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二の段 蠣崎家のほうへ 三度目の冬―奈落の底(三)
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一方で、新三郎は苛立っている。
「堺の方」としてのあやめは、冷然としている時間が長い。
甘える態度など全くない。仏頂面で、黙り込んでいる。いかなる言葉にも最低限の反応しかしない。命じられない限り、どのような所作にも及ばない。
それでも抱かれていると、ついに刺激にたまらず息を弾ませ、強い感覚にも襲われてあからさまに戸惑っているようにみえるときもあるが、まずはそればかりであった。
終われば、また冷ややかに不愛想で、昔の納屋の御寮人のときのように快活なところは見せなくなった。新三郎は身勝手にも、上方娘らしく機智に富んだ受け答えが楽しかった頃のあやめの記憶が好ましい。
もとよりわざと乱暴に行為に及んでやり、どんなに厭がっても―そのこと自体許せぬと憤りながらも、女の厭がり抗うさまを嗜虐しつつ―胎内に精を放出してやるのだが、あやめは、そのときこそは衝撃をうけ、恨みがましい目をむけても、すぐに内心の深い侮蔑と嫌悪がにじみ出る無表情となる。
たとえ意志と無関係に溜息や声が漏れ出るまで追い上げてやっても、すぐに平静に戻り、こちらも昂揚から降りてきたばかりの新三郎の自尊心は逆なでされる。
あやめにすればたまったものではなかったであろう。少しも望まぬ交接であった。そして、まずは妊娠の脅えに、毎度心潰れる思いなのである。
新三郎は、自然―といってよいものではないはずだが―、戯れの度を越えたあからさまな打擲を混ぜるようになった。
昂奮のままに、あやめを組み敷くさいに、腕を背中にまわして、折らんばかりにする。自分を迎える礼の頭をあげたときの、あやめの仏頂面に腹をたてての、いきなりの平手打ちはしょっちゅうである。ときには躰を繋げながら、意味もなく泣き声をあげさせようというのか、しつこく顔を張った。肌をねじ切らんばかりにつねった。行為の後、床を守って起きていなければならないと命じられたあやめが、つい疲労のあまり居眠りの首を落とすと、寝ながら腹を蹴った。躰のあちこちに痣をつくる夜も珍しくない。
(頭がおかしいのか、この男は……?)
あやめは痛みや屈辱以上に、それが恐ろしくなっていた。粗暴というのを越えている。
自分の態度や所作は、武家の側女として模範的ではないだろう。心根は隠せず、内心の不服従が透けてみえるのだ。それが腹立たしいのはわかる。
だが、なにをいわれるでもないのに新三郎は、愛撫のさいちゅうにいきなり激し、あやめを打つのだ。内心にいかなる鬱屈があるのかは知らぬが、ときに泣かんばかりの表情になってあやめの顔をしげしげと見つめ、そして、一転薄い厭な笑いを浮かべてあやめの嫌がる行為におよぶ。あやめも意固地になって泣いたり騒いだりはせぬようにするが、ついには我慢しきれず、痛い、と訴えてもやめてくれない。むしろ、新三郎の嗜虐にそれで火がついてしまうかのようだ。
一度は殺されかけた。
新三郎はその日、臥したあやめを抱く所作に文字通り没頭していたが、ふと顔をあげ、妙に静かに話しかけた。
「あやめ、お前は、もうおれのつまじゃ。」
多妻制の時代である。そういえるだろう。新三郎は正室を動かす気は微塵もないようだったが、あやめは側室とはいえ「つま」に当たる存在には違いなかった。
だが、だからこそあやめはその一言に衝撃を受け、厭がりながらも男の所作に熱くなりかけていた躰を強張らせた。思わず首を振った。
「あっ、それは違う。違いまする!」
「何が、違う?」
驚いて問い返したときには、新三郎はもう気づいていた。声が怒気を帯びる。
「わたくしは、……わたくしはっ!」
「十四郎のつまだというのか、愚か者が!」
新三郎はあやめの頭を張った。
「いつまで死人にこだわっておる? ……お前は現にこうしておろう? もうわしの、わしのつまじゃ!」
あやめの中で、暴力に対して、恐れよりも怒りが燃え上がった。
「あやめは、お夜伽をつとめているだけでございまするよ! つまなどであるものか!」
「なに?」
「兄と弟の両方のつまになるなど、畜生の仕業じゃ!死んだほうがましじゃ!」
「……愚か者めが、あ奴は死んだ。わしがお前を貰い受けるは、……。」
あやめは思わず、首を激しく振った。
新三郎はそれを見て、言いかけていた言葉を飲み込んだ。あやめよ、と声を励ますようにして問いかける。
「……死んだほうがまし、というたな? わしに添うは、死ぬほどに厭か?」
「左様になりますな! 夜伽で済まず、つまとして仕えよといわれるなら、いっそ殺してくださいまするか?」
死にたい、もう死んだほうがよいのだ、とあやめはこの時本当に思っていた。先のことも、「図」のことも怒りと悲しみのあまり頭から吹き飛んだ。新三郎などの思うままにならぬところに、ただ行ってしまいたかった。
新三郎は低く呻くと、あやめに圧し掛かった。
「よかろう。殺してやろう!」
と、頸を締められたときは、あやめははっきりと絞殺されると覚悟した。
顔が鬱血し、死ぬ寸前までいったとき、ようやく手が離れた。咳き込むだけで終わるものではない。あやめの咽喉はいったん潰れたようになり、息をするのも苦しい状態がつづいた。首の指のあとの痣はなかなか消えず、大舘の「奥」から「表」まで囁かれる噂となった。
「堺の方」としてのあやめは、冷然としている時間が長い。
甘える態度など全くない。仏頂面で、黙り込んでいる。いかなる言葉にも最低限の反応しかしない。命じられない限り、どのような所作にも及ばない。
それでも抱かれていると、ついに刺激にたまらず息を弾ませ、強い感覚にも襲われてあからさまに戸惑っているようにみえるときもあるが、まずはそればかりであった。
終われば、また冷ややかに不愛想で、昔の納屋の御寮人のときのように快活なところは見せなくなった。新三郎は身勝手にも、上方娘らしく機智に富んだ受け答えが楽しかった頃のあやめの記憶が好ましい。
もとよりわざと乱暴に行為に及んでやり、どんなに厭がっても―そのこと自体許せぬと憤りながらも、女の厭がり抗うさまを嗜虐しつつ―胎内に精を放出してやるのだが、あやめは、そのときこそは衝撃をうけ、恨みがましい目をむけても、すぐに内心の深い侮蔑と嫌悪がにじみ出る無表情となる。
たとえ意志と無関係に溜息や声が漏れ出るまで追い上げてやっても、すぐに平静に戻り、こちらも昂揚から降りてきたばかりの新三郎の自尊心は逆なでされる。
あやめにすればたまったものではなかったであろう。少しも望まぬ交接であった。そして、まずは妊娠の脅えに、毎度心潰れる思いなのである。
新三郎は、自然―といってよいものではないはずだが―、戯れの度を越えたあからさまな打擲を混ぜるようになった。
昂奮のままに、あやめを組み敷くさいに、腕を背中にまわして、折らんばかりにする。自分を迎える礼の頭をあげたときの、あやめの仏頂面に腹をたてての、いきなりの平手打ちはしょっちゅうである。ときには躰を繋げながら、意味もなく泣き声をあげさせようというのか、しつこく顔を張った。肌をねじ切らんばかりにつねった。行為の後、床を守って起きていなければならないと命じられたあやめが、つい疲労のあまり居眠りの首を落とすと、寝ながら腹を蹴った。躰のあちこちに痣をつくる夜も珍しくない。
(頭がおかしいのか、この男は……?)
あやめは痛みや屈辱以上に、それが恐ろしくなっていた。粗暴というのを越えている。
自分の態度や所作は、武家の側女として模範的ではないだろう。心根は隠せず、内心の不服従が透けてみえるのだ。それが腹立たしいのはわかる。
だが、なにをいわれるでもないのに新三郎は、愛撫のさいちゅうにいきなり激し、あやめを打つのだ。内心にいかなる鬱屈があるのかは知らぬが、ときに泣かんばかりの表情になってあやめの顔をしげしげと見つめ、そして、一転薄い厭な笑いを浮かべてあやめの嫌がる行為におよぶ。あやめも意固地になって泣いたり騒いだりはせぬようにするが、ついには我慢しきれず、痛い、と訴えてもやめてくれない。むしろ、新三郎の嗜虐にそれで火がついてしまうかのようだ。
一度は殺されかけた。
新三郎はその日、臥したあやめを抱く所作に文字通り没頭していたが、ふと顔をあげ、妙に静かに話しかけた。
「あやめ、お前は、もうおれのつまじゃ。」
多妻制の時代である。そういえるだろう。新三郎は正室を動かす気は微塵もないようだったが、あやめは側室とはいえ「つま」に当たる存在には違いなかった。
だが、だからこそあやめはその一言に衝撃を受け、厭がりながらも男の所作に熱くなりかけていた躰を強張らせた。思わず首を振った。
「あっ、それは違う。違いまする!」
「何が、違う?」
驚いて問い返したときには、新三郎はもう気づいていた。声が怒気を帯びる。
「わたくしは、……わたくしはっ!」
「十四郎のつまだというのか、愚か者が!」
新三郎はあやめの頭を張った。
「いつまで死人にこだわっておる? ……お前は現にこうしておろう? もうわしの、わしのつまじゃ!」
あやめの中で、暴力に対して、恐れよりも怒りが燃え上がった。
「あやめは、お夜伽をつとめているだけでございまするよ! つまなどであるものか!」
「なに?」
「兄と弟の両方のつまになるなど、畜生の仕業じゃ!死んだほうがましじゃ!」
「……愚か者めが、あ奴は死んだ。わしがお前を貰い受けるは、……。」
あやめは思わず、首を激しく振った。
新三郎はそれを見て、言いかけていた言葉を飲み込んだ。あやめよ、と声を励ますようにして問いかける。
「……死んだほうがまし、というたな? わしに添うは、死ぬほどに厭か?」
「左様になりますな! 夜伽で済まず、つまとして仕えよといわれるなら、いっそ殺してくださいまするか?」
死にたい、もう死んだほうがよいのだ、とあやめはこの時本当に思っていた。先のことも、「図」のことも怒りと悲しみのあまり頭から吹き飛んだ。新三郎などの思うままにならぬところに、ただ行ってしまいたかった。
新三郎は低く呻くと、あやめに圧し掛かった。
「よかろう。殺してやろう!」
と、頸を締められたときは、あやめははっきりと絞殺されると覚悟した。
顔が鬱血し、死ぬ寸前までいったとき、ようやく手が離れた。咳き込むだけで終わるものではない。あやめの咽喉はいったん潰れたようになり、息をするのも苦しい状態がつづいた。首の指のあとの痣はなかなか消えず、大舘の「奥」から「表」まで囁かれる噂となった。
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