているが、うまくいかない。先ほどまで強引に息が弾まされていたので、そうすぐには喋りだせないし、そんなことをしたくもないのである。行為が済んだあとも繋がったままで会話するのは気分が悪く、早く離れて貰いたいと思うばかりだ。
 返事ができずに黙っている形になる。それを新三郎はまた何か勘違いしたようで、優しげな声になる。
「奥が、かように言いおった。堺がこちらにあがって、もう一年近くにもなろう、と。これほど長くお情けを受けながら、一向に子ができる気配がないのでは、室に入れられる意味がない、そろそろご奉公より放たれよ。お役御免となさいませ、と。」
「……北の方様が。」
 新三郎正室のいうことは、武家においては常識であろう。
(だが、お方さまが、そんなことを気にする義理もない。いまさらわたくしに妬心があろうとも思えぬ。まさか、あやめを解き放ってやれ、といっているとでもいうのか?)
「案ずるでない。儂はおぬしの役を解いたりはせぬ。いうたな? 必ず子を産ませる。追い出されるなどとは、思わなんでよい。」
「有り難き幸せにて。」
 ぽつりと言い捨てたあやめは、お方さまのことを考えている。はやく戻ってこいよ、といっているらしい新三郎の言葉は、聞き流す。
「……聞いておるか、あやめ?」
 新三郎はまだ繋がったまま、躰を返してあやめを自分の上に乗せた。大木にしがみついたような格好になり、さすがにあやめは気づく。
「明日、文を託す。」
 官位のお願いでも自分で書こうというのだろうか。あやめは内心で嘲笑した。田舎侍は、なにも知らぬわと思った。
「左様のお手続きは、お任せくださいませ。なに、わたくしなども何を知るわけでもござりませぬが、最初の手づるになってくださいます方々は、お公家にせよお武家にせよ、父が知っておりましょう。まずはそこから、蠣崎様のお家の名はお伝えいたします。」
「知っておるわ。田舎侍は何も知らぬと見くびるでない。」
「……。」
「その、……あやめの家、……宗久殿に文を出す。」
「父に?」
 驚いて問い返したあやめは、あ、と顔をしかめた。新三郎が女の躰を持ち上げるようにしてようやく肉の繋がりを解いたからだ。あやめを横に臥させ、柔らかく抱き寄せた。
「宗久殿に、なんの挨拶もまだない。娘御を勝手に貰い受けてしもうた。一言あるべきであろう。大儀じゃが、蠣崎新三郎なる者が大蔵法眼殿のご機嫌を伺っておったと、伝えて貰えぬか。」
(今さら、なにを……?)
「今さらのことじゃな。だが、この機会に是非と思うておる。」
「……承知仕りました。ありがとうございます。」
「うむ。」
「父も喜ぶでございましょう。」
「いや、左様はあるまい。」
 すかさず否定した、新三郎の声が低い。いわずもがなのことをつい口にした、とあやめは後悔した。新三郎にそうした配慮らしきものがあったのが意外だったが、見え透いたことをいわれ、誇り高い新三郎は機嫌を壊したに違いない。また、平手でも打たれるかと覚悟した。
 だが、幸い、新三郎はあやめの肩をやや強く抱きなおしただけだ。
(この北の涯で、虜囚の長に娘が抱かれておるのを、喜びはすまいよ。)
 新三郎は、この苦い自嘲は口に出さなかった。あやめに聞かせても詮無い。聞かせたくもない。
 だが、もしも朝臣と呼ばれ、蝦夷島に独立割拠する大名になれたならば、話は違うはずだと思っている。このたびのことも、その手のひとつなのだ。
「あやめ、先ほどもいうたが、必ず戻ってくるように。お前の役目は、わが子を産むことぞ。」
 あやめは内心で、やかまわしいわ、わたくしをなんだと思っておる、女は子を孕む道具とでも思うか、と毒づいた。怒りのあまり、余計なことをいってしまう。
「おやかたさま、あやめはもうこの齢でございまする。それに、おやかたさまのお子をお産みできる女ごは、松前だけでもいくらもおられましょう? なにもあやめのような年増をお相手になさらずとも」
「いや、お前でなければならぬのだ。」
「はあ。」
「……お前は、今井宗久殿の娘。女とはいえ、その血が流れておる。一代の傑物の血を、我が家に入れよ。必ずお家の役に立つ者が出よう。」
(なるほど。そういうことか。)
 あやめは、新三郎の自分への執心の理由が飲み込めた気がした。つまりはお家大事ということか、さもあらぬ、と思ったが、愉快ではない気分に襲われた。
(このわたくしではなく、わたくしの中に流れる父上の血が欲しいだけか。)
 なにか誇りを傷つけられたようで、つまらないように思っている自分に気づき、それを打ち消そうとばかりに内心で毒づいてみせる。
(こやつになど好かれず、わたくしには幸い至極。)
(じゃが、おあいにくさまじゃ。たれがおぬしの子など産んでやるものか!)
「……であるから、よいか、必ず、戻ってくるのだ。……もし、その、手づるの方々への働きかけが不調に終わり、安東家の陪臣風情が分をわきまえず厚かましい、ということにでもなれば、じたばたせずともよい。すぐに帰って参れ。」
「それはご心配なく。今井は一介の商人でただの茶人ではございますが、幸い、天下様のご厚誼を賜り、……」
「知っておる。うまく運ぶであろう。だが、時の要ることでもあろう。首尾を見届けんと、上方に残らずともよいぞ、というておる。疾く、松前に戻れ。」
「はい、申し上げましたが、春の松前下りの船で、また参ろうと存じております。」
「いっておったな。……春か。そうなるな。」
 新三郎の声に異様なものを感じたのか、あやめが、えっ、と顔をあげて、男の表情を覗き込んだ。
(なんだこやつ、やはりわたくしがいないと、寂しいとでも思っておるのか?)
「あやめ、上方に戻っても、そのまま居ついてしまったりするな。忘れるな。お前の……」
 新三郎は、なぜかいいよどんでいる。
「わたくしの、なんでございましょう?」
「忘れるな。」新三郎は思いついて、脅かすような笑いを浮かべてみせた。「お前の店は、この松前にあるのだぞ。もし主人がいっこうに戻らぬようであれば、不埒な振る舞いとて、蝦夷代官が家財を召し上げねばならぬ。」
(そうだ、こやつはそうするだろう……!)
 あやめは表情を硬くした。そういう男ではないか。よしんば自分に執着があったとしても、それはそもそも肉欲と征服欲以外にはなかったのをつい忘れ、なにかを勘違いしかけていたか、と自分を叱った。
 もし今後なにか人らしい気持ちを、こやつがわたくしにもったところで、だからどうだというのだ、没義道の振る舞い、決して容赦などしてやらんのだ、と思った。そして、
「心がけておりまする。」
とだけいった。その声の冷たさに、新三郎の表情が曇った。
 長い時間、ふたりは黙りこくり、それぞれの思いに沈んでいた。
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