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一の段 あやめも知らぬ ポモールの村から(二)
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「和人になれず、ポモールにもなれず……か。」
あやめはゆっくりと繰り返した。自分の机の前に、力なく座り込んでいる。
「森と川のお方だけのお言葉にはござりますまい。」
「十四郎さまが、いわれたたのであろうな。」
十四郎は、蝦夷代官の書状を拵えていた。父たる柿崎季広に頼み込んで書かせたものか、まったくの偽造であるかはどうでもよいことであった。
十四郎たちは蝦夷代官の使いとして、村よりも先にテシオから遠征軍を率いてきた“惣大将”のもとにまず出向き、ポモールの村との停戦を命じてみせたのである。
蝦夷代官の支配は、上ノ国より北には全く通じないが、かれらが蠣崎家の存在を知らないわけでもない。和名を称しているアイノの首長がいるように、政道の働く範囲外にも和人の影響はある。安東時代のそれが、残っていたというべきか。
“惣大将”の答えがふるっていた。十四郎はどう思っただろうか。
「おぬしは、あいつらポモールではないか。顔かたちから知れる。和人たる蠣崎蝦夷代官の一統で、その使い? とは信じるに足らず。その書状もしかり。」
「……和人とは、認められなかったのだ。そして、ポモールにもなれなかった。」
「ソヒィアさまの狂信は、意想外でございました。」
「十四郎さまは切支丹になられなかったのだな。」
「御曹司さまは、お前も同族なら、前非を悔いて切支丹にならねばならぬ。でなければ地獄に落ちる、と脅されたそうですな。ソヒィアや、伴天連坊主などに。」
「むごいことをいいよる。十四郎さまに何の非があった。……堺のパーデレたちは、わたくしのような子どもにすら、さほどに強く信心を勧めはしなかったものだが。」
この「ポモール」が、後世の我われが世界史に知るポモールと同じものならば、一六世紀初頭に西シベリアまで進出したことが知られているスラブ系の民族である。
ロシアから北極海を経て長距離の移住をおこない、長距離交易を北東アジアにまで展開した。明朝の東北部の国境に近づいて、拠点を持ったとの記録がある。
しかしその一団が蝦夷島まで渡ったというのは、しかものちにほぼ孤立してしまったというのは、商業的展開とはいえないようであった。かれらの奉じるキリスト教信仰がギリシア正教のなかにあってやや宗派的に特異であり、ポモールの本隊から離れて新天地を蝦夷島まで求めたのも、それが原因であったようだ。だとすれば、その分、熱烈で峻厳なものであったかもしれない。
「そんなことをいわれれば、十四郎さまは、なおさらに入信なさるまいが……。そして、最後に裏切られた。ポモールにもなれず、か。」
「ただ、御曹司さまは……」
「まだあきらめてはおられぬ。だから、ポモールの村の元もとを、海のむこうにお探しになるというのだな。」
あやめは深い溜息をついた。
北方の蝦夷千島を越えて山丹こと大陸沿海州に広がる蝦夷商人の広大な商圏の奥に、たしかにポモールら「赤い人」とアイノが呼ぶ異人たちの前線ともいうべきものが築かれているらしい。滅びた村は、そこから逸れたものだった。十四郎は村でそれを聞き、ヨイチから出発するつもりらしい。
生き残り、連れ出した小さな子どもたち二人に、故郷を見出してやらねばならぬというのだ。同族を多く死なせ、ひとりはわが手にすらかけた。村は結局この世から消えた。責任を感じているものらしい。
(だが、それだけではあるまい。)
あやめにはわかっている。十四郎はなお、どうしようもなく、自分の血の故郷に惹かれているのだ。一度見て、長い孤独をようやく鎮めることができた、桃色ががった白い肌と鉄色の瞳、薄く光る髪の人びとが恋しくてならないのだ。
「……まだ、当分、お目にはかかれぬ。」
「御寮人さま。」
「よいよ。生きておられる。それだけで、まずはよい。うれしかった。だが、……また約定を破られたようで……せっかく、村のことは終わったというのに。」
「申し上げまする。なかなかに終わりはしないものなのでございますよ。聞くほどに、ご初陣というのに、ひどい戦いにござったようで。なによりも、同族の女や子どもまでほぼ死に絶えた。最後には御みずからご同族を斬られた。お心に、生涯、残られましょう。」
「お武家ですら、そのようなものか。」
「左様に存じまする。……ですから、すぐにはお会いにならぬほうがよい。堺に参られるにせよ、いますぐお連れ申せば、お心は永久に新戦場をさまよわれましょう。」
(わたくしでは、お慰めはできぬのだろう。)
あやめは、それがつらくてならない。
「よい。海を渡られるにせよ、戦にくらべれば、心配は薄い。……ただ、もしポモールというものになってしまわれれば、わたくしのことなど、きっと忘れてしまわれるのかのう。……ふふ、あの方のお手ずから斬られたというソヒィアさまが、なにか妬ましいような気がしてならんの。」
「そのお笑いを、どうかおやめくださいませ。コハルもつろうございまする。」
「あいすまぬ。だが、……お帰りであろうか? その地に根付いてしまわれないで、蝦夷島にお戻りになられるじゃろうか?」
「御曹司さまにはお気の毒かもしれませぬが、それは間違いがないと存じます。」
「ポモールにもなれぬ、か。……」
「はい。お言葉は通じますまい。切支丹にもなられぬでしょう。あんなことがあれば……。そして、……」あなたがいるではないか、といいかけたのを、あやめの沈んだ声が遮った。
あやめはゆっくりと繰り返した。自分の机の前に、力なく座り込んでいる。
「森と川のお方だけのお言葉にはござりますまい。」
「十四郎さまが、いわれたたのであろうな。」
十四郎は、蝦夷代官の書状を拵えていた。父たる柿崎季広に頼み込んで書かせたものか、まったくの偽造であるかはどうでもよいことであった。
十四郎たちは蝦夷代官の使いとして、村よりも先にテシオから遠征軍を率いてきた“惣大将”のもとにまず出向き、ポモールの村との停戦を命じてみせたのである。
蝦夷代官の支配は、上ノ国より北には全く通じないが、かれらが蠣崎家の存在を知らないわけでもない。和名を称しているアイノの首長がいるように、政道の働く範囲外にも和人の影響はある。安東時代のそれが、残っていたというべきか。
“惣大将”の答えがふるっていた。十四郎はどう思っただろうか。
「おぬしは、あいつらポモールではないか。顔かたちから知れる。和人たる蠣崎蝦夷代官の一統で、その使い? とは信じるに足らず。その書状もしかり。」
「……和人とは、認められなかったのだ。そして、ポモールにもなれなかった。」
「ソヒィアさまの狂信は、意想外でございました。」
「十四郎さまは切支丹になられなかったのだな。」
「御曹司さまは、お前も同族なら、前非を悔いて切支丹にならねばならぬ。でなければ地獄に落ちる、と脅されたそうですな。ソヒィアや、伴天連坊主などに。」
「むごいことをいいよる。十四郎さまに何の非があった。……堺のパーデレたちは、わたくしのような子どもにすら、さほどに強く信心を勧めはしなかったものだが。」
この「ポモール」が、後世の我われが世界史に知るポモールと同じものならば、一六世紀初頭に西シベリアまで進出したことが知られているスラブ系の民族である。
ロシアから北極海を経て長距離の移住をおこない、長距離交易を北東アジアにまで展開した。明朝の東北部の国境に近づいて、拠点を持ったとの記録がある。
しかしその一団が蝦夷島まで渡ったというのは、しかものちにほぼ孤立してしまったというのは、商業的展開とはいえないようであった。かれらの奉じるキリスト教信仰がギリシア正教のなかにあってやや宗派的に特異であり、ポモールの本隊から離れて新天地を蝦夷島まで求めたのも、それが原因であったようだ。だとすれば、その分、熱烈で峻厳なものであったかもしれない。
「そんなことをいわれれば、十四郎さまは、なおさらに入信なさるまいが……。そして、最後に裏切られた。ポモールにもなれず、か。」
「ただ、御曹司さまは……」
「まだあきらめてはおられぬ。だから、ポモールの村の元もとを、海のむこうにお探しになるというのだな。」
あやめは深い溜息をついた。
北方の蝦夷千島を越えて山丹こと大陸沿海州に広がる蝦夷商人の広大な商圏の奥に、たしかにポモールら「赤い人」とアイノが呼ぶ異人たちの前線ともいうべきものが築かれているらしい。滅びた村は、そこから逸れたものだった。十四郎は村でそれを聞き、ヨイチから出発するつもりらしい。
生き残り、連れ出した小さな子どもたち二人に、故郷を見出してやらねばならぬというのだ。同族を多く死なせ、ひとりはわが手にすらかけた。村は結局この世から消えた。責任を感じているものらしい。
(だが、それだけではあるまい。)
あやめにはわかっている。十四郎はなお、どうしようもなく、自分の血の故郷に惹かれているのだ。一度見て、長い孤独をようやく鎮めることができた、桃色ががった白い肌と鉄色の瞳、薄く光る髪の人びとが恋しくてならないのだ。
「……まだ、当分、お目にはかかれぬ。」
「御寮人さま。」
「よいよ。生きておられる。それだけで、まずはよい。うれしかった。だが、……また約定を破られたようで……せっかく、村のことは終わったというのに。」
「申し上げまする。なかなかに終わりはしないものなのでございますよ。聞くほどに、ご初陣というのに、ひどい戦いにござったようで。なによりも、同族の女や子どもまでほぼ死に絶えた。最後には御みずからご同族を斬られた。お心に、生涯、残られましょう。」
「お武家ですら、そのようなものか。」
「左様に存じまする。……ですから、すぐにはお会いにならぬほうがよい。堺に参られるにせよ、いますぐお連れ申せば、お心は永久に新戦場をさまよわれましょう。」
(わたくしでは、お慰めはできぬのだろう。)
あやめは、それがつらくてならない。
「よい。海を渡られるにせよ、戦にくらべれば、心配は薄い。……ただ、もしポモールというものになってしまわれれば、わたくしのことなど、きっと忘れてしまわれるのかのう。……ふふ、あの方のお手ずから斬られたというソヒィアさまが、なにか妬ましいような気がしてならんの。」
「そのお笑いを、どうかおやめくださいませ。コハルもつろうございまする。」
「あいすまぬ。だが、……お帰りであろうか? その地に根付いてしまわれないで、蝦夷島にお戻りになられるじゃろうか?」
「御曹司さまにはお気の毒かもしれませぬが、それは間違いがないと存じます。」
「ポモールにもなれぬ、か。……」
「はい。お言葉は通じますまい。切支丹にもなられぬでしょう。あんなことがあれば……。そして、……」あなたがいるではないか、といいかけたのを、あやめの沈んだ声が遮った。
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